かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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弾丸!「明るい北朝鮮」シンガポール旅行記二日目 シンガポール市内観光

アラブ、インド、中国…エスニックタウンを歩く

ブギスで即ドリアンw

シンガポール中心部を1日で回ってやろうと企むこの日は、午前9時の起床。睡眠は十分とり、朝食もバイキングで頂いて、10時前に出発です。

外に出てみるとあいにくの雨。駅に続く屋台街にも人はまばらです。蒸し暑いのも嫌な感じです。

ショッピングモールの入口には選挙ポスター。選挙が近いためでしょうか。あちこちで見かけました。

説明するのを忘れていましたが、宿があるのはブギスというエリア。今では「原宿みたい」(災氏)なファッショナブルな繁華街になっていま須賀、昔はオカマさんたちの街だったんだとか。まずはその巣窟だったというアーケード「ブギス・ストリート」へ。入口には果物屋さん。

ズラリと並ぶ、バナナやマンゴー。左側のライチみたいな実は何でしょうか?*1まさに南国!といった品揃えの中で、私たちが目を付けたのは…

もちろんドリアンですwww
その強烈な臭いで有名なこの果物、必ず一度は食べて帰ろうと、翌日の夕方に果物屋街に立ち寄る予定まで立てていたので須賀、まさかしょっぱなに遭遇するとは。とりあえず景気付けに食べていこう。そんなわけで、災氏が得意の中国語で店員さんに尋ねると、8ドル*2と20ドルのものがあるということ。個人的には丸々1個割ってほしかったので須賀、一つ割ると1キロぐらいあるそうで、泣く泣く(?)8ドルのパックをもらうことにしました。

そして出てきたのがこちら。外を割るとこういうものが入っているんですね。この時点では、期待(?)していたほどの臭いもありません。「なあんだ」と内心ちょっとがっかりしながら、特段心の準備もせずに思いっきりかぶりつくと…。
私「…………」
災氏「ん?どうした?(笑)」
食べた瞬間に広がる粘っこい甘みと柔らかな食感。思いっ切りいき過ぎた。これはKOだ。災氏はしかし、ちょっとずつながら食べ進めている様子です。
いずれにせよ苦戦する2人を見て、店のおばあさんが話しかけてきます。「やっぱりダメかね?おいしいのを選んであげたのに…」*3
そう言われると申し訳ないし悔しくもあるので須賀、このままガブッとやり続けるのは私には無理です。災氏もそのようでした。そこでどちらからともなく始めたのが、「外の皮を残す」戦略でした。
真上の写真の、一番右の実をご覧ください。下の部分だけクリーム色が薄くなっているのにお気づきでしょうか? どうやらこの部分は、相対的に言うと実の「中身」に相当する部分のようで、大部分を覆うどちらかと言えば黄色い部分は薄皮のような状態になっていることが分かりました。イメージで言えば、黄色っぽいものがミカンの袋で、白っぽい部分が実、といったところでしょうか。その皮の部分はぶよぶよしていて、味もやや苦みというかえぐみがあるので須賀、より種に近い中身の甘いこと甘いこと! 本当にクリームのような、それでいてマンゴーっぽい果物らしさも感じさせる甘美な味でした。「これならいける!」というより「これうまいわ!」という話になり、さすがにかなりの甘さなので一定のペースを保ちながら平らげたのでした。
しかし、ドリアンの中身をぶよぶよ触りたくった代償は、夕方近くまで残りました。
そしてもう一つ、このドリアン体験で分かったことは、この旅行ではコミュニケーションの心配をする必要性がかなり低い、ということでした。そもそも旧イギリス植民地で英語の通用度が高いうえに、人口の約4分の3を占める華人系の人々が話す言葉は、災氏がお茶の子災災で操ることができるのです。言葉が通じないのも旅の醍醐味だけど、これは助かるなあ… そう思いながらドリアンの種をしゃぶっている最中にも、災氏はさっきのおばあちゃんに「へえ、中国から60年前に渡ってきたんだ〜」なんて話をしていたんだそうです。
*4

「批判禁止」は?

さてさて、ドリアンの臭いは体から離れなくても、ドリアンの話題からはそろそろ離れねばなりません。たまに小雨がぱらつくいまいちな天気にはこれ幸いと、アーケードの中へ。

閉まっているお店が多く見えるのは気のせいでしょうか?

(右側の看板を見て)…雑多ですね(苦笑) 台北の夜市に近い雰囲気を感じます。私はここの両替屋で10000円を144ドルに換えてもらいました。そして早速のお買いものです。私はTシャツ屋さんでシンガポールとは極めて縁薄いチェ・ゲバラのシャツ(10ドル)を購入。更に災氏と2人で、「何でも禁止」の政府を揶揄するシャツ(2枚で7ドル)も手にしました。このシャツ、前には”Singapore is a FINE city”と例のジョークが書かれており、裏面ではチューインガムの輸入や花を摘むこと、ごみのポイ捨てや痰を吐くこと、20kgのヘロインを運ぶことなど、禁止行為と罰則がイラスト入りで例示されています。
こういうものを見てつい興奮してしまうのはいつものことなので須賀、一瞥した直後、そこにもう一つ別の禁止行為が入っていないことへの疑問が湧きあがってきました。それは「政府を批判し、あるいは皮肉ってはいけない」。要するに「こんなもの堂々と売って大丈夫なのかよ」ということです。事実、国境なき記者団による
2010年の「世界報道自由ランキング」によると、シンガポールは178の国・地域中136位タイ。チャベス大統領を戴くベネズエラ(133位)やイラク(130位)を下回るなかなかの結果です。ちなみにブービーの177位が北朝鮮、ワースト4位にイランと、個人的には思い出深い国名が並びます*5
そんな数字や、「過去に政府に対する批判的な報道を行った記者が投獄された」なんていうWikipedia先生の記事を見ると、現地の光景が幻だったような気もしてきま須賀、確かにそのTシャツは私の手元にあります。それどころか、この類の意匠の品物は「シンガポールみやげ」として、言わば定番に近いような位置を得ているようにも思えました。これは一体どうなっているんだ? 外国人観光客の多い街で育った「商魂」なのか?
それこそ店のおばちゃんにでも聞けばよかったので須賀、結局どの土産店でもそれをしませんでした。ただ、この凝った皮肉の裏側に、何やら自虐的なものを感じざるを得ませんでした。

サルタン・モスクとアラブ・ストリート

私たちはアーケードを抜け、再び大通り沿いを歩き始めます。

ラッフルズ病院、だそうです。

また選挙ポスターがありました。“The Workers’ Party”で「工人党」。労働者政党なんでしょうね。

町中を歩いていて非常に目につくのが、このようにカラフルな団地たちです。これは政府が建設したHDBなるものだそうで、全人口の8割以上がここに住んでいるとか。それが一般的なのかどうか分かりませんが、別の場所では1階は商店、2階以上が住宅という形式の団地も見かけました。

そんな町並みを横目に私たちが目指したのはサルタン・モスク。ブギス駅の北東にあるこのモスク周辺は、イスラーム色の濃い地域として知られています。モスク自体は1928年に建てられたそうで、国内最大なんだそうです。
*6
外には水場があり、ムスリムはここで体を清めてから中に入るそうです。

エリアの区切りはありま須賀、建物には記名をすれば入ることができます。日本語での案内なんかもあって、観光地っぽい雰囲気です。柱にもたれかかって座っていたおじいさんから話しかけられましたが、(たぶん私が間違った聞き取りをしたせいで)あまり会話が噛み合いませんでした。
一通り見終えて外に出ます。周りの街の様子はどうだろう?ドーハみたいな感じなのかな?なんて期待して歩き回ってみたので須賀、天気が悪いのかタイミングが悪いのか、あたりは閑散としています。

それでも、ちょうど11時だからということなのか、開店準備をしている様子のレストランなんかを見ると、賑わっていればオシャレなんだろうなと思わせる雰囲気は十分ありました。
この周辺で水とポカリスエット3.8ドルで買いました。

モスクあれこれ

やや拍子抜けの感もありましたが、お次はインド系の人々が集う街「リトル・インディア」へ。途中イギリス人建築家が建てたという西洋風の「ハジャ・ファティマ・モスク」に立ち寄ったりもしながら、北へと向かいます。
*7
*8

リトル・インディアは香辛料のかおる香り

しかしそもそも、こんなちょっと歩けば行けるような距離で、そんなに雰囲気が変わるものなのか、そもそも自分自身インドに行ったことはないんだし、下手すりゃエリアのど真ん中に着いても気づかなかったりして… そんな心配は無用でした。目的のエリアに向かうある地点から、香辛料のいい匂いが漂い始めます。この地区のメインストリート、セラングーン・ロードへ向かう道沿いは、カラオケパブやナイトクラブが並ぶ夜の街のようです。


町並みを撮ろうとしてたまたま写った手前の車は、どうやら工人党の選挙カーだったようです。シンガポールで選挙と言えば、やはり人民行動党でしょうw


進むにつれ、タミル語のものと思しき文字も増えてきました。それでも隣には漢字の看板が掲げられている感じが、シンガポールらしさということになるのでしょうか。そう言えば、この辺でトロピカルジュースか何かを飲みながら「맛있다!*9」と叫んでいる女性3人組を見かけました。

活気あふれるヒンドゥー寺院

時計の針が正午を指そうとする頃、中心部にあるスリ・ヴィラマカリアマン寺院に着きます。何だか覚えにくい名前で、何度かミスタイプしていないか確認もさせていただきましたが(笑)、中高層のビルが建て並ぶ中で放つ存在感は抜群であります。

これまでヒンドゥー寺院を訪ねたことがなかった私は、「何?この屋根?」と仰ぎ見ます。

ゴープラム、というのだそうです。
中では、正午とあってか多くの人が祈りをささげています。しかしそこは一面厳粛の空間ではなく、いろんな人がいろんな場所で祈る、その活気にあふれていました。

炎から出る煙を仰ごうというような仕草は、日本の仏教寺院でも見たような気がします。

寺院内のあっちこっちに所狭しと色も姿も鮮やかな神々が祀られている様子は、広々とした空間に「こっちがメッカだよ」と示す窪み(ミフラーブ)がある、というのが基本のモスクとは大きく異なっているように思います。雰囲気も含めたこの違いを、多神教偶像崇拝を厳しく制する一神教との違いに帰することはどのくらい可能なのでしょうか。
こんな光景もよく目にしました。

上裸の僧侶が、白い灰を参拝者のおでこに付けています。自分でおでこに付けている参拝者もいました。これが宗教的意義の深い儀礼であることは恐らく疑いないので生姜、儀礼を終えた参拝者を見てみると、灰を付けられた部分から出血している人もいて、これはなかなか痛そうです。おでこと言えば、女性が付けているビンディーとも宗教的なつがなりがあるのでしょうか。

ホーカーズでマトンカレー

とまあ、初めて訪れるヒンドゥー教寺院の賑やかさにはどことなく魅かれる部分もあったので須賀、振り返ると災氏がやや飽きたような表情だったので出ることに。間近にあるホーカーズ(屋台食堂街)つき巨大マーケット、テッカ・センターを訪ねます。
入口の食堂街を抜けると生鮮食品マーケット、2階には衣類が並んでいます。

一通りぐるっと見て回ったので須賀、やっぱりこの時間の最大の関心事は昼飯でしょう、ということで再び入口付近へ。さすがの賑わいですね…

っておじさんお茶目すぎでしょwww
この日の昼食は(ざっくり言うと)マトンカレー。

ライスはインド風の「ナシ・ビリヤーニ」と言うそうで、スパイスやヨーグルトを入れて炊いたお米なんだとか。食べた時点では気付いていなかったので須賀、今調べてみると「アラーディンズ・ビリヤーニ」という人気店のカレーだったらしく、そう言えば注文で結構待たされた記憶があります。適度な辛さでとてもおいしかったです。卵付きで5.5ドルは安いと言うべきでしょう。ちなみに、下に敷いてあるのはバナナの葉っぱのようです。

シンガポールMRT事情

お腹を満たしたところで転戦いたしましょう。初めてMRTに乗って、リトル・インディア駅からチャイナタウン駅を目指します。

切符は自動改札機で購入します。降車後に返ってくるデポジット(1ドル)もあります。

車内・駅構内はもちろん(?)飲食禁止*10で、もちろん(!)違反すると罰金が科されます。ドリアンの持ち込みも禁止です。但し、車内での携帯電話での通話はOKなようで、その点日本の特殊性は際立ってきます。

チャイナタウンで街歩き

チャイナタウンは、シンガポール中心部ではやや南西寄りに位置しています。それこそ一昔前はどこを歩いてもチャイナタウン的な雰囲気が漂っていたんだそうで須賀、再開発によって町並みも激変。最後に残った一角が観光地化されたのがこのエリアだとのことです。ですからもちろん、この一帯には「牛車水」*11という立派な地名があり、MRTチャイナタウン駅の漢字名称はこの「牛車水」となっています。
さて、付け焼刃の知識をこれ見よがしに披露したところで本題に参りましょう。


こういう写真を見ると、「ああ、やっぱり観光地化されてるなあ」という印象は拭えませんが、チャイナタウン・コンプレックス*12前の広間では、将棋に興じる人々に野次馬が集まるような光景も見られました。

周辺の土産物屋では、とりあえずマーライオン作ってみましたみたいないかにもっぽいお土産から、そもそもこの町と直接関係ないはずの中国歴代皇帝やら毛沢東やらのトランプまでが売られていました。今挙げたものはすべて購入しましたww

二つの仏教寺院

買い物の後で訪れたのはこの寺院。

「新加坡佛牙寺龍華院」という名称だそうで、「新加坡」は「シンガポール」、「佛牙」は「仏の歯」、つまり仏陀の歯が安置されたストゥーパがあることを意味しているようです。その中は…というとキンキラキンの豪華絢爛。

あちこちに信者に寄付を求めるような仕掛けもあり、いろんな意味で華人系の人々の経済的な強さを感じることができました。
そこからちょっと落ち着いた雰囲気のクラブ・ストリートエリアを抜け、もう一つ寺院を目指します。

それがこちら!

「シアン・ホッケン寺院」と書きたかったのでしょうか。日本語ではそう表記するようです。


この寺院は、1841年に中国福建省出身の人たちが建てた国内最古の中国寺院とされ、古くは船乗りたちが航海の安全を願ったといいます。恐らく「ホッケン」は「福建」の意味でしょう。私はこの辺りで、いつもの(?)仏教寺院見学の閾値を超えてしまっていた*13ので須賀、さっき見た金ピカの新加坡佛牙寺龍華院とは違う、落ち着いた趣を感じました。ただまぁ、それよりやはりこの町の歴史を感じさせるのは、シアン・ホッケン寺院の両隣に、同時期に南インドムスリムが建てた宗教施設が並んでいることではないでしょうか。
*14

摩天楼とリゾートエリア

あれっ?マリーナ・ベイ・サンズに…

午後3時を過ぎました。ここまでチャイナタウンの駅から、あちこち寄り道しながら東の方角へと歩いてきました。移動という意味では回り道をしましたが、都心部もそう遠くはありません。イスラーム、インド、中国とエスニックタウンを歩き回ってきた私達も、ここでついに楽しんごが行っていたような「摩天楼のシンガポール」にお目見えが許されることになったようです。


海に向かって歩こう。そう決めた途端に、それを待っていたかのように、高くて近代的なビル群が眼前に現れます。海沿いのプロムナードをワン・フラトンの方に歩いて行くと、マリーナ・ベイ・サンズも見えてきました。


何が撮りたい写真か、お分かりいただけるでしょうか?(笑) あまりそちらにピントを合わせ過ぎると、ここがどこだかがよく分からなくなってしまうのですwww

衝撃の「マーライオン・ホテル」

それはさておき。このプロムナードを直進すると、ある公園に突き当ります。それは言わば、と言うよりは真正面からこの都市国家のシンボルであるところのマーライオンを擁する「マーライオン・パーク」です。

高層ビルの影が海面で揺れる北側の景色を眺めながら、ちょっくらマーライオンでもからかってやろうと、そちらの方角に向け歩みを進めます。
…しかし、当のご本人がなかなか見当たりません。それこそ上半身がライオン、下半身が魚の格好をした高さ8メートルの怪物がハイエクしている水を吐き出しているわけで、そんな奇怪な輩が見つからないわけがありませんし、驚いた観光客たちがその周りを唖然として取り囲んでいるでしょうから、それに気付かないというのも変な話です。一体どうなっているんだ。2人でちょっと焦って探すこと数分。この辺りとしか考えられないのではないか、という場所に、こんなものがあったのでした。

マーライオン・ホテル」。
私&災氏「ハァッ???」
写真右奥の解説によると、こうです。

日本人アーティスト西野達氏(1960年名古屋市生まれ。現在、ベルリンと東京を拠点に活動)は、芸術活動を通し、それを見る人にふつうとは異なりしばしば衝撃的な経験をもたらすことを試みます。西野氏のSB2001のプロジェクトであるマーライオン・ホテルは、シンガポールには欠かせないランドマークであるマーライオンを取り囲んで一時的な豪華ホテルの部屋を作り、訪れた人々に世界的に有名なこのシンボルをユニークな視点でとらえさせます。西野氏は、わたしたちをこの彫刻に接近させることにより、ホテルの一室でくつろぎながらシンガポールのシンボルを見ることができるという不思議な体験を可能にします。また、日中、人々はこの「マーライオンホテル」を訪れることができますが*15、夜は、その日の宿泊者が泊ることになります。西野氏の平等主義に基づくこのプロジェクトは、パブリックとプライベートな空間の垣根をなくし、ふだん頭上に高くそびえるシンガポールのシンボルを視線が合う距離で見ることを可能にしてくれます。

5月15日までだそうです。

「公の私化」か「ガイドブックの確認」か

読み終えた瞬間、私は怒りの感覚に襲われました。公に開放された観光シンボルとして造られたものを囲い込んで隠し、お金を払った人間の私的な鑑賞に供することに、抜きがたい反感を覚えたのでした。そりゃあ並べば順番に見られるわけで、「見せてあげない」と言っているわけでもないので須賀、「パブリックとプライベートな空間の垣根をなく」す試みとしてではなく、そこに公の私物化の発想があると見て取った私は、この「衝撃的な経験」に反感を募らせます。
いや、ちょまれよちょっと待てよ。もしかしたら、今云々理屈を付けて怒っている自分は「そこにあるはずの風景」を確認したかっただけなんじゃないのか。ガイドブックにある通りのマーライオンを見られるという期待を裏切られる「衝撃的な経験」をしただけなんじゃないのか。そんな考えが浮かぶと、この「衝撃的な経験」をどう評価すべきか、即断しにくいような気もしてきます。
しかしまあ、海辺に浮いたように設置された赤い立体を傍から眺めていても仕方ありません。中を見てから考えればいい。時刻は午後4時。行列の最後尾に加わることに災氏はリラクタントな素振りでしたが、「せっかくなんだから見てみようよ」と誘い込んだのでした。
並ぶこと20分。ようやく自分たちの番が回ってきました。取って付けたような階段を上って部屋に入ると、確かにそこには見るも滑稽な有様で、マーライオンと思しき像が鎮座していました。

ただ、屋外でハイエクしている水を吐き出しているそれを見たことがない以上、私の見た実物のマーライオンというのはこの姿であって、それを滑稽だと言うことこそ滑稽さを孕んでいるという言い方もあり得るのかもしれませんが、ちゃんと口の中に放水口を持つモニュメントが、凡そその能力を発揮することを望まれないだろうベッドを向いているというのはやはり滑稽です。どうせならシャワールームに置けばいいのに(この部屋の隣に付いていました)と思い、出るときに係員にニヤニヤしながら「なんでシャワーにしないの?」と尋ねたので須賀、彼は迷惑そうな顔をしてちゃんと答えてはくれませんでした。
さて、じゃあこれをどう考えるのかというと率直に言って難しいところで、このイベントの意味性が「公の私化」にあるとしても、その転倒に面白みがあると言えばその通りだとも思うので須賀、まあ結局はこうなってしまうわけです。

本家の近くに作られた「小マーライオン」です。一応と言っては失礼で須賀、ハイエクして水も吐き出しています。
もうマーライオンの話はいいですかね?(笑)

元祖シンガポール・スリングを堪能


今度はエクスプラネード橋を渡って北を目指します。

あれはドリアンでしょうか? いいえ、「エクスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ」なる文化施設だそうです。

いわゆる駅地下を抜けて、ラッフルズ・ホテルにお邪魔します。早速中庭に潜入すると、こんな感じになっています。


「こういうところで飲みたいよなあ」とえせビジネスマン・災氏。しかし彼でなくても、お酒が好きな人はそう感じるのではないかと思うほど雰囲気のいい場所ではあります。で須賀、今回のお目当てはここではありません。もちろん、底値が1350ドルという宿代を支払って宿泊するわけでもありません。じゃあ何か。それは、このホテルの2階にあるこのお店です。

このロング・バーは、シンガポール・スリングの発祥の地として知られています。まぁ日ごろそんな甘いカクテルは飲まないので須賀、発祥の地とまで言われると、行って飲んでみたくなるものです。

名前の由来となった長い木のテーブル…の横の丸テーブルに陣取り、早速シンガポール・スリングを注文。

あ、捨てていいのねw

写真に残念なものが写り込んでしまっていま須賀、気を取り直して頂いてみると、非常に甘くて美味。まあ29.45ドルとか払ってますからねww ちなみに、カクテルは各テーブル*16に置かれている殻つきのナッツと一緒に頂いたんで須賀、これを捨てるような場所が見当たらないんですね。どうしたものかと思って見まわしていたら、椅子の下を中心に、店内の床にナッツの殻が散乱していることに気付きました*17。なら遠慮なくやらせていただこうと、ヒマワリの種を食べるハムスターの如く、ポイポイやらせていただきました。
そんなことをやっていると、隣のテーブルにどこかで見覚えのある女性3人組が。どこにいたっけと思ってぼんやり眺めていると、韓国語でペラペラしゃべり始めました。ああ、あの人たちですね。彼女らも同じようにシンガポール・スリングを注文しているあたり、観光客というのは考えることは大体同じなんですね。

セントーサ島

この店で酔っぱらうまで飲むことは経済的理由から好ましくないとの判断から、1杯飲んで店を後にします。次に目指すのはカジノ。近頃友人間で話題の災氏の成金趣味が全開です(笑) ハーバーフロント駅でMRTからモノレールに乗り換え1駅。

車窓からこんな景色を眺めながら、シンガポール屈指のリゾート島・セントーサ島に入ります。


何と申しましょうか、その土地柄とか歴史的経緯というものから切り離された(ことを意図した)空間ですね。目隠しをされてここまで連れて来られて、ここが香港だと言われてもドバイだと言われてもラスベガスだと言われても、恐らく納得してしまうような気がします。

カジノを前にまさかの…


それはいいとして、地下にあるカジノに向かいましょう。

入口でパスポートを提示して中に入ります。さあ、中でちょっとからかってやろう。パスポートを取り出して入口の係員の方に歩きだそうとすると、災氏はこう言いました。
災氏「やべえ、パスポート忘れた」
私「えっ、てかなんで持ち歩いてないの?」
災氏「いやあ、ホテルに置いてきたんだ」
災氏がダメもとで係員に事情を説明するも、もちろん入れてもらえません。
ここまでの旅程は、大まかに言うと私が組んだスケジュールが基本になっていて、私が行ってみたかった場所は全て組み込ませてもらっていました。それに、明日の予定に関しても、災氏も快諾してくれたとは言え、私の趣味にほぼ1日費やすような段取りになっています。もうすぐ6時半です。直行したわけではないのでわかりませんが、ホテルまでは片道1時間くらいあれば十分戻れるのではないでしょうか。
私「何度も来られる場所ではないんだし、興味があるなら取りに戻ってもいいんじゃない? 逆にもったいないよ」
災氏「いやいや、そこまではいいよ。ちょっと遊んできなよ」
私「そもそも君の負けっぷりをからかいにやってるとこを見に来たんだけど(笑) じゃあ30分だけ見てこようかな」
こうして、入口に7時に待ち合わせることにしたのでした。
入ってみると、中は意外に静かでした…と言っても、今考えればその比較の対象がパチンコ屋であったことはほぼ明らかですのでご参考にはならないかもしれません。せっかくだからちょっと遊んでみようかとも思ったので須賀、ちょっと眺めているだけではその使い方も分からず、結局持て余して20分ほどで出てきてしまいました。
災氏と合流して外に出てみると、日も落ちかけています。

ユニバーサル・スタジオ・シンガポールの入口を一瞥だけして、モノレール駅へと向かいます。島を出る人で駅は混雑しており、ホームは入場制限。乗るまでに3〜4本見送りました。

チリクラブとシンハービール


夕食のために舞い戻ったのは、ここチャイナタウンです。夜もその賑やかさは失せません。

これは何屋さんなのでしょうか(笑)
大通りに面した店に入ったのは午後8時。タイガービールとシンハービールを飲み比べながら、お目当てのチリクラブを待ちます。ちなみにタイガービールよりシンハービールの方がおいしいという点で2人の意見は一致。そしてこの店では、ホールスタッフがビールの種類によって違う*18ようで、災氏は「シンハービールのお姉さんの方が美人だ」とのたまっていました。


で、チリクラブ(奥)です。これはもちろん殻をむいて食べるわけで須賀、チリソースがとても辛ウマで、むく手間は十分取り返せた印象です。カニ味噌をチリソースに付けて食べるなんて贅沢ですねえ。余ったソースは調子に乗って、チャーハンに絡めたりして頂きました。これは後に当然の結末を招きます。
こうして食えや飲めやをやって、お代は2人で75ドル。決して安くはないで須賀、まあこんなもんでしょう。

そしてさらにビールww

帰りに災氏が急に「足のマッサージを受けたい」と言い出し、何軒か回ったけど入れなかったなんてこともありましたが、10時半前にホテルに帰着。朝ドリアンを食べた果物屋も、夜の方が何だか雰囲気がありますね。

…とまあ、いつもならこの辺で終わって然るべきなので生姜、私がこの世で最も嫌いなものの一つが中途半端に酔っぱらうことです。ということで、コンビニにあったビールをざっくり買いそろえ、ポーカーをしながら飲み比べるという遊びを半ば強引に始めたのでした。

これで36ドルでした。
飲んだ順に感想を言うと、
アムステルダム(オランダ、11.6%) 非常にコクがあり、文句無しで一番美味い。
レダ(マレーシア、5%) 味に重さがある。
レオ(タイ、5%) のど越しがいい。麦らしい味わいが出ている。
アンコール(シンガポール、4.5%) ブレダよりも味に重さ。
ラッフルズ(シンガポール、4.5%) のど越し重視。
ABC(シンガポール、7%) コーヒーのようなコク。
…といったところなんで須賀、1日中歩き回っていた2人はなんだかんだでお疲れのようで、災氏はレオのあたりで、私はアンコールで寝てしまいましたとさ。時間的には午前1時半ごろだったようです。

*1:ランブータンと言うそうです

*2:シンガポールドルです。大体1ドル=70円くらいです。後述します。また、この旅行記では特別な断りがない限りシンガポールドルを「ドル」と表記します

*3:中国語話者との会話は災氏の話をもとに再現しています。以下同じです

*4:ドリアンを割る店員

*5:中国はワースト8位

*6:水滴スマソ

*7:ハジャ・ファティマ・モスク

*8:同じく道中のマラバー・モスク

*9:おいしい

*10:台湾がそうでしたね

*11:かつてこの周辺の路地を、牛車を引きながら水をまいて掃除したことにちなむんだとか

*12:2枚目の写真の建物

*13:韓国・慶州では、世界遺産を前に値を超えてしまったこともありましたw

*14:写真はナゴール・ダルガー寺院

*15:原文ママ

*16:笑いどころです

*17:写真の長テーブルの下あたりに溜まっているのは分かりますか?

*18:各ビール専属の店員さんがいる