【目次】
欧州を中心とする国際政治史を勉強してみました。
国際システムとしての冷戦
冷戦を「2陣営が地政学的利益とイデオロギーをめぐり対立し、多くのアクターがその構造を念頭に行動した」国際システムとして捉え、米ソ・欧州・東アジア・第三世界の4地域(レベル)の相互作用に注目して歴史を紡いだ上下巻です。冷戦、というとどうしても大西洋世界だけに目が行きがちで須賀*1、東アジアの経済発展(特に中国の改革開放政策)が第三世界を中心とした「イデオロギー上の勝敗」の認識に大きく影響したという指摘は興味深いものです。
もちろん両陣営は完璧に結束していたわけではなく、東側では中ソ対立が顕在化、西側では後述するフランスが独自の立ち位置を模索することとなり、これがいわゆるデタントや陣営内の結束の綻び(付け入る隙)に繋がる局面も出てきます。そんなわけで錯綜した関係の描写も少なくありませんが、ほぼリアルタイムで経験していない人間でもさほど苦労せず読み進めることができました。
「中原の大国・ドイツ」をどう位置付けるか
2度の世界大戦を真正面から戦った憎悪の時代から、冷戦という国際システムの中で同じ陣営に組み込まれ*2、在任時期の重なる首脳コンビらによって「枢軸」化していく時代、冷戦終結によってパワーバランスが崩れつつも連携を続ける近年…と、こちらはドイツとフランスの二国関係を150年ほどのスパンで論じています。
まず前提として理解しておくべきは、歴史的に(より)大国と言えるのは欧州の中原に位置するドイツの方であり、フランスは「分断された敗戦国」西ドイツと釣り合っていたとしても、現在はそうではなくなっているということです。そしてさらに重要なのは、本書が扱う時期はその大国・ドイツをどう国際秩序に位置付けていくかをめぐる試行錯誤の歴史であり、欧州統合も、ある意味では東西分断もその営為の一つである点でしょう。
日韓関係との比較において
一方その過程の中で、世界大戦による荒廃と冷戦における米ソの台頭、欧州統合の深化による域内でのEUの存在感アップなどを通じて、独仏関係自体が国際社会全体に与えるインパクトは低下してきたことにも注目したいと思います。独仏関係と日韓関係の比較というのも個人的な問題関心としてあったので須賀、
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「相手と自分との関係が、自分や地域全体にとってどの程度重要か」という認識がその関係を維持拡大させるための努力の多寡に影響するとすれば、確かに日韓も冷戦構造の下で同じ陣営に置かれた隣国であるとはいえ、雑な言い方をすれば「頑張って仲良くする動機」は独仏関係ほどではなかったと言わざるを得ないと思います。ただこれは東アジア地域などでの国際情勢の推移の中で、十分変わり得る要因でもあるはずです。また深入りは避けま須賀、経済・人口規模だけでなく36年間支配/被支配の関係にあったことが両国のパワーバランスへの認識に及ぼす影響は小さくないかと思われます。
・・・ちょっと脱線してしまいましたが、近年のパートでドイツ・メルケル前首相の消極性*3を強調する描写が目立っており、以前読んだ
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とかなり違う印象となっているのも興味深かったですね。
「ドイツ問題」の次は
偶然ではないはずで須賀、両著はともに「現在、国際秩序への包摂のあり方が問われているのはロシアだ」と指摘しています。冷戦終結の最も劇的な事象と言えるドイツ統一の過程は、今回読んだ
で詳述されていま須賀*4、その際に西側のNATOを建て増す(「プレハブ・モデル」)のか、ロシアをも含んだ全欧州での枠組みを模索する(ゴルバチョフ流に言えば「ヨーロッパ共通の家」)のかの路線対立は、まさにこの点が問われていました。
結果として歴史は前者の流れを辿り、ソ連崩壊を個人的にもトラウマとしているとされる人物が君臨するロシアは「西側に騙され*5、排除された」との認識を深めてウクライナに侵攻。これによって冷戦終焉以降、ドイツやフランスが試みたロシア包摂の試みは「吹っ飛んだ」(『独仏関係史』)ことになります。この2022年の出来事をもって、国際政治史における「ポスト冷戦時代」が終わったという評価が後年なされる可能性は低くなさそうです。
「敗者」をちゃんと包摂してこそ
ここまで書いていて、久しぶりにこの本のことを思い出しました。
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勝者こそ自重し、短期的な利益よりも長期的に安定する仕組みづくりを行ってきた-。ドイツとフランスはもちろん冷戦の勝者筆頭ではありませんが、ヴェルサイユで(今見れば)過剰な報復を課し、2度目の世界大戦を招いたことで両方ともが国際秩序における主役の座を完全に奪われた経験を持つからこそ、敗者を秩序の中にちゃんと位置付けることで共存し、封じ込めることを目指した面はあるのでしょう。
全てがそこで不可避的に決まるわけではないはずで須賀、ドイツ統一を含む一連の冷戦終結過程が世界史の一時代を画し、当時の各アクターの作為不作為がその後の国際秩序に大きな影響を与えたことは疑いありません。そして現在も、そうした時期に差し掛かっているのかもしれません。