かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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1歳2カ月児と行く!バリ五日間の旅〜二日目・クタ周辺散策

ホテルでのんびり

プール遊びはパパのため?

二日目はホテルと近場でのんびり…とはならなかったところが、「貧乏暇なし」という諺の言い得て妙なところだと思います。
朝は7時に起床、というよりは長男がその時間に起きたため全員が起きることになりました。ホテルの朝食バイキングも充実。フルーツやパンに交じって、インドネシアのお菓子も置いてあったのがよかったですね。長男はビーフンを爆食。食い散らかしてごめんなさい…
午前中はホテル内のプールへ。

こんな感じの中庭を抜けていくと、大人用と子供用のプールがあります。

こちらは子供用のアスレチックスです。あっちゃこっちゃから水しぶきが飛んでくるのと、そもそもの水温が結構低かったこともあって、長男はちょっと怖がっている様子。父子でスライダーに乗って父親だけが大喜びという残念な光景も見られました。そんな感じで水遊びをしていると、オーストラリアから来たのでしょうか、3歳くらいの英語を話す少女が寄ってきて、一緒におもちゃで遊んだり長男が浮き輪を出るのを手伝ってくれたりと世話を焼いてくれました。長男がどのくらい状況を把握できていたかは分かりませんが。昼前には部屋に戻ります。

ご無沙汰death

お昼は、先ほどのプールサイドにあるレストランで。たまたま同じタイミングでバリにいた友人夫婦が訪ねて来てくれました。新婚旅行中だったということで、貴重な時間をいただき非常に恐縮death。彼らはジンバランにある高級リゾートホテルにご宿泊されていたそうdeathが、そちらは中国や韓国からの客がかなり多いそうで、先述の通りオーストラリアからと思しき人たちが目立つ雰囲気にいささか驚いていた様子でした。会うこと自体が私達の結婚式以来deathので、思い出話やお互いの近況など、おしゃべりを楽しむことができました。この場でも改めて、御礼申しあげる次第death。

近場でくたくた

ベビーカーは避けるのが無難

その後は私達も外出です。時計を見ると午後2時前。一番暑そうな時間帯でしたが、夜歩きまわるわけにもいかないので出発しましょう。といっても、日本より全然過ごしやすいんですけどね。クタ周辺で散歩と買い物ができればいいよね、くらいのノリだったのでベビーカーで出かけました。

こんな道を歩いていったわけなんで須賀、歩道をよく見ていただければ分かるように、車の出入り口のところが結構しっかりした段差になっていまして*1、その度毎にベビーカーを上げ下ろしするのは地味に大変でした。交通量が多いので車道脇を行くわけにもいかないということを考えると、結論から言えばリゾートエリアでもベビーカーでの外出は避けた方が無難かもしれません。

進行するスタバの奴隷化

話を戻しますと、私達がまず向かったのは近場のディスカバリーモール。直前に両替を済ませ(10000円→109万5000ルピア)、軍資金を確保してから乗り込みます。


…小綺麗なショッピングモールではあったので須賀、お値段は観光客価格のようでちょっと食指が動くようなものはありませんでしたかね。唯一買ったのが、恐らく世界共通価格と思しきこれ。

グランデサイズまで入る新作タンブラーは22万5000ルピア。後でレシートを見たところ、10万ルピア入った同額のカードを買ってそれを使い切ってタンブラーを買った、という操作をしてくれたようで、要するにカードの方はタダでもらっちゃったわけですけど、さすがに日本国内では使えないそうなのでまさに記念品ということになりそうです。
そうなんです、実は最近読書環境としてのスタバに結構ハマっていまして、近所のお店にせっせと通ってドリップコーヒーをおかわりしています(笑) この旅行記を書く作業もできなくはないなーと思ったりもしたので須賀、さすがに自重しております。また脱線しましたねww
通りがかりで見つけたのはこちらのマーケット。

小物からシャツ、食べ物なども売られていて、品揃えもいいですし少なくともこの近辺で言えば割安な方かと。長男の服も含めてもろもろ購入しました。

混在する「バリ情緒」

こんな形で紹介していくと、よく言えば洗練された、悪く言えばアメリカナイズされていてバリらしさのないエリアのように思われるかもしれませんが、ところどころに、まさに何の脈絡も感じさせずに「バリ情緒にあふれる」*2構造物が見られる点は特筆すべきかもしれません。



どれもこのエリアで撮った写真です。東京などの都心に神社やお寺がある風景も、こんな風に見えているのかもしれませんね。後で聞いたところによると、像やお寺の前に何やらあるのは魔除けのお供えだそうです。日本で玄関先などに塩をまいておくのとはちょっとニュアンスが違って、「これでいい神様に元気をつけてもらおう」という意味合いなんだとか。
「アートマーケット」なる土産物屋街でビンタンビールのTシャツを(親子用に)2枚買って*3

少しだけビーチへ。


今思ったんですけど、このおじさんたち何してるんでしょうね?ww 長男は波に、なのかよく分かりませんがやや恐れをなした様子でした。

中心部で長男の靴下を買う

続いてクタ中心部へ。


ここだけなぜか日本風の看板が並びますw

最後の写真の左端に見える「クタキッズ」なる子供服屋で、服と靴下を購入。この靴下はホテルの部屋用にしました。長男はよちよち歩きに慣れてきたのが楽しいのか、ベッドから(大人が土足で歩く)床に降りたがることが度々ありましたので、さすがにいちいち靴を履かせるのも大変だろうと言わば中間的な履物として急遽用意しました。「家の居間はハイハイでもOKだけど、ホテルの部屋は靴を履いてね」と説明するのも難しいですので、気休めなんで須賀そうしましたという程度の話です。ちなみにこのクタキッズでは、店の女性が親身に我々の面倒を見てくれました。
それはそうと、向かい側の石塔(という認識でよいのでしょうか?)、お供え物が多いですね。

テロ事件から考える「安全」

ここを左折してさらに進みます。

クラブ(のような飲食店)も目立ってきました。

構造が開放的ですね。夜のきらびやかささが目に浮かびます。
クタのクラブといえば、忘れてはいけないのが2002年に発生した爆弾テロでしょう。この年の10月12日深夜、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発し、向かいにあったクラブの利用客など202人が死亡しました。現在、その跡地は更地のまま残され、慰霊碑が設置されているそうですので、そこを見学して散歩を折り返しましょう。

ちょうど交差点の角の位置に立つ慰霊碑。事件で亡くなった一人一人の名前が刻まれており、ご家族でしょうか、2人の日本人が犠牲になったことも伝えています。後から聞いた話でも、この事件はリゾート地としてのバリ島の観光業に大きな打撃を与えたそうですし、クタ・レギャンという島随一の盛り場のど真ん中を更地のまま残しているという事実も、事件が与えたインパクトの大きさを物語っています。
こうしたテロの被害というのは誰しもが遭いうるもので、大前提としてそれは非常に憎むべき行為なわけですけれども、残念ながら起こり得るそうした凶行から身を守る責任は第一義的には自分にあります。今回の旅行も、国は違えどバンコクで爆弾テロがあった直後でしたので、セブ島などによく行くという職場の上司からも「現地情勢はこまめにチェックしたほうがいい」と真顔でアドバイスされました。特に今回はそういう理解・判断がまだ難しい長男を連れているという意味でも、その指摘は至極妥当なものだと思います。
その一方で、クタだから、バリだから、東南アジアだから、危なそうだから行くのはやめておこう―そんな判断にも堕したくありません。「中東は危ない、ムスリムは過激なテロリストが多い」。例は変わりま須賀、そんな心ない、というより事実誤認に近い認識がそれこそ何となく日本社会に根付きつつあるのも、これまた残念ながら現実であるように思いま須賀、別の同僚の「北朝鮮が危ないから隣国の日本も危ない、というのと同レベルの議論だ」との指摘には考えさせられるものがありました。この場合の「北朝鮮の危なさ」はこれまでの文脈のそれとはかなり異質なものでありま生姜(笑)、その地域だから危ないのか、その人たちだから危ないのか、そもそも外国は危なくて、日本は安全なのか。安全の問題を考える時、少なくとも単純なレッテル貼りでことを済ませてしまうのは思考停止に他ならないわけで、それこそ最初に言われたような緻密な情報収集と分析が出発点にあるべきだと、難しいことではありま須賀、今は考えているところです。

辛いのはナシで

そうこうしている間に午後5時を回りました。そろそろ戻りましょう。大通りからちょっと離れたところにある「ワルン・ニクマッ」で夕食をいただきます。


ここではそろってナシチャンプルーをいただきます。細君は「辛くないものを」とお願いしてよそってもらっていたので、私は「辛くてもOK!」と豪語したら、結構容赦ない辛さのラインアップと相成りましたww
ちなみにこの「チャンプルー」は「ごちゃ混ぜにする」といった意味だそうで、ここまで言えばお察しの通り、沖縄料理の「ゴーヤ*4チャンプルー」などの「チャンプルー」と語源を同じくしているという説があるそうです(というより同じ語では?)。
ここでのお会計は飲み物(コーラと水)を合わせて2人で58000ルピア。多分こっちが生活実感に近い価格なのでしょう。ベビーチェアも用意してくれたので助かりました。『地球の歩き方』には載っているお店です。

両替商は三流手品師?

宿に帰りつく前に、両替事情だけ話させてください。この日は土産だ服だと買い物が多かったので、帰りがけに保険の意味も込めてさらに2万円分ルピアに両替したので須賀、中心部の両替所で細君が(結果的に)ちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまいました。既述の通り私達は、空港では1円→106ルピア、市中では同109.5ルピアというレートで両替してきましたが、中心部に近づくと店舗を兼ねたような小さな両替所がさらにいいレートを掲げているのをしばしば見かけます。顕著なものだと118.99なんてのがあって、空港と1割以上違うわけですから一見したときは涙目で須賀、こういうところは要注意だったりもします。
そのレートを見つけた細君が実際に1万円分両替しようとしたところ、2万ルピア札10枚の束を5つ出してきて(100万ルピア)、それを一度数えさせます。その上で、残りの18万9900ルピアを払う際にこう持ちかけてきたそうです。「100ルピアお釣りを出してくれれば19万ルピア渡せるけど、持ってる?」。100ルピアなんてあったっけな、と細君が財布を確認している隙に、窓口の彼は並んでいた2万ルピアの束を「手品のように」(細君談)隠してしまったのだとか。しかしそれを運悪く細君に見咎められてしまい、彼の「マジック」は不首尾に終わったのでした。
そもそも100ルピアというのは日本円にすれば1円弱です。そういう細かいお金を外国人観光客が持っている可能性というのはあまり高くないわけで、そもそもその時点で怪しいといえば怪しい。もちろん誇りと誠意を持って両替のビジネスをやっている人もいると信じますので、全てがそうだとは言い切りたくありませんが、レートがよくてキリの悪いところ、あと奥まった場所でお金のやり取りをするような両替所では注意を怠らない方がよいかもしれません。
結局私達は「セントラル・クタ」という両替所で、1円→110ルピアのレートで両替しました。インドネシア中央銀行運営であちこちに支店があるので便利ですし、(倒錯した感覚かもしれませんが)署名を求められた上でレシートも出してくれるので安心感はあります。

左奥の赤と青の看板ですね、ってここまでやると回し者っぽいですかね?(笑)

くたくたでホテルへ


*5
宿には午後6時半ごろ到着。案外長い散策でした。長男とシャワーを浴びて寝かしつけ、細君はスパに。お土産(?)に買って来てくれたビンタンビール片手に明日の段取りを話し、10時半には床につきました。

*1:日本だとスロープ状になっているところが多いですよね

*2:こうした見方自体がオリエンタリズムだと言われれば否定はし難いんですけれども

*3:12万ルピア。当初35万ルピアなるバカげた値段を吹っかけてきたので、まずどのくらいの値段から交渉を始めればいいのかちょっと逡巡した

*4:個人的には「ニガウリ」だろうという気がするですけどね

*5:いずれも帰路の風景です