3泊4日で中朝国境へ
6月30日から7月3日にかけて、中国の大連と、北朝鮮に接する国境都市・丹東を旅行してきました。最大のお目当ては中朝国境。丹東は中朝友誼橋で北朝鮮の新義州と結ばれ、中朝貿易の物流の7割以上を担うとされるなど、言わば「中朝国境の表玄関」のような役割を果たしています。一方で、中国に居住する朝鮮族が多く住み、それがために脱北者も多いとされるのはさらに北東にある吉林省・延辺朝鮮族自治州界隈であり*1、その喩えで言えばこちらが「裏の勝手口」と言えるのかもしれません。そうなれば「裏の勝手口」にも当然興味が湧きますし、その間には北朝鮮が白頭山*2と呼ぶところの長白山がそびえてもいます。本来ならば、それらもあわせて周遊するのが「中朝国境旅行」の趣旨に適うので生姜、今回は特に日程的な制約が大きく、丹東だけでもと訪ねることにしました。
さて今回なんですけども、(腕には自信がないので須賀)写真を中心にして、興味深かったことをピックアップしてご紹介していければと思います。帰国翌日の4日にも北朝鮮がICBMと称するミサイルを発射するなど、彼の国を巡る情勢が日々変化する中、なるべく早く見聞きしてきたことをお見せしたいと思ったからです。丹東にちらっと行って来たくらいで何が「刻々と変化する北朝鮮情勢」だ、というご指摘もありま生姜、そこは甘んじて受けつつ、早速本編に入りたいと思います。
「北方の香港」散策
大連周水子国際空港
約10年ぶりに中国に降り立ちました。大連周水子国際空港です。到着ロビー周辺だけ見る限りでは、鹿○島空港を思わせるようなこじんまりとしたターミナルです。最近できたという地下鉄で市中心部と繋がっています。
労働公園北エリア*3
労働公園の北側にある、高層ビルや大型商業施設が立ち並ぶエリアです。
こちらの2枚はホテルの窓越しに撮ったもので、決して大気汚染の原因物質を捉えたわけではありません(笑)
旧連鎖街(日本人街)
先ほどのエリアから街のメインストリート・中山路を挟んだ北側にあるかつての日本人街です。細い路地ばかり歩いてしまったせいで、「ここが三船敏郎の父親が経営していた『スター写真館』の建物だよ」的な場所*4には行きつかなかった*5ので須賀、レンガ造りの背の低い建物が並ぶ様は周辺と比べても異彩を放っていたと感じます。木造ではないので、日本の風景ともまた一味違ったのでしょうけど。
中山路周辺
そのメインストリートを東進します。
おなじみの店もありますね。ちなみにケンタッキーの建物はもともと教会だったそうです。感謝祭の日は鶏を放免したりするんでしょうかね?(笑)
こちらは…ワクドナルド??
中山広場
ここが言わば大連のシンボルです。ロシア統治時代はニコラヤフ広場、日本時代は大広場と呼ばれていたそうで、まさにこの街の発展の歴史を象徴する証人だとも言えます。見ての通り、当時建てられた欧風建築物の後ろに高層ビルが立ち並んでいるのも特徴的ですね。金曜日の夕方とあってか、多くの人の憩いの場となっています。
1909年に建てられた横浜正金銀行大連支店は、中国銀行大連分行として使われています。
こちらの大連賓館は、1914年にヤマトホテルとして建てられました。
現在、中国工商銀行大連分行として用いられている旧大連市役所(1920年建造)。真ん中の塔は祇園祭の山車をイメージしたものだそうです。
この日は近場で餃子を食べて退散。広場の夜景も見てみたかったで須賀、またの機会にとっておきましょう。
…今回は本当にこんなノリで書き進めてしまうつもりです。翌日がこの旅のハイライトでもありますので、ご興味を持っていただける方はどうかお付き合いくださいませ。