「日本史」にも地域差があります。京都や江戸で起きたある事象が東北から九州までに同様の影響を与えていたということはあり得ず、そもそもそうした地域の直接的な影響をさほど受けてこなかった地域もあります。そんな視点から、家や図書館にあった本を数冊読んでみました。
『東と西の語る日本の歴史』(網野善彦)
古いハードカバー版を読みました。土地制度・度量衡・交通手段などに始まって「東国」と「西国」の違いは大きいどころか、(先ほど「京都や江戸」と言いましたが)「東国国家」を畿内の朝廷とは別のものとして打ち立てたいという系譜も存在し、伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)の一族が「北条」を名乗ったのもそれゆえとされます。
一番興味深かったのは「東国・九州」と「西国・東北」という対比構造の示唆です。最も典型的なのは南北朝時代で、一度敗れた足利尊氏が九州で力を盛り返したことや、南朝の陸奥将軍府の活躍はこうした背景からも解釈する余地がありそうです。
『図説 中世島津氏』(新名一仁)
関東と九州の関係が強まった理由の一つに、元寇の際に九州に所領のある御家人が下向を命じられた*1ことがありま須賀、島津氏もその著名な例です。戦国時代の4兄弟が活躍する前の一族相争う状況についてはよく知らず、勉強になりました。
『隼人の古代史』(中村明蔵)
古代、その南九州には「熊襲」「隼人」と呼ばれる人々がいたとされています。著者はそのうち「熊襲」の実在には疑問を示した上で、隼人がどのような存在で、畿内の朝廷が彼らをどう遇していったかを論じていきます。薩摩国府周辺には肥後から、大隅国府周辺には豊前・豊後から大規模な「植民」が行われたようで、その後の隼人への関心も南島(種子島・屋久島)の状況や当時の国際情勢の影響を受けたとされます。
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ちなみにこちらの本は、「異民族としての隼人」をより構築主義的に捉えていました。
『写真で見る種子島の歴史』(鮫嶋安豊)
一昨年、種子島に初めて行った際に入手しました。島内の名所・史跡案内風でもあり、ところどころに国内外との行き来の跡が刻まれていました。
『アイヌ学入門』(瀬川拓郎)
視線を一気に北に転じ、アイヌの歴史や文化、そして現在について考古学や民俗学の手法を駆使して肉薄していく本です。
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こうした知見から既に言われているように、アイヌはロシア沿海州などに住んでいた「オホーツク人」系の人々と遺伝的な交流があったとされますが、アイヌ・オホーツク人・和人のそれぞれが、いつ頃どのあたりを境にして住んでいたのか、それぞれが相互にどんな影響を及ぼしあっていたのかを豊富な切り口で論じていきます。陰陽師や金を求める奥州藤原氏と関係がある人々までもがアイヌと交流・交易を重ねてきたことが示唆されており、「通史」や「決定版」と呼べるほど学問領域として成熟しているわけではなさそうで須賀、興味深い展望が示されています。
こうして見てみると、その地域ごとの状況や周辺との関係は想像以上に重要なものでした。『アイヌ学入門』に「縄文文化の広がりは、現在の日本の領土とほぼ重なります。もちろん、そこに近代の国民国家を投影したところで意味はありません」という一節がありました。その最たる例がアイヌであり、今回は勉強できなかった琉球であることは論を俟ちませんが、筑紫の磐井のみならず、畿内の朝廷より朝鮮半島の王権の影響下に入ろうとする動きが西国でしばしば起きていたことも『東と西の語る日本史』などで言及されていました。「日本史」という枠組みそのものの妥当性を、絶えず再考続けるべきだと感じさせられました。
*1:私の先祖もその一団の中にいた可能性があるようです