かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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弾丸!「明るい北朝鮮」シンガポール旅行記一日目 シンガポールへ

毎度の「0日目」

日本を出るわけ

前の前の首相なら間違いなく「みぞうゆう」と形容しただろう大震災から、2カ月が経とうとしていたゴールデンウィーク津波による広域にわたる被害や、ほとんどが直接被災していないはずの首都圏で広がった電力や物資不足、今なお現在進行形で語られ続ける原発事故など、震災はこの社会に多大なインパクトを与えましたし、今も与えられ続けています。その証左に、今でも居酒屋に行けば、あちこちのテーブルで「あの時自分はどこにいて、どれだけ揺れた」というような「あの日あの時」の個々人の体験が語られています。それは何だか、「自分たちは同じ時を生きているんだ」という、ややもすれば現代人が見失いがちなことを再認識させる格好の手段となっているようにも思えます。もちろんそうした言わば「それぞれの3・11物語」だけではなく、被災地支援や原発事故処理のあり方、被災地での生と死をめぐるドラマ、果てには震災を受けた「自粛」騒動など、たくさんの言説が社会に与えたマグニチュードと比例するように巷にあふれ、そのことがまた社会への衝撃を強めている。そんなループ的な状況もあるのかもしれません。いずれにせよ震災後の日本社会は、震災に関するアジェンダ*1にロックオンされ、一見関係が薄そうなことも、震災との関連で語られることが非常に多くなりました。そしてかく言う私も、勤労意欲のない新聞記者としてその片棒を担いできました。
シンガポール旅行記」と題打ちながら、「シンガポール」という言葉すら出てこないことをご不審に思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、それが私がこの4連休という短い休み*2の中で海外行きを決断した大きな要因でもあったのです。その時点までに周囲の少なからずの人が、業務や熱意や政治的思惑を理由に被災地入りしていましたし、この連休を使ってそうする人の話も聞いていました。「勉強のため、君も行った方がいい」。そう勧めてくれる人もいました。それでも「連休」と聞いて被災地行きが第一に挙がらなかったのはなぜか。それは「外野にいたい」との思いだったんだと思います。
念のため言っておきま須賀、私は震災が「大したことない」と思っているわけでも、「どうでもいい」とか「関わりたくない」と思っているわけでもありません。ただ、報道をはじめとする「被災地発」と称する言葉が多分に物語的で、ある種ステレオタイプ的な感傷にはめ込まれているという印象を持ってきました。そしてその言葉が反響し、ループすることで社会にも同様の影響を与えている。「自粛ムード」なんてのもそうでしょう。とするならば、私はなるべくそのループから遠いところにいたい。そんなことはできっこないにしても、少なくともその引力と、ループの過程から生み出されたのだろう「天狗の類」と化したものとしての「被災地」 に自覚的でありたい。「涙」一辺倒とは違う角度から、震災について話したい。もちろんドラマが全く不要だとは思わないが、他の多くの人(記者)がすでにやっていることを、そもそもそれが苦手な自分が是が非でもやる必要はないのではないか。自分になにがしか出来ることがあるとするならば、別のことなのではないか。この思考法は私が古くから用いてきた悪習であることが最近*3発見されており、そもそも物理的に被災地に行くこととそのループに身を投じることは論理的にイコールではないので須賀、4月下旬の私は、大体そんなことを考えていました。しかし連休後半で被災地に行ってくることができるとわかった渡航直前には、この辺の理屈は重要性を失っておりました。
震災関連で言えば、「日本を出たかった」理由はもう一つあります。それは、福島第一原発事故による放射能風評被害の問題です。事故後、原発周辺の放射能被害の深刻さが判明するにつれ、日本の国内外で、被曝を疑われる人や物に対する風評被害が広がりました。特に国外では、日本の出荷規制や立ち入り制限とはかなり異なった水準でそれらが行われている*4、と報じられてきました。そもそもを言えば、放射能とウイルスは違うんですよ、って話なんで須賀、この時期に日本人が海外を訪れるとどんな扱いを受けるのか、検疫で線量を測られたりするのだろうか、その辺を行って確かめてきてやろうと思い、国外脱出にこだわったのでした。

シンガポールに行くわけ

ここまで「4連休に海外に行った理由」をグダグダと書き連ねてまいりました。ここまで読まれたわずかな方も、もう面倒になったことと拝察いたしま須賀、もう一つ、書いておかねばならないことがあります。それは「なぜシンガポールなのか」です。
候補地選定に日程が大きく影響したのは事実です。行き帰り合わせて4日間では、そう遠くには行けません。そして、カバンを担いでいくつかの都市を周遊するスタイルも向かない。つまり、日本から遠くなく、ほぼピンポイントで完結する場所。候補として、何となくシンガポールの「シンガポ」くらいは挙がってきそうです。
そして決め手になったのは、その政治・社会状況です。シンガポール人民行動党によるヘゲモニー政党制が敷かれており、選挙はあるものの、選挙区割りや懲罰的な公共投資によって事実上野党の勝ち目がないように「工夫」されているとされます。また、罰金が厳しいことでも知られ、ごみのポイ捨て、唾吐き、鳩の餌付け、チューインガムの国内持ち込みなどが禁止。おかげで”Singapore is a FINE city”(fineは英語で「綺麗」「罰金」などを意味する)といったジョークも生まれ、建国の祖と言うべきリー・クアンユーは、シンガポール国民に対しこれらの「禁止実験」を30年にわたり行ってきたことを「成果」として、1994年度のイグ・ノーベル賞(心理学賞)を受賞する栄誉まで得ています。だったらポイ捨てをして来てやろう!…とは思いませんが、どんな雰囲気なのか見てみる価値は大いにあると思い、この赤道直下の都市国家に行くことにしたのでした。
今回は航空券+ホテルのツアーで申し込み。なんでも航空券だけ頼むより、そっちの方が安かったんだそうです。一定期間以上滞在する場合、ホテルが決まっているというのは足かせで生姜、今回はあまり影響がないだろうと思いお願いしてしまいました。昼食付きの1日観光が無料で付けられたそうで須賀、もちろん謝絶しておきました。
今回は友人の災氏と野郎二人旅。名前に心当たりのある方は、ブログ検索機能を使うと何か発見があるかもしれません。
2人分の申し込みを終えたある時、旅行前の予習をと思い、Wikipedia先生の記事に目を通していました。するとシンガポールの政治について説明する項目で、こんな一節を見つけました。

表向きは華やかだが、政府の管理が行き届き過ぎているこの国は「明るい北朝鮮」という別名を持つ。

旅行先にこの国を選んでよかった。その時、心の奥底からそう感じたのでした。

0日目本題

前日は、「弾丸トラベラー」で楽しんごシンガポールに行っているのを偶然眺めながら支度して、午前2時前に就寝。そもそもフライトも遅い時間なので、そんなに焦って準備をする必要もありませんでした。

シンガポール

1日目、と言っても、実はほとんど中身はありません。夕方のフライトで現地着が日付が変わる頃、その日は旅行会社のバスでホテルに連れられて寝るだけ…というスケジュールですので、さっそく巻いていこうと思います。

長時間の飛行

災氏との空港での待ち合わせは午後2時。遅めの昼食でビールを飲みながら、大体の旅程をすり合わせます。富裕な彼は、空港と市中の家電量販店との間の、デジタルカメラの価格と品揃えの差は気にならないようでした。
フライトは約7時間です。機内では勧められるままにビールを3杯飲み、座席スクリーンで麻雀ゲームをやったり世界地図を見たり、本を読んだり寝たり。♪むこうの時刻に 時計を合わせて 二人毛布に包まれて 闇の中へ…一つ気になったのは、世界地図でネピドーではなくヤンゴンが首都扱いされていたことです。
現地時間*5で5月1日午前0時を過ぎたころ、飛行機はシンガポールチャンギ空港に着陸。入国審査と税関を通過します。やはり日本から訪れる人は多いようで、外国人用の入国審査ゲートには「各国9パスポート」と、日本語とアラビア数字で案内がされていました。ついでに言うと、この空港の入国審査ゲートには、キャンディの入った小さなかごが置かれていました。並んでいる時に後ろの女性グループがそれを見て「ここに置いてあるのってはじめてよね」なんて話していたので気づいたので須賀、確かに私も初めて見たので、パスポートにスタンプを押された後に、係官の男性にこう聞いてみました。
「これ、持って行っていいんですか?」
無言で頷く係官。怒られない程度に、一掴みだけ頂戴して参りました。

アーバスでホテルへ

荷物を受け取ると、そこには旅行会社のシャツを着た女性が待っていました。現地ガイドさんです。所定の人数が揃うと、彼女の先導で空港を出て、ホテル送迎バスに向かいます。夜中とあって空港内の人はまばらでしたが、少し歩くだけで中国系っぽい人、マレー系っぽい人、インド系っぽい人がいるのが分かります。実際その通りかどうかは尋ねたわけではないのでわかりませんが、それだけ多彩な風貌の人がいるということが、この国の移民国家としての性格を思わせます。
バスは午前1時ごろ発車。空港のある島の東端から、ホテルのある中心部を目指します。シンガポールでは日本と同じ左車線。高速道路沿いにも、有名な団地が立ち並んでいます。町中にはあちこちに、人民行動党のものと思しき選挙ポスターが貼られています…ある国を訪れた時、その町並みを初めて見ることになるのは、たいていの場合、空港と都市部をつなぐバスや電車の車窓からです。この時も例に漏れずそうだったので、これから旅することになる異国の町の様子をじっと見つめていました。で須賀、車内ではさっきのガイドの女性が、日本語であれやこれやと旅行上の注意事項などを説明しています。彼女に悪気がないことは重々承知の上で言うなら、これは非常に興ざめでありました。

えせビジネスマンvsえせバックパッカー

目の前にポリ袋が落ちている「Quality Hotel」に「それがシンガポールのクオリティなのか」と笑いながら、宿泊予定の「Summer View Hotel」に着いたのは1時半過ぎ。部屋にバス・トイレ付き、1階食堂の朝食バイキングも付いており、私としては申し分ない宿でした。ただ、災氏はいわゆるアメニティにご不満があったようで、洗面所と風呂の利用を中断して、わざわざ近くのコンビニにシャンプーと歯ブラシを買いに行っていました。泊まるホテルにそれらが備えつけられていることをハナから期待していないえせバックパッカーの私は「歯ブラシなら使ってないのがあるからあげるよ。シャンプー?いいよそんなの。石鹸持ってきてるからそれで洗っちゃえよ」と妙に旅慣れぶっていたので須賀、えせビジネスマンの彼には、そんな適当なことは許せなかったようです。
テレビを見るなどして風呂の順番を待ち、3時ごろ就寝。テレビは中国語のチャンネルが多かったで須賀、私には何語であるか判別できない*6ドラマに、英語の字幕が振ってあるようなものもありました。

*1:この言葉も某政党のせいで気軽に使いにくくなってしまいました

*2:仕事上そうなりました

*3:恐らくこの震災を通じて

*4:そのどちらが妥当であるかは別問題です

*5:日本より1時間遅い。以後再び断るまでシンガポール時間で話を進めさせていただきます

*6:恐らくマレー語かタミル語だったのでしょう