かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ヨーロッパ中毒奇行紀行四日目・パリ一日観光

モンマルトルと二つの美術館

下ベッドのフランス人と「冷戦」

さてさて、もはや続きを書くことなど誰も期待していないだろうこの旅行記で須賀、思いついたようにまた書き進めてみようと思います。この旅行の目的とハイライトが初日に凝縮されていると思われるのも癪ですからねwww ただし記憶の方はかなり曖昧になってきています。仕事柄、事実かどうか怪しいことを事実であるかのごとく書くことにかなりの恐怖と抵抗感を覚えるようになったので(笑)、煮え切らない記述が薄っぺらく続くことも予想されま須賀、どうかご笑覧を賜りたく…って初めと言ってること違ってきたなww いいもん、べ、別に読んでほしいわけじゃないんだからねっ!
この日は8時起床です。曇っていたこともあってか、外はまだ暗かったのを覚えています。もそもそと起き出して部屋のシャワーを浴び、ベッドに戻って身支度をしていると、下のベッドにいた人がなぜだかこちらをじっと見ていることに気がつきました。その人はたまたまこちらに体が向いているというわけではないようで、ベッドを下りて、かといって他に何をするわけでもなくこちらを見ている。そんなことをずっとやっていれば私のような鈍い人間でも見られていることに気付くわけで、彼自身も「自分がじっと見ていることに相手は気付いているだろう」という認識はあったのだろうと思うのです。そもそも何度か目線合ってますからねw しかしそれでも、彼は一言も発さずにこちらを見ている。対する私は、一方的に視線をよこして来るだけの人間に苦手な英語を使ってまでわざわざ話しかけるいわれはない*1し、そもそもこの人ちょっと気持ち悪いわ、と無視を決め込み、何事もなかったかのように身支度を続けていたのでした。
そしてそんな第四回を除く川中島合戦のような、というよりそれらをはるかに凌駕する*2不毛な対陣が飃分近く繰り広げられた後、その火ぶたは切って落とされたのでした。いつもの「起床しろ」*3で友人を起こし、二言三言交わして友人がシャワーを浴びに行った直後、彼が放った第一声は…
〜以下、実際の会話は英語です〜
男性「君はあいつと旅行しているのか?」
こいつさんざんだんまり決め込んどいていきなり何言い出すんだ、と結構面食らいましたが、ここは冷静に返そうと「え、えぇ、まぁ」と返事をすると、
男性「どこから来たの?」
私「日本だよ、あなたは?」
男性「フランスだよ」
私「フランスのどの辺?」
男性「東の方なんだけどね」
私「そうなんですか」
と、これまで二人の間に繰り広げられてきた、妙な緊張感を伴ったコミュニケーションとはうってかわった他愛のない会話に収束していったのでした…。結局この人が何をしたかったのかはよく分からないというのが正直なところなので須賀、彼の発した第一声の、何か人を咎めでもするかのような強い語調は今でも印象に残っています。その意味では、彼の意図について何ら仮説がないわけではないので須賀、あえてそこには触れません、ええ、触れませんとも。
…ふぅ、巻いていきたかったのに妙にスペース食っちゃったなorz
朝食のメニューを詳しくは覚えていませんが、ココアが甘すぎず薄すぎず、とてもおいしかったのを記憶しています。あと配膳してくれた厳ついオニイサンが結構優しい対応で、こういう言い方はよくないんでしょうが身構えていた分ちょっと拍子抜けしました。

「ナカタ、俺の眼を見ろ」

そんなこんなで宿を出たのが10時過ぎ。とりあえず近くにあるでっかい建物にでも行ってみるか、くらいの軽い気持ちで、サクレ・クール聖堂を訪ねます。この聖堂は、普仏戦争での敗戦やパリ・コミューンで気落ちした国民を励まそうと、1876年に着工され、1919年に完成したんだそうで*4、1919年という年を考えると、かなりドイツとは因縁深い建物ですよね。

そして聖堂の前に立つ緑の銅像ジャンヌダルクと聖ルイ王だったんだそうで、「国民を励ます」意味ではよい人選ということになるのでしょう。モンマルトルの丘の上に立っているということで眺めも………………。

しかしここでは面白い人たちと出会いました。アフリカ系と見られるミサンガ売りのお兄様方です。彼らは聖堂に上る階段辺りに数人でたむろしていて、観光客っぽいなりの人を見つけると近づいてきます。で、「ミサンガを結んであげるから手を出しな」と絡んでくるのです。そこで「ありがとう」なんて言って応じるとたちまち法外な「ミサンガ代」を要求してくる、という手口で、実際昨日ホステルで会った人も「本当に1ユーロぐらいしかなかったからそれで勘弁してもらった」なんて話をしていたので、私も友人も若干ピリピリムードで階段へ向かいました。
 すると案の定、2〜3人で行く手を阻み、「手を出しなよ」とくるわけです。友人はうまくかわしてすたすた上っていったので須賀、私は軽く逃げ損なって囲まれてしまい、執拗な「セールス」を受けることになってしまいました。
 「ノープロブレム、大丈夫だよ」「俺の目を見ろ」「(友人を指さし)ほら、彼を見てみろ」
 どこがどう問題ないのか、彼の目を見ても全く分からなかった上に、彼らが指さした私の友人は、ミサンガを買ったから解放されたのではなく、彼らをうまくかわして逃げ切ったのでした。当然私も、彼らのご指摘通り友人を見習って、新たなアクセサリーを身につけることなく階段を上がりおおせたのでありました。
 ちなみに彼らは、自分たちの「商い」がうまくいかなかったことを悟り、「商売上のカモ」から「ナカタの国の人たち」へと急に私たちを見る目が変わったのか、笑顔で「ナカタ」「ナカタ」と言いながら見送ってくれましたwww
 友人「中田じゃないって言ってきてあげなよ」
 私「自重しろ」
モンマルトルの丘からの絶景(笑)を味わった後は、地下鉄(1.5ユーロ)でパリ中心部へ。駅への道中に土産物屋があったので*5、女性へのお土産にいいだろうと、とりあえず「Paris」と書かれたスカーフを三枚買ってみました(4.5ユーロ)。

canarykanariiya、ルーブルを語る

それはさておくにしても、オペラ大通りに降り立ったときは圧巻でしたね。オペラだなんだ*6の壮麗な建築物群と、ものすごい交通量。パリに来たんだということを最初に肌身で感じたのは、この瞬間だったかもしれません。今思えば「ヨーロッパ」+「大都市」=「パリ」という単純な記号の足し算でしかなかった、といえばそうなのかもしれませんけどね。しかしそんなオペラ大通りに来た最大の目的はその街並みではなく、アメックスでTCを換金することだったのでしたww 「今週から変わりました」という腹立たしいレートの元、グチグチとゴネながらも100ユーロのTCを97ユーロの現金にしてもらいました。
オペラ通りでの最大のイベント(笑)を終えた私たちは、通りを南東にふらふらと。

途中見つけたこの大きな建物は、国立音楽協会というんだそうで須賀、「芸術は全然わからない」を合言葉にパリを巡ろうとしている二人には、ただの「いかにもパリっぽい建物。なんかミュージックとか書いてある」程度でしかないのでした。それよりこういう看板に反応するのでした。

30分ほど歩いたでしょうか。オペラ通りをずっと南下してきた私たちの目の前に、横に広ーい建物が立ちふさがりました。そう、ルーブル美術館です。敷地内に入ってもピラミッドがあったり広場があったりと広々とした美術館で、まさに聞きしに勝る芸術の都・パリの一大ランドマーク。「ルーブルで一日つぶせる」「一日では全部見られない」と言われるのも納得できる規模ではありました。

え、なんでルーブルの外観の話ばっかりしてるのかって?なぜなら…

当然このことは知っていて*7、旅程上やむを得ないという判断ながらも雰囲気だけでも味わいたいと、私が友人に頼んでここまで歩いてきたのでした。それこそ下手にルーブル開いていてしまうと、一日しかないパリ滞在が丸つぶれになってしまうわけで、「またパリに来る時のためにとっておこう」と、その場を後にしたのでした。それにしても今考えてみれば、休館日なのに結構人がいるんですね。

canarykanariiya、オルセーを騙る

そのかわりに、と言うわけではない須賀、私たちが次に訪れたのはオルセー美術館です。

駅舎を利用した印象派中心の美術館、というようなこともいまさら述べる必要はないでしょう。ルーブルからオルセーに来るまでに渡った橋の上で「セーヌ川にせーぬで飛び込もうよ!」とかやっていた話は割愛して、中の話に入っていきたいと思います。入場料は5.5ユーロだったらしいので須賀、私の記録からは漏れていました。
入ってみると、有名な大時計や明かりとりの天井のカーブ具合などがやっぱり駅舎風なオルセー美術館。まず下階の彫刻を見てから最上階にのぼり、そこからだんだん降りて行くことにしました。とはいえ「芸術稚内」を合言葉にパリを歩いていた二人。友人はたまにある裸婦的な作品以外には興味薄といった感じで、私もそこに飾られていた芸術作品ではないものに激しく反応していました。
お前らは写真を撮るために美術館に来たのか!
そうなんです。飾られている作品一つ一つを写真に収めて、あたかもその「作業」をしに来たかのように館内を巡っている人が結構いたんですね。いやもうこれはアホかと。自分が作品と一緒に写ってオルセーに来た思い出を残そう、ってんならまだしも、ロクに実物を見もせずに写真だけを撮って回るなんて、そんなに写真がほしいならお近くの書店の美術書コーナーで作品集をお買い求めになられては?と一人憤慨していましたw
そんな憤りを感じながら、印象派画家たちの作品が並ぶ最上階へ。何度も言っている通り、私には基本的にゲージツを楽しむという心が全く欠けていて、開き直りなのか何なのか、目の前で芸術が云々と始める人間はスノッブに相違ないと頭から決めてかかっているくらいだったので須賀、高校の時世界史の資料集で見たルノワールだけがなぜか印象に残っていて、あんな風に女の子とよろしくやりたいなチャンスがあればあの絵*8を生で見てみたいな、と思っていたのでした。ですから決して、ルーブルのかわりにオルセーに来たわけではなく、一応私なりに見たい絵があったから、短いパリ観光の中でここを選んだわけです。
そんな前置きはよしにして、じゃあどうだったか。今*9その感覚をばっちり思い出せないのが悲しいので須賀、モネやルノワールの絵を吸い込まれるようにして見ていたのを覚えています。それは確か「すごい!」とか「美しい!」とかそういう感情ではなくて、「そうそう!」「わかる!」という、そういう感覚であった気がします。もちろん写真という技術がある以上、それより写実的な絵というのはないはずなので須賀、そういうことじゃなくて、その絵を見て「ああ、フランスの農村風景ってこんな感じだよね」とか「川面に映るヨットを思い出すね」とか、そんなもの実際に見たことないのになぜか妙に納得させられてしまう何かがそこにはありました。芸術というのは良い悪いではなくて「わかる(=その世界を受け入れられる)」かどうかなのではないか、この絵たちとはもしかしたら、目の前に広がる世界をパッと捉えるときのし方が一緒なのかな*10、などと恥知らずなことを考えながら、私はぼおっと絵に見とれ、パシャリまたパシャリと、持っていたカメラで気に入った作品を撮っていたのでした。あれ?
注意深い読者の方はもうお気づきだと思いま須賀、さっき言っていたことと全く矛盾することをしていたわけです。ただね、田原さんちょっといいですか。写真というのはね、これは言うまでもなく、写実的なメディアとしてね、言わばフィジカルなものを記録するメディアであると。それを否定はしないよ。ただね、物理的な意味だけでなくね、それを見たときの印象や感動をのちに思い出すよ須賀にしたい、言いかえればこれを記録したいと。言うなればそういう衝動に基づいて思わずシャッターを切る。そんな瞬間というのもこれはあってもいいように思うんです。であるとするならばね、もしその衝動が、美というものの言わばレーゾンデートルのようなものを問うような形をとればね、もうこれは写真というメディアのメタフィジカルな記録性と言うべきであってね、まだしゃべってるよ…*11。腕がなまりましたねw ただ私の一連の行動を見ている人はもちろんいて、「ゲージツシラネ」と言っていたはずの私の足が遅々として進まないことに苛立つどころか呆れ返っていたその人は、私に向かってこう言いました。「あれ、写真撮ってるの? さっきめっちゃ怒ってなかったっけ?ww」 絵ではなく感動を記録したいんだ*12、と返事しましたが、彼はその言葉を詭弁としか受け取らなかったでしょうwww
入館して約二時間。本格的に飽きてきた様子の友人をこれ以上連れまわすのも二人旅行である以上どうかと思い、二階の展示はほとんど見ることなくオルセー美術館を後にしました。しかしそれでも、「ここに来ただけでもパリに来てよかった」そうメモした私の気持ちに偽りはなかったはずです。

引き続きパリの有名どころを巡る

エリゼ宮の目の前で「社会のクズ」を叫ぶ

再び「せーぬ!」の掛け声でセーヌ川を渡り、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りへ。「世界で最も美しい通り」なんだそうで須賀、マロニエの並木が寒々しくてちょっと拍子抜けしました。

このまま歩いて行けば二年ちょっとぶり*13凱旋門なので須賀、ちょっと右に曲がってみました。むしろシャンゼリゼ通りよりこっちが主目的だったりするんで須賀…

エリゼ宮でございます。当然のことながら警官の方がたくさんいらっしゃって躊躇はしたので須賀、パリにきた何番目かの目的をここで果たさせていただくことにしました。
友人&私「社会のクズ!」
まぁ彼らには何語であるかすら分からなかったでしょう。何だか悔しかったのでからかってやろうと、近くにいた門番につかつか近寄って「Is the president here?」と超稚拙な英語で尋ねたら、ご丁寧にも「Oui, じょびじゅば*14」と説明してくださいました。こっちはそもそもフランス語ができないんですけど、それにしてもお互いに厭味な奴ですねwww

パリにも凱旋門があったなんて知りませんでした。

脱線はさておいて、大通りに戻ります。そういえば3時を過ぎるのにまだ昼食をとっていなかった私たちは、節約のために宿の近くにあったような安い*15ケバブ屋さんを探したので須賀、この通りにそんなものがあるわけがありません。それでも手頃な店を探しながら歩いていると、もう凱旋門のあたりに着いてしまったので、あきらめて休憩がてらファーストフード店でフィッシュセット(7.1ユーロ)を頬張り、凱旋門見物に向かいました。っても凱旋門と言えば平壌の方が大きいですからねwwww それは冗談にしても*16凱旋門そのものより凱旋門から見るシャンゼリゼ通りの景色の方がきれいでしたけどね、ほら。

日本人ゲイカップル、パリに出没

そして我々「まさに人畜無害な日本人観光客」の二人が次に向かったのは、セーヌ川遊覧船の船着き場です。どうやら友人はセーヌ川がお好きなようで、彼の提案で夕暮れのパリを船着き場へ向かったので須賀、残念なことにちょっと前に最終の船は出てしまったとのこと。とりあえず近くでイチャついていたカップルに嫌がらせ*17をして、次の目的地に。
このころから天気も怪しくなってきて、ようやく見えてきたエッフェル塔もこんな感じに。

わざわざお金(3.1ユーロ)を払ってまで荷物検査をしてもらい、塔にも登ってまいりました。


意外と感慨はなく、ただ、展望台でほかのお客さんに頼んでゲイ風の写真を撮ってもらうことは忘れませんでした。一応そういう写真は載せないでおく。
7時に塔を降り、地下鉄に乗って(1.5ユーロ)8時半ごろ宿に戻りました。塔から最寄りの駅まで行こうとなったときに、せっかくだから一番いかつそうな人に道を聞こうと銃を構えているこわもてのお兄さんに尋ねたら、あっちが間違ったのかこっちが聞き取れなかったのか、あまり塔から近くない駅にたどり着くのに一時間弱かかったのは秘密です。その道中のスーパーでサラダ(1.5ユーロ)を買ったと記録されています。

Hahaha!Too late!

ホステル到着後は近くで買ったケバブ(4.5ユーロ)で夕食。もはや「食事は安くで済ませたい。そういえばさっき見かけたケバブが安かった」が「ケバブを食べたい」*18にきれいにすり替わって、こういうのを「手段の目的化」というのです。
たまった洗濯物を洗おうと近くのコインランドリーに向かったのは9時頃。洗濯機を回しながら明日の予定を立て、洗い終えた洗濯物を乾燥機に突っ込んだので須賀、操作方法が間違っているのかどうもうまくいきません。どうなっているんだと思いもう一度フランス語の説明書きを見てみると、どうやら僕らは海に来ているらしい♪10時15分でおしまいです、と書いてあるらしい。まさかと思って時計を見ると…「10:16」。本当にありがとうございました。
しかしこれが乾かないというのは結構危機的なので、周辺を二人で走り回ってコインランドリーを探したので須賀、なんとか見つけたランドリーもやっぱり閉まっているという始末で、やむなくホステルのカウンターにいたお兄さんに事情を話して助けを求めたら、「Hahaha!Too late!」と笑っているだけ。やむなく部屋のあちこちに一生懸命干す羽目になったのでした。その後ホステルのパソコンで翌日付冒頭の生存報告やらなにやらをして、12時半ごろ就寝したのでした。
…今さらここまで書いたと胸を張っても「Hahaha!Too late!」と笑われるだけかもしれませんが、私はあきらめていないということだけは言明しておきますorz

*1:用があるならそっちから話しかけてこいや

*2:そう言わないと信玄と謙信に失礼ですからねwww

*3:「自重しろ」と交互に連呼しますw

*4:今知りましたがw

*5:というよりパリ市内にはゴマンとあるわけで須賀

*6:何なのかは実際よく知らない

*7:南京大虐殺記念館の二の舞にはもうなりたくありませんでしたのでw

*8:どの絵かわかりましたか?www

*9:2009年6月12日未明

*10:あるいは人間一般の捉え方を表現したのが印象派、ということなのかもしれませんが私にはよくわかりません

*11:似たような話を興味ないかの人にしたら「おまえは何を言っているんだ」的な扱いを受けましたがw

*12:じゃあ今その写真を見て感動を思い出すかといえば全くNOではないんで須賀、じゃあその気持ちがオルセーにいたときの気持ちだったかと聞かれるとそれは違う気がします。ヴァルター・ベンヤミン的に言えば、私の撮った写真には当然アウラは憑依しなかったということですかね

*13:もちろんパリではありませんw

*14:云々

*15:といってもやっぱり高い

*16:大きいのは事実

*17:とっさにゲイのふりをしてイチャつくそぶりをする。ものすごく嫌そうな顔をされました

*18:もっと言うなら「さっきから自分はケバブを食べたいと念じ続けてきたはずだ」