かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記七日目・アイーンウィーン

さよなら、ヴィリニュス

旅行記も7日目。この日の昼、ヴィリニュスからアイーンウィーンに飛ぶことになっており、ポーランドリトアニアを旅するという趣旨からすれば実質的に最終日となります。アイーンウィーンでの滞在はほぼちょうど24時間。最後に一発ぶちかませ!というのがこの日のコンセプトになるのでしょう、か?

人間の鎖」の起点へ

この日は8時に起きて9時には外へ。昨日あれだけ歩き回ったのに、まだ足りなかったようですw 向かったのは大聖堂。お目当てはこれです。

「奇蹟」と書かれたタイル。昨日分でご紹介した「人間の鎖」の起点となった場所だそうです。昨日はそうとも知らずに探すこともせずスルーしてしまったので須賀、昨晩飛行船の形をしたふかし芋を食べながら「人間の鎖には感動したわ」と語りあった私達は、これだけは見てヴィリニュスを去ろうと、チェックアウトまでのわずかな時間を利用してやってきたのでした。ちなみにこの上で反時計回りに3回まわりながら願い事をすると叶うそうなので、もちろんおのぼりさんっぽくやってみました。願い事もしたので須賀、その内容が具体性を帯びてこない状態を解消することをこそ願うべきだったのではないかに一票。

かわいらしい国際空港へ

そんなに時間もありません。急ぎ気味に宿へと戻り、荷物をまとめて10時半にチェックアウト。ヴィリニュス駅までは15分もあれば十分着いたので須賀、次の空港行きが11時半とのこと。アイーンウィーンでの身の振り方などを相談して時間を待ちます。

電車は発車10分ほどで空港まで連れて行ってくれます。

えっ、これが首都の国際空港?と驚くくらいかわいらしいターミナルビル。うちのお里の空港の方がでかいんじゃないか…w

「東京は放射能は大丈夫なの?」

空港内では、ウクライナの女性と話をしました。というのも、彼女は2010年ごろに1年間、神戸に住んでいたそうで、私達に日本語で話しかけてきてくれたのです。ちょうどその時私は尿意をもよおしていて、その女性に「トイレはあっちですよ」なんて教わってそっちに向かって駆け出していたので須賀、後で友人に聞いたところによると、彼女は「東京は放射能は大丈夫なの?」と尋ねてきたとのことです。ウクライナと言えばまさしく、チェルノブイリがあるところです。大丈夫なのかと聞かれたのであって、それ以上の含意があるかどうかは判断しようもありませんが、それだけ認知され、心配されているということは言えるでしょう。
ちなみにヴィリニュス空港では微弱ながらWi-Fiが繋がり、スマートフォンで簡単な書き込みをすることができました。

機内で知った「中東の狂犬」の死

アイーンウィーン行きの飛行機は、午後1時半ごろ離陸。ヴィリニュスを覆う灰色の雲を突き破って、西へと向かいます。
機内食はパンケーキにサンドウィッチ。飲み物にワインをいただいて、ひと眠りしようと座席に深く腰掛け直すと、前の乗客が読んでいる新聞が視界に入ります……カダフィ死去!?
新聞をひったくって読むわけにもいきませんので、それ以上のことは何も分かりませんでしたが、もしリビア国内で戦死したということなら*1、戦闘の長期化は全く望ましくはなかったけれども、「中東の狂犬」らしい死に方だったのかなあ、なんて無責任なことをぼんやり考えておりました。そしてもう一つ、また海外でこういう死に目に逢ってしまったという思いも募ります。今年の5月、ビンラディンが死んだのを知ったのもシンガポールでした。日本国外の報道を見られるという意味でチャンスと言えばチャンスなので須賀、旅行中という制約は大きいものがあります。まあ金正日死去を万全の態勢(?)でキャッチできたというところで、最低限の面目は果たしたということにしてください。

弾丸アイーンウィーン観光

宿を確保し…

2時間弱のフライトで、アイーンウィーン国際空港に着陸します。リトアニアと1時間の時差があるため、オーストリアに降り立ったのは現地時間の午後2時半ごろということになります。
空港を出て、3時のアイーンウィーン西駅行きバスに乗り込みます。バスはアイーンウィーンのイメージとはちょっと違った工業地帯を通り抜け、1時間弱で西駅へ。駅近くにホステルを見つけ、2人1泊48ユーロで泊めていただきました。とてもフレンドリーに接客していただいたことを記憶していま須賀、大荷物で入って来て1泊だけだと言う日本人に、若干怪訝そうな表情でした。
ホステル周辺の街並みはこんな感じ。

ヴィリニュスから一転、青空が印象的ですね。

こんなところにデーブ!?

そこから向かったは中心部のマリア・テレジア広場。

ここにおはしますのはもちろんマリア・テレジアなんで須賀、


どうやらオーストリアが誇る別の有名人の方もいらっしゃるようです。デーブ・スペクターではありませんので念のためwww

美術史博物館を1時間で見る?

さて、ここに来たのは何のためか。それは、他ならぬ美術史博物館を見学するためです。この判断は、もちろん昨日の日本人女性に焚きつけられたせいだというのも大いにあるでしょう。ただ、今回の旅行で一度ぐらいはゆっくり絵を眺めてみたいという思いがあったのも事実。そもそも24時間でアイーンウィーンを一通りまわってくるなんて無理に決まっているわけで、ならやりたいことをやっちゃえ!となったわけです。ちなみに現在時刻は午後4時40分。閉館は6時です。既に結果は見えているような気もしま須賀、一度定まった方向性を変えるのは、2人でも難しいことでした。況や1億2千万をや。
そんなわけで行きましょう!いつも通り、頼るは自分の感性ただ一つです(笑)

美術館に出会いを求めて(笑)

12ユーロ払って入ってみると、館内はこんな感じです。

美術品を収めるハコの方も立派なもので須賀、そちらの方に目をくれている気持ちの余裕は正直言ってありませんでした。もちろん「走ってでも全部見てやる」なんてことを考えていたわけではありません。「全部見る」ことが自己目的化してしまえば、きっと達成感以上のものは得られないでしょう。そうではなく、一つでも二つでも、これは、と思うアイドル絵に出会いたい。なるほど、と思って出口をくぐりたい。そう思って気が急くのでした。
美術史博物館では、1階で古代彫刻、2階は絵画、3階に貨幣やメダルを展示しています。まず足を向けたのは2階。どうやら冬の絵の特設展示をやっていたようで、写真などよりずっとキリリとした空気の感触が伝わってきそうな絵を眺めながら、部屋を巡り始めます。この階はざっくり言って二つのエリアに分かれており、それぞれがドイツ・ネーデルランドと、イタリア・スペイン・フランスに分かれていたので須賀、実は私、そのことをほとんど意識せずに回っておりまして、後々の「どこの国の絵の方がよかった」などという友人の評には全くついていけませんでしたww ただまあ、飾られている一つ一つの絵と気が合うかどうか、見つめあってきたつもりではありますので、ここはポイントを絞ってしゃべりましょう。

「必見」ではなく…

まず、単数か複数かは問わず、どこの美術館にも「キラーコンテンツ」というべきものはあるものでしょう。ルーブル美術館モナリザはあまりにも有名でしょうし、行ったことのある数少ない美術館の一つ、オルセー美術館だとモネやルノワールの一群になるのでしょうか、素人発言ですみません(笑) しかし、この美術史美術館にも「必見」と言われている絵があるのも事実です。ブリューゲルの「雪中の狩人」「農民の婚礼」「バベルの塔」、ベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女*2」、フェルメールの「絵画芸術」、アルチンボルドの「夏」*3…。ジャック・ルイ・ダヴィッドの「アルプスを越えるナポレオン」は、世界史を勉強された方ならタイトルを聞けばどんな絵だったか思い浮かぶのではないでしょうか。
そんな絵達も確か、確かに見てきました。ただ、その中で印象に残った絵、ぱっと見て「わかるなあ」とか「もっと見ていたい」と思うような絵は多くなかったような気がします。逆に、この美術館で見た*4絵の中で一番、今でも心に残っているのは、18世紀のイギリスの画家ジョジュア・レノルズの「Lady Caroline Scott」。冬の荒涼とした雑木林のような場所に、かわいらしい服を着た幼い少女が微笑んで立っている。その隣には犬。しっかりおめかしをした少女とその表情が、彼女が立っている漠々とした大地の中で際立っていて、ある種の場違い感と言うか、「どうしてこの子はこんなところにいて、しかも心配事もなさげに笑っている(いられる)のだろう」と逆にこっちが不安をそそられます。そんなことを考えながら、しばらく彼女に見入っていました*5

「専門バカ」への警句?

もう1組、と表現するのが適切かどうか分かりませんが、ご紹介したい絵があります。ともにネーデルランドのクエンティン・マセイス「St. Hieronymus in the Cell」と、同じ題材を描いたマリヌス・ファン・レイメルスワーレの絵*6です。これは基本的に同じ構造*7の絵で、ともに赤い服を着た髭の長いおじいさんが、室内で頭がい骨を傍らに聖書らしきものを読んでいる場面が描かれています。しかしよく見比べてみると、いや、ぱっと見一目で、後者のおじいさんの方が前者より顔の肉がこけ髭は無造作に伸び、部屋も古びて頭がい骨も欠けているのか転がっている、つまりより時間が経っていることが分かる。しかもそれによる洗練ではなく、まるで朽ち果てんかのような様相で。経った時間が何年なのか、あるいは十何年、二十何年なのか分かりません。ただ、多分描かれている彼は、ここでずっと、傍らにある頭がい骨を弄りながら本を読んでいたのではないか。そんな直感に襲われます。
この1組の絵が別々の画家によるものだとは、実は当時気付きませんでした。だからでしょうか。二つを見比べたその時、この絵の含意は象牙の塔に籠るような、今風に言えば「専門バカ」になることへの警句にあるのではないか、これもそのように直感したのを鮮明に覚えています。後者が前者の一種のパロディであると知った今でも、それが全くの間違いであったとは思えません。「専門バカ」*8ならぬ「バカ専門」*9である私*10が言うので間違いはありませんww
ちなみに館内の絵の写真は撮っていないため、ここでそのものをご紹介することはできません。ただ、画家や絵の名前で検索すれば該当する絵は出てくるハズですので、さほど知られていないと思われる絵*11の話ばかりして恐縮で須賀、この拙い文でご興味を持たれた方は賢人・ググレカスに須賀ってみてはいかがでしょうか。

「キリストとおっぱいはスルー」

そんな絵達との出会いがあった美術史博物館見学。序盤は「絵への照明の当て方も大事なんだろうなあ」なんてことも考えながらふらふら歩いていたので須賀、残り時間が30分近くになったあたりから、さすがにちょっと焦り始めます。確かにコンプリートにこだわる必要はない。でも、次何年後に来られるか分からないこの美術館で、なるべく多くの「出会い」はしたい。そんな葛藤の中で、自分の気持ちを揺さぶってくれるような出会いをするためのスキャニングの基準が、徐々に確立されていきました。それは「キリストとおっぱいはスルー」キリスト教に関する知識も浅く、そもそも宗教心自体が希薄な私に、宗教画はやはりピンとこないものがほとんどでしたし、裸体画にもそれ以上の価値を見いだせないというか、ある種の性的な表現であることに身構える気持ちがなかなか抜けず、芸術として楽しむというところまで到達できなかったのかもしれません。
まあ、とにかく、それらの絵にはなかなか関心を持てず、違ったジャンルの絵を「スキャン」して回った1時間強。時間ぎりぎりでつまみ出されそうになりながら収蔵絵画の図録*1220ユーロで買い、外へ出ます。結果として、2階はほぼ回ったのではないでしょうか。他は全くでした。なんだか、制限時間ギリギリに試験の答案を書き切った時のような感覚*13。次に美術館を訪ねる時は、真っ白な陶磁器を眺めるような鑑賞のし方がいいな、と深く脳裏に刻み込んだのでした。

王宮の中庭で兵器展示?

さて、博物館を石もて追われた私達は、そのまま市の中心部に向かいます。

ブルク門をくぐると見えてくるのは…

ん?兵器の展示?? ブルク門と王宮、新おにぃ新王宮という、まさにハプスブルク家の栄華を証明する壮麗な建築物に囲まれた「王宮の中庭」とでも言うべきこの場所に、なんでまたこんなものを展示しているのかいまいち判然としません。奥に見える「カール大公騎馬像」もなんだかやりにくそうです。
一度通り抜け、ミヒャエル広場から見る王宮です。

あたりも暗くなってきました。多少明るく見えるのはカメラの設定ですw

アイーンウィーン中心部を歩く

ここから市街地を歩きます。美術史博物館からここまで、どちらかというと「壮麗」「整然」といった場所でしたが、お店なども立ち並ぶようになってきました。後ろに王宮も見えますね。

ちょっと進むと、こんなモニュメントがありました。

ペスト記念柱です。もちろん「偉大なる領導者ペスト将軍様マンセー!」という意味ではなく、17世紀末に流行したペストの終結を神に感謝した時の皇帝が建てたものなんだそうです。

シュテファン寺院の「折れない」美しさ

そしてそして、アイーンウィーンの中心にそびえ立つ街のシンボル・シュテファン寺院です。

…って、張りぼてですかorz 観光のハイシーズンを外すというのはしばしばこういうことでもあるのでしょう。しかし高さ137メートルという南塔の存在感は(ワルシャワのなんとかという巨大建造物ほどではありませんが)際立っていますね。非常に細く、長く伸びているゴシック様式の大寺院。こういうものを見ていると、ゴシック様式が人間に訴えかけるところの根本にあるものというのは、細く長く造られていながら精緻さを保っていること、もっと言えばポキっと折れちゃったりとかしていないことなのではないか、なんてアホらしい仮説も頭をよぎったりもします。
当初は南塔の頂上からアイーンウィーンの夜景を楽しむ予定だったので須賀、頂上への階段の最終入場は午後4時半。もちろんそんな時間とっくに過ぎているわけで、おとなしく中の見学だけにしておきましょう。

中のスケールも豪華さも見ての通りです。ただ、ミサらしき儀礼が行われている背後では、観光客が終始ガヤガヤ。

観光客が言うのはなんで須賀、非常に観光地化された一面をも見ることができました。

最後の晩餐は「バミューダ・トライアングル

時刻は午後7時前。おのぼりさん観光はこの辺にしておきましょう。この旅行最後の晩餐のお時間です。最後なんだからはしゃいでやれ!と向かったのは、シュテファン寺院から北側、ドナウ運河の近くにある「バミューダ・トライアングル」なる一角。なんでそんな名前が付いているかというと、「入り込んだら酔っ払って消息不明になる人が多いから」。それを聞いて飛び込まないわけにはいきません。

確かに皆さん、なんだか楽しそうですねww
その中で入ったのはこのお店。

店名は「クラー・クラー」。解説の必要はないでしょう。

片っぱしからビールを飲んで…

店では、「この店だけはオレが持つからじゃんじゃん飲むぞ!」と1人だけアクセル全開の私。途中から、500ミリリットルの瓶ビールを片っぱしから飲んでやろうとメニューの上から注文し始め、一本ずつ写真撮影を開始。






途中ガラス越しにこんな方々にもご挨拶。周囲から友人に「まだこいつ(私)に酒を飲ませるのか」という痛い視線が注がれながらも*14


天皇を語るに何をそんなに委縮しているんだ*15」的な放言をしながら注文を続けます。ご覧の通り、最後はピントすら合っていませんwwww
結局頼んだのは最初のジョッキ1杯と瓶8本。味の違いなんてもはや分かりもしないのに、さも分かった風に「これ、さっきのよりおいしいよ」なんて言いながら友人に飲ませた分を勘案すると、4リットルほどになるでしょうか。最後の瓶の横にはテキーラと思しき友人のショットが置かれていたので須賀、それにまで手を出していたかどうかは定かではありません。

予言の自己成就

いくら花金でも、来たばかりの街の繁華街でこれはやり過ぎだと思ったことでしょう。4リットルのビールで私が本当にクラー・クラーを地で行ってしまったと判断した友人は、こいつはもうまともに会計ができないだろうとしめて約90ユーロをクレジットカードで支払ってしまいました。
その後について私からは特段、申し上げることはありません。ちなみにこの後の私の行いについて友人は「街中で白人の若い女の人とハイタッチしていた。地下鉄でも騒いでいて連れて帰るのが大変だった」と供述しているということです。

*1:結局そのようでしたが

*2:もちろん丸刈りではありません

*3:あの、野菜で顔を作っているやつです

*4:この強調部分は、館内で私が撮った行動の重要な結末を示唆しています

*5:いえ、決してそういうハンバート・ハンバート的な趣味はありません

*6:「Saint Jerome in his study」と思われま須賀、ちょっと自信がありません

*7:絵画の世界において充てるべき適切な語彙を私は持っていません

*8:基本的にはマイナスイメージを付与して発せられる言葉で生姜、確たる専門のない身からすると羨ましさすら感じます。

*9:最近はそういう人が増えてきた、と生姜先生が嘆いておられました

*10:柿崎景家などの「戦闘バカ」とも違います

*11:そう判断した根拠は後に出てきます

*12:ちなみにこの図録には、私がこれほどまでに(?)語った三つの絵は出てきませんでした

*13:こういう表現しかできないのは、人生において試験と試験勉強ばかりしてきたことに起因する発想の貧困さが生んだ弊害です

*14:友人談

*15:執筆時点で判断するに、彼がその指摘に該当するともあまり思えません