かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記四日目・ワルシャワ市内巡り

1日中山道ワルシャワ

北の旧市街へ

この日は、夜にヴィリニュス行きの夜行バスに乗るまでワルシャワ観光です。9時に起き、身支度をして出発。旧市街のある北を目指します。三位一体プロテスタント教会の脇を抜けて、サスキ公園前の無名戦士の墓へ。ここでは毎時正時に衛兵の交代式が行われており、ちょうど目にすることができました。

先生と一緒に来ていた子供たちも興味津々。式が終わった後に、何人もが衛兵のマネを始めたのがかわいかったですね。そして近くには本旅行記2度目の登場となりますピウスツキの像が。

正直この旅行に行くまでこの人のことはよく知らなかったので須賀、ちょっと調べてみると興味をそそられる人物ではあります。
そこからクラクフ郊外通りを北上。

道路右側の建物にはヨハネ・パウロ2世の肖像が掲げられています。ここで一席。
私「カトリックの国は外交政策において妥協を嫌う傾向があるらしいよ」
友人「へえ、そうなの」
私「なんでだと思う?」
友人「うーん、なんでだろ」
私「きょうこうだから」
友人「…。」
お後がよろしいようでございます。

王宮広場と旧市街市場広場


こちらは王宮広場。右奥に見えるのが王宮ですね。

正面から撮ろうという発想自体が誤りだったことがよく分かりま須賀、こちらの「洗礼者ヨハネ大聖堂」はワルシャワ最古の教会だそうです。
その先にあるのが旧市街市場広場。

建物のパステルカラーが印象的です。実はこの周辺、第二次世界大戦の市街戦で破壊されたので須賀、戦後に市民たちが「壁の割れ目に至るまで」再現し修復したんだとか。新しく都市計画を引き直すのではなく、寸分違わず再現することを選んだところに、戦争に対する彼らの思いが感じ取れる気がします。

中央には人魚像。ワルシャワの都市成立伝説に出てくる人魚は、市の紋章のもとにもなっています。

バルバカンの外は新市街

この広場周辺は、このように城壁にぐるりと囲まれています。


バルバカンです。「バル馬韓」と変換してくれたことを誉めるべきかどうか若干の迷いを感じます。百済ないことを言うのはやめましょう。
この内側ではこんな落書きも発見。

ポーランドは近年、MD配備などアメリカに近い外交政策を採っている印象があったので見つけた時には驚きましたが、当然政府の判断と世論が同じ方向を向いているなんて簡単な話はそうありませんね。
キュリー夫人の生家を活用したキュリー夫人博物館を横目に見て、ワルシャワ蜂起記念碑へ。


これは何かというと、1944年夏、ソ連軍による解放が近いとみたワルシャワ市民がドイツに対して蜂起した出来事を記念するモニュメントです。一時的には市街中心部を押さえたものの、蜂起を「反ソ連的」と見なしたソ連軍が市内を流れるヴィスワ川の対岸で停止。そのため20万人の死者を出してドイツに降伏せざるを得なかった…そんな悲劇を記念しています。

ピエロギ専門店へ

ここで取って返して旧市街市場広場へ。この日は朝食抜きだったためお腹もペコペコです。近くのレストランが開くまでと、土産物を物色します。私はポーランド国旗をあしらったニット帽と、スターリン大先生のお建てになった文化科学宮殿のミニチュア模型を計57ズウォティで購入しました。時刻は午前11時半。ガイドブックには11時開店と書いてあったお店なので、そろそろ開いたかなと思って店を訪ねると、「まだ開いていない」との返事。まあもし私達が「ガイドブックに11時って書いてあるじゃないか!」と叫んだとしても、「てめえの国のガイドブックに何って書いてあろうが知ったことかこのクレイジージャパニーズめ!」と言われるのがオチでしょうし、そんなことをする気はハナからありません。さらに南下して、ピエロギ専門店にお邪魔します。

注文はこんな感じです。

2日前の夕食で「ピエロギはいまいち」と言っておきながら専門店に入ったのは、「専門店にまで行っておいしくなかったら、ピエロギという料理そのものの問題だと言えるから」。というわけで更に追加注文も。

右側が揚げたピエロギで、まさに餃子のようなものです。「フライ」を強調する時にとっさに出たのは、フライパンで焼く仕草でした。で、左側は何かと言いますと、

ブルーベリー。半分罰ゲームのような料理で須賀、こういうものを見ると頼まずにはいられませんww
で、お味の方はと言うと、どちらかと言うとクレープのようなイメージで、かかっているヨーグルトとの相性も悪くなく、楽しく頂くことができました。他のピエロギも専門店だけあってこちらの方がいいかなという気はしましたが、どうもモサモサする食感が気になって、正直言って私は餃子の方がおいしいと感じましたね。

聖十字架教会

ここから通りを南下。ワルシャワ大学を通り過ぎ、ショパンの心臓が埋められているという聖十字架教会へ。



ショパンの心臓はこの柱の下に。ちなみに彼の命日は10月17日。この日の前日です。前日に来ていれば多くの参拝者で賑わっていたことでしょう。私はそういうのは嫌いなので命拾いでした。

地動説という「神」

そのほぼ向かいにはこの人。この方もクラクフに引き続いてのご登場となるコペルニクス先生です。


彼の足元を太陽として、その周りを回る惑星が描かれています。これを見て気付いたのは、コペルニクスもある種の「教祖」だったのではないか、ということです。無論地動説は天文学上の知見であるので須賀、「世界はお前たちの思っているようなもの*1を中心に回っているのではない。オレの言っているこっち*2が中心なんだ」と主張することは、言わば「オレの神を信じろ」と挑戦状を叩きつけることでもあって、それはなかなか刺激的な発言でもあります。ガリレオなどの地動説が教会から攻撃を受けたのも、キリスト教の教義との問題のみならず、地動説論者が措定したものを中心とする世界観を認めさせられようとしていることへの抵抗感のようなものも大いにあったんじゃないかとも思えてきます。
しかもこの像、言われてみれば教会の方を向いているように見えなくもありません。

30年もの間、地動説をまとめた「天体の回転について」の公表をためらったというコペルニクス。その像の視線の先を見て、どうしてもそのことに考えが行ってしまうのは邪推のし過ぎでしょうか。

世界はオレを中心に回っている!

ちなみにその後は、それぞれ太陽の位置に立って「世界はオレを中心に回っている」*3ごっこで記念撮影ww あんたの場合シャレになってないよ、というご指摘があれば甘んじて受けま須賀(笑)、所詮人間一人が認知できる世界なんてたかが知れているわけで、その一個の観察点である自分が客観的に世界の中心からどのくらい離れた場所にいるかということを計算するのももちろん結構なので須賀、「オレから見える世界の中心にいるのはオレだ」とある種の割り切りをして、人間の数だけあるその世界の複合体を想像してみるような考え方の方が、生き方の議論としてはしっくりくるんではなかろうかと私は感じています。こういうことを言うから自己中心的と見なされて友達ができないんだと思います。

ここまで歩いて…ww

さてさて、通りをさらに南へ向かうと、ワルシャワ中央駅沿いにある大通りに突き当る地点に証券取引所があります。

いつもならあまり気に留めないようなジャンルの建物なので須賀、これはかつての支配政党・ポーランド統一労働者党の本部として使われていたそうで、ポーランド共産主義の牙城だったところが、資本主義の総本山の如く変貌したというのはこの国の変化を象徴しているように感じられます。
ここまで南下してきたのは、その近くにある国立博物館に行くため。午後2時にして文化科学宮殿を残し、ワルシャワの見たいものは見切ってしまった感のある私達は、夕方までの時間をそこで使おうと考えたのでした。毎日のことながら朝から歩きっぱなしでちょっと疲れたよね、なんて言いながら博物館の門の前に行くと、見事に「close」の文字が。7月から改装中なんだとか。心理的にも疲れがどっと出ますw

「彼は忍者です」

こうしてついに、ワルシャワの中心部で時間を持て余してしまった私達。ポーランド国内でも通話可能という優秀なガラケーを持ってきていた友人の「充電のために変圧器がほしい」という希望もあって、近くにあった商業施設を覗いてみることに。入ってみると、中では子供のおもちゃなんぞがずらりと売られていて、所期の目的を達することは到底できそうにもなかったので須賀、そのおもちゃがなかなか楽しませてくれました。売り場は日本で言うとイトーヨーカドーの子供コーナーのような、ですので日本の風景と大差ない雰囲気なので須賀、売っているものにも見覚えがある気が。ポケモンNARUTO爆丸*4に加えて…

*5
忍者のレゴwwww しかもこのシリーズはかなりの人気のようで、売り場のかなりの面積を占めていました。同シリーズの大きな箱を見ると、「sensei wu*6」といった人物も登場するようで、恐らく中国語読みと思しき「ウー」に「先生」の日本語読みがくっついているのは、日本人が「中国人の師匠」的なイメージで設定したものがそのまま第三者の手に渡っているのか、それともこのキャラクターを設定した人物にとって日本と中国の違いなんて別にどうでもよかったのか、興味のあるところではあります。ちなみにこのシリーズ、どうやら日本でも売られているようで須賀よく分かりません。
この逸品を手に取った東洋人風の男は、購入せんとレジに並びます。レジでは中年のすらっとした体格の女性が列をさばいています。順番を待っていた東洋人がレジの女性に忍者のレゴを示した瞬間、隣にいた別の東洋人がニタニタ笑いながら英語でこう言いました。
「彼は忍者なんです」
女性の「ハァ? (°Д°)」と言わんばかりの表情がとても印象的でした。

「エレベーターの「1」と「30」を押すだけの簡単なお仕事です」

その遊びも長くは続きませんでした。本当は文化科学宮殿の展望台から夕陽でも見ようという算段だったので須賀、もう行っちゃおうよということでそちらの方角に。近づくにつれ、昼夜を問わないその存在感が改めて身に沁みてきます。

「いやあ、さすがスターリン大先生ですやねえ」なんて冗談を言い合いながら30階、高さ124メートルにある展望台へ。展望台行きエレベーターの料金は1人20ズウォティ。エレベーター室内には恰幅のいい女性が座っていて、階数ボタンの「1」と「30」を押すお仕事に従事されている様子でした。

スターリンの「おちんちん」?

そして展望台の景色です。

北東側です。ヴィスワ川のむこうにサッカースタジアムが見えます。

北側の旧市街方面。

西側には高層ビル。

南側。右側の平べったい建物がワルシャワ中央駅です。
こう見てみると、一国の首都として高層ビルがそう多いとは言えないだろうワルシャワの街中で、逆にこの建物がいかに存在感を放っているかが想像できます。ここからワルシャワの街を見下ろせるのはもちろん、実際中心部のどこを歩いていても大体見えてしまうということ、言わばワルシャワのどこにいても見ざるを得ないということはまさに力の誇示であって、ある種の男根主義であるようにも思います。加えて言えば、私はそれが見られるエリアに住んでいないので実感としての理解はないので須賀、友人曰く、「東京スカイツリーの圧迫感」というのもなかなかのものだそうで、そういう話を聞いてしまうと、「スカイツリーがこのくらい出来上がりました!」とか「展望台予約開始です!」とか嬉しげに繰り返しているテレビ・新聞の想像力の底が知れてしまうような気もします。ええ、まあ無邪気に喜ぶのもそこにある種の権力を見るのもあくまで一つの理解の仕方でしかないんですけど、その意味においては「対等」と言えるわけで、それだけに自分の足元がどうなっているのかを顧みてほしいものです。
そこで気になるのは西側の高層ビルです。展望台にいた自分の目線よりは高いところまでありそうな建物でしたが、この場所は建物の真ん中ちょっと上くらいの位置にあるわけで、建物の高さとしてはこちらが上であろうことは容易に想像がつきます。しかしこうやって相当に高いビルを建てることはもちろん可能なわけで、この文化科学宮殿よりも高い建物を建てることは、技術的には不可能ではないでしょう。じゃあ今後、このワルシャワの街に「スターリンのモノ」より大きなモノができることはあるのか。このことについてワルシャワの人々がどういう風に考えているのか分からないので「あなた何言ってるの」的な話になるような気がしなくもありませんが、結局同じ高さという土俵で闘ってしまうなら「オレのおちんちんの方がおっきいもんね!」とか「オレのキラカードの方が強いもんね!」といった争い以上のものではなくなるわけで、その勝負に勝ったとしてもむしろスターリンに負けたことになるのではないでしょうか。「別にそんなの無視すりゃいいじゃん」的な考え方もあるで生姜、ワルシャワという街はそのまちづくりという意味において、厄介なものを押しつけられたなあという感想は持たざるを得ませんでした。
そんなことを考えた空中散歩でありました。

ジャズの流れるお寿司屋さん

宮殿を後にして向かったのは、中央駅近くのショッピングモール。午後4時になると、行き交う人の数も増えたような気がします。ここでは友人が念願の変圧器を購入。これは後ほどのことになりま須賀、持参した中国で使えるという変圧器と組み合わせて、無事携帯電話を充電することができたようです。
そんなわけで、ワルシャワ徘徊もこの辺にしておきましょう。

こんな落書き(?)をよそ目に、荷物を取りに一度宿に戻り、ちょっとどこかで食べていこうよなんて話していると、宿の前にこんなお店があることに気付きます。

“Jazz Bistro ZEN”。ジャズの流れる日本料理屋です(笑) “ZEN”はもちろん「禅」のことであるようで須賀、ちょっとジャズで禅は組めないんじゃないでしょうかww
外装からも想像がつく通り、店内もかなりオシャレ。私達の格好が若干浮き気味です。というより、店員も我々が「日本料理屋をからかいに来た日本人」であることに即座に気付いたらしく、明らかに嫌そうな接客でした。注文後ずいぶん経って出てきたのはこちら。

右奥はサーモンの握り、左奥は太巻きのてりやきソース、手前は太巻きの天ぷら(!)です。後者二つは日本ではあまり見かけない食べ方で須賀、どちらもそれほどの違和感なく食べることができます。むしろ「一風変っていておいしい」と評価すべきでしょうか。サーモンはネタもよく、これは普通においしかったと思います。ただ、ガリ*7がちょっといけない感じがしたのと、ズウォティという日本酒はちゃんと徳利では出てきたものの、おちょこ一杯半分しか入っていませんでした。日本酒は専門じゃないけどあの熱燗はどうだったのでしょうか… そしてこの店の評価に関する記述について最大の問題は、評価者の行く寿司屋では寿司が一定軌道を絶えず移動し続けているということです。ちなみにお会計は全部で84.5ズウォティでした。

ドゥルスキニンカイ経由?

昨日と同じように西駅の近くを通るバスに乗り、午後6時半ごろにバスターミナルに到着。途中で219ズウォティを50ユーロに両替。余りの処理です。ちょっとあの寿司だけでは心もとなかったので、ターミナルの近くにあったお店でケバブ*8をいただきました。チリソースがあまりに垂れてくるもので、店員さんにも笑われてしまいました。
発車時刻は7時半。10分ほど前に乗り込みます。

バスはドゥルスキニンカイ経由のヴィリニュス行きのようです。ドゥルスキニンカイと言えば我々のお目当てたるスターリンワールドのある町で須賀、ヴィリニュスに早朝に着くバスがそこを経由するのだとすると着くのは真夜中なわけで、翌日スターリンワールドを訪ねるつもりでいても、ちょっと厳しいねというのが正直なところでした。日本で確認したバス会社のサイトにもその便のことは載っていました。二度手間っぽさはありま須賀まあ仕方ないでしょう。

さよなら、ポーランド

バスは10分ほど遅れて出発。乗客は6人ほどだったので、指定席とはいえ友人とつめて隣同士の席に座っているのは馬鹿らしいと思っていたら、バスはワルシャワ国際空港で停車。そこからも人が乗り込んできました*9。そしてなんと、このバスが空港の次に経由したのはワルシャワ中央駅前。ちゃんとそこまで調べなかったのが悪いので須賀、「ここからも乗れるのかよ」と苦笑いです。ヴィスワ川の東側でも乗客を乗せ、結局1時間以上かけてワルシャワ市内を巡ったバスは、ほぼ満員の状態で国境へと向かったのでした。
いつものことながら、一日中歩き回った疲労は結構なもの。すぐ寝つけるだろうと思って目を閉じるので須賀、なかなか寝付くことができません。何度目か、十何度目かに目が覚めた時、外はいつの間にか雨模様。周りの車のナンバープレートを見るに、♪どうやら僕らはリトアニアに来ているらしい。寝付けないことに若干の焦りを感じながら、また目を閉じます…

カウナスの土を踏む

こんなことをまた繰り返し、ある時気がつくと、バスは街中を走っています。時計の針が指すのは午前3時半。リトアニア第二の都市・カウナスに着いたようです。戦間期リトアニアの首都がおかれたこの街は、日本ではユダヤ人へのビザ発給で知られる杉原千畝の記念館があることでも有名です。私としても関心はあったので須賀、今回はどうしてもスターリンワールドに行かねばならない(笑)という旅程上、スルーすることになります。外の空気ぐらい吸ってみようと、小雨の中外に出てみました。

「え、4時半?」
時計が1時間遅れるほど高速移動した覚えはないとなると、時差です。リトアニアと日本の時差はサマータイム中で6時間。つまりポーランドより1時間早いわけです。車内でガイドブックを確認して得心し、今度こそはしっかり寝かせてくれよと目を瞑ったのでした…

*1:地球

*2:太陽

*3:まあ太陽系も銀河の端の方なんですけどねw

*4:これはもともとは知りませんでした

*5:友人が購入したものを撮影しています

*6:ウー先生?

*7:前の前の国連事務総長は関係ありません

*8:10ズウォティ

*9:友人とも話題になったので須賀、ワルシャワ国際空港からヴィリニュスへの国際バスに乗り込む人たちはどういう意図の人たちなのでしょうか?