かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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スノーデンを尋ねて〜強行軍!ロシア個人旅行記四日目・ペトロザヴォーツクとキジ島

カレリア共和国の首都・ペトロザヴォーツク

几帳面な男性乗務員

ふと目が覚めたのは6時前。すでに外は明るくなっています。ただ、ここに至るまでに1〜2回目が覚めていたのも事実で、それは寝床の縦の長さが恐らく180センチ程度しかなく、ひどい猫背ながら身長が178センチある私は、足を伸ばし切って眠ることができなかった*1ことや、このこともあってか、何度も寝がえりを打つうちに布団がどんどん通路側にずれていってしまったことなどに起因していると思われます。それでも、夜中に目覚める回数がなじんだ布団の上で眠る日本の夜とそう変わらないのは、やはり旅の心地よい疲れゆえでしょうか。できればちょっと使いたくない感じではありましたが、車両のトイレを借りて身支度をし、本を読みながら車窓の風景を眺めていました。
ベッドを机の状態に戻す際、敷いていた布団などは自分で畳んでボックス側の上ベッド*2に置くようになっているようで、私もそうさせていただいたので須賀、私達の車両担当の男性乗務員さんという方はとても几帳面な方で、(私に限らず)乗客一人一人の布団を畳み直し、ちゃんともとあったように収納しているようでした。強面とまでは言いませんが、結構ガタイのいいあんちゃんが一つ一つ布団を畳んでいるのを見ると、妙に親近感が湧いてきてしまいます。

カレリア共和国と「民族」問題

それはともかく、列車が着いてしまう前に、目的地のペトロザヴォーツクについて、説明しなければなりません。モスクワの北約1000キロに位置するペトロザヴォーツクは、ピョートル大帝がこの地に製鉄所を造らせたことに始まる町で、「ピョートルの工場」という意味の地名を冠する、ロシア連邦内のカレリア共和国の首都です。ロシア連邦は、地域ないし民族によって区分された83の連邦構成主体から成り立っており、その中での「共和国」は、ロシア民族以外の少数民族自治をおこなうものとして、高い独立性が認められています。独自の憲法・議会・大統領も持っているそうです。カレリア共和国で言えば、「共和国」の主体たりうる基幹民族はカレリア人ということになるので須賀、その人口構成比は1割ほどで、全体の4分の3はロシア人が占めています。カレリア語というのもあり、これはフィンランド語に近いものだそうです。
ここまで話さずともお気づきの方も多いと思いま須賀、どの人間集団を民族と見なし、あるいは基幹民族と見なすかというのは、政治的権利や力関係の問題とも結びつきうるだけに、非常にデリケートな問題であり、また「どんな判断も恣意的と言われざるを得ない」というディレンマも孕んでいます。ソビエトロシア連邦などにおけるそうした問題は、『民族とネイション』(塩川伸明)で豊富な具体例とともに議論されていますので、そちらに譲ることとしま須賀、こうしたテーマはもちろん、日本史においても無縁のものではなかったことだけ指摘しておきます。悪名高き「旧土人法」で知られるアイヌの問題ももちろんで須賀、例えば今でこそ「秋田小町」「肥後もっこす」「大阪のオバチャン」などと同じ範疇の語として、多くのシーンにおいて「九州男児」のローカル版、あるいは強化版の如く用いられている「薩摩隼人」の「隼人」というのは、歴史的には畿内の朝廷に対する「異民族」と見なされた、というより、朝廷が律令体制を輸入する中で自らの権威付けをするという政治的意図のため、「朝廷の威光にひれ伏し、朝貢する異民族」としてその断絶性・異質性が強調されすらした*3ことも事実のようです。未だに、たまに「日本は単一民族」的な妄言を吐く政治家が散見されま須賀、ネイションやエスニシティといった問題は歴史的にも、現在進行形でも日本の社会とより深い関係を持っていることは肝に銘じておきたいと思いますし、そういった視点に立ってみれば、ロシア連邦内のこうした連邦構成主体のあり方もより興味深いものに見えてくるのではないでしょうか。

スペインで列車事故、少なくとも35人死亡・50人負傷
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン) 24日 ロイター] - スペイン北部の都市サンティアゴ・デ・コンポステーラの郊外で24日、列車が脱線し、これまでに少なくとも35人が死亡、50人が負傷した。当地はキリスト教の聖地として名高く、事故当時は聖人の祝日の前夜を迎えていた。
(7月25日、ロイター)

…時節柄、列車の中でする話が脱線するというのもかなりよろしくないので、このくらいにしておきましょう。

オネガ湖に向かって歩く

列車は午前9時6分、定刻通りにペトロザヴォーツクに到着します。こちらが駅舎です。

ここからヨーロッパ第2の広さの淡水湖・オネガ湖までは歩いて20分ほど。荷物があるのでトロリーバスあたりを使いたかったので須賀、うまく見つからなかったので歩いて向かうことにしました。目指すは、オネガ湖畔にある船の発着場。そこから、木造の教会建築などで知られるキジ島に渡りたい。

レーニン通り」を黙々と歩きます。

荘厳な(?)造りのナイトクラブ。
30分近く歩いて、ようやく湖が見えてきました。

オネガ湖です。


なぜ大砲…?
それにしても、荷物を抱えて歩くこと1時間。ようやくフェリーの券売所を見つけて近寄ると、入口の近くにいたお姉さんが「予約してるの?予約がないと最終便しかないわよ」と話しかけてきます。「まあ、別にいいよね」なんて言いながらカウンターに向かうと果たしてその通りで、というよりさっきのお姉さんは券売所のスタッフで、午後2時45分発のチケットを確保してくれます。それにしても1人2300Pって高いなあ…

カレリア料理を堪能

ちょっと船着き場周辺を散策してから早めの昼食へ。

ロシアと先述のカレリア共和国の旗が並んでいます。

左が国立劇場*4だそうです。この近くにあった商業ビルをちょっとからかってみたら、「Samura侍」なるブランドの包丁がなかなかのお値段で売られていました。
お昼をいただいたのはカレリア料理レストラン「カレリスカヤ・ゴールニッツァ」。


店内の調度品もそれっぽくて、雰囲気も楽しめます。魚中心のカレリア料理を堪能させていただいたので須賀、一番印象的だったのはこれですかね。

見ての通り、魚をベーコンで巻いて焼いています。お味の方はまさに想像通りで、1+1=2であるのと同様、魚をベーコンで巻いて焼くと、焼き魚と焼きベーコンがお楽しみになれます。かなりあれやこれやと注文し、休憩も兼ねてゆっくりさせていただいたので須賀、2人で1590Pってのはちょっと高く内科医?

キジ島で木造建築を巡る

遅れて出航

午後2時ごろに再び船着き場周辺へ。
*5
集合時間と言われた半には乗船口に並んでいたので須賀、時間になっても乗船できないばかりか、後になって別の乗り場にぞろぞろ移動させられたりしたので、場は「おいおい頼むよ」的な空気に。出航も30分以上遅れ、現地滞在や帰港の時間にやや不安を感じさせられます。
ペトロザヴォーツクからキジ島まで約66キロ。船はこんな感じで進んでいきま須賀、先ほど「ヨーロッパの淡水湖で2位」と紹介した湖の面積は甲子園球場約25万個分の広さで、東京・神奈川・千葉の1都2県や、青森県が丸ごと入ってしまうサイズ。船から見る景色はまさに海のようです。

砂混じりのキジ島

一眠りして目を覚ますと、ちょうど江の島が見えてきたオレの家も近いキジ島と教会群が見えてきました。今何時?そうね大体4時半ね。

船着き場で島に降り立って少し歩くと再び券売所があり、またお金を取られます。「入島料」的名目で1人625P。要はペトロザヴォーツクの湖畔からキジ島を観光して帰ってくるだけで約1万円かかりますって話なわけで、さっきの歌の流れで言えば「ふざけろ!」と言うべきところとも思われま須賀、ここで引き返すわけにもいきませんので仕方ありませんね。

木造教会と家屋

このキジ島は、長さ約7キロ、幅500メートルほどの細長い島で、そこにある木造教会建築群が世界遺産に認定されています。「キジ」はカレリア人の言葉で「祭祀の場」という意味で、彼らの宗教儀式が行われた時代もあったそうです。

「蛇に注意しろ、遊歩道以外を歩くな!」と脅かされながら、こんなのどかな景色の中を散策していくと、ついに木造教会群が間近に見えてきます。

残念ながら、下の方で修復作業を行っているようで須賀、なんとかうまく映る角度を探してみました。

小さい方の教会には入ることもでき、

教会内部を見学したり、

島の風景を楽しむことができます。

そこからは、島の南側の木造建築を見学して歩きます。湖畔にある近隣の村から移築したものが多い、言わば日本民家園のロシア版のような場所だそうで、「富農」「貧農」など、農家の経済的地位による暮らしぶりの違いも分かるように展示されている、らしいです。
なにはともあれ、この風景です。



*6

これまで、「木のぬくもり」という日本語と、それを容易に発する人間にどことなく胡散臭さを感じてきたので須賀、ここにあったのは決して蛇ではなく、その「胡散臭い」感覚と柔らかい黄緑色の草原、うっすらとしてさわやかな青空と鏡のような湖面―、そういったものの調和でした。

思いがけない厚意

帰りの出航時間は、案の定ずれ込んで午後7時半。帰りの船内からは、湖面と白夜の薄い空とが溶け合って、水平線がなくなってしまったかのような不思議な光景を見ることができました。

船着き場に戻ってきたのは午後8時45分ごろ。ペトロザヴォーツクを離れる列車の発車時間は午後10時50分ですので、まあいい時間です。少し離れた場所にあるトロリーバスの停留所まで歩き、駅行きの1番トロリーバスを待ちます。そこはバスや乗り合いタクシーも停まる場所で、別に駅に行ってくれさえすれば何だって構いはしないと、来る便来る便に「駅に行きますか?」と尋ねていたので須賀、なかなか来ません。停留所には申し訳程度にベンチが設置されています。妙に鍛え上げられた肉体のさわやかな青年が席を譲ってくれたので、ご厚意に甘えて座って待っていました。まあ、もうちょっと待てば1番が来るでしょう…
そうして、もはや行く先も聞かずに見送ろうとした数台目のバス。さっきの青年が乗り込み、私達にしきりにロシア語で何かを説明しています。乗れ、ということなのは何となく察しがつくので須賀、そもそも本当の意味で共通言語がないと思しき私達*7の間で、私達が駅に行こうとしているという共通了解があるでしょうか? そんなことをとっさに考えてまごついていると、隣のベンチに座っていた女性が「駅に行くならお乗りなさい」と英語で声をかけてくれ、おかげで何とか駅に向かうことができました。
バスは朝来た道を爽快に走り抜け、湖を背に進んでいきます。朝は気付きませんでしたが、あちこちに寿司屋が見えるのは土地柄ゆえでしょうか。間もなく着いた駅前のバス停で降りようとすると、乗り合わせたさっきの青年が私達のバス代をすっかり支払ってしまったようで、笑顔で降車口へと導かれます。そして彼は、細君の一番大きな荷物を抱えた上に、私達が夕食を求めているのを察して、この時間まで開いている食堂を案内してくれました。彼の本来の行く先がどこだったのかは知る由もありませんが、ただバス停で居合わせただけの外国人のバス代を負担し、荷物を運んで一緒に食堂を探すなんてことをするのが、彼の気負うところのない、日常的な行動なのでしょうか。立った時のいい姿勢やきびきびした立ち居振る舞いからして、スポーツマンか軍関係なのでしょうか。疑問は尽きませんが、率直に言って、この時の私の気持ちを表現するには、「うれしい」「ありがたい」という以上に「呆気にとられた」という言葉の方がふさわしいような気すらしました。

「お前たちの施しは受けない」?

それはともかくとしても、何らかの気持ちでお礼を伝えたい。その時思い出したのは、出国前に細君が包んでくれた煎餅でした。どういう経緯のものなのかは判然とはしませんが、和紙の包装に着物姿の人の絵と「義経千本桜」なる文字が大書されています。「日本人からの贈り物」としてはあまりにもベタに思えま須賀、だからこそ「日本人を手助けしたら何かもらった」ということを、将来少しでも思い出してくれる縁になるかもしれない。私達が清潔感のあるカフェに通され、彼が立ち去ろうとする直前、私はその包みに私達の名前を書いて手渡しました。すると、彼はさほど驚いた表情も見せず、その代わりに自分の財布から10P硬貨を2枚取り出し、それを私に握らせます。「お前たちから施しは受けない」という意味なのか、とりあえずの謝意の表明なのか、少なくともプレゼントをしたら返礼が現金だったというのは、構造主義とかで言うような贈与のループ(日本史での事例として『贈与の歴史学』なんかは面白かったです)を断ち切られたかのようで、なんだか違和感は残りましたが、彼の様子を見るに義経千本桜に対するレヴィ・ストロースの見解には与しない立場だったらしく、笑顔で私達と握手を交わし、さっそうと去って行きました。
もっと話ができれば、ロシア語が少しでもできれば、彼の思うところを汲み取ることもできたので生姜、それは叶いませんでした。ただ、せめてもの感謝の気持ちで、ロシアの地方都市でそんな好青年に出会い、親切を受けたことは、ここに書き残しておきたいと思います。

そんなミサコに騙されて

さて、カフェではビールにサラダ、ビフテキと次々に注文。列車の時間まで1時間あったので、まあちゃっちゃと食べていこうと待ち構えていたので須賀、メインの料理がなかなか出てきません。オーダーを取ってくれた安田美沙子似の女の子を何となく急かすので須賀、彼女は持ち前の柔らかい笑顔でこちらのプレッシャーを巧みに切り抜けます。ここで10時半。これ以上は待てないと、注文分払って店を出ようとする段で店員が怪訝な様子でうろうろし始めましたが、悪いけどちょっともう関わっている余裕はありません。かなり焦りましたがなんとか飛び乗り、予定通りに次なる目的地・サンクトペテルブルクに向かうことができました。
…そうなんです。私たちはこの日の朝ペトロザヴォーツクに夜行列車でやってきて、その晩一泊もせずにまた夜行列車でこの町を離れたのです。その意味では、タイトルに付けた「強行軍」を象徴するような一日でした。

今度は1等車!

ちなみに今回乗ったのは1等車。カギ付きの2人部屋で、なぜか見ることはできませんでしたがテレビ画面が備え付けられ*8、電源プラグも付いていました。ちょっと熱が籠りそうなのが気になりましたが、何でもモーニングコールまであるんだとか。車両ごとのトイレも、構造は3等車と変わらないもののかなり清潔にされていました。

ただ、ほどなく注文したコーヒーを出すタイミングについて女性乗務員と細君が揉め始めて、
細君「私は朝持って来てって言ったけど」
乗務員「いや、聞いてません」
細君「何にせよ今は要らないんですけど」
乗務員「他でコーヒーの注文がないので、引き取ってくれないと困りますね。お金払って」
てなひどい会話が展開され、結局細君が折れるという結末に。なんだか後味の悪い感じで須賀、寝ることにしましょう。
ペトロザヴォーツクはモスクワより1000キロ近く北です。すっかり暗くなったのは、日付が変わる頃だったでしょうか。

*1:頭の先ないしつま先を端にくっつけて寝ることはできません

*2:2段ベットの上側をそう呼ぶのは、筆者が過ごした灰色の青春と深く関係しています

*3:あえて「エキゾチックな」風貌で「朝貢」させるなど

*4:カレリア共和国の、ということでしょうか。よくわかりませんでした

*5:帰り道にサッカーやってるのを見かけました

*6:案山子ですね

*7:彼は英語を解さない風で、私達夫婦はロシア語が全く分からない

*8:見られなきゃ意味ないけど