かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行七日目・南北キプロス往来!

ニコシア―北から見る分断

「北半分」の地図を入手

前日の酒のおかげもあってか、午前8時過ぎとゆっくりめの起床。朝食をいただいて身支度をし、前日に散歩をしながら確認しておいたバス停に向かいます。行く先は南北双方が首都とし、まさに街の真ん中を分断線が走るニコシア。9人乗りのミニバスは、乗っていてちょっと怖くなるようなスピードで南に向かいます。30分ほどでニコシアに到着。

中心部は城壁に囲まれており、まずはその門の一つ「ギルネ門」近くにあるインフォメーションセンターに立ち寄ります。お姉さんとおばさんのちょうど間くらいの女性が笑顔で出迎えてくれ、地図を示しながら城壁内の見どころを紹介してくれます。その地図は最終的にもらうことができたので須賀、そこにはニコシア北キプロス領域のみが示されていて、赤い点線のグリーンライン以南で描かれているのは城壁だけ。「そっから先のことは関知しません」と言わんばかりです。
この地図を入手した私は内心ガッツポーズをしました。なぜって?それは「このインフォメーションセンターに立ち寄ったのはこの地図を得るためだった」からであり、もっと言えば「キプロスに来たのはこの地図を手に入れるためだった(この地図に象徴されるような分断を見るためだった)」からであります。ここまで言うと、写真でご紹介せざるを得ませんですかね。

右下の方です、わかりますか??

城壁内の小路を歩く

てなわけで、この地図を片手に城壁の中を歩き始めます。

イギリス植民地裁判所です。

選挙ポスターでしょうか?
小道をうねうねと歩いているので須賀、日曜の午前中だからでしょうか、路地にほとんど人気がありません。逆に民家の戸は結構開いていて、人々の多くが屋内で時間を過ごしているらしいということも分かったので須賀、それよりも印象的だったのがその構造です。どの家も玄関に相当するスペースがないようで、戸を開けるとすぐ居間というような造りになっています。

分断の現場in北側

そしてさらにウロウロしていると、なんだか穏やかでない様子も垣間見えてきます。

いかにも危険な場所である風に書かれていま須賀、ぱっと見では何が危険なのかさっぱり分かりません。本当に今でもそうなんだとすれば、地雷が埋まっている可能性が高いということなのでしょうか。
西の方に歩いて行くと、やはりありました。


1枚目の写真の監視塔には国連を意味すると思われる「UN」の文字が。2枚目も、扉の赤い看板には「禁止区域」と書かれていて、そのものズバリ、ここが分断の現場であるらしいことが分かります。その近くの道もこんな感じで行き止まりになっています。

まっすぐに道が伸びていれば、どうしても当たり前のようにその先まで歩いていけるような気がしてしまうので須賀、逆にここでは当たり前のようにある場所から先が塞がれています。ちなみに、ここでは立ち入り禁止の横に撮影禁止の看板もあり、遠くから写真を撮るのにも戦々恐々です。

近くにあるこのハイエク廃屋は、一体何事でしょうか。分断線を見た後だと、かなり想像力の幅に制約を受けてしまいます。

壁に描かれていた落書きです。「戦車ではなく自転車を、銃ではなくヘッドホンを」という意味でしょうか。なぜ自転車とヘッドホンなのかはよく分かりませんが、その訴えは真に迫るものがあります。

モスクに立ち寄り…


道中で立ち寄ったセリミエ・ジャーミィ。14世紀にキリスト教会として完成したもので須賀、オスマントルコ占領以降、モスクになりました。この旅ではよく出くわす歴史を、踏んで来た施設の一つです。


全体に白が印象的な内装に、メッカの方角を示すミフラーブのカラフルさが映えています。もしかしたら、その視覚効果も意識して白く塗られたのかもしれません。そう思わせるくらいの白でした。
城壁の中を歩き始めて1時間半ほど。そろそろ頃合いでしょうか。城壁の中央部にあるロクマジュ・バリカット検問所に足を向けましょう。

界隈はカフェや洋服屋などもあり、幾分賑やかです。オープンカフェの席で、若い女性が初老の男性にインタビューしている様子も目に入ります。男性はしきりに自分の立場を訴えているようで須賀、それすらこの分断と関係があるように聞こえてきます。

グリーンラインを越える

さあ、いよいよ検問所です。ぶっ叩かれはしないとしても、どんな仕打ちが待っているのだろうかと身構えて手続きに向かいます。ゲートは想像よりかなりこじんまりしていて、その間近までお店が並んでいるせいもあってか、「えっ、ホントにここが検問所?」というような雰囲気です。「ゲートはこっちだよ」と促すような係官の視線を感じ、その前に立ちます。まずはここで、北キプロスを「出国」する手続きです。パスポートと共に、「入国」の際にハンコを押してもらった別紙を差し出すと、そこに手際よく「出国」のハンコを押してくれます。これで、北キプロスは出たことになります。
*1
続いて「南キプロス」(キプロス共和国)側です。てっきり入国審査官がいるのだと思っていたら、そこにいるのは警察官。なんともあっさり通されます。そして、彼らは警察官ですので、南側に入国したことを示すスタンプは押されません。まあ、ここで問われるべきは「なぜ南側はグリーンラインの検問所に警察官を配置しているのか」という点であって、そこからは「キプロス共和国は北側の一方的な独立宣言などは認めないのであって、グリーンラインを越えてくるのは『入国』ではない」という南側のスタンスが感じ取れます。何にせよ、こうして難なく分断線を踏み越えてしまいました。

ニコシア―南から見る分断

メインストリートの喧騒

こちらはキプロス共和国EU加盟国で、ユーロも通用します。ギリシャ系の人々が多く住んでおり、ギリシャ文字の世界です。

ゲートを越えて1ブロック過ぎると、街のあちこちから音楽や喧騒が聞こえ始めます*2。まるでここに来て、街が音を出すことを思い出したかのようです。人通りも格段に多く、スタイリッシュな建物も増えます。それらがスタイリッシュであるかについては個別に議論する必要があるかもしれませんが、ケンタッキー、マックマクド、スタバなど、日本でもよく見るチェーンも並んでいます。

ここに来てみると、南北のこの雰囲気の落差を実感させられます。この日が日曜日であること、ラマダン明けの期間に当たることなど、さまざまな*3要素が重なっており、この日の様子だけでどうこう言うことは慎むべきで生姜、南北間に経済的な格差が生まれているのも事実だそうで、やはりそういったことに発想が傾いてしまいます。
そんな街で日曜の午後を楽しんでいるのは、もちろんコーカソイド系の風体の人々が多いので須賀、女性を中心に(東)南アジア系(と私が理解する)外見の人も多く見かけます。実際、イスタンブールにもあったような国際電話屋さんには、インド、バングラディシュ、スリランカベトナムといった国々の国旗などが示されています。ベトナムは違いま須賀、インド界隈はキプロスと同じイギリス統治下にあったわけで、そうした歴史的経緯から多く出稼ぎに来ているのか、それともそうした国々の人にとって、この島がメッカ的なリゾート地になっていて、観光客として大挙押し掛けているのかははっきりとしません。日本に生まれ育った私の感覚からすれば、そうした地域の人たちが南国リゾートを求めてキプロスに来ているんだとすると、ややけったいな話な気もしま須賀、ハワイにたかる日本人というのもかなり異様というか異常であって、先のシリンジェで韓国の人にたくさん会ったことを思い出しても、そもそもが私の勝手な想像から始まった話ではありま須賀、さもありなんという気もしてきます。

友達さくさん南キプロス

昼食はピタ。

キプロスっぽいのがいい!」と要求したので須賀、その特徴がどの辺にあるのかは正直言ってよく分かりませんでした。しかし分量はかなりのもので、ポテトまで辿りつくことができませんでした…
一休みして、当てもない散策を再開します。

何か公共施設を整備する予定の場所のようで、様子を見ればEU絡みのものなのではと想像もできるわけで須賀、北キプロスはトルコ以外の国家承認を受けていないわけで、なんだか国旗を並べて「友達多いんだぞ」アピールをしているようにも見えます。驚異的に話を矮小化すれば、これを眺めながら北キプロスに思いを馳せるに、友達のいないわが身までもが思われて切なくなります。

ニコシアの地図をコンプリート?

この界隈にインフォメーションセンターがあるということで訪ねたので須賀、今日はお休み。代わりに近くの飲食店で地図をいただくことができました。もちろんそれがお目当てですので(笑)、大満足で引き下がります。

こちらの地図では、グリーンラインから北の様子は道路の形状だけ描かれ、通りの名前や名所などは書き込まれていません。但し、「トルコによる占領によってアクセスできない地域」という説明はなされています。1998年のもののようで須賀、まあまさに、それが南側の見解でしょう。
こうして、南北キプロスで「分断されたニコシアの地図」を入手する、というキプロスにおける最大のミッションを果たすことができました。こうして両方の地図を見比べてみると、欠けたパズルのピースをはめるような楽しさに加えて、この紛争・対立が私から非常に遠いところで展開してきたからか、違和感のみならず滑稽さまでが入り混じった気持ちというか、一体この人たちは何を突っ張っているのだろうという感覚を覚えたというのが正直なところです。この発言が非常に稚拙かつ不謹慎で、紛争当事者のだれをも不愉快にするだろうことは、容易に想像できます。ここでもちらっと紹介した経緯を少しでも踏まえるなら、「何をバカなことを言っているんだ」というレベルだと思います。ただしかし、これが全く有害無益な発言かと言われればそうは思わなくて、傍から見れば「なんでそんなことで揉めているんだ」という内容で、当事者はがっぷり四つで取っ組みあっているということもなくはありません。まあそれも多分に解釈の問題なので生姜、そういう第三者の視線、相対化の視点が成し得ることもなくはないのではないか。それが「定石」でないにしても、それを考えてみる価値はある気がします―これはむしろ、南北キプロスに住む人々以上に、自分に、さらには日本や韓国、中国、台湾などの人たちに投げかけ、考えてみたいことでもあります。

北へ帰る人の群れは誰も無口で

…話が逸れましたね、先を急ぎましょう。

教会です。

分断線に近い路地です。大きな通りなどは賑やかなので須賀、行きに通った検問所以外の分断線に回り込もうとすると、急に人通りが減る印象です。監視塔のある場所もあります。
午後3時が近づき、そろそろ北に戻ることにします。アイスを食べながらゲートを目指すと、なんだか腹痛が。ゲートの前に来る頃には、結構な差し込みに襲われ、ちょっとどこかで根本解決を図らないと厳しそうです。

こんなことが書いてありますけど体調は全くピースではないわけで、ちょっと戻ってマックマクドのお手洗いをお借りしました。
そんなことがありながらも、再び検問所をくぐって北に戻ります。相変わらず南側の警察官はスルーで、彼ら同士和気あいあいとすらしています。北側の「入国審査」では例の別紙を差し出し、再び北キプロスに「入国」。こうして、3時間余りの越境の旅は終わりを告げました。

「北」つながり?

検問所からバス停に戻る道中では、たくさんの珍奇の視線とお声掛けをいただきました。なんだかこの時間から酔っぱらっているようなテンションの人も多くて、「アンタルヤから兵役で来ているんだ」と身の上話をしてくれました。トルコ本国でも「北キプロス駐留経験者」に会いましたが、トルコで徴兵されて北キプロスに赴任するというパターンは結構メジャーなのでしょうか。
3時半のバスでギルネへ。今度は45分ほどかけてゆっくり走ります。途中でこんな光景も目にしましたが、

こういうのは違う「北」の専売特許かと思ったらそうでもないんですねww まあいずれにせよこういうものを見ると、書いた内容より「ここまでしてアピールせねばならない」立場の方が浮き立ってしまうように思うんで須賀…

地中海サンセット・ディナー・クルーズ

穏やかな海を行く

ホテルの部屋に戻ったのは午後4時半ごろ。1時間ほどして再び外に出ます。向かったのはディナークルーズのカウンター。もちろん私がアナン言い出したのではありませんが、まあ、新婚旅行ですので(笑)

船に疎く、どうやってその規模を形容すればいいのかよく分かりませんが、こんな感じで乗り込んで出航します。


もちろん私もビールをいただいています。
意外なほど穏やかな海。見渡せば二つの青が視界に広がっています。密度の高い、濃縮された青が、かすんだ白との境目で微かに揺れています。以前船上から見たことのある太平洋の青は、その上を覆っている水色を浸食せんとでもするかのように蠢いていましたが、その姿とはかなり様相を異にしています。しかしよく目を凝らすと、うっすらとアナトリアの大地が見える…ような気がするのは気のせいでしょうか?

船は島に沿いながら、西に向かって進んでいきます。陽が傾き、水面にオレンジの光の筋ができると、舳先はその帯と一定の角度で交差しながら進んでいるのが分かります…何を急に言い出したのかって?作文練習をしているだけですよww

日が沈み、星が輝く

しばらくすると、メルキュールホテルの沖合で錨が下ろされます。
乗組員「遊泳時間です!」
乗客「(ジャッパーン*4!)」
私「聞いてねえwww(うずうず)」
よっぽどパンツ一丁で飛び込もうかと思いましたが、さすがに自重しました。
その後はディナータイム。

バイキング形式だったので、イモをたんまりいただきました。
そして日没です。

思ったより早く沈むんですね。完全に姿を隠した瞬間、思わず拍手をしてしまいました。その後について、細い三日月も沈んでいきます。本当にわずかの時間で須賀、その輝きはラマダンが終わり、新しい月が始まったことを教えてくれます*5
あたりも暗くなってきます。マストの傍らに横たわって初めて、こんな心地いい風が吹いていたことに気付かされます。先端にライトが灯りま須賀、真っ暗になる頃には満天の星空。小学生のころの理科のテスト用紙のように、いや、それ以上に、北極星がくっきりと見えます。船はギルネに戻らんと東進中。「北極星があそこにあるから左手に見ながら進もう」。そんな航海をしていた時代もあったのでしょう。
午後9時前、ライトアップされたキレニア城を見ながらもとの港に入港。

毎晩のように飲み歩くのもなんですし、たまには早めに引き下がって体を休めましょう。この日はこうして、幕を閉じたのでした。

*1:左側がキプロス共和国の警察詰所

*2:逆に言うと、南側も1ブロックだけは周囲に比して異様な静けさです

*3:しかも、それらがどちらにどんな影響を及ぼすのか不勉強ながらよく分からない

*4:日本人ではない

*5:まあ断食は一切しなかったが