かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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キューバ de バカンス二日目・ハバナ新市街&旧市街

キューバの帝国ホテル」を根城に

この日の話を始める前に、今回の旅程について説明しておいた方がいいかもしれません。

そもそもキューバは東西に長い島で、全長約1250kmもあります*1。首都ハバナは西部に、キューバ革命発端の地でもある第二の都市サンティアゴ・デ・クーバは東部に位置し、両都市は900km弱離れているそうです。これは東京と大阪というより、福岡に近い距離感です。

それだけ離れているということもあり、私達は今回ハバナに腰を据え、そこから日帰り圏内で行動することとしました。東部のサンティアゴ・デ・クーバグアンタナモ*2にもかなり魅かれたので須賀、今回も大人だけではありませんので、余裕を見て行動するのが肝要でしょう。

宿泊先に選んだのは、ハバナ市内の「ナシオナル・デ・クーバ」です。米国の影響下にあった1930年に建てられたキューバを代表するホテルで、数々の貴賓が宿泊した「キューバの帝国ホテル」とでも言えるでしょうか。

そんな高級ホテルに宿泊できたのは…安かった*3からなんで須賀、先取りして言ってしまえば、値段とサービスを比較したコストパフォーマンスだけではない、それ自体が歴史の現場である場所に滞在する価値を感じさせてくれるホテルでした。

 

そろそろ本題に戻りましょう。そういう歴史あるホテルに宿泊していることですし、この日は特段の遠出はせずに過ごす予定でした。何よりも時差ボケの影響が長男を中心にどのくらい出るのか読み切れなかったので、彼が楽しみにしているプール遊びでもしながらリハビリに努めようという意図でした。

なので朝は何時まででも寝ていてよかったので須賀、7時ごろに目が覚めてしまいます。

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大体北東の方角なので須賀、この時間だとまだ太陽が昇りきっていない感じですね。

身仕度を調えて朝食へ。

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ビュッフェです。事前に聞いた範囲では、あまりキューバの食べ物をよく言わない人が多かったので須賀、宿の朝食は毎日おいしく、お腹いっぱいいただきました。

そこからホテル内を散策します。

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長男が楽しみにしているプール。

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モハメド・アリナオミ・キャンベルですね。

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フィデル・カストロと要人たち。

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フィデルチェ・ゲバラ

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ホテルのロビーから、

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いかにも古風なエレベーター*4で自室に戻ります。ちなみに上の目盛りは階数表示…だったので生姜現在は機能していない様子でした。

「革命キューバ」を体現する広場

部屋でしばらく長男とトランプ遊びをした後、ちょっと新市街だけ散策することにしました。見どころの多い旧市街とやや距離があるエリアなので、ここだけ先に観光してついでに昼食でも食べて来ようという算段でした。

11時半ごろにホテルを出て、タクシーで新市街の革命広場に向かいます。タクシーはハバナ市民の重要な足にもなっているのだそうで須賀、またしても言い値で乗った15CUCというのはいかにも高かった。

革命広場というのは、メーデーなどでフィデル・カストロが演説をぶった場として知られています。

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こちらはホセ・マルティの像と記念博物館です。ホセ・マルティとは、19世紀後半にキューバをスペインから独立させることに命をささげた人物で、フィデル・カストロらにも敬愛されました。そしてその背後にある塔のような建物が彼の記念博物館で、かつては共産党のオフィスだったのだそうです。博物館なので入ることもできるので須賀、この日はあいにく日曜日で休館でした。

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順に情報通信省と内務省です。情報通信省の壁に描かれているのは、キューバ革命で活躍したカミーロ・シエンフェゴス。当時絶大な人気を誇った人物だそうで、彼が革命後間もなく航空機事故で死んだのは、カストロ兄弟がその声望を恐れたからだ、との説もあるそうです。このモニュメントが設置されたのは、死後50年にあたる2009年のことでした。

内務省の方は、ご紹介するまでもありませんね。

こうして見てみると、ここは東京でいえば霞が関の官庁街に相当する場所、ということになりましょうか。一方で、(そういえば)『大衆の国民化』(ジョージ・L・モッセ)では、国民的記念碑と祝祭の空間の関係について論じられていま須賀*5、この場所でも「大衆集会のお膳立てをするべきもの」としての記念碑の役割は一定以上果たされているでしょう。

「建国の英雄」として讃えられるホセ・マルティ像の前で、彼の体現者であるかのように語るフィデル・カストロ。そしてそれらの背後には共産党があるわけです。キューバ革命が、そもそも米国の経済支配の打倒を図った民族主義革命であったか、当初から社会主義化を企図した社会主義革命であったか、については(もちろん程度論なので生姜)さまざまな議論があるようで須賀、この空間にはその両者が共存しています。むしろ、ホセ・マルティのバックに共産党の施設があるというのはちょっとエグいですよねww

キューバ独立運動から連なるキューバ革命と、革命政権のあり方」をバックに大衆に語りかける。ここはキューバ共和国という国家のレゾン・デートルを体現した場所だと言うことができるかもしれません。その意味では、この広場は日比谷公園というよりは、皇居前広場のような位置づけかもしれませんね。

世界遺産・旧市街を歩く

…ただご覧のとおり、ちょっとどこかで飯を食うというような場所ではありませんで(祝祭の空間には不釣り合いか)、やむなく再び移動することに。旧市街には深入りせずに翌日ゆっくり…のつもりだったので須賀、お土産を見がてらそちらに移動することにしました。

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タクシー乗り場には色鮮やかなクラシックカーのタクシーが並んでいて、相場よりもやや高くはなりま須賀、乗せてもらうこともできます。ただ今回は長男希望で三輪の「ココタクシー」を利用しました。

ただこのココタクシー、適当な写真がなくてご紹介できないので須賀、バイクに庇があるような構造でシートベルトがあるわけでもなく、お世辞にも安全な乗り物とは言い難かったです。車の排ガスも結構なもので、運転手さんも「大気汚染が問題になっている」と言っていました。

それはともかくココタクシーは発車します。

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カラフルな建物や車とすれ違いながら旧市街の方へ。

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旧国会議事堂(カピトリオ)。1929年に米国ワシントンD.C.連邦議会議事堂を模して建てられました。歴史の変遷を感じますね。

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こちらはハバナ大劇場。18世紀後半に建てられたそうです。

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劇場脇の路地もいい感じです。

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そして旧市街観光の拠点にもなっているセントラル公園。これは再びのホセ・マルティ像です。

そのすぐ奥にあるのがバー「フロリディータ」。キューバを愛し、20年ほど住んだ作家・ヘミングウェイが通った店です。彼が注文した砂糖抜きのフローズンダイキリが名物になっています。

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ヘミングウェイがいつも座っていた席には、彼の銅像が。

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ダイキリを注文すると30秒と経たずに出てきます。

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頼む人が多いので常時作り続けている様子でした。

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音楽演奏も(カメラ目線ありがとうございますw)。屋外は汗ばむ陽気。涼しい店内でドライなカクテルを味わいながら、生演奏を楽しめるというのは贅沢な時間でありました。

土産物屋を覗きながら、オビスポ通りを海の方へ。

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ピザ屋にちょっとした行列が。

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ホテル「アンボス・ムンドス」。ヘミングウェイが長期滞在していた宿として有名です。

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この辺で昼食にしましょう。肉料理をいただきましたが、

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このモヒートのアルコール度数が高めでちょっと驚きました。日本のモヒートのノリでゴクゴクやれる感じではなかったです。さっき買った水をチェイサーに飲み進めました。

そういえば、水を買った店の軒先でこんなことがありました。通りを向こう側から歩いてきたおじいさんが、長男を見つけてスペイン語で何か言っています。話しかけられた形の長男はもちろん、私もスペイン語は分からないので須賀、ただ「ハポネ(日本人)」と連呼していたのは聞き取れたので、(4歳児を矢面に立たせ続けるわけにはいかないので)私が「ハポネ」と応じてみました。

するとおじいさんは言葉が通じると思ったのか、今度は私に向かってまくし立ててきます。「ごめんなさい、スペイン語分かりません」と言うのを忘れてしまうくらいの勢いで、結局苦笑いでやり過ごしてしまいましたorz ただ苦笑いで状況を見守っていたのは周囲の人も同じだったようで、おじいさんが去った後、「『ハポネ』しか分からなくて…」と告白したら、店のお兄さんは笑って親指を立ててくれました。

ちなみに彼は、水を買ったついでにCUCをCUPに両替してくれました。まあ結局CUPは使わなかったんですけどね…

街中でもホテルでも、「中国人?」と聞かれることは確かに多かったで須賀、どこで判別するのか、日本人かと声をかけてくれる人も少なからずいました。彼らが知っている日本人はやはり野球選手で、松坂、イチローの名前は何度か挙がりました。10年前、フランスでミサンガ売りに「ナカタ」と連呼されて困惑したのをふと思い出しましたが、個人的にはサッカーより野球の話題を出してくれた方が話しやすくてよかったです。

この通りでもう一つ、日本絡みで面白かったことを。立ち寄った土産店で、長男がちょっとしたオマケをもらったりしていたので須賀、その店のおじさんが日本語が書かれたTシャツを着ていたんですね。確か白地に青い字で、こう書かれていました。

古い学校 通りを尊重

 

さすがになんだそりゃwwという文言でしたので、去り際に一声かけてみることに。

私「(シャツを指さして)日本語ですね」

男性「ああ、幸せであろうぜ(「be happy」)、というような意味さ」

私も英語が書かれているシャツはいくつか持っているので、その内容にも気を配ろうと思った瞬間でした。

昼食後は、先ほど来た道を戻ります。

*6

一通り見た上で、フロリディータの近くの店で売っていたTシャツを買うために戻ってきたので須賀、あいにくお店はもう閉まっていました。まだ日曜日の午後3時なんですから、もうちょっとやる気を示してくれてもいいのではないかと・・・orz

ちょっと外出するだけのつもりが、ずいぶんと出歩いてしまいました。再びセントラル広場付近からココタクシーに乗り、ホテルへと戻ります。

海沿いのプエルト通りを走っていたので須賀、途中で燃料がなくなったのか、運転手さんは私たちを一度降ろし、給油のようなことをしていました。

この運転手さんとは野球選手の話をしました。彼は日本で活躍しているキューバ人選手としてデスパイネの名前を挙げていましたが、私が「グリエルはいい選手ね、いい選手。能見さん愛してる」「セペダもいたね」などと返すと、彼はどちらも言葉少なでした。考えてみれば、グリエルはキューバから亡命し、セペダは「キューバ球界の至宝」などと言われながら日本では思ったような活躍ができなかった選手です。やや地雷を踏んでしまったのかもしれません。

午後4時頃に宿に戻り、ここから遅いお昼寝に。6時を過ぎてから、ホテルの庭園を散歩しつつ近くのレストランに向かいます。

しかしレストランにたどり着いた途端に長男は再びおねむに。

好物のアイスクリームにはありつくことができませんでしたとさ。

*1:本州が1500kmなので、それに匹敵する長さです

*2:未だに米軍基地がある港湾都市です。米軍による捕虜虐待の舞台になったことでも有名になりましたね

*3:予約してくれた細君曰く、3人で6泊して8万円しなかったそうです

*4:写真は前日深夜撮影

*5:ナチの下で後者の重要性が前者を凌駕していく

*6:道中で出くわした光景。言うまでもなく、左は銅像ではなく芸人さんです