かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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あこがれの北朝鮮ツアー二日目・北から見た境界線

【目次】

※写真はこちらから※
 
 

開城へ―ツアーバス車中記など

隊長、一名いません!

モーニングコールは朝6時でした。前日2時だったのできついですね、、、 で、眠い目をこすりながらカーテンを開けて外を見ると、眼下に初めて見る平壌市街地の街並みが! ほとんどのビルが、白がちょっとすすけたような色をしていました。そしてあちこちの建物の上に、スローガンらしき朝鮮語*1を記した看板があったのが印象的でした。っていうか北朝鮮の人民の皆さんは早起きですね、6時なのにもう少なからずの人が歩いていました。ちなみにこの時間はテレビはやっていないようです。
朝食はバイキングでした。質・量ともになかなかでしたよ。
今日は7時半ロビー集合でバスに乗り、板門店と開城の観光をするそうです。軍事境界線をあえて北から見るという行為にある種のロマンを感じていた私は胸を躍らせて、3分遅刻で(藁)ロビーへと向かい、バスに乗り込みました。そんなわけで私たちは最後の方にバスに乗ったので、バスは割とすぐ発車するのかな、と思っていたらここで緊急事態発生。なんと一人足りないことが判明したんですね。で須賀あまり時間の余裕はないということで、ツアーの随行*2を残してバスは見切り発車することになりました。

平壌市街地とその郊外

まずバスは平壌の市街地を南進します。さすがに平壌駅前などは人が多いですね。寿司詰めの路面電車なんていう日本さながらの光景を見ることもできました。そしてしばらく走って祖国三大記念憲章塔*3という二人の女性をかたどった門をくぐり、平壌の郊外へ。
郊外に出ると外の雰囲気は一変しました。農地と野原が半々くらいの平原に、ポツポツと散在する建物。荒廃してしまっているという感じとはまた違うんで須賀、現代というより近代を基調にした「整った」街*4平壌とのコントラスト(もちろんそれらの中間的な景色も少しあったんで須賀)は鮮烈でした。何か富の偏在というか、投下されている財の規模の圧倒的格差という、社会主義国では本来考えにくいものが否応なしに飛び込んできた感じがしましたね。それでもこの地域は国内有数の穀倉地帯だそうで、今年は30年来の豊作が見込まれているとのことでした。バスの中ではガイドのAさんが、古風ながらも丁寧で流暢な日本語で北朝鮮の農業の明るくない現状*5について話していました。

相互理解のための一問一答!?

そんな景色にも慣れ、農業の話が終わった頃、突如として(?)Aさんはこう切り出しました。「日本では共和国*6についてねじ曲げて報道しているせいで、様々な誤解がされています。共和国について質問はありませんか。どうですか、この機会に誤解を解いて行こうではありませんか*7
そんなこといきなり言われてもなぁ、一応ここは北朝鮮だしあまりハードなことを聞くとリアルで「北朝鮮では政治犯とその家族をガス室に…宇和なにをするくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」」なんてことになりかねないし…と思っていたら前の方からぽつぽつと手が。聞いてみると質問が結構多岐にわたっていて面白かったで須賀、ここではそれらのQ&Aの中で特に面白かったものをいくつか紹介することにしましょう*8
Q1「つけるバッジの種類は階級や職業と関係があるのか? またそれは義務なのか?」
A1「階級や職業とは関係ありません。それぞれ自分の気に入ったものをつけています。また、つけるのが義務ということはありません」
Q2「電力事情について聞かせて下さい」
A2「厳しい状況です。石炭はあるので須賀、火力発電に必要な原油ソ連および東欧共産圏の崩壊によってますます入手しにくくなっています」
Q3「住む場所は体制への忠誠度*9によって決まるのか」
A3「それはありません。どこに住むかというのは就職口の問題です。例えば平壌のある電機会社で欠員が一人出たとします。そうすると地方から優秀な技術者を一人転務させる。そのようにして住む場所が決まっていくのであって忠誠度などは関係ありません」
ちょwwっwwwと待ったww これは非常に示唆深い発言だと思います。この言葉によると、①誰がどのような職に就くかは政府が決めていて*10、②勤務先と住居が対応関係にある*11らしい、ということが分かります。ってことは誰がどこに住むかということ(少なくとも「誰が平壌に住むかということ」)は事実上政府が決定している*12ことになりますよね。となると言うまでもなく北朝鮮の人々は、職業選択及び居住の自由を少なからず制限されているわけで。まぁ日本での北朝鮮イメージとは全く齟齬はないですし、実際私も意外とは感じませんでしたw*13 ただ北朝鮮を弁護するはずの(と言うより実際に弁護している)彼らの言葉からこれらの事実が引き出されるとは思わなかったですね〜 まぁ彼らにとってはそれが普通のことなんでしょうから、それを隠す意図すらなかった可能性も否定できませんけど。

ポツリと休憩所

そうこうしているうちに休憩所につきました。高麗時代にそこに運河を引いたことから名付けられた水穀休憩所です。まぁお土産を売っている出店みたいなところを見物してからトイレに行っただけなんですけどねwww あといい青空でしたよ。今日は快晴*14。休憩時間を終えて*15しばらくバスに揺られていたら、いつの間にか眠りの世界*16へ…

板門店―政治の境界線

武装地帯の中へ…

ふと目がさめるとバスは、コチュジャン朝鮮人参で有名な北朝鮮有数の地方都市・開城の町をさらに南進していました。それでもまだうとうとしていると、バスは物々しいというより古さが目立つ金網の前で停車。これがかの有名な板門店軍事境界線なのかな、意外とあっさり着いちゃったとか以前に南*17の軍人はどこなんだろう、と半分眠ったままの頭で考えていると何のことはない。そこは軍事境界線から南北に2キロずつ設けられた非武装地帯とそれ以北の境界だったのです。道理で北の軍人しかいないんですね…
で、ツアー一同はその近くの建物の中へ。そこでは北側の兵士が朝鮮語軍事境界線やら非武装地帯やらの説明をし、それをガイドのBさん*18が訳す形で説明していました。ここでは特別「面白い」ことは言っていませんでしたね。一通り説明を聞き終えた後に付属の売店で国旗と国旗のバッジを大人買いしましたが何か。
そこからまたバスに乗り、北朝鮮側の非武装地帯にある談判所と協定調印会場を見学しました。そこの兵士曰く「休戦を言い出したのは南が先で、結局アメリカが我々にひざまづいたのだ」。ああそうですか。調印会場にぼろい国連旗ときれいな北朝鮮国旗が並んでいました…

コンクリート塊が分けるもの

またまたバスに乗り、いよいよ停戦会議所へ向かいます。このエリアは軍事境界線をまたいで存在する、言わばまさに朝鮮半島分断をシンボリックに体現した場所です。そこで南北の兵士はどう対峙しているのか、北朝鮮から韓国はどう見えるのか*19、韓国側の人たちは今自分たちがいる北朝鮮をどう見ているのか…それらを見てやりたい、その気持ちで胸が一杯…にならなかったわけではないで須賀、私意外と落ち着いていましたよw
会議所につくとまず、北側の建物・板門閣の前から軍事境界線を眺めました。軍事境界線!と言うとさぞかし仰々しい感じで須賀、このエリアでの軍事境界線なんてのは高さ10センチ程度、横幅30センチ程度*20のコンクリート塊が伸びているだけ*21なんですね。子供と言わずハイハイしかできない赤ん坊でも大して苦労をせず横断できる境界線でした、そこで二つの国が対峙していなければ。私たちも板門閣の前の階段を南側に向かって下ることは許されなかったんで須賀、やろうと思えば境界線を突破することそれ自体は可能だったと思います。ただ突破した直後に(ry …とにかく、当然のことで須賀この二つの国を分断しているのは物理的な障壁ではなく、政治的な境界なのだと実感しました。まぁたいていの国境がそうなんでしょうが、統一を望む(と少なくとも言っている)両者がこうしてピリピリした雰囲気で向かい合っているのは少し妙な気もしましたし、残念でもありました。
その後板門閣に上って少し高いところから向こう側を見ました。するとあっち側にも見晴らし台みたいなのがあって、そこに来た観光客らしい人たちがこちらを見ているのが分かります。どんな人が来ているのかと思い、双眼鏡とかで彼らをよく見てみると、彼らはやや緊張した面持ちで一列退場*22とかやってたんですねw 対するこっちはばらばらと写真を撮ったり、しゃべったり… 南側に向かって手を振りながら、「マンセー!!」とか叫び出すおばちゃん*23もいましたよwww この光景だけ見た人はどちら側が「北朝鮮」だと思うのでしょうか。ちなみに後で聞いたことなんで須賀、先学期お世話になったアジアプレスの野中先生がちょうどこの日、南側から板門店を訪れていたそうです。もしかしたら軍事境界線を隔ててお互いを見ていたのかもしれませんね〜

ツアー客が人民軍兵士と口論!?

5分くらい経ったのでしょうか。南側は一通り見たかな、ととりあえず分断の風景を見るのに満足した私は、ちょっと絡んでみよう*24とガイドのBさんの方に歩いていきました。すると…ちょっwwおまwww 同じツアー参加者のおじさん*25がBさんを通じて、北の兵士*26につっかかっていたのです。途中から聞いていたので詳しい一問一答は分からないんで須賀、結構激しい内容でしたね。
Dさん発言要旨「現在の北朝鮮の状況について北朝鮮に責任はないのか。北朝鮮から逃げる人はたくさんいても北朝鮮に逃げてくる人はほとんどいない。」
兵士発言要旨「日本の植民地支配には大きな責任がある。特に靖国参拝に代表される小泉軍国主義は自滅への道を歩むのではないか。」
こう書くとなんだか穏やかな対談みたいな印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。兵士のほうはDさんに向かって「당신은*27(タンシヌン)」を連発していたんで須賀、この言葉は恋人同士か口喧嘩のときにしか使わない言葉なんですね。そんな言葉がポンポン出てきたあたりから彼の語気の強さというか、この会話のスリルを察していただければと思います。最後に通訳をやっていたBさんが「不愉快な会話だった」と言っていたのも印象的でした。ちなみに私もBさんに「日本と朝鮮*28が仲良くするにはどうすればいいと思いますか?」と聞いたんで須賀「過去の清算をすることです」と一蹴されましたw あと最後に言っておくと、上の会話が噛み合っていないのは彼らのせいであり、そして私のせいでもありますw
本当はこの後に停戦会議所の建物の中を見られるはずだったらしいので須賀、南側の許可がない、とのことで板門店見学はこれにておしまい、ということにあいなりました…
全体的な感想を。ここ板門店では、アメリカを「ひざまづかせた」北朝鮮の強さの顕彰と分断の悲哀、そして統一への願いといったものが中心的なメッセージだったように思います。それらを肌で感じながら私が思ったのは、統一したいならすればいいじゃん、ということです。別にこれは突き放して言っているわけではありません。本当に統一したいのならもっと政治的な努力をしてもいいのではないのでしょうか。様々な問題があるとはいえ、韓国側も究極的・心情的には統一に賛成なんでしょうから… どうも北の態度には空手形っぽいものを感じましたね。あとさすがに板門閣の兵士は怖かったですwww

開城―平壌よりソウルに近い歴史の町

小皿がたくさん

板門店を一通り見終わって、バスに戻る頃はもうお昼。そこから直接開城市内の食堂に向かいました。今日の昼食はパンサンギという、たくさんの小さなお皿におかずが少しずつ入っている料理でした。薬飯なる甘いご飯や海苔、キムチなど、バリエーションには結構富んでいたんで須賀半分以上が辛口。全部食べることはできませんでした… もちろんビールはいただきましたよw
ちなみにこのお皿の数なんで須賀、どうやらどこから来た観光客かによって違っていたらしいんですね。この日の別の観光の合間に、あのCさんがガイドのBさんに突っ込んでいましたwww ヨーロッパ人>日本人>中国人だったとCさんが言うと、対するBさんは「ヨーロッパ人より少ないはずはない」と頑なに言い張ってたんで須賀、どっちにしろ国籍によって数が違うんだ…という空気がその場に流れたのは言うまでもありませんw

失踪してみたかったけど…w

昼食後は食堂の近くの岡を散策しました。その岡は開城の町を一望できる非常に見晴らしのいいところで、だからこそなんでしょうが、金日成銅像が建っていました。そして近づいていってよく見ると、銅像の近くに監視カメラが付いていたんですね。録画されているのかどうかはわからないですけど、「偉大なる金日成主席の銅像の前で変なことをするなよ」という意味なんでしょうか? それでも私と友人は監視シェルター*29みたいなのに入って遊んでましたよwww そこでは結構監視の目が甘くて*30、彼女とのプリクラを貼ったりとか、そのまま一時失踪したりという北朝鮮的にお行儀のよくない行為に及ぶ唯一最大のチャンスだったんで須賀、さすがに両方ともやめておきましたww そのプリクラを貼ったことで自分はおろか彼女にも何らかのリスクが及ぶ*31のは避けるべきだと思ったし、何より一時失踪しても服装ですぐばれてしまう*32のは明らかですからねw ついでに言っておくとバスの停車地点近くでは、Cさんが絵を描いていた少年たちに絡んでいました。

建物からして展示物

その次に私たちが向かったのは高麗博物館でした。この博物館はその名の通り高麗王朝時代の遺品などを扱っていたんで須賀、博物館の建物自体が高麗期の教育機関に由来する歴史のあるものなのだそうです。だから博物館と聞いて上野の国立博物館大英博物館みたいな建物を想像した方は残念ながらハズレですねw 中での説明は博物館のおばさんの話をBさんが訳す、という板門店と同じ形で行われましたが、正直そこまで興味はな(ry 自分がそうだったからというだけなのかもしれませんが、他の人たちもやや退屈しているように見えました。ただ、入口近くの大きな木の幹に開いた穴に他の一団*33のおじいさんが入って手を合わせ、瞑想しているみたいなポーズをとっていたのには笑いましたねwww ちなみにここの売店では日本円が使えませんでした、、、

国際機関も開城観光?

お次は民俗旅館です。これは約20年前まで実際に旅館として使われていた建物を観光地化したものだそうで、部屋には布団や家電製品*34もありました。ぶっちゃけ建物自体にはあんまり興味なかったんですけど、駐車場にWFP(国連世界食糧計画)の車が停まっていたのが気になって、ガイドのAさんにこう聞いてみました。
私「Aさん、あの車は何の車ですか?」
Aさん「WFP、つまり世界食糧計画という国際機関の車です。」
私「(さすがにそれは知って(ry )何しにきたんですか?」
Aさん「視察です」
…今考えればもっといろいろと突っ込んで聞いとくべきでしたね orz
ここの売店では円が使えたので、いくつか買い物をすることに。高麗青磁を模したと見られる(あるいは本物なのかもしれませんが)盃と食器セット*35、あわせて600円でした…っていうかおばさんおつり間違えたでしょ!? その200円は私の方で大事に使わせてもらうことにしましたwww
次は平壌で子供たちの公演を見るとのことで、バスは一路平壌に向けて出発しました。ということは開城とももうお別れです。開城の街を見られるのももう最後だと思った私は、その街並みをじっと眺めていました。この街はちょっと入ると舗装されていない道路や、川で洗濯する女性がいたのが面白かったです。バスが開城市街地を抜けてちょっとするとまた眠気が…

学生公演と平壌冷麺

寝起きでいきなり歌えって言われても(ry

一時間ばかり眠っていたのでしょうか。バスの前座席に頭を垂れる格好で飛んでいた私の意識は、ガイドのBさんの歌声で帰る場所を見つけたようです。ただまだその辺を漂っていたいらしく、離れては戻り、離れては戻りを繰り返していました??歌うまいのはわかったから寝かせてくれってorz しかも悪いことに、歌い終わったBさんが今度はいろんな人に歌を振りはじめたご様子。その瞬間、半分動かない脳味噌で思いました「来るんじゃない、これ?」 そして何人かがいかにもっぽい歌*36を歌ったあとに…
Bさん「ではこの中で一番若い人に歌ってもらいましょう」
私と隣の友人「(ry」
誕生日の関係で「一番若い人」は友人でした。彼は困っていました。そりゃそうですよね、急に当てられたんですから。そして私も困っていました。多分友人が断ったら次は私だ、どうしよう、忌野清志郎の「あこがれの北朝鮮」しか思い浮かばないよ… さすがに「おーいキムと言えばみんなが振り向く♪」とか通るギャグじゃない*37だろうし… 半分寝たままの脳味噌でかなり焦った一幕でしたwww
で結局どうしたかって? 二人ともパスしましたよ、Bさんに「男がすたりますね」と悪態をつかれましたが。それにしても歌えと言われて断ったのは人生初かもしれませんw

子供たちの「宮殿」?

その後も何人かの人が歌を歌い、バスが平壌市内に入る頃にはカラオケ大会も無事(?)終了しました。バスは例の祖国三大記念憲章塔をくぐって市街地に入り、学生少年宮殿というホールのような建物へ。時間がないらしくかなり急いでいたんで須賀、ホールに入った頃にはもう公演は始まっていました…って言ってもなんのことかわからないかも知れませんね。学生少年…と来てなんで宮殿なの?ってか何をするところなの? それが普通の反応だと思います。
学生少年宮殿というのは、小学生以上の学生たちが課外活動*38の発表をするためのホールです。ちなみにこの建物が「宮殿」と呼ばれている理由をガイドのBさんに聞いてみると…
金日成主席はこうおっしゃいました。『子供こそが我々の主人である、貧しい時も子供のことを優先させなさい』と。」 …聖書みたいなご説明ありがとうございますw

装置としての「スーパー小学生」

で、子供たちの公演を見てきたわけです。日本で言われている通りの高い技術と作り笑いをしっかり見ることができましたw しっかしあの表情はすごいですね〜目ん玉ひんむいてえくぼを作るなんて、何もしてなくても難しいですよw 金正日本人が「あの作り笑いはどうにかならないのか」と言ったらしいというのもわかる気がします。ただそれは全員ではないんですね。歌や踊りの出演者は基本的にその表情なんで須賀、楽器演奏の子供たちは基本的に*39真剣そのものといった表情で演奏していました。歌・踊りと楽器演奏。ここに何らかの基準が存在することは間違いなさそうです。
次に気になったのはステージ上の対称性ですね。どの幕の公演を見てもステージ上の人の配置に対称軸が引けてしまいそうなのはきっと、「一つ」の公演を団結して皆で作り上げる、という形が社会主義に整合的であり、また現体制への求心力を保つための一種の装置として有効だからなのでしょう、と邪推してみる。すると一つ疑問が沸いてきました。これを見ている人ってどんな人たちなんだろう。
前方を見渡すと外国人が多いように見えました。しかし公演が終わってから後ろを見ると…お、制服を着た学生がたくさんいる*40じゃん。これで少しわかってきました。この学生少年宮殿とここで行なわれる公演は、朝鮮労働党のもと、もっと言えば偉大なる金正日将軍様のもとに一致団結する「朝鮮人民」を作り上げるための装置としての意味合いを持っているようです。あとでガイドのAさんに聞いたところ「公演にはあなたたちのような外国人だけでなく、一般市民や学生も見に来」るそうで、学生対して動員がかかっているかどうかについては否定的なコメントがあった気がしま須賀*41、現に制服を着た学生たちがかなりの数来ている*42ことを考えると、少なくとも装置としては機能していると言えるのかなという気がします*43
公演終了後は小学校高学年くらいの女の子に案内されてバスに戻り、夕食を摂りに向かいました。その車中でのAさんの一言。「あの公演は現代音楽に民族性を…」 左様で御座いますか。

冷麺屋さんで「オレ、トーダイ!」

夕食は冷麺でした。安山館という平壌でも比較的有名な冷麺屋さんだったんで須賀、他の北朝鮮の冷麺も、韓国冷麺も食べたことがなかったので比較してどうというのは分からなかったですね orz ただ結構とまあまあの間くらいのおいしさだった、とは言えると思います、ってなんかケチつけてるような口調で須賀、別に他意なくおいしかったですよ、うん。ちなみに北朝鮮の冷麺は韓国の冷麺ほど噛み切りにくくはなかったので、麺をハサミで切る*44ようなことはありませんでした。
で食事中に聞いた話なんですけど、今朝ホテルにCBSのアンカーマンテッド・ターナー(確か)がいたんだとか。私たちのような純粋な観光客ではない彼は、私たちが見られない何を見せてもらえて何を見せてもらえなかったのか、興味がありますね。次に北朝鮮に来ることがあったら、「観光客」以外の立場でいろいろ見てみたいなあと思いました。まあ北朝鮮を自由に旅行できるようになるならそれにこしたことはないですけど。
その他にもいろいろな話*45をしたんで須賀、ひょんなことで私たちの身の上に話が及びました。日本だけでなくアメリカ・中国・韓国などをまたにかけて活躍されている医者のEさんが、こう切り出してきたのです。
Eさん「君たち学生なんだよね? 失礼だけどどこの大学?」
私「オレ、トーダイ!*46
Eさん「ああ、私も東大の院で教えたことがあるけどね、君たちもそうじゃないかと思ったんだ」
私と友人「(ry」
…初めて当てられました、恐るべしE先生ですwww ちなみにそれを聞いたDさんはこれ以降色々と絡んでくるようになりましたw
もちろん食事中の飲み物は朝鮮ビールですよwww

ホテルでの「自由」時間

平壌駅までお散歩♪

夕食後にやっと(?)ホテルへ戻ってきました。それ以降は自由行動*47だったので、ガイドのBさん、Fさん*48たちとカラオケに行くことに。でせっかくだからみんなで飲もうと自分達の部屋にお酒を取りに行ったんで須賀、そうこうしているうちにBさんがカラオケ組の半分を率いて、他のホテルにあるカラオケに行ってしまったんですね。Bさん大好き(?)の友人は悲しんでいましたwww
そんなわけでFさんとカラオケ…の前に、彼に一つお願いをしてみました。
私「Fさん、平壌駅を見に行きたいんですけど…」
Fさん「平壌駅ですか? 行くんですか? いいんですよ。じゃあ行きましょう」
そんなわけでFさん同伴での平壌駅見物が実現しましたw 駅まではほんのちょっとの距離だった上に駅前の道路を渡ることは許されなかったので大した発見はなかったんで須賀、平壌の人たちと同じ歩道を同じように歩けたのが何だかうれしかったですね。ちなみに友人は日本から買ってきた板チョコを北朝鮮の子供にあげていました*49

ガイドさんとカラオケ・パーティー

ホテルに戻ってからはいよいよカラオケです、ってか4人? これで大丈夫かなぁと思って地下のカラオケ室に降りて行くと…やっぱりスナック風のところなんですね、、、 結構広かった分人の少なさが沁みました orz まぁツアーの添乗員さんや他の団体の人たちも来たので、淋しかったのも最初の30分(長)くらいでしたけど。それ以降はいつもの「杯を乾かすと書いて乾杯」やら、隣の団体を交えての社交ダンス*50やらの大騒ぎ(?)でしたw 私もこうなったらと「きよしのズンドコ節」を振り付きでやっておきましたが何か。
まぁそんな感じでFさんも私達も、そしてとなりの団体さんも楽しい時間を共有できた、ハズです。私達は朝鮮語の歌を全くと言っていいほど知りませんし、恐らくFさんも、いくら演歌界のプリンスとはいえ氷川きよしは知らなかったでしょう。それでも共に酒を飲み、盛り上がることができた、それは素晴らしいことだと思います。
で須賀その一方で、ここがどこであるかを見せ付けられる出来事もありました。Fさんが友人が持ってきた未開封ジャックダニエルを、カバンに入れてもらって帰ろうとしていたのです。そのジャック・ダニエルは日本から持ち込んだもので、カラオケでみんなで飲もうと部屋から持ってきていました。それをFさんが、カバンにこっそりと(?)入れて持って帰ろうとしていたわけです。しかし酒好きの友人がそんな動作を見逃すはずがありませんw 
友人「Fさんウイスキー飲もうよ」
Fさん「ウイスキーですか…? こっちの酒を飲みましょうよ」(←ごまかそうとしているw)
友人「ウイスキーがいいよ。てか返してよw」
Fさん「ウイスキーを飲むんですか? …分かりました、いいですよ(ちょっと怒)」
まぁけしからんっちゃけしからんですけど、もし彼がそれを未開封のまま持ち帰れていたら恐らく高い値で転売していたんだろう、と考えると腹が立つ前に示唆深いなぁと思いました。日本語を話せるという一定のステータスを持っているはずの人でも、決して楽な暮らしをしているわけではない、ということなのでしょうか…
結局2時間弱いたんで須賀5000円はちょっと高いぞ*51

店員さんテラキングカワイス

カラオケを追われてからはおみやげ物屋さんに行って、昨日見た美人の店員さんに絡んでましたwww 酔った勢いで英語と朝鮮語を巧みに(?)織り交ぜながら年齢なぞを聞き出して喜んでたんで須賀、もしかしてそれってセクハラに該当する行為でしたかね?? それ以降彼女は私を見るたびに笑ってましたがww それにしてもかわいかったですね、菅野美穂の永久一位の座が脅かされ(ry

ダメ押しは生ビールwww

んでふらっと*52ロビーに戻ってみるとBさんが帰ってきていました。それを見た友人はここぞとばかりに(?)昨日の生ビールのお店に誘い、なんとOKがw 周りのみんなと一緒に飲みに行くことになりました(また酒かよ)。何を話したかはあんまり憶えてない*53んで須賀、Bさんの恋愛の話があったのと、Aさんも一緒だった*54のは憶えています。
そして11時半頃、遂にBさんに「お酒はそろそろやめにして寝たほうがいいですよ」と怒られ渋々解散…の割には部屋に帰るやいなや二人してベッドに倒れこんだんですけどねwww コンタクトも外してませんでしたw 後で聞いた話によると、12時過ぎにFさんからカラオケのお誘い電話が掛かってきたらしいんですけどそんなの知るか。
それにしても酒漬けですね〜こんなところで(やっと)二日目終わりです。

*1:よく意味は分からなかったので須賀、「〜しよう!」とかの語尾でスローガンらしいということがわかりました。

*2:この人は成田から随行している日本側旅行会社の社長さんです

*3:自主・平和・民族大団結という統一の三原則を表しているんだとか

*4:詳しくは後述しま須賀、平壌の街にはほとんどゴミが落ちていませんし、ホームレスの人もいません

*5:人口増で休耕ができず農地がやせている、とかそもそも北朝鮮は雨期の問題で耕作に向かない土地が多い、とか…

*6:北朝鮮のことです

*7:「〜しようではありませんか」は「〜することにいたしましょう」「〜してくださいませ」と並ぶ彼の口癖のようで、旅行中何回か聞くことができましたw

*8:以下は発言者の発言そのままではないことをご理解下さい

*9:こんな言葉を信長の野望以外で聞いたのは初めてかもしれません

*10:これはこの本にも書いてありました

*11:翌日分で強力な裏付け発言をお届けできるハズです

*12:だからホームレスなどの浮浪者もいないんですね。またそういった形で農村から都市への人口の流入を阻止できているという点で、現体制にはまだ一定以上の権威があるということも読み取れると思います。逆にそれが崩れたら(ry

*13:逆に言えば、だからこそイメージではなくなるべく精緻な論理によって立証する必要があるんだと思います

*14:っていうかこのツアーは幸運にも天気に恵まれたんですね。ただ最低気温は一日二度ずつ下がっていって最終日は7℃orz

*15:ちなみにここで随行員さんと合流しました。なんでも乗れなかった人は二日酔いで爆酔していたとかw

*16:眠法民法を勉強していたわけではない

*17:もちろん韓国のことです

*18:一日目から同行していたのに紹介し遅れましたねwww 25歳前後の女性ガイドさんです。日本語でのコミュニケーション能力はAさんより劣りま須賀、明るい性格の持ち主であるからかみんなに好かれていました。美人じゃないとは思いませんがちょっと顔が大(ry

*19:実は韓国に行ったことないんですけどねwww

*20:あまり近くない位置からの目測なので数字は当てにしないで下さい。ただの「凸」だってことを言いたかっただけです

*21:写真で言うと地面の色が変わっている境目です、って見にくい?

*22:南では「北を指差すと撃たれるから手を挙げるな」とか「境界線観光で命を落としても韓国政府は責任を取れない」とか言われる、ってのはよく聞きますよね。彼らも多分その類のことを言われたのでしょう。でも私の見た限りここでそんなことは絶対にありえません。まぁ韓国兵に怒られはするんでしょうけど…

*23:この人また何度か出てくるのでCさんと名付けましょうw

*24:分断について一当事者たる北側の人たちの見解をと思ったんです、本当ですw

*25:この人も後で出てくるのでDさんとしますね

*26:ちなみに北朝鮮兵士のことを「朝鮮人民軍兵士」といいます

*27:意味としては「あなたは」です

*28:北朝鮮です、ってしつこい?

*29:人間が入ると胸の辺りまで隠れるくらいの穴を掘って人が一人入れるくらいのコンクリートの小部屋を作り、外が見えるように一部をくりぬいて透明なプラスチックか何かで覆った設備です…って言っても何だかわからないですよね orz 見た私もはじめ何だかわからなかったですw

*30:他の観光スポットでは観光客が「想定外」の動きをしないようにガイドさんたちが見張っています

*31:どんなリスクがあるのか、またリスクがあるのかないのかもわからないわけです。まぁここで過剰にビビったのは、日本における「非人道的な強権国家」という北朝鮮イメージがあったからというのもあるんだと思いま須賀

*32:朝鮮人民はチマチョゴリ以外で派手な服装をしません。まず上下の服の色が違うという時点で、私たちが彼らの風景に同化することは不可能でしょう

*33:おそらく中国人観光客

*34:ちなみに北朝鮮で見たテレビなどの家電製品は、ほとんどが日本メーカーのものでした。ガイドさんは日本から直接入手していると言っていましたよ。これも余談で須賀、車はドイツ車>日本車でしたね

*35:金属製のスプーンとお箸です。私の見た限り北朝鮮の食器はだいたい金属製でした

*36:「イムジン川」とかですね

*37:ホントにそのバスの中にキムさんがいたのでw

*38:北朝鮮の学生は午前中に授業、午後に自分の選択した課外活動、という生活を送っているそうです

*39:センターにいる子は作り笑いというケースが多かったで須賀

*40:余談で須賀、ちょっと悪ガキっぽい中学生くらいの男の子がYシャツの裾出しをしていて少し安心しましたw

*41:ごめんなさいちょっとここ自信ないです

*42:だからAさんの言葉に何らかの嘘があるのかな、という可能性も感じています

*43:大事なこと書くの忘れてました、いただいたコメントへのレスにも書いたんで須賀、この公演の最終幕の合唱のとき、スクリーンに金正日の顔のアップがでかでかと映ったんですねwww もう金正日キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!って感じで写真撮りましたが、まじめに言うならこれこそが、この公演が「偉大なる金正日将軍様のもとに一致団結する「朝鮮人民」を作り上げるための装置としての意味合いを持」つということの重要な証左なんだと思います

*44:これが韓国流

*45:私たちが行きに乗った高麗航空は、安全性に欠くという理由でフランスに入ることができない、とか…

*46:さすがにそう言ってはないですし例のポーズもとってないですw

*47:といってもホテル内の話で、外に出るにはガイドさんの許可並びに同伴が必要です。その制限の大きさ故「北朝鮮旅行は修学旅行」なんてジョークもあるんだとか。さすがに見回りと消灯時間はないで須賀w

*48:日本人ツアー客のガイドをするのは初めてという、ノリがよくて憎めない雰囲気を持つ30歳の男性。奥さんは美人だとか(本人談)。日本語でのコミュニケーションは問題ないで須賀やや不自然でした。口癖は「複雑ですね」なんで須賀、彼がその言葉の意味をどう理解しているのかいまいち分かりませんwww

*49:もちろんFさんの許可と朝鮮語でのサポートがあって初めて実現したことです。おそらく彼以外のガイドさんは許可しなかったでしょう

*50:添乗員さん=ツアー会社社長の技が光りました。私はしたことがないのでとりあえずタコ踊りwww

*51:カラオケ代はガイドさんの分も観光客が払います。ガイドさんは外貨を持っていないから、だそうです。

*52:足元はふらついてないですよw

*53:酔ってたというよりはちょっと時間が経っているので orz

*54:旅行全体を通して「仕事人」という印象があったので強く心に残っているのでしょう。そういえばカラオケにもちょっと現れて、「飲んでますか?」みたいな絡みをされましたね