かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記一日目・クラクフへの道とその夜景

0日目まで

帰国して数日、誕生日が同じなんていう奇縁もあり、公私ともにお付き合いさせていただいている取材先の市議会議員*1と、帰国報告を兼ねて飲みに行く機会がありました。いつも通り子供のように好奇心旺盛な*2彼は、私がアウシュビッツに行ってきたことに重大な関心を示し、「みんなアウシュビッツのことは聞いたことあるものだけど、どうしてわざわざ行って来ようと思ったの?」と、ビールジョッキを置いてまくしたて始めます。
今回の旅行は、先日イグ・ノーベル賞 に関する本を読んでリトアニア・ドゥルスキニンカイにある通称「スターリンワールド」のことを知り、「是非行ってやろう」と心に決めたことがきっかけでした。そしてその周辺で興味のある場所として、アウシュビッツが浮上してきた。つまり、こと今回の旅行に関して言えば、スターリンワールドに行くことが主で、アウシュビッツに行くのは従という位置づけでした。もちろんこれは、二つの場所の価値の序列を意味しません。
それでも、なんだか楽しそうなバルト三国周遊プランを蹴飛ばして、そこを選んだのはなぜなのか。直接的なきっかけは、初めての欧州旅行だった3年半前、アムステルダムでアンネ・フランクの隠れ家を訪ねたことだったと思います。あの時感じた違和感というか圧倒的な理不尽さへの困惑。これは一体何なんだという思いが、本嫌いの私に『わが闘争』のページをめくらせました。そしていつしか、「一度は必ず行きたい場所」*3として挙げるようになっていたのです。
一説によると、人類史上多くの人を死なせた政治指導者のトップ3は中国の毛沢東ソ連スターリンナチスドイツのヒトラーの順なのだそうです。言葉の定義が難しいので「そういう説がある」ということだけにとどめておきたいと思いま須賀、そのうちの2人の所業について、形は違えども見学して来ようということで、そのような旅程を組んだのでした。彼にはまあこれをやや丸めたような話をしておきましたw

同行者

実験農場-Life is Fake-さん。大学の学部の同級生です。どういう人かはブログをご参照いただければ十分かと…。

タイトル

5分ほど考えて「東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツスターリンワールド」としました。多分これまでで一番時間がかかっています(笑) もちろん独裁者とはヒトラースターリンを指します。もうちょっと柔らかいタイトルにしたいとも思ったので須賀、いざ行って来てみると茶化すのも気が引けてしまったというのが正直なところです。ただまあもしかしたら、書き終わるまでに別のタイトルになっているかもしれません。

0日目

この日は休暇に入るためのストック原稿の準備に追われ、(デスクが原稿をちっとも見てくれなかったので)12時過ぎまで仕事をしていました。そこから荷造りをして2時半ごろ就寝。

ポーランドの京都」クラクフを目指して

ルフトハンザで飛び立つ

朝早く起きて、空港に向かいます。本当にほとんど寝る時間もなく、しかも雲海にクジラが泳いでいるのを飛行機の窓から眺める夢を見るくらい精神状態が高揚していたので、疲れなんてちっとも取れていなかったでしょう。ちなみに新垣結衣の夢は割と最近見ましたが、今度は大島優子にご登場願いたいです。
友人とは空港で合流。空港内で8万円を730ユーロに両替し、飛行機に乗り込みます。前回訪欧では1ユーロ170円近いレートで両替していましたので、円高の追い風を全身に受けたスタートと言ってもいいのではないでしょうか。
機内ではいつもの通りビールだワインだと続けてあおり、眠気もあって仮眠の時間とさせていただきました。今回がルフトハンザ航空の初搭乗だったので須賀、機内食のソーセージがかなり美味で、今写真を見返すだけでビールと一緒にいただきたくなってしまいました。ああ、ビール飲みたい…

ちなみにそれ以前には、「Onigiri or cake」と、おにぎりとパンケーキの軽食があってその取り合わせにはなんだか笑ってしまいました。

アンカレッジと成田

飛行機はシベリア上空を延々と飛び続けます。たまに雲が途切れると、カメラ機能の画面にはシベリアの大地が。漠々と言うのが適切なのかよく分かりませんでしたが、降り立ってみるとどんな景色なのか興味がそそられます。しかし日本からヨーロッパに行くのに、簡単にこの一帯の上空を飛べるようになったのはそんなに昔のことではないわけで、それ以前は旧ソ連の領空を避け、アラスカのアンカレッジ国際空港を経由するなどしていました。そのため多くの日本人が利用したこの空港ではうどんを食べることができた、なんて話もあります。その後シベリアルートが開放され、こうして私もアンカレッジを経由することなくヨーロッパに向かうことができるようになったわけで須賀、このことが世界の航空業界(航空会社や空港)に大きな影響を与えたろうことは、アンカレッジ空港を利用したことのない私にも十分推測できます。アンカレッジ空港はというと、近年ではその立地を生かして世界有数の貨物空港に変貌を遂げているとか。日本の成田空港も、韓国・仁川空港に加え再国際化された羽田空港というライバルが出現した今、どんな戦略を採っていくのか、正念場を迎えていると言えるのではないでしょうか。まあまずは都心とのアクセスを経済面でも改善することだと思いますけどねwww

フランクフルトで悪あがき

さて、寄り道はこの辺にしておいて(笑)、現地時間の午後2時過ぎ、ドイツはフランクフルト国際空港に着陸します。ドイツと日本との時差は8時間で須賀、サマータイム期間中なので7時間となっています。ちなみにhttp://www.nirs.go.jp/research/jiscard/というサイトによると、この時期日本からフランクフルトまで空路で行くと、高さ4万フィートを飛んだ場合に被曝する線量はざっくり60μSv前後だそうです。
到着ロビーへと進むと、キャメルの喫煙所が。まあ分煙アピールを兼ねて広告を出しているということなんで生姜、喫煙の習慣がないのでよく見ませんでしたが中でキャメルを売ってたりでもしたんでしょうか?

進んでいくと、2列くらいの小さなゲートがありました。通り抜けようとするとパスポート提示を求められたため係官に見せ、「どこ行くの?」「クラクフです」「それで?」「ヴィリニュスに向かいます」「(友人を指し)彼も一緒?」「ええ」程度の問答をすると、スタンプを押して通してくれました。え、まさかこれで終わり?と拍子抜けしたような気分でしたが、それがなかなか、そうなのです(笑) 今回足を踏み入れたドイツ、ポーランドリトアニアオーストリアは全てシェンゲン協定の加盟国であり、結論から先に言うとこの旅行においてこれ以降、入国審査を受けることはありませんでした。最近難民の入国などをめぐりそのあり方について問題提起がなされている協定ではありま須賀、こうやって複数国を渡り歩いてみるとその効果を実感させられます。
乗り継ぐポーランドクラクフ行きのフライトは午後4時50分。開いたちょっとの時間で、空港やその周りを散策することに。

といってもまあ、大きな国際空港の周りを歩いても大概はこんな光景なわけで、12℃というひんやりした外気に触れ、早々にターミナル内に退散。カジノを外から眺め、売店で水と同じ値段のビール*4と雑誌を1冊買って、10.25ユーロを支払います。ちなみに買った雑誌はシュピーゲルの日本特集で、もちろん私がほぼ全く使えないドイツ語*5で書かれた雑誌なので須賀、富士山や東日本大震災の被災地を慰問する天皇と皇后から、元寇浅沼稲次郎の刺殺、いわゆる「ウタマロ系」の浮世絵、上海での反日デモ、日本軍による中国人殺害、鎌倉大仏を訪れるヒトラーユーゲント、日本刀らしきものを持って日の丸のはちまきを巻いた平岡公威、福島第一原発、天の岩戸から出てくる天照大神鉄腕アトム、果てにはなでしこジャパン蓮舫…と、写真や絵のラインナップが非常に多彩かつ魅力的で、ついつい手が伸びてしまったのでした。あと、日本地図に表示されている国内の都市が「東京」「京都」「大阪」に加えて「福島」「広島」「長崎」であったことも非常に印象的でした。
後日ドイツ語のできる友人にぱらぱらとめくってもらったところ、日本の近代国家制度はドイツのいわゆる第二帝国の国制をいかに学んだのか、とかが、書かれているのだと教えてくれました。枕元で(笑)じっくり読み聞かせてくれる方を募集しています。

クラクフに降り立つ

今度は小型の飛行機に乗り込み、午後5時過ぎに離陸しました。

きれいな夕焼けも楽しみながらのフライトは約1時間半。クラクフ空港に降り立った頃にはすっかり暗くなっていました。

通貨「ズウォティ

この空港も荷物を取ったらそのまま外へ出られる仕組みです。当座の現金として、ユーロをポーランド通貨であるズウォティ*6に両替します。それぞれ200ユーロを722ズウォティ。ですから1ユーロがざっくり3.6Zというところで、あまりいいレートとは言えなさそうで須賀、土曜日の夜に空港で換えたという部分が響いたのかもしれません。
ちなみに今更で須賀、ポーランドはまだユーロ圏には入っていません。来年2012年に導入予定とされていましたが、ネットを見ているとこんなニュースが。

ポーランド国立銀、12年ユーロ導入の目標撤回
ポーランド国立銀行中央銀行)のマレク・ベルカ総裁は16日までに、ワルシャワ国立銀行で読売新聞のインタビューに答え、単一通貨ユーロ導入に関し、「存亡の危機にある現状で導入する意味はない」と述べ、2012年としていた導入目標を撤回したことを明らかにした。
総裁は「世界経済危機の中、ポーランド欧州連合(EU)諸国で唯一プラス成長を達成できた(09年)要因の一つは自国通貨を持っていたことにある」と述べた。そして「ポーランドがユーロ導入国になる戦略的目標に変更はないが、当面、新たな導入目標年は設定しない」と明言した。
また「ギリシャ財政破綻は不可避」と予測し、「債務減免や欧州金融安定基金(EFSF)強化などによる秩序だった財政破綻であるべきだ」と語った。(ワルシャワ 三好範英)
(2011年10月16日21時28分 読売新聞)

ちょうど私達がポーランドにいる最中にこれが日本で報じられたわけで須賀、まあそりゃそうですよねって感じですよね。ちなみに新聞の業界的な読み方という部分で言うと、「○日までに」と書かれている場合、大体はその日付より前に書かれた出来事は起こっていて、それを伏せる意味合いでこのような表現になっています。まあ「ブログ『かぶとむしアル中』の筆者であるcanarykanariiyaが、AKB48大島優子さんのブログの更新を頻繁にチェックしていることが○日までに分かった」とかなってる場合は、その内容を他媒体にスクープされて後追いで報道していることも多いんで須賀、この場合は「16日までに…読売新聞のインタビューに答え…」となっていますから、素直に読めばインタビューしたのは15日以前なんだけど紙面の都合でその日に載らなかった、というようなことがあったことも推測できます。時差の扱いもあるのかもしれませんけどね。ま、興味ないかwww*7

クラクフ国際空港駅」

話を戻しましょう(笑) 両替を済ませた私達は、まずは宿の確保のため方策を探ります。翌日にアウシュビッツを訪ねることは決めていたので、もし可能ならその近くで宿を探し、朝一番で見学しようと打ち合わせていました。ただ何の確証もなくクラクフから50km以上離れた最寄りのオシフィエンチム駅に降り立つのはリスキーなので、とりあえず空港のインフォメーションセンターにいるとても綺麗なお姉さんに相談してみることに。すると見事に、その日のうちに列車でオシフィエンチム駅までは行けないことが判明。慧めてクラクフに求めることにしたのでした。
クラクフ市街までは列車で約15分とのことだったので、空港近くにあるはずの駅を探します。しかし外を見回してもそれらしき建物はなし。「あっちだよ」という道案内に従って進むと、すぐに道路脇には森が迫ってきます。あたりはすでに暗く、街灯も少ないので見通しはよくありません。このまま鬱蒼とした森の中に入って行ってしまうのではないだろうか…2人そんな不安を感じながら歩を進めていくと、ありましたありました。って、これが駅?

どう見てもバス停か路面電車の駅にしか見えないので須賀、どうやらここでいいらしい。寒さの中待つこと約20分。確かにそれっぽい電車がホームに滑り込みます。

恐らくこれは市街地行きだろうということで、確認してから乗車。料金は10ズウォティです。ちなみにこの列車、ボタンを押してドアを開けて乗る形式の車両で、そんなことはつゆ知らず無意識にドアが開くのを待っていた非文明的な日本人2人は、すんでのところでこの国際空港駅でもう数十分ステキな時間を過ごすチャンスを失ったのでした。

クラクフ本駅と宿

列車は午後8時にクラクフ本駅に到着します。駅はホームごとに改札なしで構外に出られてしまう構造らしく、一度よく分からないまま外に出てしまったので須賀、2日後のワルシャワ行きの列車は押さえておいた方がいいだろうと、尋ね歩き探し歩き酔っ払いに絡まれして、ようやくチケット売り場を見つけます。意外と、と言っては失礼なんで須賀、売り場のおばちゃんに英語はよく通じ、クラクフを17日午後2時半に出て、5時半にワルシャワに着く列車の切符を購入できました。ただ最後に言われた「ワン ズウォティ*8」が聞き取れず、政治家を輩出する法律相談所話の遅い東洋人の後ろにできていた行列の中から1ズウォティの「プレゼント」を受け取るなんてことになりました。お兄さん、ありがとうございます。ちなみにチケットは1人当たり115.5ズウォティ。所要時間的にも料金的にもこれは特急電車なのでしょう。
こうして無事クラクフからの「出口」まで確保した*9私達は、宿探しに本格着手します。旧市街の東側を何軒か回り、ホテル・バトリにチェックイン。2人部屋に2泊して計620ズウォティということで決して安くはありませんが、それに値するクオリティの宿でした。まあ街自体が全般的に割高の印象がありましたね。

歴史と光が溢れる広場

ここで荷物を置いて、9時半ごろに腹ごしらえも兼ねて街の見物に出かけます。

こんな張り紙にニヤニヤしつつ中心部へ。土曜日の夜で賑わう通りを抜けると…

なんとも美しい広場が。ライトアップが幻想的な雰囲気を醸し出しています。この中央市場広場はクラクフ旧市街の中心部に位置し、中世から残るものとしてはヨーロッパ最大なんだとか。正面の建物は14世紀に建てられた織物会館です。


時折聞こえるラッパの音は、この聖マリア教会の塔の上から吹き鳴らされるもの。こちらも1222年に造られたという歴史のある建物で、かつてモンゴル軍がこの街を襲った際、敵襲を知らせるラッパ手の喉をモンゴル兵の矢が貫いたという話まで伝わっています。正時毎に鳴るラッパはそれにちなんだものといい、「ワルシャワが東京ならクラクフは京都」*10というこの街の歴史を感じさせます。チンギスハーンに手を出したくなるような話ですねwww

あの娘に匹敵?そんなことないよー!


右側に見えるのが旧市庁舎の塔。まあそのまんまですね。期せずしてとてもいいシーンを撮影させていただきましたが、恐らくこの2人には相手の姿が少なくとも3割増ぐらいには映っているのでしょう(笑)

教会の前にあるのは19世紀ポーランドの詩人アダム・ミツキエヴィッチの像です。ちょうど満月だったんですね。
広場の脇にはオープンカフェが並んでおり、コーヒーで体を温めながらこんな景色を楽しむこともできます。

ただ私はコーヒーを飲む習慣というのをあまり持っていませんで、ウォッカをショットでいただきます。店員さんおすすめのものが10ズウォティ。今思えばズブロッカ系の味だったと思うので須賀、香りも良くて割合飲みやすかったなあという印象です。なかなかそれ1杯で酔っぱらうこともできないので須賀、一口の酒*11と幻想的な街並み、そして長旅の高揚感と程よい疲れで、今書いているこの一文よりも陳腐な言葉ばかりが私の口をついて出ます。畏れながら共通の知人である学部のアイドルを引き合いにさせていただきながら「この景色は○○さんの0.3倍くらい美しいね」「いや、0.7くらいじゃないの?」「そんなことないよー!」

世界資本に屈し…

でもそう言えば、私達の夜の散策の目的は夕飯を食べることでした。で須賀残念なことに、このカフェでは食べ物は出していないとのこと。朝から少量を何度も食べていたので、確かにお腹がすいているのかどうかもよく分からないような腹具合だったので須賀、まあ何かしら入れておこうということで選んだのが…マックwww 「まあ最悪ここで食えばいいよね」という甘い認識が招いた結末でした。世界標準のビックマック8.6ズウォティ。しかし若者の発想はどこも同じのようで、現地の同世代っぽい皆さんもたくさんいらっしゃいました。
百年の恋も一度に醒めるような夕食を楽しみ、午後11時ごろに宿へ。寝支度をしてベッドに潜り込み、いつもより7時間長い一日を終えたのでした。

*1:同じ理屈で小沢一郎大先生ともお近づきになってみたいです

*2:誉めて言っていますw

*3:他にはパリのルーブル博物館、北朝鮮白頭山など

*4:安酒だ、ということよりは、ここではビールが水と同じくらい安い、という含意です

*5:出発前に話せたのは「おはよう」「こんにちは」「私は学生です」「私は先生です」「私は作家です」の5フレーズでした

*6:彼らの発音がうまく聞き取れなかった私は、旅行中「ズローチ」と連呼していました

*7:新聞を書く側が割とこういう部分を気にしていて、読む側が全く興味がないんだとすると、書く側は自分たちが1日2日のいわゆる「抜き抜かれ」にこだわり過ぎているのではないかと一度は自戒すべきだと思います

*8:もう1ズウォティ払って!

*9:これは持論なので須賀、そう遠くない未来の帰りの航空券だけを持って旅行する場合、重要なのは出口戦略だと思っています。今回の場合、クラクフからヴィリニュスまでの移動を自力で手配することが前提なわけで、本末転倒かもしれませんが、こういう旅程を組んだ以上、極論すればアウシュビッツはともかく、クラクフ観光よりはその前提が重要にならざるを得ません

*10:もちろん逆も言い得ることで、彼らからすれば京都は「日本のクラクフ」かもしれませんし、違うかもしれません

*11:どんな酒でも、「酒を飲んだ」という気分になれる一口目が一番酔っ払うというのが私の持論です