かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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竹島・韓国一人旅五日目 独島博物館とムクホ港への生還

【目次】

 
 

独島博物館とチュクトなど

おばあさんとの別れ?

この日は8時に起き、9時に宿を出ます。おばあさんには、またあれこれ世話を焼いてもらいました。別れ際に、彼女が忘れたというひらがなとカタカナをあいうえお表にしてプレゼントしようかとも思っていたので須賀、昨日酒を飲んだせいで作業する時間がありませんでした。自然に考えれば、私が今日、この島を去れば彼女とまた会うことは難しいでしょう。おばあさんもそのことを悟っているのでしょうか。お互いに「お元気で」と言葉を交わして別れました。

竹の島、チュクト

いつもの食堂で朝食後、夫婦と3人でチュクト(竹島)に渡ります。前日に言った通り、この島は日本で「竹島」、韓国で「独島」と呼ばれているところの島とは別で、鬱陵島からほど近い場所に浮かんでいます。小さなフェリーに50人くらいで乗り合って、約15分。その名の通り竹の多い島でした。島では夫婦と行動を共にしたので須賀、それにしても「トレッキング」のお好きなご夫婦です。


ちょうど1時間半ぐらい島を歩きまわって、帰りのフェリーに乗り込みます。フェリーの中では、親子連れがカモメにお菓子をあげて遊んでいます。好天につられてか「ドクトヌンウリターン*1♪」と歌い始めるおばさんもいました。これはおとといの竹島では見られない光景だったのでちょっとびっくりしました。当然属人的問題もありま生姜、もし実際に竹島(彼らにとっては独島)に行った時ではないこのような場面でこの歌が飛び出すのだとすれば、あまり政治的な歌として受容されていないのかなという推論は出来ます。

昼食はいつもの食堂で薬草プルコギ。これもとても美味でございましたが、朝食の時間がやや遅かったこともあって結構満腹でした。
この食堂にもお世話になりました。初めは「日本の兄ちゃんが…」みたいな扱いだったので須賀、徐々に店員の女性陣とも慣れ、「おいしい?」などとしきりに話しかけてくれるようになりました。下手なりに一生懸命、韓国語を使おうとしていたおかげかもしれません。これが、鬱陵島での最後の食事でした。そしてここにもおばあさんが来ていた件wwww

毎日新聞wwwwww

改めて食堂の皆さんに礼を言って外に出ます。現在12時半。2時にケーブルカーに乗りに行くまでは自由行動です。実は鬱陵島で初めての自由時間でありまして、同行の夫婦やガイドさんはみんないい方なんで須賀、やっぱり単独行動が一番楽しいわけですw
手始めにフェリーのターミナルの方へ歩いて行きます。そこには、どうしても撮っておきたかったものがあったからです。それは…

ちょっwww毎日新聞wwww 見ての通りこれは竹島の写真で、下に韓国語で「わが領土独島と共に 毎日新聞」と書かれています。ちなみに日本の毎日新聞社の名誉のために言っておくと、韓国には上と同じ題字の「毎日新聞」という新聞が存在します。しかしまぁこれは撮るっきゃないでしょww
あとは、お土産を買おうとふらついていたときに発見したこれ。

韓国では「○○出身の○さん」というつながりが強固にあるというのは有名な話で須賀、この小さな島にもあるというのはすごいですね。ちなみに慶州金氏ってことは新羅の王族と同じですね。
お土産屋では前日の地図代わりに使った鬱陵島のハンカチ1枚と、竹島ハンカチ3枚を計11000ウォンで購入。こういうものに対しては金に糸目をつけませんw

港のベンチでキラーパス

さて、しばらく歩いたので一休みしようと、私は港の近くのベンチに腰掛けます。そしてなんとなく海の方を眺めていたら、近くにいたおばさんが何やら話しかけてきました。しかし、いきなり話しかけられたこともあってうまくリアクションできません。すると、やや不思議そうな顔のおばさんから、以下のように質問が浴びせられたのでした。
おばさん「韓国語わかんないの?」
カナリア「ええ」
おばさん「どこから来たの?」
カナリア「日本です」
おばさん「両親は韓国人?」
カナリア「いいえ、日本人ですよ」
おばさん「どこで韓国語を習ったの?」
カナリア「まぁ大学で」
おばさん「独島は韓国―?」
カナリア「?」
こういうのをキラーパスというんだと思いま須賀、肝心なところを聞き取れなかったわけです。しかも「独島は韓国のものですよね?」と予想通りに質問されていたとしても、私の韓国語でそうは思わないと論理立てて説明することはできません。やや窮した私は、とりあえず、意識的にか無意識にか「あなたの質問の内容も意図も分かりませんでした」という素振りをして見せていました。すると彼女もやや黙って、「じゃあね」と去って行ってしまいました。咄嗟のことで惜しいことをしましたかね。

独島展望台でまたトレッキングwww

そうこうしているうちに2時です。トドン港からちょっと上った場所から3人でケーブルカーに乗り込みます。ちなみにこの写真は下りですけどもw

ケーブルカーを降りて駅を出ると、散策用の遊歩道が広がっています。そうです、またしてもトレッキングですww さすがに夫の方は終盤お疲れの様子でしたが、トドン港を望むこんな景色を楽しむことができました。

そして来た道を戻って駅の売店へ。正直、自分たちの銀婚式の機会を使って、自然散策を楽しみに鬱陵島を訪れた、この優しそうな夫婦の眼前で竹島グッズ*2を買いあさるのは若干気が引けましたが、当然そんなことに気遣える私でもなければ、気遣おうとする私でもありません。3日間探し続けた獲物を見つけ、ここぞとばかりに襲い掛かるハイエナ*3のように、竹島Tシャツ3枚を計36000ウォンで購入しました。当然この行動は2人の目にとまり、「日本では買えないから」と私から差し出された3枚のTシャツの値段を知るや、口々に「それは高いよ」と顔をしかめたのでした。
そう言えばここには、同じような竹島ポロシャツを着た一団が大挙して訪れ、車いすなどハンディキャップのある人たちを連れて観光を楽しんでいました。恐らく彼らの目当ては売店近くの展望台。ここからは天気がいいと竹島を見ることができるそうで、それが韓国が竹島領有を主張する根拠のひとつなのだそうです。「ハンディキャップのある人に旅行の楽しみを!」というコンセプトには共感する部分もありま須賀、その対象が竹島というのもこちらとしては参ってしまいます。もちろんこの「独島」ずくめの一団を見て「韓国国民は『独島』に政治的意味を感じていない!」と主張するのはとてもじゃないけど無理で生姜、やはり「独島」を記号として消費している側面は大きいように感じましたね。ちなみにで須賀、この日は結構いい天気だったんですけど展望台から竹島を見ることはできませんでした。

あこがれの独島博物館

ケーブルカーを下ると、右手側にひときわ大きな博物館風の建物が見えてきます。そうです、私が変なおじさんですそれが独島博物館です。

詳しいことは独島博物館のサイトをご覧いただければと思うので須賀、ここは要するに竹島の韓国領有を主張する史料を集めた博物館なのです。内容的には古代の地図史料を引っ張ってきて、「ほらこの朝鮮半島の古地図に独島が書いてあるから韓国領でしょ」というようなものが中心で、私はそういうものでもって論争しても仕方がないと半ば思っているのでそれについて特には感想を持ちませんでした。逆に印象的だったのは、「独島義勇守備隊」なる人々の顕彰*4に結構なスペースが割かれていたことと、日本国内のどこに「竹島は日本領である」という垂れ幕だ看板だが出ているかについてまで展示されているということです。前者は靖国神社の論理と相似形をなすものとして理解することができると思うので須賀、問題(笑)は後者ですよねwww そこで挙がっているのも、日本の行政区分で竹島が所属する島根県内を中心に数か所から十数か所といった程度で、そもそも絶対に日本国内のその種の掲示を網羅しきれていないのが滑稽なので須賀、それにもまして笑えるのは、物理的に掲出された「竹島わが領土」が、果たして今日の竹島問題に関する日本世論の形成にどのくらい関与しているか、ということを考えたときのことです。オープン時とインターネットの普及状況が異なり、そもそもネット上の言説を一定形を持つものとして示すのは至難の業であるということを考慮しても、あまりにも滑稽すぎますww それにしてもこの執念ですよね。どうやって調べ、どの時点でいかなる理由を持って調査を終えたのかにもものすごく興味がありま須賀…。

えっ、私で4人分?

あともう一つ。この博物館の出入り口にはカウンターのようなものがあって、恐らくそのカウンターで入場者数を数えていると思われるので須賀、もしそうだとすれば、この博物館発表の入館者数はあてにならないかもしれませんね。なぜなら、私が一度見終えて館を出るときに「カチカチ」と2回音が鳴っていましたし、何だろうと思ってもう一回入口に近づくともう一度「カチ」。確かに2度近づくのは私が悪いで須賀、この調子だと音に気付かなかった1回目の入場でもカウントされていただろうことは容易に想像できるわけで、これで博物館への入場者を数えているとなると大いに心もとない心境です。ちなみにサイトにも出ていま須賀、2004年の入場者数は約11万5千人だそうです。

薬水をハイエクしています

一通り見学して外に出ると、夫婦の奥さんが外で待っていてくれました。それまでの「トレッキング」では常に一緒に歩いていた2人が、そう言えば博物館の中だけ別行動だったのは、日本人たる私への気遣いだったのでしょうか。出てきた私に気付いた2人は、近くにあった湧水を勧めてくれます。さぞかし冷たい水なんだろうと思い柄杓に口をつけると……

宇和何これwwww 生ぬるくて重い味の炭酸のような水で、飲んだ瞬間あまりのイメージとのギャップにのけぞってしまった*5ので須賀、笑いながら教えてくれた夫曰く、この水は鉄分を含んでいる「薬水」なんだそうです。せっかくなので柄杓の分は戴いておきました。

対馬もわが領土?

この一帯はちょっとした公園になっていて、その名も薬水にちなんで「トドン薬水公園」。何だかよく分からないイカだかタコだかのモニュメントがたくさんあってなんだか愉快な場所でしたが、これはちょっと笑えませんでした。

これは論外でしょう。確かに対馬というのは、複数の東アジアの前近代国家の中でマージナルな位置にあったようで、南北朝期には分裂した宗氏の一派が、朝鮮半島側に臣従の意思を示すようなこともあったそうで須賀、それでも対馬の長い歴史を考えれば、十分に汲むべき根拠ある適当な主張とは到底考えられません。正直この主張の妥当性について論じるつもりはもうないので須賀、一つ気になったのは、この対馬に対する韓国*6からの領有権論は、竹島に対する日本のそれとある意味において対称に近い形をなしているということです。
韓国において、大多数の人々が「独島は韓国領だ」と思っており、現実に竹島を実効支配しているのは韓国側です。その竹島の領有権を日本が主張するということは、韓国領だと考える韓国の人々にとって見れば「名実伴った自分たちの領土で、そもそも領有権問題なんか存在しないはずなのに、日本がいちゃもんをつけている」ということになる。実際、昔日本で話したことのある韓国の人が、韓国政府が竹島問題を国際司法裁判所に委ねない理由について、「自分の妻が自分の妻であることを証明するのに、どうして裁判が必要なのか」と述べていたのはその好例でしょう。逆に言えば、少なくとも私は、対馬は日本領だと思っていますし、現在対馬長崎県の一部です。その対馬が韓国領だとの主張に接した私は「信じられない言いがかりだ」と驚きを禁じ得ないわけです。
確かに「対馬韓国領説」は、さすがに韓国政府の公式見解ではないようで須賀、このお互いが相手(国ないしは一部の国民)の主張を「言いがかりだ」と感じてしまうような入れ子構造が、いかに歴史的に形成されてきたのかには興味があります。それを知るためには、「対馬韓国領説」の系譜をたどっていく必要があるでしょう。
あーあ、くどくどやっちゃったww

さよなら、鬱陵島

最後のドライブ

そうこうしているうちに待ち合わせの4時。キム氏が直々に私たち3人を出迎え、最後だからとドライブへ。キム氏は結構私たちをおどかすような運転*7をしながら山道を走り、景色のいいところを案内してくれました。3日もいるとこの景色のよさにも慣れてきて、深緑の山とまっすぐ伸びる水平線が見えるのが当たり前みたいな感覚にもなってくるので須賀、そんな贅沢を言っていられるこの島ともそろそろお別れです。

9月の別れ

怪しげなボートが漕ぎだすこんな光景を見たあと、キム氏のオフィスに戻ります。そこでお土産やら腹ごしらえのおにぎりやらをいただいて、まずは夫婦とお別れです。お互いに意外と(笑)高い言葉の壁を乗り越えて、一緒に鬱陵島を旅してくれた「韓国の両親」。「ありがとうございました、また会いましょう」「メールしますね」。そんなことを言い合いながら、港の方へと歩いて行く2人を見送りました。
そして次は自分の番です。私を心配してか、わざわざ日本から電話をくれた日本のツアー会社の担当者さんにお礼を言ったあと、腰かけていた客人用の白い椅子を立ちます。キム氏と「楽しかったです、ありがとうございました」とがっちり握手して、港へと向かいました。
それでも別れのシーンはまだ終わりません。フェリーに乗り込もうとターミナルに行くと、そこには別れたはずの夫婦の姿が。驚いた私が発した「帰らないんですか?」との問いにはろくに答えない代わりに*8、2人は私がフェリーに乗り込むまで、ずっと私を見送ってくれました。私は人格的にかなりドライな方だと思っていて、「知り合いは多いけど友達はいない」と揶揄されるのもそのせいだと固く信じているので須賀、そんな薄情な私が、このような人情あふれるシーンの、あろうことか当事者になってしまったのです。こういう時に陳腐な言葉しか見当たらないのは、シニフィアンシニフィエの関係が恣意的であるということをよく示していると思います。とにかくフェリーは、5時半に鬱陵島からもと来たムクホ港に向けて出航したのでした。

鬱陵島への後ろめたさ?

…こう言うと、なんだか感動の別れのように聞こえるかもしれませんし、それも一端の事実だとは思うので須賀、この一連の離別の中で、私が彼らに対してある種の後ろめたさを感じていたことも告白せねばなりません。いえ、鬱陵島が楽しかったとか、夫婦と一緒に旅できてよかったとか、さっきまで言葉や身振りで表現してきたその感情に偽りはありません。ただ、このツアーは大自然鬱陵島を実にきめ細かく案内することがウリで、同行した夫婦もそれを目当てに、銀婚という人生の節目を過ごす場所として鬱陵島を選んで来ている反面、私のお目当てはあくまでも竹島です。それは「独島博物館は予定に入っていますよね?」とキム氏に念を押したり、展望台で「高い」Tシャツを買いあさったりするシーンで垣間見えていた亀裂でもありますし、そもそも同じツアーのメンバーが必ず同じお目当てを持っていなければならないという法もありません。それでも、韓国語の出来ない日本人に鬱陵島を満喫させようと心を砕き、心細くないようにと隣でしきりに声をかけてくれた彼らに対して、「このツアーに参加したのは竹島に確実に行く手立てがほしかったからで、鬱陵島観光はおまけのつもりでした」とはなかなか言えないなぁと、心の底でちょっと苦々しい思いを踏みしめながらの別れのシーンでもありました。まぁ、鬱陵島も結構楽しめたので、それでいいんだとも思うんですけどねw

canarykanariiya、レベルアップ?

さてさて、ついた座席で何回かうつらうつらしているうちに、辺りはだんだん暗くなってきます。ムクホ港に着こうという時間には、フェリーはまさに夜の海を走っていました。思えばいろんなことがありました。ムクホ港で男性と落ち合うのにどれだけ苦労したか、周りにおどおどしながらもなんとか竹島コンクリートを踏んできて、鬱陵島ではおばあさんや夫婦たちとの交流もありました。そうして今、この船の中で思うのは、自分はこのツアーで一回りも二回りも強くなってムクホの港に帰ってこられたのではないか、ということです。竹島観光の拠点でもある鬱陵島は、恐らく韓国内で最も反日感情を持つ人が行き交う場所の一つでしょう。そこを見て、行って帰ってこられたわけですし、特に行きの出来事を指しま須賀、韓国語しか通用しない世界の中で、それなりのピンチをくぐってきたとも思うんですね。そう考えると、もはや(平穏に旅を続ける上で)怖いものはない、ぐらいの、ちょっと冷静さに欠くような自信がふつふつと湧いてくるのを感じていました。ただ、ちょっと冷まして逆に言えば、どれだけ鬱陵島竹島の旅程への不安が胸につかえていたか、ということでもあるでしょう。

ムクホ港再び

ムクホ港に着いたのはちょうど8時。歩いて高速バスターミナルまで戻り、この日長距離移動することはできないことを確認。慶州方面の朝一番のバスの切符(浦項行き21600ウォン)を押さえて、前と同じ宿にチェックイン。やはりこのアクセスは捨てがたいのです。怪訝そうな顔のおじさんに「この前来たじゃん」と言うと、部屋まで同じにされてしまいましたw
洗濯した服を部屋に干してから、再び外へ。1時間ちょっとネットカフェに籠ります。ここも前回と同じ店にしたので須賀、時間が遅かったからか自分以外の客も結構いました。客の年齢層は幅広かった反面、男ばっかりでしたね。
11時ごろにネットカフェを出て、朝食を買いにコンビニへ。行くと中高生ぐらいの男3人が、店内のテーブルでカップラーメンを食べながらおしゃべりをしていました。せっかくなので辛ラーメンを買ってマネしてみたら、彼らは明らかに奇異の目で私の方を見つめていました。いい夜食になりました。
夜歩きもその程度にして、宿に戻ります。服はどうせ乾くまいと、悪い方に高をくくりながら、1時過ぎまでぼんやりテレビを眺めていました。言葉は分からなくても、どんな番組のどんなコーナーなのかは意外と容易に分かるものです。テレビというメディアの特性の一つでしょう。

*1:独島はわが領土

*2:現地的に言えば「独島グッズ」。以下略します

*3:死肉をあさるハイエナの目当ては、逃げることのないTシャツなわけです

*4:朴正熙とかがやってるんですね

*5:私がこう言った場合は本当にのけぞっています

*6:こういう言い方は基本的に好きではないので須賀、ここはちょっとデフォルメしてみました

*7:これは自分が車を運転するからこそ言えるという側面もあると思います

*8:通じなかっただけかもしれないがw