かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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あこがれの北朝鮮ツアー最終日・帰国

日本に「帰って来てしまいました」(久米宏風w)。旅行中のことについては可及的速やかに書いていければと思っています…
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これを書いてからもうすぐ一ヶ月なんですねorz ここまでお付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございます!! あと一日(実質半日)、頑張りますよ〜
 
 
【目次】

 
 

さよなら北朝鮮

北朝鮮の中心でマンセーを叫ぶ

起床は4時。そして意外とてきぱき準備をして、4時20分頃には部屋を出られる態勢が整いました。今日の集合はなんと4時半*1だったので、そろそろ部屋を出ねばなりません。3泊4日の旅のベースキャンプとなったホテルのこの部屋ともこれでお別れです。そう思って少しだけ感傷的になりながら忘れ物の確認*2をしていた時、友人がいきなりこんなことを言い出しました。
友人「最後に窓から『マンセー』って叫ぼうよ」
私「(ry」
周りに迷惑とか以前に日本に帰れなくなっちゃうんじゃないかと思ったのでちょっと躊躇しましたが、せっかくなのでやることに。
友人・私「せーの…」
友人・私マンセー!!」
もちろん手加減してやったんですけどかなり響いてましたねwww こうして私達は、一種の満足感を胸に部屋を離れたのでしたw

「リアル」でなかった北朝鮮

いつもの一階ロビーに集合した後はそそくさとバスに乗り込み、一路順安空港へと向かいました。なんかこういうシーンって窓の外を眺めながらそこへ行った思い出とかを語るのが定石なんでしょうけど、4時半過ぎで外は真っ暗でしたからねwww あえてそれができるとしたらホテルのロビー近くのビアホールとおみやげ物屋さん*3でしょうか。まぁそんなわけで車中での具体的な回想はしませんでしたが、何か「北朝鮮に来たんだなぁ」という実感を腹の底から感じることなしにこの時を迎えてしまったのかもしれない、とは思いましたね。それは前述の通り、私が平壌に対して「地上の『楽園』・キムニーランド」的な印象を受けていたからでもあるでしょう。でもやはり、北朝鮮にいるのに北朝鮮にいるような気があまりしない、という感触を終始心のどこかに持っていたのはマスメディアの影響も大きい気がするのです。
日本では言うまでもなく、北朝鮮なんてめったなことで行ける場所ではない、という認識が大勢を占めています。というよりむしろ、特別な理由がない日本人が入国できるはずがない、と思っている人も相当数いるんじゃないかと思います*4。その一方で、様々な媒体を通じて「北朝鮮」という言葉はばら撒かれ、そこには「常軌を逸したならず者&へんてこ国家」というイメージがついて回っている。そのような空間では、北朝鮮というのはテレビを通じて見る対象、つまり一種のテレビショー*5の一幕であって、行って実際に体感するものではない*6という意識が広がるのも無理はありません。この不均衡こそが私の問題意識の根源にあるんでしょうし、私が体験記(旅行記)をここに書く理由でもあるのでしょうが、またその不均衡ゆえに私は、「今自分は北朝鮮にいる」という事実を完全には消化できなかったのだと思います。
もちろんそれはマスメディアだけの影響ではなく、近年(と言っても結構スパンは長いで須賀)のバーチャル的なものの流布の影響、そして何よりも私自身の感受性というか、肌から感じるべきものへの鈍さ*7、などがあってのことなのでしょう。どれも間違ってはいないと思いま須賀、いずれにせよ、その名の通りメディアを媒介としてしかあり得なかった私と北朝鮮との関係が大きく変化(≒崩壊)したことに順応(≒新しい関係を構築)する前に4日が過ぎてしまった、ということなのだろうと思っています。そう捉える際の「関係変化の大きさ」に北朝鮮をただ見るものにしてきた、そして今更付け加えるなら*8北朝鮮イメージと私が北朝鮮で見てきたものとの乖離を生んだ「マスメディアの報道」、それに対する「適応度」に私を取り巻く環境の「バーチャル化」であり私の「感受性の鈍さ」というファクターが影響している、と理解すれば一応最低限の話の筋は通ると思うので須賀みなさんいかがでしょうwww
…なんかグダグダ書き連ねましたが、要は北朝鮮にいるということをここまでの時点ではリアルに感じられなかった、ってことです*9。ここでもまた最後っぽい話を聞かされて(うんざりまではいかないですけど…)、遂に空港に到着です。

順安空港に朝は来ない!?

午前五時、平壌順安空港…もちろん真っ暗でしたwww つまり遂に昼間の空港、っていうか空港の全貌を生ではっきりと見ずに北朝鮮を離れることになるんですね orz
空港では出国カードを書いて、探知機ゲートをくぐって*10、と普通の国際空港と特に変わらない手続きで内部へと進んでいきました。唯一違ったのは発着案内の数が圧倒的に少なかったことですかねw でもこの日は行き先になんと「仁川」*11がありました。仁川とかあからさまに定期便じゃないですよねw 昨日アリラン祭に来た韓国の人たちがそれに乗って帰るのでしょうか。

「後で会いましょう」―ガイドさんたちの別れ

時間の都合もあってか一行はスタスタと空港を歩き、気がつけば出国ゲートの前に。そうです、ここで北朝鮮ガイドの皆さんとはお別れなのです。それに気づいた私は今更ながら哀惜の念にかられ…ているヒマはありませんでした。最後の記念撮影があちこちで始まったかと思えば、もうゲートをくぐらんとする人もいるではありませんか。なので彼らと十分な別れができたかと言われるとちょっと弱いんで須賀、以下にAさん、Bさん、Fさんとの別れのシーンについて無機質に列挙*12してみますね*13
Aさん…最後の握手の前に、友人がせがんでいた「人民ウォン」のお札を一枚ずつくれました。二人とも5000ウォン札*14でした。ヤフーオークションとかにかければある程度の値段にはなるのかもしれません*15が、さすがにそんなことはしません(もう顔のとこ折り曲げて遊んじゃったしw)。財布の札入れに鎮座していますよwww
Bさん…最後の握手の時に「今度Bさんの家に飲みに行きますw」と言ったら「いいですよ、まだ歌も歌ってもらってないですしw」と快諾されました。この女バスの中のことをやたら根に持(ry
Fさん…一緒に写真を撮ってもらったんで須賀、自分だけなぜか半目でしたorz あと最後の握手の時の「後で会いましょう」という彼のセリフが、今となっては一番印象に残っていますね。もともと三人の中で日本語に一番慣れていない彼らしい言葉、ではありますけど、「後で」っていつなんだろう、というよりその時が本当に来るのか、と思わずにはいられませんでした。こう言ったら失礼ですけど、こういう時に稚拙な言葉が出てくると感慨も3割増しですね…

パ、パスポートに…

こうしてガイドさんたちとの別れをすませ出国のゲートをくぐった2〜3分後、私はある重大な事実に気がつきました。
パスポートに出国のハンコが裏写りして(ry
…といってもそれがどういう意味なのかは少し説明が必要なので、まずそもそも話からさせてください。海外に行ったことのある方はわかると思うんで須賀、出国&入国審査が済むとパスポートの「査証」欄にハンコを押されます。それでもっていつ何空港を発った(に着いた)かがわかるようになっているんで須賀、北朝鮮入国の時だけはそれを押されなかったんですね。北朝鮮に入国する全ての外国人がそうだということではないのでしょうが、どうやら「今後の旅行に差支えがないように」という「人道的(?)配慮」*16がなされるらしく、本来ならパスポートの中ほどに押されるべき北朝鮮出国のハンコは、航空券のミシン目の上に押されたのでした。
そんなわけで今回の旅行に関しては成田出国→瀋陽入国→瀋陽出国→瀋陽入国→瀋陽出国→成田入国、という完璧な(藁)隠蔽工作がなされる、ハズだったんで須賀… 航空券をパスポートにはさんで渡されたのをいいことに(?)、そのまま放置するばかりか、パスポートごとギュッと押さえつけてしまったのです。そして飛行機に乗る番になって開いてみると裏写りキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!! 見事に裏写ってましたwww しかも名前とか写真のあるページの向かいのページ*17とかもうぬるぽ。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」って書いてある上に「平壌出国」のハンコですからねw さすがにそのページはありえません。あーあ、もうこのパスで韓国行けないなwww ちなみに北朝鮮マニアには、そのハンコを意図的に裏写りさせる*18人もいるんだとか。いやはや

プロペラ機から朝焼け

悲嘆にくれている暇もなく、私達は飛行機に乗り込みました。ってプロペラですか。生まれて初めてのプロペラ機(しかもフランスには入れない高麗航空の)を前に戦々恐々していると、ツアー客の一人がこんなことを。
ツアー客「プロペラはうるさいし揺れるよ〜」
私「(ry」
そんなことを言われたもんだから結構ガクブルだったんで須賀、特にうるさいとも怖いとも思いませんでしたね。なので結構リラックスして離陸のシーンを見届け、中国の入国カードを書き、機内で朝食のハンバーガーを食べ、性懲りもなく朝鮮ビール*19を飲み…と機内をエンジョイしていると、突然眠気が。昨晩3時間弱しか寝てないしちょっと寝ておくか、ということで窓の外ではリンゴ売り〜♪の暗闇を一瞥した後ゆっくりと目を閉じました。
ふと目が覚めたとき、機内はすでに明るんでいました。少し眠っているうちに日の出を迎えたようです。せっかくだから空から朝日を拝んでやろうと窓の外を見ると、それはそれは美しい朝焼けが眼下に広がっていました。朝光鮮麗―朝の光の美しい地。昔中国の人が言ったその言葉が「朝鮮」という国名の由来だといわれていま須賀、まさにその名の通り、美しい朝の光を見ることができました。そして私はここにきて初めて、自分は今さっきまで北朝鮮にいたんだということを実感できたのでした…
とここで終わればウツクシイですよね?www でもまだ終わりませんから残念。

「帰ってきてしまいました」

瀋陽空港の人々

程なく飛行機は瀋陽空港に到着。中国への入国手続きを済ませてゲートを出ると…
男たち「タイシー」
私「大使?」
男たち「(ハンドルを切る仕草で)タキシー」
私「ああ、タクシー? いいです」
男達はそそくさと去っていきました。まぁ商売ですから当然なんでしょうけど。
お次は出国手続きです。なんとも慌ただしい感じで残念と言えば残念で須賀、トランジットなので仕方ありません。空港の外の景色をちらりと見て、出国手続きの列に加わりました。
…ってオレ並んでるんだけど!?(怒)
結構ごちゃごちゃしてたのもあるんでしょうけど、列に並んでいるハズの私は周りの現地の人たちにどんどん抜かされていきました。しかも何回か跳ね飛ばされそうになったし。この無礼者が!!と激昂して、荷物預け入れの列の前でさっき突っ掛かってきた家族をあからさまに跳ね飛ばしてみたんですけど、別段リアクションがないんですね。特に何事もなかったかのような顔をしているんです。
でもそれは私のタックルが精彩を欠いたから、ではきっとなくて、彼ら家族が「整然と列に並ぶ」なり「他人との身体的接触を忌避する」という規範を私ほど強く持っていなかった、ということに起因するんだと思います。私は「国民性」「県民性」といった議論はあまり好きではないので須賀、ここでの"私―家族"の関係で言えたことが"日本人―中国人"の関係にも通用する傾向があるのではないか、と出国の一連の様子を見ていて感じましたし、エロい人*20も同意してくれました。「異文化との相互承認」とか「多文化主義」とかはよく聞かれる言葉ですし、私自身も実際によく言うんで須賀、それがそう簡単なことではないというのが身に沁みましたね〜 ただ、多くの人が実際にその類の体験をしてそれについて率直に話していくしか、それを実現する方法はない気がします。まぁオマケでいい経験ができたと思います。友人は半ギレの私を見て「カルチャーショックだね」と笑っていましたがw

免税店の書店コーナー

そんな刺激的な(?)出国手続きを終えてゲートの中に入ると、当然ながら行きにも見た免税店が並んでいました。成田ほどではありませんがブランドものの店も多くて、順安空港との落差はあった気がします。そこの書店コーナーで見つけたもの…

  • 『我的生活』

横っちょに"my life"*21って書いてありました。いや「生活」はないだろw

  • 童話の本(題名は見てないです)

なんかもえたんのイラストみたいな絵がいっぱいだったので見てみたら童話でした。萌え系のノベルズだったら買ってましたねw それはなかったにしても、瀋陽で売られている本のイラストにまで影響を与える日本のアニメの力を思い知らされた一瞬でもあったことよ。

北朝鮮旅行の「オチ」―ガイドさんの秘密

そうやってふらついていると、ツアー客のお一人が軽食コーナーでビールを飲んでいるのを発見。目が合ったのをいいことに混ぜてもらうことにしましたww そこで久しぶりに朝鮮ビール以外のビールを飲んだんで須賀やっぱりハイネッケンは違いますね〜 飲み応えがあります。
…ただ、これだけじゃなかったんですね。ここで聞いた話の内容は、ちびちびとビールをたしなむ私達*22を大いに驚かせるものでした。
私が旅行中にあちこちでメモを取っている*23ことは結構有名な話だったんで須賀、「書くなよw」*24と牽制球を投げた上で、彼はこんなことを言い出したのです。
男性*25「ガイドのAさんいたでしょ。あの人在日だったらしいんだ」
私達「え?」
男性「戦後の一時期日本は本当に貧しくて、在日の人たちも露骨に差別を受けていたんだ。それで『もう日本では生きていけない』と思ったAさんとその兄弟は、帰国事業で北朝鮮に渡ったんだそうだよ。」
私達「(ry」
男性「4人で渡ったんだけど、末っ子のAさんは一番一生懸命に体制に尽くしたらしい。だから今、兄弟の中で彼だけが平壌に住んでいる」
私達「かっこあーるわい」
…確かにそうですよね。彼は3人のガイドの中で群を抜いて日本語がうまかった*26ですし、言い回しや使う言葉も古かった*27です。しかし驚きでしたね。貧しい時期の日本から北朝鮮に渡り、その北朝鮮は現在苦境にある… 確かに「運が悪い」という考え方もできるでしょう。そして彼自身もそう思ったことがない、ということはないと思います。その決して外には出せないだろう思いを、そして自分を差別した国の人間を今案内しているということを、っていうか日本という国を、彼が腹の底でどう整理しているのか、考えれば考えるほど気になります。
それよりも何よりも、私達がのうのうと観光しているうちにそんなことを聞き出してしまう彼のテクニック*28には感服ですね。身につけたいです。ちなみに彼は、平壌外国語大学卒のBさんにも曽我ひとみさんの娘について色々詮索していたようです。いやはや恐るべし。

最後の危機は入国審査!?

一段落したら再び飛行機に乗り込みます。中国南方航空瀋陽発成田行き。まぁこの機内でも機内食に気づかないほどの熟睡ぶりだったんで須賀、ふと目を覚ました時に見えた富士山がとても印象的でした。何だかよくわからないけど、帰ってきてしまったんですね。やっぱりちょっと呆気なかったです。
飛行機を降りると当然ながら入国審査&税関です。こう何度もやれ入国審査だ税関だってのも面倒なもので須賀、「審査官に日本語が通じる」ということがなぜかうれしく、半ば嬉々として手続きに向かったのを憶えています。ところが…
税関審査官「どこに行っていたの?」
前の人*29「えっと…瀋陽です」
税関審査官「目的は?」
前の人「観光です」
私「(ry」
審査官はもちろん分かっていたでしょう、瀋陽ではトランジットをしただけであり、4日間入国のハンコを押せない事情のあるどこかの国に行っていたということを。そして、それが北朝鮮であることを。知ってて聞くとか趣味の悪い男ですw そして私の番。
税関審査官「どこに行っていたの?」
私「前の人と同じツアーで瀋陽に行っていました」
…「北朝鮮です」って言ってやりたかったんですけど、さすがにやめておきました*30
こうして私は、無事日本帰国を果たしたわけでありますwww

そしてお別れ

審査が済むと荷物受取所で荷物を受け取り、ツアーの添乗員さんとも別れて外に出ました。んでCさんのインタビューに答えることに。答えるにあたって心配事もいくつかあったんで須賀、ツアー添乗員さんにも話を通してあることや、「北朝鮮、って言うと変なことばかりじゃないと面白くないって言われるけど、私は『意外と普通なところもある』という切り口でも逆にいいんじゃないかと思う」という彼女の言葉を聞いて安心して、インタビューに応じることにしました。なんと答えたか…は放映される(あるいはもう流れた)可能性もあるのでここには書きません。けどこれ読んだ方がそのインタビュー映像を見たら多分分かるでしょうねw ちなみに流れたら連絡がいくハズなのに音沙汰もないってことはお蔵入りの悪寒orz まぁいいけど。
友人まで答え終わったらCさんとも別れ、二人で大学に向かうべく駅へ歩いていきました。そして駅から京成線などを乗り継いでついに大学に。その過程でツアーの人と会い、少し話して別れる…ということを何回か繰り返しましたが、実はこの人たちとも二度と会わないかもしれないんですよね。日頃結構農耕民的で安定的な、出会いと別れの比較的少ない生活を送っている自分にとって、それはなかなかに新鮮な感覚だったような気がします。旅を通じて出会った人とのつながりを長く保つ、という考え方ももちろんありますけど、一期一会的な、悪く言えば「旅の恥はかき捨て」というような感覚もあり得るのかな、ともこの別れを通じて感じました。
そして最後の最後に大学の敷地内で、この旅行で一番お世話になった友人ともお別れ*31です。旅行中の礼の後にどちらからともなく「じゃあね」と言ったとき、私の「北朝鮮旅行」は終わった気がしました。
講堂ではもう講義が始まっている時間です。途中入室でキャリーバッグを引きずって入ったら音が響くかな?と心配しながら私は、10月ながらまだ初秋といった雰囲気のキャンパスを歩いたのでした…
(糸冬)

偉そうにあとがき

えっと、皆さんいかがでしたでしょうか? 長すぎるってのは言いっこなしですww 書いた私としては、確かに骨は折れたけど書くことで北朝鮮をもう一度体験できた気がしますし、こういう形で振り返ったからこそ思い至った事柄も多かったように思います。あと時系列で文章を書くという行為が、ともすれば単調になりがちで大変なことなんだということも身に沁みましたね。
愚痴はいいとして、この期に及んでいいたいことが二つあります。まず一つは、マスコミが流す「北朝鮮」も(多くの場合)北朝鮮に違いないが、私が見てきて、ここに書いた「北朝鮮」も北朝鮮なんだということです。生姜先生が言う通り、テレビ報道をはじめとしたここ数年の北朝鮮をめぐる言説空間においては、一種のファッショのごとく一面的かつ誇張的な声があふれています。そこにどんなに小さくてもいいから風穴を開けたい。そしてそのような報道に対する相対化の営みの中で、私達にとっての「普通」――この「我々=普通」、「北朝鮮=異常」という図式*32が、前述の一面的な北朝鮮報道を支えてもいるのです――とは一体何なのかということをも考え直してみたい。そんな思いで書いた、ということです。
そして二つ目は、この北朝鮮旅行で直接的なり間接的にお世話になったみなさん、そして毎日すさまじい(藁)ペースで更新されるこの旅行記を読んでくださったみなさん、ありがとうございました。こんな長ったらしい文章を最後まで読んでくださる方がどれだけいるのか非常に気になるところで須賀、そのような奇特な方がいらっしゃるのであればその方には特に御礼を申し上げて、ひとまず筆を置きたいと思います。ばいばい、ちゅっ(キモス)
2005年11月21日未明*33、自宅自室にて。

*1:6時平壌発の便だったので

*2:そう簡単に取りに来れませんからねww

*3:イタイですねw

*4:それ自体がマスメディアの生み出した誤ったイメージでもありますよね、実際北朝鮮には何の縁もゆかりもない私が行けちゃったわけですから

*5:もっと悪意をこめて言えば「テレビの飯の種」

*6:ただ都合の悪いことは外にも内にも見せないという北朝鮮自身の情報戦略が、北朝鮮を「見せ物化」しているという側面ももちろんあるでしょう

*7:それを身の回りにあふれるバーチャルな物たちのせいにしてしまったら負けだと思っている。

*8:これ文脈的に入れにくかったのよw

*9:なんと素晴らしい要約

*10:行きのような問答無用のボディーチェックはなかったですよw

*11:そもそもここの国にとっては忌まわしい地名ですよねw

*12:これ書いてるのがこの日のちょうど一ヵ月後とかなので(爆)前後関係を憶えていないからであります

*13:ちなみに「最後の握手」はガイドさんたちがゲートの前に並んで一人ひとり…という形式でした

*14:表には若き金日成、裏には万景台の生家が描かれています。それが誰の生家だったかパッと思いつかない方は復習が足りませんよwww

*15:通貨としての価値は(ry

*16:誰かが言ってたなwww

*17:この2ページの見開きが一番よく使われますよねorz

*18:もちろん中の方なんでしょうが…

*19:冷たいと炭酸も軽めでおいしいんで須賀、ぬるいとパンの味がしますorz

*20:「チェ」って人です

*21:言わずと知れたクリントン前大統領の自伝ですね

*22:友人も酒のにおいを嗅ぎつけて(藁)途中から一緒でした

*23:この旅行記のためです

*24:ヲレは新聞記者かw まぁ書くわけだが

*25:取材源は秘匿ですからw

*26:韓国朝鮮語母語とする人の日本語にはそれ特有のイントネーションみたいなものがある(北川和美さんにもなぜかあった)んで須賀、それすら感じられなかったのです

*27:東屋、とか…

*28:どういうアプローチであのAさんにそこまでしゃべらせたかも教えてもらいましたが、それはちょっとデリケートな部分に踏み込んでしまうので伏せておきます

*29:同じツアーです

*30:笑わば笑え

*31:彼とは二度と会えないとかじゃないですけどww

*32:生姜先生やそれに近い考えをする人たちが「売国奴」や「北朝鮮のスパイ」と誹られるのも、この二分法的図式があるからなのでしょう

*33:アッアー