かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東経52度の旅―イラン・ラマダン紀行三日目 エスファハーンへ

エスファハーンへバスの旅

まあなんとかイランに入りおおせたというのが前日までのお話。今日からが名実ともに「イラン旅行記」となります。
起床は7時。荷物をまとめて8時過ぎにはチェックアウトします。この宿は実に短い滞在時間でした。
先に説明しておくと、今日目指すのは首都テヘランから南に約400キロの位置にあるエスファハーンです。サファヴィー朝時代に都が置かれ、「エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン(イスファハーンは世界の半分)」と称賛されたことでも知られています。このミーハーな私が「世界の半分」とまで言われた場所を見ないわけにはいかない!ということで(?)、イラン観光の最も重要な目的地として旅程に組み込んでいたのでした。

初めてのテヘラン

さて、宿の門をくぐって外を出ると、初めて見るテヘランの町が目に飛び込んできます。

どうやらラッシュ時間帯のようで交通量もかなり多く、そのせいかどういう風に交通整理がなされているのかよく分からない状態でしたので、道を渡るのにも一苦労です。確か上海とかもこんな感じだった気がしま須賀、慣れの問題でしょうか、こちらの方がアクションゲームとしての難易度が高い気がしました。
しばし歩いてエマーム・ホメイニー広場へ。ここから地下鉄に乗って、エスファハーン行きのバスが発着するターミナルを目指します。地下鉄駅では係員と話が通じず困っていたら、通りすがりの男性が切符を買うところから目的のホームの方向まで、親切に付き添って案内してくれました。彼は私が日本から来たと知り、「これは日本の時計だよ。高かったんだ」と誇らしげにセイコーの腕時計を見せてくれました。
地下鉄の運賃は2500Rだったので須賀、運賃を尋ねた時に言われた金額は「250」。これは聞き間違えではありませんで、イランで買い物をする際にはとても重要なことなのでちょっと説明させてください。確かにイランの通貨はリアルで、硬貨にも紙幣にもリアルの数字が表示されています。しかし、一般に買い物をする際にこのリアルが単位となることはあまりありません。デノミ的な意味合いもあるのでしょうか、10リアル=1トマームとして、金額をトマームで表現することが頻繁にあります。なので今回の場合、運賃の2500リアルは250トマーム、となります。ですから、イランの商店などで値段を言われたり読んだりしても、まずその数字がリアルなのかトマームなのかを確認する必要があるということなのです。
そんな話をしているうちに、電車はバスターミナル前駅に着いたようです。やはり東洋人というのは珍しいらしく、常に周囲の視線を感じながら改札をくぐり、ターミナルへ向かいます。道中、体重計の前にただ立っている人が複数いたので須賀、重さを計ってお金を得るような商売が成り立っているのでしょうか。

エスファハ、エスファハ、エスファハーン

敷地内への入り口を探していると、何人ものタクシー運転手が「どこに行くの?」と寄ってきます。行き先を告げると「安いよ、乗って行きなよ」と猛アピールを受けるので須賀、バスターミナルの目の前まで来てタクシーに乗る理由なんてありませんので、当然お断りします。すると、どういう経緯か別の男の人が乗り場まで案内してくれることになったので須賀、連れて行かれたのはターミナルの建物ではなく停車中のバスの前。ここでまた人が入れ替わり、今度は建物内のチケットカウンターに誘導。ここで午前10時発エスファハーン行きのチケット(65000R)を購入し、バスに乗り込むことができました。
こうしてエスファハーン行きのバスを確保し、車内で一息ついたのは9時過ぎ。発車までは、あと1時間近くあります。そんな長時間にわたって動かないバスの中で座っていても仕方ありませんので、時間まで散歩でもしようと席を立つと、昇降口にいたさっきの男性に「もう乗っててくれよ」と困り顔で言われます。今考えればトイレとか適当なことを言って突破する手もあったで生姜、どうせこの先の旅程でもこのターミナルを物色する機会はあるだろうと、ここは大人しく引き下がって、ガイドブックをめくりながら今後の計画を確認することにしました。
私が乗り込んだ時には2〜3人しかいかなったバスも、発車時間が近づくと共に席が埋まってきます。バスの外では、国内各地の都市名を連呼する声が賑やかに聞こえています。昇降口の男性も、「エスファハ、エスファハ、エスファハーン!!」と叫んでいます。こういう呼びこみが盛んなところを見ると、私もこのバス会社に早々に囲い込まれたということなのでしょう。もうお金払ったんだから散歩くらいさせてくれてもいいのに…(笑)

バスで出発!

バスは予定時刻をやや過ぎて、15分ごろ動き出しました。ターミナルの近くでもちょこちょこ人を拾いながら進み、私の隣にも男の人が着席します。
しばらくすると高速道路に入ります。周囲はまさに漠々とした荒野。車窓越しながらも一生懸命カメラを向けます。

正午を回り、午後1時前だったでしょうか。バスはサービスエリアのような場所に停車します。

しばらく休憩ということで売店などを物色していると、クッキーのようなお菓子を薦められます。なかなか香ばしくてお土産にも無難そうです。値札には「4000」と書いてあるように読めたのでとりあえず買ってみたので須賀、実はこれはリアルではなくトマームの数字。しかも4に見えたペルシャ数字は実は6で、結局缶入りのクッキーを50000Rで購入する羽目になってしまったのでした。金額の単位を確認することがいかに大切か、ここで身をもって体験させられました。
とにかくまあ頭を冷やそうと、コーラを購入してがぶ飲みします。この時たまたま隣に座っているアニキがいて、何だかコーラをおごってくれそうな素振りでしたが自分で払っておきました*1

ウホッ、いい男

バスは再び出発。テヘランエスファハーン間は約6時間と聞いていましたので、旅程的にはちょうど折り返しくらいでしょうか。後半の車中では隣のアニキがナイフ片手に果物をむきはじめ、私にもお裾分けしてくれるようになりました。バナナ、ミカン、モモ、リンゴと、多彩な果物が次から次へと手渡されます。この人ラマダンは大丈夫なのかと心配になりながらも、おいしく頂きました。
そうして始まったアニキとの交流。しかし彼には、英語はほとんど通じません。「Thank you」が通じているかどうかも何だか心もとなかったので須賀、なんとかコミュニケーションを取ろうと思った私は、カバンの中からガイドブックを取り出し、一言会話集の「ありがとう」の部分を見せながら「どう発音するの?」と聞いてみました。まぁペルシャ語の横にカタカナで書いてはあったので須賀、知ったかぶりをして「ticket」を「チケット」と発音するが如き真似をするのも恥ずかしかったのです。彼も私の言わんとすることは分かったようで、「ヘイリー・マムヌーン」とややゆっくり目に発音してくれます*2。そこで私は改めてアニキの方を向き、「ヘイリー・マムヌーン」と復唱します。この時の彼の表情は、今でも頭に浮かぶくらいです。ウホッ。
彼もガイドブックには興味津々でした。特にさっき見せた会話集を穴があくほど凝視すること数分。アニキはそれを使って、私の名前を尋ねました。私が名乗り終えると、彼は「ムハンマドです」と名乗り、携帯電話の番号まで教えてくれたのでした。
ちなみに言うと、イスラーム圏で生まれた男の子に「ムハンマド」と名付けるのは珍しいことではないらしく、彼は決して「私は預言者である」と主張しているわけではありません。「石を投げればキムさんに当たる」国もありま須賀、こちらは「石を投げればムハンマドさんに当たる」だ、なんて言う人もいますねw
そんなやり取りの後、しばらくまた仮眠をとります。誰かにつつかれて目を覚ましたのは午後4時5分前。何事かと車中を見回すと、窓越しに見える景色が沙漠地帯から市街地に変わっています。私を起こしたのは、そこで途中下車しようとしていたアニキでした。(そもそも言葉が通じないので)最後の別れに多くは語りませんでした。ただ本日2度目の「ヘイリー・マムヌーン」を放った後、握手を交わし、彼はバスを降りてゆきました。

またもや人に助けられ…

バスは4時ちょうどにバスターミナルに到着。

中心部はここから南に約数キロ。タクシーの運ちゃんたちをあしらいながら市内バスの停車場を見つけ、チケットブースの係員と話をしていると、またもや別の男性が話しかけてきます。エスファハーン出身という彼は、「一緒の方角だから」と、私が目指す中央部のエマーム・ホセイン広場まで案内してくれた上に、いつの間にかバス代まで払ってくれていました。テヘランの地下鉄での人といいアニキといい、旅人には非常に親切にしてくれます。会話の中では、「エスファハーンにはいつまでいるの?」と聞かれたりもしたので須賀、「1日半くらいかな*3」と答えると、ちょっと怪訝そうな顔で「それは短いんじゃないの?」と言われてしまいました。

エマーム・ホセイン広場はこんな感じです…てな写真を撮っていると、いきなり現れた男性2人組に「オレたちを写してくれ!」と声を掛けられます。これが私にとってはやや不思議なところで、実はこれはイランを旅しているといろんな人から度々*4言われることではあるので須賀、ポラロイドカメラのようにその場で写真を現像して渡せるわけでもないのに、恐らく二度と会うことのないような異国から来た私のカメラに納まってどうするのでしょうか? 私の持っている大きなカメラが珍しいからでしょうか? 正直今になってもよく分からないので須賀、そのシーンに直面し続けることで、決めたことと感じたことは一つずつあります。まずは、せめてもの気持ちとして、被写体となった人たちに写真の画像を見せてあげようと決めました。まぁこれは決めたというより自然な動作として身についた、という方が近いかもしれません。そして実感したのは、さっき「せめてもの気持ち」と言ったことから浮かび上がってくるように、自分が常日頃いかに人に対してカメラを向けることを後ろめたく思っているかということであり、実際に新聞記者としての私のその感覚を補強している、プライバシー社会での仕事上の様々な出来事の存在だったのでした。
調べずに言っていま須賀、このブログに人の映った写真というのはほとんど掲載されていないでしょう。しかし、人の様子や表情こそが町を彩ります。ここでは、被写体となることを希望してくれた人たちについては、支障のない範囲で写真を紹介させていただくこととします。

エスファハーン土産(?)を持ってご機嫌な2人。でもよりハイテンションだったのは持っていない方の左側の男性でしたww

宿を確保

バスで乗り合わせた男性は車中で、ここからエマーム広場までの道順を丁寧に説明し、すぐに行きたまえと強く勧めてくれてはいたので須賀、まずは宿の確保です。広場からしばらく南下したところにあるイランホテルにチェックインします。フロントには英語が流暢で豪快そうなおじさんがいて、1泊27万Rで案内していただきました。部屋は清潔で、しかもツインルーム。文句はないので須賀別にツインに泊まる必要なんかこれっぽっちもないわけで、「シングルの部屋でいいんだけど(だからもうちょい安い部屋に案内してくれ)」と改めてお願いすると「シングル料金が27万Rで、そこはもともとは40万Rの部屋だよ。部屋に不満なら27万Rでいいけど、満足したなら40万R払ってくれてもいいんだよ?」と逆に吹っかけられる始末。英語がバッチリ通じるのは頼もしいけど、何だかめんどくさいノリの人だな…汗

アフマディネジャドなう?

この旅行で初めての洗濯をしてから、6時前に宿を出ます。向かったのはネットカフェ。海外での貴重な時間の中で、夕暮れ時に何をやっているのかとお叱りを受けそうで須賀、その行動にはちゃんとした意味があるのです。それは、Twitterですwww こんな駄文の注意深い読者になっている残念な皆さんには重複になってしまいま須賀、昨年の大統領選でアフマディネジャド氏に反対の立場を採った人たちが活用したのがこのTwitter。早速アクセスして「アフマディネジャドなう*5」とつぶやこうではないか。「Twitter」と検索してサイトをクリックすると…

なんじゃこりゃwww ペルシャ語のできない私には何と書かれているのか全く分かりませんが、上の方に書かれたメールアドレスに”filter”の文字が見られることから、規制をかけられたおかげでアクセスできないのだろうということは推測できます。まさかとは思いましたがホントにダメとはwwww その時の私は、小岩井のコーヒー牛乳を吹き出さないようにするのに精いっぱいでした。
真正面からインターネットのアクセスを制限されたという経験の少ない*6私は、自分の目の前にあるデスクトップに映し出された外国語の羅列にただ驚くばかりだったので須賀、ネットカフェのあちこちから聞こえる若い女の子のはしゃぎ声に、「ネットでの表現の自由が制限されている国でも、楽しそうな若者の姿はあるんだなあ」とちょっと安心させられました。ちなみにこれはもちろん、だからネット上での自由なアクセスを制限したって構わないと主張しているのではなく、ここにも彼らの日常はある。日常があれば、文字通り「圧政に喘ぐ」表情ばかりではないということを実感したという、ただそれだけのことです。
ちなみに料金は1時間で11000Rでした。

エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン」

変なマネキンだから変なマネキン

さて、ついに目的のエマーム広場に向かいます。エマーム広場こそがエスファハーンを世界の半分と言わしめているところのもので、縦510メートル、横163メートルの長方形の広場を、実に美しい建物が囲んでいるのだそうです。どれほど美しい場所なんだろう。心躍らせながら歩いていくと、ところどころに妙なものが。これは夕方から気になっていたものなんで須賀、このマネキン、ちょっと変じゃありませんこと?

一番奥のものを見ていただくのが分かりやすいかもしれませんが、頭が途中でなくなっていますよね。でよく見てみると、手前の2つも同じ形のように見えます。マネキンの頭頂部がない理由。私の邪推でしかありませんが、宗教上、マネキンが「偶像」と解される(となる?)のを防ぐ必要があったからではないでしょうか? 私との違いを何でもイスラームのせいにするのは、ある種の偏見かもしれません。

美しき辺野古の海エマーム広場

お待たせしました(笑) ついにエマーム広場に到着です。道路を歩いていくと、それらしい建物が見えてきます。

そちらの方に進んでいくと、家族や友人、恋人同士で座ったり走ったり寝転んだりと、思い思いに楽しんでいるのが見えてきます。

どんどん建物も大きく見えてきましたね。
この後この広場の美しさについてしゃべり続けても私は構わないので須賀、ちょっとそうするにはふさわしくないほどの美しさで、当時の私もそう思ったのか、この場所に来た感想というものがほとんど全くメモされていません。なのでここは写真で、この辺野古の海の美しさを感じていただければと思いますぅ。福島瑞穂ですぅ。ちなみに私は、言葉に責任を持てないからこそ写真に頼るのです。

エスファハーンのC級アイドル?


このご家族も「写真を撮ってくれ」と話しかけてくれました。その前には中高生くらいの男女のグループが「ニーハオ!」と言いながら声をかけてきて、特に女の子なんかは「お会いできてうれしいです」なんて言ったあとに逃げるように私の近くから駆け出してキャーキャーやっていまして、何だかC級アイドルにでもなった気分でした。そういえばそのうち1人の男の子はイラク出身だと言っていました。日本の感覚だとちょっと驚くかもしれませんが、イランとイラクはまさに隣国なのです。
ちなみにこの辺で午後7時15分です。さすがはサマータイムといったところでしょうか。

Rさんとの出会い


一通り絡んでくる人とは話し終えて、私もこんな感じで池の前に腰をかけ、夕暮れ時の雰囲気を楽しんでいました。ふと夕飯のことを思い出し、どこがいいかなぁとガイドブックをめくっていると、今度はこれまでとは違う妙に聞きなれた言葉で、こう声をかけられたのでした。
Rさん*7「日本人ですか?」
私「えっ?」
振り返ってみると、そこには中年の男性が。一瞥するに、周囲のエスファハーンの人々とそう変わらない風貌をしています。しかしその男性は、さらに日本語で続けます。
Rさん「日本語のガイドブック読んでたから日本人だと思ってさ」
私は彼のよどみない日本語に内心驚きながらも「そうなんです」と応じ、「日本語お上手ですね」と目下最大の関心事である彼の身の上話に水を向けます。そこから彼が語った話によると・・・彼は8年前まで約10年間、横須賀市などに住んでいたそうで、そこでエアコンなどの設置工事をする会社に勤めていたんだとか。当時は六本木でブイブイいわせていたらしいんで須賀、イラン帰国後に結婚。今はエスファハーンでじゅうたん屋を営んでおり*8、小さな娘さんもいるんだそうです。
久々に日本語での話し相手を得た私たち*9は、ここぞとばかりに世間話に興じます。8年前に日本を去った彼は、その日本から来た私にその後の様子を聞きたくてたまらなかったようです。しばらくした後、彼からこんな提案がありました。
Rさん「今晩ドライブしない?うちの妻と娘も連れてくるから。お互い食事を済ませて10時からでどう?」
むむっ、と思って私は彼の顔を見ます。しかし特に表情を変えた様子はありません。言葉の分からない海外で、夜中に初めて会った人の車に乗るというのは、あまり感心なことではありません。もし彼が悪意を持って私に接近しているのだとしたら、車に乗った時点であっちのものです。もちろん身ぐるみを剥がされてしまうでしょう。そのリスクはないとは言えない。しかし一方で、彼は私に名前を名乗り、連絡先(名前の入ったメールアドレス)も教えています。信憑性はあるでしょう。さらに、妻子が一緒です。特に幼い娘さんは私より物理的に弱い存在であるとほぼ言いきってよいわけで、もしその車に娘さんと奥さんが同乗するなら、彼が私に危害を加えることは難しいだろう。そう考えて再び顔色を窺っても、特に先ほどと変わりありません。そういえばイランに行ったことのある大学の住人(当時)も「イランで現地の人に誘われたらどんどんついていった方がいいよ」と言っていたし、とりあえず待ち合わせてみて、どんなメンツで車に乗るのか確かめてからでも大丈夫。そう考え、10時の再会を期して一度別れることに。夕飯を食べる場所を探している、と言うと、別れ際におすすめの店を紹介してくれました。

「特にないです」

この店の看板娘は、沢尻エリカをさらにキツイ顔にしたような美女。別にだから何だということはありませんが、英語を話せるのが彼女だけだったようで、いろいろとお世話をしていただきました。入店したのが8時ちょっと前で、断食すべき「日没前」の時間帯だったからか、高級感あふれるお店はほぼ貸し切りです。

注文したのはこちらの品々。サラダとスープはバイキング形式です。何も考えずに注文したせいで、これでしめて15万R也と、かなりやりすぎな感じの夕食となりました。お釣りがなかったので50万R札で支払おうとしたら、かなり困った表情をされてしまいました。まぁ他に方法はないわけでそれで通してもらいましたが。味の感想?「特にないです、別に…」。

夜のエマーム広場

店の外に出ると辺りはすっかり暗くなっています。そしてみんなここぞとばかりにあちこちにシートを広げ、食べたり飲んだりしています。そういう本のタイトルがあったかもしれませんが、まさに夜のピクニック状態です。池で遊んでいた子供が中で転んだり、近くでボール遊びをしていた若者が池ポチャをやったり、これまた思い思いの時間を楽しんでいます。それよりも何よりも、建物から漏れ出る光です。辺野古の海もびっくりです。




ここでもちょっとガラの悪そうな若者2人に話しかけられたので須賀、彼らが英語をほとんど話せなかった*10ため、話自体はなかなか通じませんでした。それでも彼らは私に何かを聞きたいらしく、にやけた顔でしきりに話しかけてくるので、とりあえず絵でも何でもいいから書いてみろ、とノートとペンを手渡すと、女性の裸体と思しき絵を描いてくれたのでした。人間の絵心には個人差があることはこの私自身が証明しているところでもあり、彼の描いた絵を100%社会的な意味合いで捉えることはできないにせよ、あまり日本ではお目にかからないような雰囲気の絵で、スキャンしてお見せする意義もあるのかなあと思いもしたので須賀、猥褻な図画であることは全く否定できないシロモノなので自重しておきます。

R夫妻とドライブ

そんなことをしているうちに約束の10時です。ぼーっと風景を楽しむつもりがいろんな人に絡まれるので、いつの間にか時間が経ってしまいます。Rさんは白いプジョーに乗って待ち合わせ場所に現れ、後部座席には女性の姿が。
Rさん「娘は預けて来ちゃった。こちらは妻です。英語ができるから」
非常に落ち着いた雰囲気の奥さんです。まぁ心配するに及ばんだろう。そう思ってRさんお自慢の白いプジョーに乗り込んでしまったのでした。
車はまず住宅地の一角に止まり、何か荷物の積み下ろし*11をしてからドライブスタート。これまでに私がどこを観光したか尋ねてくれましたが、エマーム広場にしか行っていないわけですから私としてはどこでも大歓迎。まずは町を東西に流れるザーヤンデ川にかかる、ハージュ橋に向かいます。
ハージュ橋は1666年に完成。橋のたもとにあるライオンにまたがると即結婚できると言われているそうで須賀(笑) それはともかく、こちらもすごい人出ですね。

スィー・オ・セ橋はエスファハーンのシンボル

続いては同じくザーヤンデ川のスィー・オ・セ橋。こちらはエスファハーンのシンボルともされる有名な橋です。ちなみにこの「スィー・オ・セ」というのはペルシャ語で「33」を意味するそうで、アーチが33あることからそう呼ばれるんだとか。なんだか京都の三十三間堂みたいですね。

こうやって写真に撮ってみると左下のおじさんがなんだか切なげですw 今はこの橋への車両の進入は禁止されていま須賀、Rさんが若いころはバスなんかが通っていたそうです。

もう一人のRさん

橋を離れるときに、思いついたようにRさんはこう言いました。
Rさん「そう言えばもう1人日本帰りの知り合いがいて、君のことを話したら是非直接話がしたいと言っていたんだ」
そしておもむろに携帯電話を取り出し、何やらその知り合いらしき相手と話を始めます。そして、
Rさん「ちょっとしゃべってあげてよ。名前は私と同じRだから」
今マシャド*12にいるという知人のSさん*13。周りがうるさいのか電波が悪いのか、あまり声をちゃんと聞き取れなかったので須賀、彼が私と話せたことをとても喜んでくれていることは伝わってきました。
電話を切った直後、Rさんは再びこう切り出しました。
Rさん「いつエスファハーンを発つの?」
私「明日の夜出ようかと思ってましたけど、気に入ったので明後日でいいかなと」
Rさん「じゃあさ、Sがぜひ君に会いたいと言っているんだ。僕たちは明朝から巡礼でマシャドに行くんだけど、夕方からでも会ってあげてくれない? またドライブでどこそこ連れて行ってもらいなよ」
この話に乗れば、この旅で例えばヤズドやゴムといった町に立ち寄ることは難しくなるでしょう。で須賀、現地の人と遊べるというのはやはり貴重な体験のように思えましたし、何より車に乗っけてくれるのなら観光する上でも大助かりです。何度かこのシリーズで言及したことがあるかもしれませんが、あくまで行ったことのある国や町、あるいは世界遺産の数を増やすことが私の旅の目的ではない以上、ここはしっかりこの美しすぎる市議い町に腰を据えてみるのも一興と、翌日午後6時に待ち合わせることにしたのでした。

アイスと車内の3カ国語

さてさてさて、お次は夜景がきれいな場所に連れて行ってあげよう、ということになっていたので須賀、その前にアイスをおごっていただきました。これには二つの意味があって、Rさんに甘いチョコアイスをおごってもらって食べていたら、そこの社長さんが現れて「日本人なの?僕は川崎に住んでいたことがあってね、日本人は大歓迎だよ。もう一つお店としてごちそうするから」とメロン果汁入りのアイスもいただくことに。二つ続けて食べるのは若干大変でしたが、とても美味しかったです。
こうしてちょっとした腹ごしらえも済ませ、最後の夜景スポットへ…行く前に、ちょっとこの場の雰囲気だけ紹介しておきましょう。車内は、Rさん夫妻と私の3人です。それぞれそれなりに外国語もできるので須賀、3人とも分かる言語はありません。Rさんは日本語はお手の物で須賀、英語は分からない様子。奥さんはその逆で、私は英語ができると言うべきかはともかく、ペルシャ語は全く分かりません。となると、それぞれが会話すると日本語(私とRさん)、英語(私と奥さん)、ペルシャ語(Rさん夫妻)という3カ国語が飛び交う状況になるんですね。これが何だか滑稽でした。例えば彼は日本で聴いた花*花の「さよなら 大好きな人」が大好きだったそうで、日本に帰ったらその曲をデータで送ってほしいと懇願された(ている)ので須賀、その理由は「イランに帰る時に、この歌を歌って日本人の彼女とお別れしたから」。しかしその会話は幸か不幸か日本語ですから、同乗している奥さんはそんな話になっているなんて知る由もありません。そういう状況なので「今のを英訳して奥さんに説明してもいいですか?」なんて冗談も成り立つわけで須賀、Rさんは何のことはないといった表情で、その辺の経緯を奥さんに説明している様子でした*14。あとRさんが、運転中にも関わらず何度か日本語・ペルシャ語辞典を引き、私のしゃべった日本語の単語の意味を調べていた姿も印象的でしたね。

エスファハーン一望

そして遂に、エスファハーン南部にあるその場所へたどり着きます。市街地よりは高い場所で、背後には険しい岩山が。Rさんは「よく若者があそこの山でハイキングするんだよ」なんて教えてくれましたが、あんなものにどうやって登るんだと言いたくなるような形をしています。まぁそれはともかくとして、そこから見た夜景というのがこちらです。

エッフェル塔台北101のような、何か目立ったものが見えるわけではありません。エマーム広場を探してみましたが、よく分かりませんでした。それでもなぜかうなずかざるを得ないこの美しさ。私が美を語るのがいかに似つかわしくないかについて私はよく認識していて、そういうことは張郃大先生にお任せしたい気持ちでいっぱいなので須賀、あえて感じたところを一つだけ述べるとするならば、市街地に突出して高いものがないこと、ある程度高さがならされていることが一因なのかもしれません。

Rさんの日本の思い出

時計を見るともう12時。「日本での写真とか見せてあげるからちょっと家に寄って行きなよ」と言われるがまま、Rさん宅にお邪魔することに。お宅はマンションのようなところでしたが、一つ一つの部屋がとても広いのが印象的でした。そこでは7〜8歳(確か)というかわいらしい娘さんや親戚の結婚式*15の写真、ひらがな・カタカナなら難なく読み書きできるRさんが日本で交わした年賀状や帰国後のエアメール、日本で友人や元カノと撮った写真など、いろいろなものを見せていただきました。私のようにたまたま街中で知り合ったという、日本人数人の写真もありました。Rさんとすれば「日本に年賀状を書きたいんだけど、来年は平成でいうと何年?」とか、車の中で出た「花*花の歌をデータで送ってほしい」とか、ある意味実際的な動機や用件もあるにはあったようで須賀、たまたま知り合ったとはいえ日本から来たというこの人に、自分が日本にいた時のことを聞いて&見てほしい。そんな何がしかの共感を求めるような気持ちで、私をここまで接待し、いろんなものを見せてくれたような気もしました。
そうそう、接待といえば、Rさんの家ではおいしいアロエを振舞ってもらったので須賀、もう一つ出てきたのはワイン。「イスラム共和国」を名乗るイランでは飲酒は禁じられているはずで須賀、Rさんは「うちの畑で採れたブドウからつくったんだ」と誇らしげ。要は密造酒以外の何物でもないわけで須賀、ちょっとコニャックっぽい味わいでおいしかったです。

おじゃましました!

ワイン片手にのんびりお話していると、午前1時を回ってしまったようです。あちらから誘っていただいたとはいえ、翌日遠く離れたマシャドまで車で行くというRさん夫妻の家にこれ以上長居するのは迷惑でしょう。「そろそろ失礼します」と切り出すと、Rさんがホテルの前まで来るまで送り届けてくれました。そして別れ際のRさんのセリフ、それは彼のドライブの誘いに乗るかどうかで悩んでいたことが可笑しくなるような言葉でした。
「これからずっと、仲良くしてくださいね!」

*1:6000R

*2:カタカナとそう相違ありませんでした

*3:翌日の夜行か何かでここを離れるつもりでした

*4:狙ってはいませんw

*5:誤解していた人もいるので繰り返しま須賀、これは人名であってTwitter規制をしたイラン政府の大統領であるアフマディネジャド氏を皮肉る意図が多分に含まれています。残りはおふざけです

*6:いわゆる「グーグル八分」的なものなど、そうとは自覚されない形である情報へのアクセスが制限されるということは恐らく日常茶飯事的に起こっているので生姜

*7:事情があって念のため名前を伏せています

*8:この話になった時には念のため「じゅうたんは結構高いらしいですね」と牽制球を投げておきましたw

*9:私は数日ぶりでしたが、彼は何年ぶりだったのでしょうか?

*10:その前提にありかつそれ以上に重要な問題は、私がペルシャ語を全く解さないということです

*11:ここで1人車内に残された瞬間が一番ビビりました

*12:日本では「マシュハド」表記が多いようで須賀、現地の方々の発音に従います

*13:こんがらがりそうなので今後こう表記することにします。彼の名前を伏せるのにも一応の理由はあります

*14:2人はペルシャ語で話しますので、本当にその話をしているかは確かめようがないので須賀

*15:布で全身を覆っているイメージの強いイランの女性も、結婚式となるとそれなりに肌の露出のあるドレスを着て参加するようでした