かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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竹島・韓国一人旅三日目 竹島上陸記

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2009年9月15日の竹島(筆者撮影)
早くもこの旅のメインディッシュでございます(笑)
 
 
【目次】

 
 

ウルルン島までの遠い道のり

希望を抱きムクホ港へ

6時45分起床。朝食には昨日コンビニで買ったパンと、黒豆牛乳をいただいたので須賀、黒豆牛乳のえも言われぬ微妙な生臭さに朝一番でやられてしまい、パンも全て食べることなくかばんに詰め込みました。

宿を7時半前にチェックアウトし、昨日来た道を歩いて行くと、ムクホ港に昇る朝日がきらきらと光を注ぎます。

あれ?待ち合わせはどこ??

昨晩の不安はなんのその、ちょっと晴れやかな気持ちで、ツアーとの待ち合わせ30分前に港に着くことができました。
約束では、9時発のフェリーに乗るため、8時半に港の旅客ターミナル前のバス発着場で待ち合わせ。そこにいるべき男性の名前と電話番号は聞いてあったので、分からなければ電話してください、という段取りでした。当然約束の時間は30分後なので須賀、早いところ落ち合っておこうと、とりあえずバス発着場で手持ち無沙汰にしている男性に片っ端から声をかけていきます。
カナリア「すみません、○○さんですか」
男性「え?違うよ」
カナリア「じゃあ○○さん知りませんか?」
男性「知らないねえ」
この港は竹島に渡るフェリーが出る数少ない港の一つです。時間を追うごとに観光バスが続々到着し、竹島を目指していると思しき中高年の皆様*1が降り立ちます。鬱陵島から先は韓国の少人数ツアーと一緒に行くと聞いていたので、バスが着くたびに運転手に話しかけるので須賀、どうも要領を得ません。それどころか、ここが竹島行きのフェリー発着場であるゆえか、この韓国語の下手な外国人が日本人と分かると、ほとんど相手をしてもらえないのでした…こんなことをしているうちにバスはどんどん増え、きらきらした太陽はどんどん高く昇っていきます。焦りゆえか日差しゆえか、私はどんどん汗ばみます。
ここはひとつ電話でもかけてみようと、公衆電話に駆け寄ります。しかしこの電話はカード専用で、あいにくそんなものは持ち合わせていないわけです。ターミナルの売店にも売っていない。とりあえず半まで、半までは待ってみようじゃないか。
そして8時半。それでもそれらしき人は現れません。また一台「VIP」と書かれた赤い観光バスが停車しました。8時半ということは、もしやこのバスにいるんじゃなかろうか。重い荷物を引きずって運転手に尋ねます。しかしこれまた全く話が通じない。挙句の果てに、客の一人に「日本人だって?へっ!」ってな感じで悪態をつかれたり、バスから積み出している荷物を運べ的なことを言われたり*2する始末。ここにきて、自分の置かれた状況への危機感にも火がつきます。

運命の邂逅?

そもそもバスを降りた人は当然ターミナルに向かうわけで、約束の時間を過ぎてこの方法を繰り返すことはもはや合理的と思われません。となると、一度ターミナルに戻ってみようと考えるわけで須賀、こうなってしまえば、私が取れる手段は限られてきているわけです。(1)ターミナルに電話を借りる、(2)乗客の誰かに電話を借りる、(3)館内放送で男性を呼び出してもらう。なんにせよフェリーは30分とせず出航します。やれるだけのことはやろうと、まずターミナルの発券所に行って、電話を貸してくれと頼みます。こっちはテンパっているのでジェスチャー交じりの英語です。
カナリア「Can you lend me a telephone?」
女性係員「ハァ!?」
出航前のくそ忙しいときに何言ってやがる。そんな怒りを言外に受け取り、また一つ焦りの階段を上っていく私。しかしその背後で、そんな私を呼ぶ声がするではありませんか。
男性「カナリアさん?」
いきなり日本語で話しかけられうまく反応できません。男性はこう言い継ぎます。
男性「(韓国語で)日本からの…」
言葉もありません。私が大きくうなずくと、その男性は向かいのカウンターにいる優しげな男性を指差します。「○○氏」
カウンターの男性「カナリアさん?」
全身で安堵を表現しながら*3、「探しましたよ」なんて英語で言っている私。彼としても「こっちのセリフだよ」と言いたくてたまらなかったでしょう。そこから韓国語交じりの英語で、鬱陵島行きのチケットやフェリーへの搭乗方法などについて確認した後、彼は突如こんな質問を投げかけたのでした。
男性「で、鬱陵島ではどうするの?」
カナリア「へっ?」
聞くに、彼はここにいて案内をするのが任務であって、私と一緒にフェリーに乗るわけではない。つまり、鬱陵島までのチケットしか渡されなかった私は、また鬱陵島のターミナルで同じことをせねばならないことが15日、わかったのです。
男性「電話は?」
カナリア「ないっす」
困った男性は、鬱陵島で使いなさいと、現地ガイドのキムさんの名前と電話番号を書いて渡してくれました。当たり前ですけど韓国にキムさんなんてものすごい数いるんで、当然フルネームを書いてもらいました。

ほっと一息船の中へ


とにかくここで命はつないだと、安心ついでにターミナルの外観を写真に収めてから搭乗者の列へ。改札でチケットを見せる前に、最後まで世話を焼いてくれた男性に見えるよう、大きく一礼して入って行きました。その時の彼の笑顔も印象的*4で、脳内のアルバムにはちゃんと保存してあります。

フェリーというのはこんなもので、ハングルの読める方は右っ緒に「墨湖(ムクホ)←→鬱陵(ウルルン)←→独島(ドクト)」と書いてある*5のがわかるかと思います。さておとなしく乗り込もうかと列の最後尾に向かうと、若くてかわいらしい女性に呼び止められました。当然ナンパでもなければ「韓国の方ですか?」*6でもあまりないわけで、海洋警察庁*7の隊員と思しき彼女は、このフェリーに乗る外国人に対して、氏名や国籍などの記入を求めているのでした。さすがに国籍欄に「JAPAN」と書く時には相手の表情を窺ってしまいましたが、彼女は笑顔のまま。まぁ声をかけた時点で大体分かってるんでしょうけどねww ちなみにこの船にアメリカ国籍とスイス国籍の人も乗っていることは確認できたので須賀、チラ見した範囲では、期待通り(?)日本人はいませんでした。
フェリーは定刻の9時に出発します。ここまできた以上は、道中多少面白いことを思い付いても我慢して、とりあえず竹島にたどり着くことを最優先にしようと思っていた私は、自分の席にあった隣のおばあちゃんのかばんをどけさせるのにも恐る恐るで、座ったとたん居眠りを決め込みます。少し陸を離れると、ただただ海です。この海の広さくらいに只管座禅を組めば、私のような不信心者にも悟りが開けるかなと思うくらいの海。隣のおばあちゃんが、私が腕組みして目をつむっているのにもかかわらず切ったおいしいリンゴや飴玉なんかをちょこちょこくれたり、船内全体の空調が効きすぎていたり、前のスクリーンでやっていた宮廷ホラーもののドラマが血みどろすぎたりという障害をものともせずに、ここは体力温存とばかりに仮眠をとらせていただきました。
正午が近づいてくると、ようやく島影が近づいてきます。初めて見る鬱陵島は、切り立った崖に露出する茶色の岩肌がやけに印象的な島でした。そりゃ小島*8なんてそんなものだと言えばそれはまさにその通りなので須賀、愚人である私はそれを火山のせいにして*9納得し満足しきっていたのでした。むしろ問題は、鬱陵島の岩肌の茶色が島の成因と関連付けて理解できるほど顕著かどうかではなく、到着後にあるわけです。

ウルルン島とおばあさん

到着はまさに正午でした。

とりあえず港の様子を写真に収めると、悲壮な覚悟を秘めた面持ちでフェリーを降ります。ムクホの港よりも英語が通じることに期待できなさそうで、日本人が歓待されないだろうこの島で、私は1時間以内にキム氏と落ち合わなければなりません。竹島行きのフェリーは1時間後発で、そのチケットはキム氏が持っているのです。
相手を選んでいる暇はないと、民宿を勧めてくるおばさんたちをあしらいながら、看板を持って同じくフェリーから降り立った観光客を出迎えている男性に尋ねます。
カナリア「キム○○さんいますか?」
男性「あっちだよ」
全く根拠なくアトランダムに話しかけた男性が「え、誰それ?」ではなく、その人の人定はおろか、所在まで知っているのには正直ちょっと拍子抜けしましたが、この人だと教えてもらったわけではない以上、気を抜くことはできません。言われた方角に向かってターミナルに入り、くぐり抜けようとすると、一人のおばあさんが話しかけてきました。初め何と言っているのか分からなかったので、とりあえず謝絶して先を急ごうとすると、おばあさんは驚いたような顔でこう言いました。
おばあさん「(韓国語で)日本の人ですよね」
カナリア「ええ」
すると彼女はやや安堵した様子で、今度は日本語で続けます。
おばあさん「私が案内します」
日本語を話せる人が案内してくれるというのは、この上ないラッキーではあるので須賀、念のため相手の意図を見極める必要があります。ただこのおばあさんに害意があると決めつける根拠も逆に皆無なわけで、それとなく「キム○○さんはどこにいるんですか?」と探りを入れてみたので須賀、「そこにいますよ」の一点張り。このリアクションには正直強い不安を覚えましたが、人込みを歩いている分にはリスクが上がることはないだろうと、キョロキョロオドオドの体で後ろをついて歩きました。
と言いつつも、おばあさんに付いて行ったのは3分足らず。おばあさんが紹介したサングラスをかけた男性が、「カナリアさんですか?ご案内のキム○○です」と名乗ったところで、無事旅程を全うできそうだと、私はこの日初めて、心から安心できたのでした。
しかしこう振り返ってみると、自分が特に鬱陵島で置かれた状況を思うに、誰を、何をどこまで信用するのかという問題はなかなかデリケートな部分があります。例えば目の前にいるサングラスの男性が本当にキム氏であるかどうかがここではっきりしたわけではありませんし、極端なことを言えば、日本でツアー手配を頼んだ会社からして、私を陥れ、金銭を巻き上げようとしていたとすれば、この状況の私は如何ともしがたかったでしょう。彼らの名誉のために言っておけば、日本のツアー会社もキム氏をはじめとするキム氏の会社のスタッフ*10も、韓国語の出来ない私をとても心配し、細心の気を遣ってくれました。何が言いたいかということを書きながら考えてしまうのが私の悪い癖で、かつ文章を書く醍醐味だと思っているので須賀、言葉だけでその人が信用できそうか否かというのを描写するのは、私如きにはなかなか骨が折れる作業です。いくら私の頭脳が不透明でも、よくわからない言葉の端々や一挙手一投足から、その辺の機微を読み取っているはずなのです…というのは結果論であろうか?

昼食に「山ニンニク」

話を戻しましょう。キム氏の案内で荷物を彼のオフィスに預け、おばあさんとともにオフィスの裏の食堂へ。この辺は、半島や竹島への窓口となるトドン港に近いことから、島内では一番の賑わいを見せており、こんな見慣れたお店もありました。

キム氏の母親が経営するという昼食では、こんなものが出ました。何が不安だったのか、おばあさんが食事に付き添ってくれました。

左下の貝ご飯と左上のおかず*11がメインだったので須賀、特筆すべきは右上の「山ニンニク」。おひたしのようにしていただいたので須賀、さすが「山ニンニク」と言われるだけあって独特の香りが食欲をそそります。これは見ての通り、鬱陵島の山で採れるんだそうで須賀、調べてみるとこれは日本でいうところの行者ニンニクあるいはその一種のようです。鬱陵島では、他の地域では食べなかったようなものをいろいろいただきました*12が、これが一番印象に残っています。

身柄拘束?竹島潜入!

canarykanariiya、身柄拘束?

1時の出航に間に合うようにと、45分には食事を終えて港へ戻ります。食堂と港はまさに目と鼻の先だったので須賀、ご丁寧にキム氏のスタッフの金髪兄ちゃんがターミナルまで送り届けてくれました。そしてさっきの要領で列に並んで乗り場に向かい、右手に持っていた切符を海洋警察庁の隊員と思しき若い男性に見せると…
男性は私が切符を差し出した逆の手の手首を軽くながらつかみ、近くにいた上官らしき男性に何やら相談をしています。全てを聞きとることはできませんでしたが、「日本人が独島に云々」と言っていたのは間違いないので、恐らく私の取り扱いをどうするかについてお伺いを立てていたのでしょう。冷静に考えれば韓国当局に身柄を拘束される危機だったわけで、もっとうろたえていてもよかったはずなので須賀、「ツアーを手配してもらって、合法的手段のもとで来ているんだから、ここまで来てダメだといわれる気遣いはあるまい」と、まさに辞書の例文をこれがために入れ替えてもいいくらい、大威張りで高をくくって相手の出方を悠然と窺っていました。
明示的に言うのはここが初めてかもしれないので言っておくと、往復の飛行機以外に唯一、この2泊3日のツアーだけは日本で手配してきた理由は、先に契約を結び、対価を支払っておくことで、確実に竹島に行ける状況を作り出しておきたかったからです。事情も分からず鬱陵島まで来て、ダメだと言われ「はいそうですか」で引き下がるというのはさすがに避けたかったですし、私の竹島渡航に政治的意図はない*13ということについて、ツアーに参加して来ている、という一種のステータスが、少しでも傍証として機能すればという狙いもありました。何よりも、「竹島に行ける約束だったじゃないか」と、少なくともツアー会社には主張できるはずです。
しかしここで一番明らかなのは、私が治安当局に逮捕されてしまえば、たとえキム氏がどんなにやり手のツアー会社経営者であっても、私に平穏無事な竹島旅行を手配することはできないだろうということです。それでも得意がおさまらない愚人の私に、上官は情感なさげにこう話しかけました。
上官「Trip?」
カナリア「Yes」
上官「Have a nice trip!」
カナリア「Thank you!」
振り返ってみると、なお疑問そうな若い隊員を、上官が「いいんだ」と言わんかのような表情で制しています。こうして私は、竹島行きフェリーに乗る直前に韓国当局に拘束されるという、恐らくこの旅行で最大のピンチを乗り切った(?)のでした。
そもそもなぜそこで手首をつかまれたのかも判然としない*14部分がありま須賀、逆になぜすんなり解放されたのかにも興味があります。もともとストップがかかったのがイレギュラーなのか、本当に上官の判断で私を通したのか、もっと言えば、彼らは私のことについてどのくらい調べたのかあるいは(ry まぁ真っ赤なブタのTシャツを着た日本人右翼活動家っていうのも悠長で滑稽ですけれども。

フェリーでお菓子をもらう

しかしまぁ、かくして私は無事、竹島行きフェリーに乗り込むことができたのでした。出航は午後1時。真昼の日光できらきら輝く水面がよく見える窓際の2階席に座り、とりあえず難を逃れたこととその顛末をメモ。日本語のぎっしり書かれたノートというのもあまり都合がいいものではなかろうと、なるべく早くこの用事を済ませようとしたので須賀、そううまくもいきませんねww 案の定隣のおばさんがしげしげとこちらを眺め始め、韓国語で「日本人ですか?」と小声で聞いてきたのです。今になって思えば、私の韓国語力で最初から最後まで韓国人のフリをし通そうというのはかなり難しいことですし、そもそも不法にフェリーに乗り込んでいるわけではない*15わけで、動じる必要は特になかったわけで須賀、ここで声を掛けられてすくみ上がるという、自分でもなんとなく頭の中に描いていた「バッドシナリオ」が現実になってしまったことで、この時は自分でも驚くほど動揺してしまいました。要するに何か危害を与えられるんじゃないかとか、阪神ファンに一人囲まれた巨人ファンの如く恐れを抱いていたことを否定するつもりもさらさらないんですけど、頭の中でなんとなく、半ば妄想的に考えていたことの条件がひょいと自分の目の前で整ってしまったことで、妄想だったはずの自分のリアクションまでを自分が取ってしまうというのは何か、『罪と罰』のラスコーリニコフが老婆を殺してしまう時の心境と似ているものがあるのかもしれません。と神経衰弱症の主人が言った。
で(笑)、結局どうしたかというと、明らかに動揺した様子の私は無言で頷きます。それで意を得たりという表情の彼女は、しばらく無言でこちらを眺めたあと、再び「学生さん?」と問いかけます。これには「会社員です」と答えてもよく分からないといった様子で、恐らく私が学生でないということがよほど納得いかなかったのか、「会社員です」という私の韓国語の発音が判別不能なほどひどかったのか、そもそも彼女の質問を私が聞き取れなかったのかのどれかだったのだと思います。そんな不完全燃焼で終わった私たちの会話でしたが、最後に彼女は私に、リッツによく似たビスケットを一袋くれました。
そんなことをしているうちに、周りは再び一面の海。さすがに居眠りもどうかと思われたので、船内のスクリーンでやっている竹島説明VTRを見て時間をつぶします。これは竹島の位置関係や島としての成り立ちを説明したもので、私の見た範囲では「なぜ韓国領か」についての言及は確認できませんでした。

竹島が見えてきた♪オレの家も近い♪

2時半すぎだったでしょうか。船内がにわかに騒々しくなり、乗客らが「見える!」「見えないぞ!」の大合唱を始めます。幸運なことに、目の前に近づいてくる竹島を見るに一番良い場所に座っていた私は、座ったままその島影を認めることができました。しかしそんな人はごく少数で、乗客らは入れ替わり立ち替わり、竹島を見るために窓際に寄ってきます。

ほどなくして最初一つだった島影が二つになり*16、フェリーは最初は見えなかった東島に接岸しました。ちなみに「竹島」と総称されるこの2島はともにゴツゴツの岩なので須賀、東島は西島と比べやや平坦であるからか、このような接岸部や軍事施設と思しき建物が建てられています。

竹島上陸!!

フェリーが止まると、乗客たちは待っていましたとばかりに出口に駆け寄ります。しかしここまで来て無用なトラブルは避けたい私は、適当に後ろの方に並んで、ゆっくり外に出ます。そして天下の日本外務省の自粛要請をも一顧だにしない非常識かつ非国民たる私はフェリーを降り、ついにその右足か左足で竹島の地を踏んだので須賀、そこがコンクリートで造られた部分であるだけに特別な感慨はありません。もし私が日本人右翼活動家であったなら、この恐らく韓国政府によって造られたろう接岸部を踏む屈辱に体が震えたのでしょうか、震えてみたいものです。そんなことはいいとして、そこでどんな光景が繰り広げられていたかというと…

みなさんあちこちで写真撮影を楽しんでおられますね。

これは韓国最東端を表すモニュメントですね。こんなところも撮影スポットになっていました。
観光客が入れる範囲は結構厳重に仕切られていました。島の本土との境目付近には海洋警察庁の隊員と思しき男性が立っていて、そこから先には入れないようになっています。

しかしまぁ、どこのものであろうと絶海の孤島であることには間違いなくて、景色として綺麗な場所でもありますよね。下の写真は西島です。

竹島で「はい、チーズ!」

こんなノリでパシャパシャ写真を撮っていたら、ある集団に「写真を撮ってくれ」と頼まれました。その人たちは私が韓国人だと思って何の気なしに頼んだのか、それとも日本人をからかってやろうと声をかけたのかは分かりませんでしたが、別に断る理由もありませんので撮ってあげました。ただ発音は悲劇的で、ここの人たちはみんな「一、二、三!」と言いながらシャッターを切っていたのでそれをマネしたので須賀、「ハナ、トゥル、セ!」とほぼ棒読みになってしまいました。なので前者なら何か言われるかと思っていたので須賀、それもなかったですね。要するに、彼らは私が何者であるかについてそこまで関心がなくて、「ここは竹島だ。日本人と知れたら何かされるかもしれない」という私の自意識過剰だったというのが妥当な線であるように思います。
ところがでもしかし、否応なくそれを意識させられる出来事もありました。一通り観察と写真撮影を終えて、船に戻るのにはちょっと早いかしらんなどと思いながら歩いていると、一人のおばあちゃんが近寄ってきます。何だろう、軽くヤバイ?と思う間もなく、彼女はこう話しかけてきたのです。
おばあちゃん「日本人ですか?」
これにはいささかギョッとしました。とりあえずそうだと答えて、更なる相手の出方を窺います。すると、近くにいた彼女の娘ぐらいの年齢の女性が険しい表情でおばあちゃんに近寄り、何か言いながらおばちゃんの手を引いて行ってしまいました。「あんまり見るんじゃありません」を地で行ったわけですねwww 一度日本でもされたことがありま須賀、さすがにこれはちょっとさみしい気持ちがします。しかしこのときは、「何事もなくてよかったな」という気持ちが勝っていたのも事実です。
その一件で気持ちがしおれたわけでもないので須賀、大体見る物は見たと、時間よりは若干早く船の中へ。席に着くと間もなく、外の観光客が一斉に船に向かって歩いてきました。

観光地としての竹島

20分ちょっとの竹島滞在だったわけで須賀、私の周りで起きた出来事というのは大体このくらいです。何が言いたいかというと、ここは訪れる観光客たちにとって、呆気ないほど観光地でしかないということです。トートロジーっぽい言葉遣いで須賀、少なくとも私が見た竹島は、韓国の右翼活動家が太極旗を振りながら政治的主張をしたり、「独島はわが領土」的な歌を歌ったりする場所ではありませんでした。見た限りでは、独島Tシャツを着ていたのも夫婦一組だけ。もちろんここが彼らにとって最東端であり、韓国が実効支配する領土係争地であることは、ここが観光地たる必要条件でしょう。しかし、現実に観光地としての竹島にあり、観光客が竹島から受け取っているのは、「最東端」とか「係争地」だとか、そういう記号でしかないのではないか。ここがとてもきれいだから来るわけではないし、ここで政治的主張を行うことで政治的アイデンティティから来る欲求を満たしたいわけでもない。恐らくはそれらの記号を消費したくて、自覚的か無自覚にかは分かりませんが、乱暴に言えばこの人たちはネタとして来ているのではないか。インタビューができればよかったので須賀いろんな制限からできず、黙って様子を観察するに、そんな様子の一端が窺えた気がします。
船は3時15分ごろ出航しました。多くの乗客が、最後にもう一枚竹島の写真を撮ろうと、島の見える私の席の近くに殺到してきます。そういうことをされると、自分も一応撮っておかなければならないような気がしてくるのが人情というものです。しかし残念なことに、窓越しだと写真写りが当然良くないわけです…
島から離れると自然と皆さん席に戻り、私もようやく寝られるわけですね。それにしても、こんな海の中でどうして携帯電話が使えるんだ??

いきなりのトレッキング

船は5時過ぎに鬱陵島に戻ります。船を降りたところには、見送りに来てくれた金髪の兄ちゃんと中年の夫婦が。「トレッキング」とだけ言われ、タオルを手渡されます。無事念願の竹島観光を終えたばかりの私は、もう宿に引き下がって飯を食って寝ようくらいのテンションだったので須賀、まぁしゃあないかとついて行きます。
そこから海辺の散策路みたいなところを歩いたので須賀、5時を過ぎていても辺りはまだ明るく、火山島であるがゆえか真っ青な海は、日差しを浴びてきらきら輝いています。

兄貴と夫婦と私の4人での散策です。兄貴はあれこれ解説をしながら歩いて行くので須賀、彼らの話にはまずついていけません。というか何を言っているかほとんど分かりません。なので私は、たまに兄貴が気を遣って「あれを見なよ」と指を差し、韓国語の単語を連呼してくれる*17時以外は、岩の色や形を見ながら、これは深成岩かしらなんて、忘れかけた地学の知識を思い起こしていたのでした。
途中気になったのは、この石積みです。

こういうものを見ると、どうしても賽の河原のようなものを連想してしまうので須賀、こっちではどういう意味なんでしょうね。海だから河原じゃないだろうという突っ込みはナシですw
1時間ほど歩いて、港の南側にあるトドン灯台に着くころには日も暮れかかっています。

夫婦が兄貴の解説を受ける様子を観察した後、また1時間かけて来た道を戻りました。

夕食とおばあさん

ようやく食事にありついたのは午後7時。キム氏のお母さんのお店で、海鮮のコチュジャンあえをいただきました。これは相当辛かったで須賀おいしかったです。

食後はおばあさんの民宿へ。案内されたついでに、いろいろと話を聞くことができました。このおばあさんは、実は食堂のキム氏母の姉だそうで、キム氏の伯母ということになります。御年80歳。生まれは東京の王子で、兄は終戦まで川崎の臨海部で働いていました。そんな歴史もあって、彼女は鬱陵島に住む人の中で一番日本語が上手だとかで、私のような日本人観光客が来ると、甥のキム氏から宿を依頼されるんだそうです。「ひらがなやカタカナはもう忘れてしまいましたよ」と笑っていました。
80年間、韓国と日本の人や社会を見てきた彼女の眼に、この若い観光客はどう映ったのでしょうか? 気になりましたが、そればかりはなかなか聞けませんでした。
ちなみにこのおばあちゃん、この記事に出てくる女性と同一人物だと思いますけどどうなんでしょうか?

城島獲得に思う

部屋ではのんびりテレビを眺め、11時ごろ就寝。この宿では日本のBSが映ったおかげで、矢野の2ランホームランのシーンを見ることができました。しかし城島を獲るということは矢野にお払い箱だと告げたに等しいわけで、そもそもどうして矢野が正捕手を張っていた約10年の間に次にマスクをかぶれるキャッチャーが育っていないのか、私は「選手はすべて自前で育てろ」の純血主義を称揚しているわけではないので須賀、こうやっていいとこ取りを繰り返すつもりなのか、阪神フロントに強い不信感を持っています。ここ数年阪神の勝ち負けに大騒ぎはしなくなりましたが、来季は本格的に応援しないかもしれません。
最後脱線しましたが、韓国旅行の一番長い日は、こうして終わりを告げました。

*1:おめでとうございます!私綾小路きみまろが(ry

*2:8割は状況とジェスチャーによる推測に基づきます

*3:やはり外国にいるとジェスチャーが大きくなりますよね。それは行った国の特質云々というよりは明らかに自分が喋れない分をそこで補っているわけで須賀、逆にいうとそういったものである程度のコミュニケーションが取れるというのも厳然たる事実だと考えます。裏を返せば、会って話をするというのはやっぱり大事なことです。

*4:多分この年に世間を騒がせた殺人事件の被害者の方に似ていたからでもあると思いま須賀w

*5:こんなことを書くのも馬鹿らしいで須賀、念のため。ここではあくまでも「そう書いてある」と言っているだけすから

*6:一日目参照

*7:日本で言うところの海上保安庁

*8:そんなの関係ねぇ!は関係ねぇ!

*9:鬱陵島は火山島

*10:後から分かることで須賀、キム氏は鬱陵島で名の知れたツアー会社の社長さんだったのです

*11:やはり海産物が多めですね

*12:ただそこには、徐々に明らかになるように、旅行中の私の食事が特定のメニューに偏っているという有力説も存在します

*13:私は観光・見学目的で竹島に行こうとしていて、竹島において竹島が日本領であることを大々的に主張する行動をとるつもりはない

*14:確かチケットの記名欄とかがある部分は、ターミナル内で回収されていたはずなので…。ちょっと事実関係に自信のない記述で須賀、そう不思議に思った記憶があります

*15:さっき乗っていいってことになったばっかりじゃないか!

*16:写真ではすでに二つですね

*17:どうやら英語は通じないらしい