かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東経52度の旅―イラン・ラマダン紀行六日目 ペルセポリスとシーラーズ

巨大遺跡・ペルセポリス

初めて目覚ましのお世話に

この日は6時45分起床。これまで目覚ましをかけた時間より早く目が覚めていたので須賀、ここにきてアラームのお世話になることになりました。いそいそと身支度をして、集合の7時半ギリギリに朝食*1へ。きっと手配してくれたタクシーが待っているのだろうと思い、とりあえず詰め込めるだけ詰め込んで、席を立ったらさにあらず。ムハンマドさんから「私の車で行くことになりました」と告げられたのでした*2。そんなわけで、タクシーで彼の家の前まで行ってから助手席に搭乗…って、この車、左のサイドミラーがないんで須賀大丈夫なのでしょうか? しかもこの車は冷房が効かないようで、砂埃と排気ガスが舞い飛ぶ高速道路を、窓全開でペルセポリスへと向かったのでした。

ナグシェ・ロスタムとトカゲオス1世

出発して約1時間。まずはペルセポリス周辺にある遺跡群を見学します。ナグシェ・ロスタム*3。ここはダレイオス1世などアケメネス朝の王様たちの墓とされています。

そして、上の写真では若干見にくいで生姜、墓の下の方にはササン朝のシャープール1世が刻ませたというレリーフがあります。これです。

馬上にいるのがシャープール1世で、彼に手を掴まれているのがローマ皇帝ヴァレリアヌスです。世界史の教科書だか資料集だかで見たことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。東方に遠征したヴァレリアヌスは、エデッサの地でペルシャ軍と対戦、敗れて捕虜になった時の様子がこれなんだそうです。ちなみにこのヴァレリアヌス、ネットで調べたところによるとこの後ペルシャ国内で皮剥ぎの刑に遭ったんだとか…ぞぞわ
現地の解説によると、アケメネス朝の王の墓にササン朝の王の事績が刻まれているのは、ササン朝がアケメネス朝の後継者であると称したからなんだそうです。奥には何やら意味ありげな建造物があり、

ゾロアスター教の神殿ではないかという説もあるそうで須賀、現地の解説版には、それは誤りだと書かれていました。
それだけでも迫力のある岩山に刻まれた、2000年(あるいはもっと)前の遺跡のスケールに感心していると、足元から小さなトカゲがさっと出てきで、またどこかへ走り去ってゆきました。日本だったらびっくりして走って逃げたかもしれませんが、これまで見ていたものとの対比ゆえか、何だか愛らしくも思えてきます。この「トカゲオス1世」*4を写真に収めようとちょっと探してもみたので須賀、あんまりムハンマドさんを待たせるのもどうかと思い断念して車に戻りました。

ナグシェ・ラジャブも

お次は間近にあるナグシェ・ラジャブ*5。こちらはササン朝レリーフが4枚あるという言わば岩場の遺跡なので須賀、なぜだか2枚しか発見できませんでした。これまた立派なものには違いないので生姜、ナグシェ・ロスタムを先に見てしまうと、人物の顔が顕著に潰されていることぐらいしかあまり印象に残らなかったりします。ちなみにここの入り口では、こうしたレリーフを象った小さなキーホルダー3つを2万Rで購入しました。

そしてペルセポリス

さてさて、そして遂にペルセポリスです。ペルセポリスが何であるか、このパソコンは理解していないようでありました*6が、そもそもで説明する必要はないでしょう。時刻は午前9時半です。
あと先に謝っておきますと、この肝心な場所でもまた未確認飛行物体でもイスラエル機でもない、カメラの汚れが映ってしまっているところがあります。お詫びして訂正させていただきます。
小綺麗なチケットカウンターの前でムハンマドさんと別れ、5000R払って入場します。すると…

おおっ、あれじゃん!
まさにそのもの、とでも言うべき柱が屹立しているのに驚き興奮しながら、階段を上ります。

歴史的な遺跡の歴史的な落書き

まずのお出迎えはクセルクセス門。宮殿の正門なんだそうです。

まぁ正門なんだからということでお行儀良く通り抜けようとすると、こんなものが目に入ります。

落書き自重wwww ただよく見てみると右下のなんか1810(年)と刻まれているわけで、それはそれで価値があるようにも思えてきてしまいます。もちろんこの時、私が「canarykanariiya 2010 from Japan」などと刻みつけることは許されなかったでしょうし、そのことに異議があるわけでもありません。ただ、例えばさっき見てきたナグシェ・ロスタムだって「アケメネス朝の墓にササン朝が落書きをした」という以上のことでは実はないわけで、ある遺跡に後世の人間が、こんな意味合いを込めてこんな手を加えた、そのことの歴史的意義というのも実は馬鹿にならないのではないかと感じました…いえ、私は落書きしてませんよwww

謁見の間と冬の宮殿

そこから右を向くと見えてくるのが謁見の間、アパダーナ


奥にあるこれ


はタチャラ(冬の宮殿)といって、ダレイオス1世の宮殿なんだそうです。

世界最古のステレオタイプ

この柱とカメラの汚れの存在感は圧巻で須賀、注目すべきは壁面のレリーフです。


2枚とも見にくくて申し訳ないので須賀、それぞれ人や動物が行進していますね。上と下とでは風貌が異なっているようです。もうちょっと注意深く見てみると、それぞれの行列の先頭の人は似たような格好で、いずれも次の人の手を一方的に握っています。力関係は見えてきた気がしますね。
これは、アケメネス朝の支配下にあった諸民族が、王にそれぞれの特産品などを献上しに向かう様子を描いたものとされています。手を引いているのはペルシャ人だそうです。ラクダや馬を引いているこの2枚のレリーフがどの辺のどの民族なのかは間違えると怖いので言及しませんが、東はインドから西はリビアあたりまで、それぞれの民族がライオンを連れたり流行りの靴を履いたりと、その民族らしい格好で朝貢している様子を描いています。恐らくその出で立ちを多彩に描けば描くほど、王の権威も高まると考えられたのではないでしょうか。そうでなくともアケメネス朝が支配した地域には、実に多くの民族がいたはずです。それを使者の格好や貢ぎ物などから見て「スキタイの連中はこんな感じ」「ガンダーラの奴らはこんな格好」「エジプトからはこんなものを持ってきた」などと、彼らがどんな民族であるかのイメージをつくり、表現していく。まさにそれは、物証などでその様子が窺い知れるものの中では最古級のステレオタイプの発露と言えるのかもしれません。

出たぁ!ワオ!*7

さてさて。お次の百柱の間は、名前通り100本の柱を有した最大の広間だったそうで須賀、

無残と言えば無残ですね…。
これだけ歩き回っていると、いろんな人にも出会います。

既に恒例化した写真撮影で須賀、この辺まで来るともう慣れたものです。
そして残念なことに、海外で最も会いたくない人たちにも出くわしてしまいました。

まあ、無視です。
こうしてなんとなく中を回った気がしてきた私は、博物館をサクッと見学*8して入口に戻り、お土産のポストカードを3万Rで購入。再びムハンマドさんの車でシーラーズへと向かったのでした。

これは何だとみなされてきたのか

今回の旅行のハイライトが味気ない気もするので、率直な感想を。
山の中にこんなんあったらビビりますよね!?
ムハンマドさん曰く「雨は冬にちょっとだけ降る程度」なのだそうで、だとするとこの巨大な遺跡が2000年以上残っていることはなんとなく理解できる気がします。それにしても、これがここにあるのはいいとして、これをこれまでの人々が一体何だと思ってきたのかということですよね。近代以降を生きる人間は、歴史学という人文科学の手法を用いて、この巨大な遺跡が何であるのかについて一定の解釈を与えてきました。この旅行記でも、その成果を前提とし、その解釈のもとでこの遺跡についてお話ししています。別にそれが間違っているとか、そういう主張をしたいわけではないので須賀、あくまでそれは、一つのストーリーであると言えるはずです。だとすると、歴史学というストーリー(あるいは解釈の方法)を持たない人々は、あの巨大な工作物を見て何だと思ったのか、解釈のためにどんなストーリーを紡いできたのか。あそこまでスケールの大きいものを見てしまうと、そんなことに思いを巡らさずにはいられませんでした。

砂混じりの茅ヶ崎ほこりまみれの高速道路

帰りも砂ぼこりと排気ガスにまみれながら高速道路を走り抜けます。この時間帯になると気温も上がってきて、煙たいから窓を閉めてほしいとも言えない状態でした。
1時間ちょっとのドライブを終え、宿に着いたのが12時半。宿の前で私を降ろしたムハンマドさんは、こう言いました。
「私はちょっと疲れたので家に帰って休みます。夕方にはまた出てくるけど、あなたのチェックアウトは2時だからここでお別れですね。今度は子どもを連れていらっしゃい」
そう短くない道中でも、退屈させることのなかったムハンマドさん。いろいろとありがとうございました。
部屋に戻って最初にしたのはうがいですw コンタクトを外して目も洗って、私もちょっと仮眠させていただくことにしました。

シーラーズ市内観光

ザンド朝のお城と迎賓館

荷物をまとめてちょうど2時ごろにチェックアウト。8時ちょうどのあずさ2号で〜♪発のテヘラン行きバス
の時間まで、荷物をフロントに預けてシーラーズ観光へと向かいます。
出発前に水(3000R)を買った商店では、店番の男の子が何やら音楽に合わせて踊っているようです。シーラーズの中心部にそびえ立つキャリム・ハーン城塞の近くでは、2〜3歳くらいの子供がしきりに「Hello, hello…」と繰り返しています。確かにその場にいた外国人は私くらいだったと思いま須賀、恐らく私のことを視認できていないだろう段階からそう呟いていたので、私に言っていたのではないんだと理解しています。

中はこんな感じです。

ゲロゲロ諸々のタイミングが合えば、とても美しい場所なのだろうと想像できます。
ちなみにこの城塞、18世紀のザンド朝という王朝のキャリム・ハーンが居城としたんだそうで、蝋人形で再現された当時の接見の様子なんてのも展示されています。入場料は5000Rでした。

お次は城塞の隣にあるパールス博物館。当時迎賓館の役割を果たしていた、というので期待して行ってみると…

極めて遺憾であります。その名の通り現在は博物館として公開されているので須賀、明らかに改装中といった感じでした。それでも料金は5000R

雑多な魅力のバザール

そこからマスジェデ・ヴァキールの通称「真珠のアーチ」を横目に見ながら、

バザールへと向かいます。

こんな感じのモールをあれこれ物色しながら歩いていると、一人の男の子に呼び止められます。えぇ、写真の左下の男の子です。御年10歳。父親らしき男性のスカーフ屋さんをお手伝いしています。彼は私がスカーフに興味ありと見て取るや、こっちはいくら、こっちはいくらと片言の英語で説明しながら、ふわりとスカーフをなびかせて見せてくれます。土産にあっても困るまいと、2枚4万Rのところを3万Rでと吹っかけてみました。さすがにそこは彼の権限では捌けないらしく、父親らしき男性が「35000Rまでだ」との返事。もちろん別に必要なものではありませんから、じゃあいいですと立ち去ろうとすると、再び男の子に呼び止められます。男性からの「3万Rで構わない」との返事でした。まあよくある光景で須賀、男の子の立ち居振る舞いが何だか微笑ましく思えてきた私は、5000R札を男の子に差し出してこう言いました。
私「これは君にあげるよ。とってもいいビジネスマンだね」
今考えれば、彼がどのくらい私の英語を理解してくれたかはいろんな意味で定かではありません。それでも、その時の彼の笑顔は、単に5000R余計にもらったからという以上のものだった…と書けば話的におさまりはいいで須賀、果たしてどうでしょうか?
しかしバザールというのは何だか愉快なところです。いろんなものが売っているというのはもちろん、店主が寝ていたり、若者が店先で何やらボードゲームのようなものに興じていたりと、その雑多さが魅力であるような、そんな場所である気がしました。

ちなみに彼らは写真撮影のお願いに快く応じてくれました。そしてもちろん、「撮ってくれよ」と話しかけてくれる人たちもいます。

聖地潜入!?

いったん外に出てあたりを見渡すと、実に荘厳そうな建物が目に入ります。

シャー・チェラーグ廟。9世紀にここシーラーズで戦死したシャー・チェラーグ*9の廟であり*10、多くの巡礼者が訪れる聖地の一つです。こうしたイスラームの聖廟には、原則としてムスリム以外は入ることができないんだそうで須賀、まああくまでそれは原則の話で、特段目立った外見や言動がなければあっさり許容されることも多いんだとか。そんなわけで、皆さんの信仰の邪魔だけはしないように、入れてもらえる範囲で中に入れてもらうことにしました。

まずこちら、入口です。男女別になっていますね。そして入る前に荷物を預けるようになっています。ここは難なく通過できました。
入り口をくぐると広い中庭があります。あちこちで軍服なのか、制服を着た人たちが寝ているのが気になりま須賀、聖地とあってか清潔感は感じられます。とりあえず中庭から建物の中を覗いてみると、何だかもうピカピカのキラキラです。金なのかダイヤモンドなのかそれらのパチモンなのか、分かるはずのものも分からなくなるような輝きが漏れてきます。そして入っていく人たちは、入口の扉にキスをしたり、頬ずりをしたりと、敬慕の感情を全身で表現しながら中へと消えていきます。
中はどうなっているんだろう、入ってみよう。
入口の手前には靴置き場があります。そこで番号札と交換しているようです。私も恐る恐る自分の靴を脱いで差し出すと、番の男性は番号札を引き換えに渡してくれました。よし、止められなかった! と門に向かうと、20歳前後位と思われる中肉の男性が、何か言葉を発しました。
男性「◇※▼◎#?*△%」
そしてどうやらこれは私に向けて発せられているらしい。靴を預けおおせたことで、すっかり中に入ったつもりでいた私は、当然(?)彼の話にほとんど注意を払っていませんでした。ただまあ、話しかけられてはいるようですので、こう聞き返します。
私「えっ、何??」
男性「@□$●¥・!」
私「はい?」
彼は英語で、私に何かを伝えようとしていました。しかし、なぜだかこの時、彼が何を言っているのかほとんど聞き取れなかったんですねw 人間不都合なことは耳に入らないようになっているようで、私は都合2度ほど聞き返してしまいました。すると彼は、私が彼の言った内容に不服であると感じたらしく、かなり緊張した様子で三度、同様の言葉を繰り返したのでした。
いくら私が英語下手でも、3回繰り返してもらえばさすがにわかります(笑) そもそも、もし彼がペルシャ語で話していたとしても、状況的に何を言っているのかは理解できたでしょう。基本的に信心のない私としても、他人の信仰の現場を荒らすことがよろしくないと考えていますので、「入っちゃいけないんですね、わかりました」と、預けていた靴を片手に階段を降りたのでした。

バザールで出会った広義の世界市民

帰りも再びバザールを通り抜けます。行きに通らなかった雑貨街みたいなところは通っているだけで楽しかったですね。その道中にアメリカの国旗が描かれたサンダルが売っていたので、言い値の3万Rで購入したので須賀、まけてくれなかった腹いせに、店員にこう質問してみました。
私「このサンダルはアメリカの国旗が書いてあるけど、履くと国旗を素足で踏んづけることになるよね? これはアメリカが好きだからやってるの?それとも嫌いだから?」
聞かれた店員さんはかなり困った風でしたが、隣の店員さんが私に真剣な眼差しを向けて言いました。
店員「全ての国が私たちの友人です」
広義の*11世界市民ですねwwwww 「そうあることを私も望んています」と応じてその場を後にしました。

さよなら、シーラーズ

宿に戻ったのは午後5時半。3時間半、なかなかがっつり観光できました。預けていたカバンを受け取り、再びタクシー(1万R)でバスターミナルへ向かいます。来たときは夜でよくわからなかったけど、こうしてみるとなかなかにぎやかで立派ですね。

ターミナルでは、夕食にバーガーセット(21000R)をいただきました。正直そんなに食欲はなかったので須賀、食べられるときに食べておかねばなりません。ちなみにここの店員の男の子2人はこの外国人に興味津々で、「日本のコインをくれ」と言われたので1枚ずつプレゼントしました。5円と10円だったと記憶していま須賀、明らかに5円玉の方が2人の関心を引いている様子でした。一応価値も説明したんですけどね。
まだ時間があったので1時間ほどインターネットをいじり*12、飲み物を買って7時ごろ車内へ。ちょっと疲れてしまっていたようで、途中でバスの席替えを求めてきた男の人に若干突っかかってしまいました。イランではバスなどで異性が隣同士になることを避ける規範があるそうで、そうなりそうな場合はみんなでズレて調整するらしいんで須賀、もしかしたらその関係で言われたのかもしれません。
さてこのバス、出発予定時刻は午後8時だったはずなので須賀、なんと7時半にバス停を離れ、あろうことか45分には、テヘランに向け走り出したのでした。これには驚いた、というか、チケットに書かれている内容を頼りに、それに基づき一人で旅程を立てている身としては、こんな恐ろしいことはありません。ちょうど時間だと思ってバス停に行ったら、そのバスはもう出発していた…なんてことがあれば、下手をしたら日本に帰れなくなります。それこそぎりぎりまでネットで遊んでいたりしようものなら、この終盤にイランからの出口であるテヘランからもっとも遠いこのシーラーズで、空席がある保証のないテヘラン行きのバスを探しなおさねばならなかったわけです。まさにこれは、イラン革命以来の衝撃でした。しかも発車したバスの車内で7時発のチケット配られてもねえ… 一体なんだったんでしょうか。

あの夜景が再び…

こうして出発したテヘラン行きの夜行バス。車内ではテレビドラマが大音量で流れています。うるさいなあと思いながらも、本でも読もうと読書灯を付けると、近くの席の男性が何やら言いながら消してしまいます。ここにきて疲れゆえか心の寛容を失いつつあった私にとって、この出来事で立った気をおさめるのも簡単なことではありませんでしたが、ならば万事休す、と不貞寝することにしました。あんなにドラマがうるさかったのにすぐ眠れたというのは、やはり疲れていたということなのでしょう。
午前2時半過ぎ。どこからともなくかけられた「おやすみなさい」という声で、皮肉にも(笑)浅い眠りから覚めます。声の主は隣にいた初老の男性で、彼はすでに席を立ち、バスを降りようとしていました。眠気眼で彼を見送った後、ここはどの辺だろうかと見渡してみました。ちょっと考えれば、ペルシャ語も読めず、数日前にイランに来たばかりの私がそんなことをしても、そこがどこなのかなんてわかる筈がなさそうなものです。でも私には、そこがどこであるのか確信を持ってわかりました。なぜならそこには、3日前にRさん夫婦が私に見せてくれた夜景が広がっていたからです。

*1:どこも同じようなもののようです

*2:嫌だったわけではない

*3:入場料は5000R

*4:性別不詳

*5:こちらは3000R

*6:変換で「ペル世ポリス」って出たw

*7:ますだおかだ

*8:5000R

*9:「ランプの王」の意

*10:まんまやんけ

*11:狭義の「世界市民」の用法については、ハイエク吐きに行く教授による『永遠平和のために』(カント)への言及をご参照ください

*12:7500R。店員のお姉さんがあまり愛想よくなかった