かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行十二日目・最後のイスタンブール観光

定番!トプカプ宮殿とハレム

道端で偶然…

実質的な観光最終日であるこの日は、それにふさわしい場所の見学から始めましょう。
宿を出て、最盛期を含む400年間スルタンが住まったトプカプ宮殿に向かいます。トラムを使うほどの距離ではないので歩いて向かっていると、向こうからはカッパドキアのオトガルで最初に話しかけてきた男の子が。「また会いましたね!新婚旅行って感じでいいですね!」と明るく挨拶してくれます。その隣を見ると、同じく長期旅行者っぽい風貌の別の男の子。ひと時を共に旅する連れ合いを得たのでしょうか。店先では、売り物の布製品の上で猫が寝ています。

宮殿の中へ


「送迎門」をくぐり、敷地内の「第二庭園」に入っていきます。

こちらが「幸福の門」。午前10時前ともなるとこの人混みです。その先は「第三帝国第三庭園」。中にある図書館などは、白い内壁が荘厳な雰囲気を醸し出します。

スルタンと明治天皇

展示室には、イスラームにおいて預言者などと見なされた人たちゆかりの品などが並んでいます。ヨセフのターバン、モーセの杖、アブラハムの鍋、ムハンマドの足型・髭、ムハンマドと4人の正統カリフが用いた剣、カーバ神殿にちなむもの…。「なぜ?」と思うくらい髭が展示されていたのも印象深かったで須賀、よく覚えているのは館内でのコーラン「生放送」。館内の公開スペースで生朗読していて、近くには文字で対訳を流す画面もあったので須賀、しゃべり続けたせいか、咳払いをしたのが思いっ切りマイクに拾われていたのには、思わずニンマリせざるを得ませんでした。
長いオスマン朝の歴史で登場したスルタンの肖像画を集めた部屋もありました。各スルタンの顔を一本の木になった実のように配置して描かれた絵を見ると、「これがオスマン朝の家族観・王統観を示唆しているのかなあ」なんて想像も掻き立てられて興味深いです。そして、ある時点から「欧風化」するスルタンの風貌。アブデュルメジト1世の肖像画は、他のスルタン同様初めて見ましたが、まさにその点においてということなのか、日本の明治天皇のそれと似ている気がしてなりませんでした。

海峡を睨む

一番奥からは、ボスポラス海峡方面、

金角湾方面と見渡せ、

この場所がこうした海域を睨む位置にあることも分かります。
同じく奥にあるバーダット・キョシュキュは、建物も洗練されたスタイルです。


このイフタリエは、ラマダン中に一日の断食を終えて夕飯を食べる場所*1だそうです。

こんな美しい部屋がいくつもあるので須賀、中には「割礼室」なんてのも…
さて、宮殿内にはオスマン朝の秘宝を集めた宝物館もあって、世界有数の大きさというダイヤモンドやエメラルドが飾られていました。宝物館前には入場待ちの大行列ができていましたが、価値の分からない人間には人混みの苦痛の方が大きかったです。

贅なる密室・ハレム

お次はハレムです。スルタンの後宮ですね。この場所はあちこち入り組んでおり、ここがこれです!と具体的な説明をするのは難しいので須賀、

こんな雰囲気のところから入っていき、

こんな場所も通って、



こんな感じの部屋を見学できます。撮影できなかった範囲で言うと、果物の絵で美しく装飾された「アフメット3世の食堂」にも入れます。紹介がざっくりなのは、現地での見学疲れのようなものもあるでしょう。そんなに真面目でも賢くもないもので…
そうであっても、各部屋が念の入った贅沢な装飾である一方で、間取りは狭く、密室的な印象を受けました。まあ、場所の性質を考えればむべなるかなという気はしま須賀。

「愛妾」は何を思う?


こちらはその中で、唯一開放的ともいえる「愛妾のテラス」。街の風景を望むことができます。

この写真は、面白いから撮ってみただけですw 解説するまでもありませんが、「HAREM」と書いてあるのは立ち入り規制線で、奥は合わせ鏡になっているんですね。

セマー見学でスーフィズム体験?

「1組前」の日本人訪問者

一通り見学を終えると午後1時半。スルタンアフメットの辺りで昼食を。カレーは辛過ぎずおいしかったので須賀、観光客がわんさか来るエリアとあってか、接客態度を見ていていい気持はしませんでした。
そういえば、そちらに向かう道中に「日本人女性との結婚を控えている」という男の人と出会いました。彼は私達のようにトルコ旅行に来ていた女性と知り合い、何度も日本とトルコを行き来しながら愛をはぐくんできたそうです。身の上話の中で私達が「北キプロスにも行ってきました」なんて話すと、「カジノが好きでよく行くんだ。32回は行ったよ」。トルコ国内では禁止されているカジノが北キプロスでは許されており、彼のようにそれを目当てに遊びに行く人は結構いるようです。その時は彼女さんと一緒に行ったそうで、「日本人は1年ぶりくらいだって言われましたよ」と私が言い継ぐと、「それは僕たちのことだね」となぜかなんだか自信ありげです。実は彼は、自分が訪日した回数も、彼女がトルコに来た回数も具体的に語っていて、その辺の言うことのリアルさがなんだか面白かったです。

細君はドルマバフチェ宮殿へ芝刈りに

さて、ここからはお待ちかねの自由行動の時間です(笑) 細君はトプカプ宮殿の後にスルタンの居所となったドルマバフチェ宮殿に行きたい様子でしたが、私はここに至って最後の最後まで観光観光で駆けずり回るのがどうも厭になってしまい、ちょっと土産物を見てホテルの部屋でのんびりするお許しをいただいたのでした。しかしまあ、後から宮殿の様子や土産物を見聞きしていると、多少都合をつけてでも立ち寄った方がよかったんじゃないのかという気もしなくはなくて、そんな気持ちも込めて細君が撮った写真を若干でもご紹介させていただきます。


なぜこんなに覗き見的な写真になったのかは判然としませんがwww

神の名のタペストリ

一方の私は、トラム通りからちょっと脇に入ったところにある書店でお買い物。アラビア語らしき文字が描かれたタペストリーがたくさん売られていて興味をひかれるので須賀、もちろん何と書いてあるのかは分かりません。すぐに父娘と思しき2人組が入ってきたので、彼らに尋ねることにしました。
私「これは何って書いてあるんですか?」
娘「預言者ムハンマド、って意味ですよ」
私「ありがとうございます」
しばらく眺めていると、明らかに異教徒といった風体の男が不思議そうに眺めているのが面白いのか、こう話しかけてきます。
娘「あなたはどこから来たの?」
私「日本から来ました」
娘「へえ」
私「ところで、こっちはどういう意味ですか?」
娘「これは神の99の名前が記されているのよ」
「神の99の名前」。彼女がそれをどんな英語で表現したかは記憶が定かではありませんが、九十九神でもあるまいし、とこう質問します。
私「イスラームでは神様はただ一つなんじゃないんですか?」
娘さんは笑ってこう答えます。「ええ。唯一の神様に99の名前があるの」
なるほど。確かにそういう話は聞いたことがあります。「偉大にして高潔なる王」「不滅の指導者」「全ての称賛に値する」「絶対的に正しき者」「慈悲深き者」…。でもなんかそういう人、別のところでも聞いたことありませんか? 「偉大なる守護者」「優しい父」「百戦百勝の鋼鉄の霊将」「21世紀の輝かしい太陽」「偉大なる将軍様」…マンセー!!!

これがその実物なので須賀、赤い文字の下の部分、何度数えても100以上あるんですよね…(笑) ちなみに買い物を終えて店を出るときにお礼ついでに聞いたので須賀、2人はイエメンから来たのだそうです。
その後は、二日目アヤソフィアで教わった直営店で土産物の菓子を買い、宿へ。青い海と街の風景を涼しい場所で*2見下ろしながら、のんびりすることができました。

レンジャーズでセマー投法?

午後6時半ごろに細君と落ち合い、宿のスタッフに連れられて間近の「ホジャパシャ文化センター」へ。ここでセマーを見学します。セマーとは、スーフィズム(イスラーム神秘主義)の回旋舞踊で、白い服でくるくる回る、あれです。これは修行者が陶酔的な忘我状態に入ることで、神との一体化を目指すものとされています。ちなみにこうしたスーフィーたちのことを、ペルシャ語起源の言葉で「ダルビッシュ」などと呼ぶこともあるそうで、中東各地にその名を冠した人というのがいるそうで須賀、回りながら投球動作に入るとさすがにボークになるでしょうか。
ワンドリンク付きで1人50TL。もともとハマムだったというセンターの舞台で、開演を待ちます。

前半20分前後は、鼓などを使った音楽演奏。白いワンピースに長帽子の皆様のご登場はそれからです。彼らは5人で登場し、両手を斜めに挙げて首も傾けながらくるくるくるくるとひたすら回っていたわけなので須賀、回旋する1ターン毎に、麻雀で言うところの親のような役割の人間がいるようで、回り始める前の動作が他の人と異なっています。ということは、この見ている方が気の毒になるような修行を全部で5ターン鑑賞できるのだな、と期待していたら、残念なことに4ターンで終わってしまいました。お互いのためを考えたのでしょうか。

セマーで「のめりこむ」論理

冗談はさておき、かなり過酷であることは間違いないこの修行を見てまず感じたのは、確かにこれをやれば一時的な精神状態の変化を体験することができるだろうな、ということです。延々と回り続けることのみならず、その際に終始首を傾けているというのはかなり「悪質」だと思います。もう一つ、終盤に思い至ったのは、宗教的にしか意義を見出し得ない行為に及ぶことは、大いに宗教的効果を生むだろう、ということです。また胃弱性の神経衰弱が頭をもたげたか、と言われるかもしれませんが、人間は自分が敢えてする行為が無意味なものであると考えるよりも、そこに何らかの意味を見出そうとするなら、「宗教的に意義深いかどうかぶっちゃけよく分からないが、少なくとも他の理由は到底なさそうなので、消去法か思い込みでもって宗教的な意味があると考えるしかない」という思考回路は、その人を宗教化する助けになるでしょう。とすれば、ある宗教的行為が他の意義を見出しにくい固有のものであればあるほど、コミットする人間に対する宗教的効果も大きいのではないかと仮説立てられます。教祖が入った風呂の水でご飯を炊くとか、足の裏がどうのこうので1千万円払って最高ですとか、そうしたものも他に意義を見つけようがないからこそ、のめり込んでいくという側面があったのではないでしょうか。
念のため言っておきますと、当たり前で須賀、私はこのセマーがいいとか悪いとか言うつもりは一切ありません。地下鉄に毒ガスを撒いたり不安に付け込んでお金をだまし取ったりすることはもちろん非難されるべきことだと思いま須賀、自由意思でおじさんが入った残り湯でご飯を炊いて食べるのも、それによってその人が宗教心を深めるのも、そのこと自体は素晴らしいとは言い難いが止めはしません。そういうものばかりを持ち出すから話がややこしくなるのかもしれませんが、今私が論じている意味においては、只管打座と称して足が痛くなりそうな姿勢でずっと座っているというのも、共通性のあるものとして捉えられるハズです。そういう効果がある気がしませんか?それだけです。
男たちの旋回は30分ほど続きました。彼らが去った後の会場や出口では、私を含め数人の男の子たちがその真似をしてくるくる回っていましたが、相当見慣れたものでないなら、そうする方がむしろ真っ当な感覚だと私は思います。

アザーンが告げる旅の終わり

その足で夕飯に向かいます。この旅行の最後の晩餐は、ロカンタで焼き魚を中心にいただきます。食事中にアザーンの声が聞こえます。この旅でそれを聞くのは、恐らくこれが最後でしょう。そう思うと、長かった旅の終わりを告げられているような気がしてきます。何と言っているのか分からないからこそ、なおさらです。同じようなことを考えていたのか、細君は少し泣いているようでした。それでも最後に、味もよく、気持ちもよく食事をさせてくれたことは嬉しかったです。
宿に戻り、明朝にシャトルバスが立ち寄ってくれるよう頼んで就寝。しかしまあ、きれいな夜景です。

*1:ラマダン中でも、日没は飲み食いすることができます。なので「断食でかえって太る」ムスリムも多いとか

*2:ここ重要