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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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元の木阿弥?やっぱり「最後の元老」の責任/『元老』(伊藤之雄)

明治〜第二次大戦前までの日本において、後継首相の推薦や重要な外交指針の決定に携わった非公式の政治家集団である「元老(著者は伊藤博文山県有朋黒田清隆井上馨松方正義西郷従道大山巌西園寺公望の8人としています*1 )」について、その成り立ちから消滅までを論じた本です。
最初のポイントである成立期から、ごく簡単に元老制度の流れを追ってみましょう。人的には征韓論後に大久保利通を支えた伊藤・山県・黒田が中核で、大隈重信追放後の参議はほとんど元老になっていま須賀、そういった藩閥有力者集団が制度化されたのは、明治天皇が君主機関説的(立憲的)君主*2であるためにそのような集団を必要としたからであり、また政党への対処を巡って主に伊藤と山県という双璧の間に溝ができたからだ、としています。
とはいえこれは憲法上何の定めのない制度であり、伊藤はこの機能を枢密院に移していくことをイメージしていたようで須賀、それは実現されないまま伊藤は暗殺され、いわゆる大正政変でその正当性は大きな疑義に晒されることになりました。そこで山県らは伊藤の跡を継いで政友会総裁となった西園寺を元老にして制度の正統性を高め、その後の大隈による攻撃をかわします。
その西園寺は政党政治を育てながら、その常道*3にのっとって振る舞うことで元老制度の正統性を高めようとします。大正デモクラシー期などその狙いは一定の効果を上げたものの、「最後の元老」になるに及んで陸軍を中心に統制力を失っていき、対米開戦の一年あまり前に、彼の死とともに名実ともに元老制度は消滅。その後に残ったのは、昭和天皇がやむなくしばしばの介入を行う(わざるを得ない)政治状況だったのでした…
大まかに言うとそんなところなので須賀、こうまとめてみると、この制度が結局どの程度成功したと言えるのか見えてきてしまった気がします。著者は、「途上国がいきなり民主的制度を作ってもうまくいかないことの方が多い。近代化やそのための国民意識を醸成するために、元老制度が果たした積極的な意味は大きい」などと述べています。多分それは間違いではないと思います。ただ、当面そのような非公式制度が必要であるということと、それが半世紀以上続いたことが好ましかったかと問うことは違うと思います。憲法下の一機関である謙抑的な天皇を担保するために生まれたはずの元老は、後にその土台となる考え方が排撃を受けても受け流し(「天皇機関説事件」における西園寺)、全員いなくなったら元の木阿弥で、天皇陸相人事に介入したり、特定の内閣を倒したりせざるを得なくなっている。
これは、元老「制度」が真の意味で制度化されなかったが故の弊害だと思います。それは、特定の政界の黒幕が集まって話しあうかどうかといったことではなく、まさに例えば伊藤が模索したように、後継首相推薦権を憲法上の機関に与えておくべきだったのではないか、という意味です。それをしないばかりか、「山本権兵衛は薩摩色が強いからダメ、原敬加藤高明はよかったけど死んでしまった…」と唯一となった元老の補充すらせずに、自分は衰えて影響力を失い、結局タガが外れてしまいました…ということで本当によかったのか。これは、元老たちが個別具体的な判断を間違えたというよりは、長期的な制度運営を誤ったのだと思います。
さっきから固有名詞を出さないまでも特定の元老について辛口なことを書き続けていま須賀、政府も世論も国際協調主義を失いつつある1930年代に、80歳を過ぎた人間がかろうじて首相や宮中の人事を握り続けて、時勢が変わるのを待とうというのはどう考えても合理的な判断ではないでしょう。「今はその時ではない」という現状分析ができるのは老政治家の知恵なので生姜、その時点で血気はやる陸軍軍人たちと自分とのどちらに時間が味方をするかは誰が見ても明らかな気がするので須賀…。これ以上の西園寺批判は先ほども挙げた『西園寺公望』に譲りま須賀、それらもひとえに、最後の*4元老たる責任であったのだと思います。
もし、前述の意味で元老制度を制度化するチャンスがあったとすれば、伊藤が構想通りに首相推薦権を枢密院に位置付けているか、西園寺が狭義の制度延命に協力しない(山県でなく大隈と組んで制度を潰しにかかる)か、山県か松方の死後に発展的解消するか*5くらいだったのでしょうか。それにしても、それが成らなかったことの割りを食う役回りが明治天皇木戸孝允の孫(昭和天皇木戸幸一)と大久保利通の息子(牧野伸顕)に降りかかってくるというのも皮肉な巡り合わせではあります。

*1:並びは著者による「元老の格付け」に準拠。リンク先は同じ著者による伝記のレビューです

*2:日ごろは抑制的に振る舞い、重大局面で調停者となる

*3:小沢一郎であれば「憲政の常道」と呼ぶでしょう

*4:後述する意味も含めて、そうならないことも自分で選べたわけです

*5:これがまだ現実的でしょうか