かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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中国周遊記七日目・北京都心部観光

北京の街であれこれ雑用

銀行で咆哮するロシア人マダム

この日は8時45分に起床し、ちょうど一時間後に宿を出ました。この日は日差しが結構強かったので須賀湿度は低く、思ったよりも過ごしやすい一日でした…いや、さすがにそれだけで一日終わったりはしませんからww
まずはKくんの両替のために最寄の中国銀行へと向かいました。まぁ最寄と言っても地下鉄をケチったりしていたせいで45分ほど歩き回ることになった*1ので須賀、やっぱり北京の街は整然としていますね。特に地下鉄一号線沿いの大通りはまさに無国籍といった感じでした。
着いた銀行も結構大きくてきれいなところでしたが、その建物の中で、とても恰幅のよいロシア人と思しきマダム達が何やら大騒ぎしていたのが余計印象的だったのを覚えています。ちなみにそこの銀行では各窓口のサービスレベルを投票する機械があったそうで、接客に不満を感じたKくんは星一*2を押してきたんだとかww

非日常としての吉野家

さてさて、お次は次の行程の切符を買いに北京駅に向かいます。しかしお腹もすいた、ということで北京駅前で見つけた吉野家に入ってみることに。すると出てきたのは…

うーん…なんかマクドマックの牛丼版みたいになってますねww お値段は私の(手前)が22元、奥のKくんのも同じくらいだったので、やはりマック同様の割高さってことになるのでしょう。まぁ確かに価格競争ができないとなると何か他のもの*3で差異化を図るしかないので須賀、日本で価格競争の最前線で戦っている(少なくとも「安さがウリ」だと認知されている)吉野家が、こっちではペプシコーラつきで20元とかやってるのは違和感というより滑稽ですよねw 別に悪いと言いたいわけではないんですけどwww ちなみにキムチの味は超淡白でしたorz

切符と氷水

食事のあとは再び北京駅へ。って言ってもすぐ近くなんですけどね。いつもの要領で17日の済南行きの切符を手に入れることができました。切符売り場には物乞いをしている人が多かったです。ちなみに切符は63元でした。
あと個人的にとても嬉しかったのは、駅前広場みたいなところにある露店で売っていた水が氷っていたということでした。上海や南京なんかと比べて格段に過ごしやすいとは言っても真夏の真昼間に歩き回ってるわけですからねw 非常に助かりました、この時は。そんなわけで2元の氷った水を2つ購入。

北京の都心部を歩く

万里の長城に向かうつもりが…

そこから地下鉄(3元)に乗って前門駅へ向かいます。前門駅やその周辺は北京市内でもかなり大きなバスターミナルとしての役割を果たしていて、そこからバスツアーで万里の長城に行く計画でした。
午後1時ごろに前門駅に着き、ちょっと探してそれらしき建物を発見。やっと見つかったと安堵して中に入っていくと…なんとツアーバスの最終便は11時半と書いてあるではありませんか! 悔し紛れに*4窓口のきれいなお姉さんに英語で尋ねてみることにしました。
私「Are there any buses today?*5
お姉さん「(゚д゚)ハァ?」
確かにいきなり英語で話しかけて申し訳なかったけどそんなに怒らなくても(汗 結局見かねた近くのお姉さんに通訳をしてもらって、やはり11時半までに来なければならなかったことが判明したのでしたorz
こうして当初の計画は脆くも崩れてしまったわけで須賀、さすがにここで宿に引き返すわけにはいきません。ってことでこの日は、北京市街のほぼ中心部にある天安門広場紫禁城を見物することにしました。

毛沢東も休養中?

まず前門駅のすぐ北にある正陽門をくぐると、「毛主席紀念堂」なる建物があります。

ここでは防腐処理された毛沢東の遺体を見ることができるそうなので須賀、あいにく来年の北京オリンピックに向けて、ということなのか改装中で中に入ることはできませんでした。そのかわりといってはなんで須賀、入口の前の売店10元毛沢東バッジを二つ買いましたよw あとその近くに、小さな紙製の中国国旗を売っている売り子さんがいたので買ってみました。これは1元でしたね。

「中国のイメージ」天安門

人民大会堂*6を左に見ながらさらに進むと、徐々にだだっ広い広場と大きな石碑が見えてきます。これが40万平方メートルという世界最大の広さを誇る天安門広場です。やはり世界最大の広さとあって広いことを否定することはできないので須賀、観光客やら警備兵やらがわらわらといるせいで思ったよりそうとも感じませんでした。それにいくら広くても広場は広場でしかないわけで、歩き回って記念撮影ぐらいしかすることもないんですけどねww てなわけでこちらが天安門広場天安門の写真です。2枚目は日本で、もしかしたら世界で一番有名な「中国の写真」でしょう。

天安門の「裏」で毛沢東腕時計(笑)

さて、道路を渡って天安門をくぐると、これまでとはまた一風変わった光景が待ち受けていました。相変わらず人の多い広場ではあるので須賀、それに加えて大きな出店が非常に多いんです。食べ物やら飲み物やらがたくさん並んでいるのはもちろんのこと、いろんなジャンルの中国土産がズラリ。その中にはやはり毛沢東グッズもいろいろあって、私はここで毛沢東腕時計を購入しました。この腕時計は、動いている時には*7文字盤に描かれた毛沢東の腕が演説風にカタカタ動くというスグレモノのゼンマイ時計で、しかも秒針の先っぽには赤い星が付いていますw そんな名品(笑)を是非手元に置こうと店のおばちゃんにいくらか尋ねたところ、48元だとの返事が。こういうおかしなものは大好きなのでいくらと言われても最終的には買うつもりでしたし、そこまで高いとも思わなかったので須賀、さすがに言い値で買うのは嫌だったので30元までは値切って購入することにしました。いやぁ、いい買い物をしたなぁ!*8
ちなみにこの日から徐々に毛沢東グッズを買い集めていくことになるので須賀、これについての考察は最後の方にやりますね。
またちなみになんで須賀、下の写真は「裏」から見た天安門です。てか紫禁城から見えていたのはむしろこっち側なんですけどねww それでも前に掲げた外側の写真の方が圧倒的に有名なわけで、まさに中国のメディアイメージのど真ん中ストレートであると。だからこそ、あえて、こっちも載せてみます。ひねくれててすみません

チケット取引で考える

さらにちょっと進むとついに紫禁城です。窓口に入場料は学生20元、一般60元と書かれていたので迷わず学生アピールをするも、ここでは中国の学生でないと割引が適用されないらしく、無下に断られてしまいました。ですのでしぶしぶ60元で券を購入。
すると、私たちと同年代くらいの女性が声をかけてきました。Kくんが聞き取ったところによると、彼女はこう持ちかけてきたのだそうです。「あなた達学生なんでしょ? そのチケットをちょっと安くで売ってくれれば、学生用のチケットを持ってきてあげるわよ」。そして私は、あまり後先を考えずにその話に乗ることにw 結局私達は60元で買った一般チケットを40元で彼女らに売り、その上で20元の学生チケットを買いました。つまり40元で入場券を手に入れたわけです。なのでまぁよかったなぁって話にはなったので須賀、交渉が成立したときの彼女らの喜びようも結構なものでしたねww しばらくずっと嬉しそうに何かを言い合ったり私たちに手を振ったりしていました。そこまで喜ばれるとこっちとしても悪い気はしないので手を振りかえしたりしましたがw
ただ世の中そう簡単には行かないようになっているんですねww 学生チケットで入場しようとした私たちに対して、もちろんと言うべきか運悪くと言うべきか、学生証の提示が求められました。もちろんその瞬間に二人の間に戦慄が走るわけで須賀、そこは堂々と「東京大学」と書かれた学生証を出して無事通過することができました*9。チケット売り場でダメと言われたものが窓口で通るというのもおかしな話っちゃおかしな話なのでしょうが、ここはどこか別のところに連行されなかったことを素直に喜ぶべきでしょうw まぁなんか言われても「窓口で買えてしまったんだから知らない」で通すつもりでしたがwww
それにしても、チケットを交換した彼女らの意図はなんだったのでしょうか? まず一番素直な推理は、彼女らの仲間のうち学生でない人のチケットを安くで入手したかった、ということでしょう。学生チケットを人数分以上入手することは可能でも、学生証がなければ使えないわけですからね。ただその場合そのチケットは彼らが使うということになりそうで須賀、交渉成立後の彼らがすぐ中に入ろうとしていなかった(ように私には見えた)ことを考えると、そことの整合性はイマイチということにはなりそうです。
そして第二の推理、これが一番ありそうな気がしているので須賀、それは一般チケットの転売です。彼らは私たちから40元で一般チケットを得ているわけですから、これを60元未満の価格で転売すればそれが彼らの儲けになるわけです。そう理解すれば彼らがすぐ動こうとしなかったことも理解できますし、さらに今見た限りではチケットの購入年月日のようなものも明記されていませんでした。転売には便利ですよね。
第一、第二と言ったところで実は第三の仮説は「特にないです」*10が、上記のどれか、あるいはそれ以外の解釈を採るにせよ、一つの疑問が残ります。それは「窓口で学生証の提示を求められたら*11こいつらヤバいよな」という意識を持っていたかどうか、です。もしその意味で悪意なら「まあこいつらがどうなろうと興味ないかwww」あるいは「やーい引っかかった(プ 」と思っていたってことですし、そうでなければ「外国の学生証でも大丈夫なんじゃん?」と認識していたか、もっと高い確証でそう考えていたってことになりますよね。まぁ今になってこれを確かめる手段はないんで須賀、もし前者だったらニコニコしながら手を振りかえしていた私たちって一体…(笑) ただまぁいずれにせよ結果オーライですよね?ww 正直この話をここまで引っ張るつもりはなかったので須賀、ノリで書いてしまったことに特に反省はしていません。

紫禁城…でいきなり寄り道w

さてさて、こうして紫禁城の中に入っていったんで須賀、まず驚いたのは城内で紫禁城そのものとはあまり関係のない展示会が開かれていたことでした。なんか中国とベルギーの交流云々みたいな話だったと記憶しているので須賀、なんでいきなりそんなもの*12が、しかも紫禁城で展示されているのでしょうか?www 今の中国が帝政を否定する共産主義政権だということを差し引く必要はもちろんあるのでしょうが、日本で言えば京都御所に相当する建造物がまるで美術館のように使われていることにはいささか驚いた、というか違和感を感じました。
まぁ展示自体は面白かったですけどね。例えば明代に描かれたある通り(ストリート)の絵ってのがあったんで須賀、それって巻物みたいに横長の紙に描かれていながら、各登場人物や建物が独立して描かれているんですね。つまり絵が見た目ではつながってない。じゃあその絵と絵のすき間は何を意味するんだろう、場所か、時間か、あるいは描く者の認識か…そんなことを考えながら見ていました。でもそういえばそういう絵って日本にも結構ありますよねww

紫禁城にリアリティを感じず…

こうして思いがけず東西の絵画を鑑賞したあと、ついに真打の登場です、中国最大の木造建築物・太和殿。どんな壮大な姿を見せてくれるのだろうと思い太和殿前の広場に出てみると…

太和殿自重しろwww これまた改装工事中でした。やむなくあるのかないのかちょっと怪しいような順路に沿って、北へ北へと見学していきました。公開されている建物の中は大体が博物館化されていて、殷代からの中国の土器やら宝物やらが所狭しと陳列されていました。ところがでもしかし、今自分は紫禁城にいる、だとか、それこそ100年前にはまだ溥儀がここの主として君臨していたんだ、とかいう感慨はかなりゼロに等しかったですねorz その理由は見ながらいくつか考えていたんですけど、まずこの場所を「紫禁城っぽい」という言葉以上で理解できなかった、ということがあると思います。確かに大きな宮城ですし、「中国っぽい」建物や色遣いはあちこちに見られました。しかし、というか多分「だからこそ」、紫禁城を移築復元したどこか別の場所でこれを見ているような感覚がどこか付きまとったんじゃないか…要はそれっぽすぎて逆にリアリティを感じなかったってことですかね?*13 あといくらなんでも天安門広場で同じ感覚は恐らく感じていなかったわけで、そういった「これっぽい」ではなく「まさしくこれ!」みたいなイメージを私が紫禁城に関してあらかじめ持っていなかった、という要素もあったのかもしれません。
あともう一つ非常に大きいと思ったのは、建物の中が博物館だったことです。もちろんそこにあったのは往時の中国をしのぶ興味深い品々で、特に見学途中で陶磁器萌えな自分を発見しちゃったりして面白かったので須賀、中にそういう展示があったりすると「ここが紫禁城か!」っていう感慨は湧きにくいですよね… そんなわけで紫禁城見物に満足したかというとNOです。

"Walk is tired"

といいつつも閉館ギリギリまで紫禁城を見て、北側の出口から出たのが午後5時過ぎ。まぁこれで今日予定していた*14観光も一通り終わりということにはなったので須賀、宿に帰るのにはまだちょっと早いだろうということで、紫禁城の北西にある北海公園まで足を伸ばすことにしました。
紫禁城の出口から北海公園までは大した距離ではないので須賀、その道中は観光客を乗せて走る「三輪車」*15のおじさんで溢れかえっていました。しかも彼らは片言ながらも英語をしゃべることができ、外国人観光客らしき人を見つけるとそれらを駆使して営業を開始します。こんな感じです。
おじさん「サンリンシャ、サンリンシャ。Walk is tired」
この「Walk is tired」は結構気にいったんで須賀、北海公園の入口がすぐそこにあることは分かっていたのでお断りさせていただきましたw てか今気づいたんですけど「サンリンシャ」って明らかに日本語ですよねww

皇帝御苑に小皇帝!?

北海公園には5時半に着きました。この北海公園というのは、遼から清に至る5王朝の歴代皇帝の御苑で、北海という大きな池を中心に造られています。確かに大きな公園ですし、皇帝の御苑だっただけあってそれらしい雰囲気もあったので須賀、今の今まで紫禁城を見てきた私としては、中国王朝風の建物はもうお腹いっぱいという感覚は否めませんでした。でも途中で見た建物の渡り廊下はとてもキレイでしたね。写真うpしておきます。

あともう一つ面白かったのは、子供向けの皇帝コスプレコーナーがあったことです。皇帝の衣装を確か10元かそこらで貸し出していて、それを着て皇帝っぽい椅子に座って写真撮影を…というコーナーなので須賀、やはりと言うべきか意外と言うべきか、なかなかの人気でしたね。しかも当然、その大半は親子三人連れ*16なわけです。政府の一人っ子政策によって、一人っ子として家族の寵愛を一身に受けてきた「小皇帝」*17たちが、実際に皇帝の格好をして写真に納まる…そんなおいしい話はないと思って、Kくん共々盗撮させていただきました(汗 7〜8歳くらいのかわいらしい男の子です、ごめんなさいねm(_ _)m

…まぁそのくらいの軽いノリで観光していました。それ以外にも湖畔でなにやら踊っているオバサマ方を発見したので須賀、このちょっと後にその数倍面白い光景を目にすることになるので写真は割愛しますww ちなみに北海公園の入場料は10元で、公園内でまた1元払いました。まぁこれは中の景色や建物が見たかったというより中のケンカに興味が(ry あとスポーツドリンクを5元で買いました。

道中の太極拳と宿のDQN

7時過ぎに北海公園を出て、これで今度こそ今日の観光はおしまいです*18。公園の出口から地下鉄の阜成門駅までの道中で夕飯を食べて今日は帰ろうかということで、朝ほど整然としていない大通りを歩いていると…

太極拳はわかりますけどなんで恐竜のまん前でやってるんでしょうか?www
まぁ気を取り直して、夕食の話をしましょう。この日の夕食は通り沿いの小さな食堂でいただきました。頼んだのはタンタン麺と瓶ビール一本で5+2=7元。ビールの2元も安いですけど、5元のタンタン麺がとてもおいしかったです。これにはKくんが大喜びしていました。
3元の地下鉄に乗って宿に帰り着いたのは9時20分。宿にある10時までのネットルームに行って、先客に「20分後に譲る」という約束を取り付けて部屋に戻りました。そして20分後にネットルームに行ったら案の定彼らが居座っていて、やっと開けたと思ったらやれ5分だ3分だと急かし立ててきて非常に不愉快でした。しかもそれからまたチャットとか始めるし。いくつかの意味で一体何者なのかとても気になりました。
まぁそんなことがありながらも0時45分頃に就寝しました。さて、ここで問題です。この次の日は何月何日でしょう? そしてそんな日に私達はどこへ向かうのでしょうか?www

*1:さて、中国銀行に着いたのは何時何分でしょう?w

*2:つまり最低レベルw

*3:この場合は非日常的なレジャー感というか、ある種のオシャレ感なのだと思います。実際店内の舗装も日本の吉野家よりケバいしっかりしてましたし…

*4:というより私が中国語を正確に読解している確証はなかったので念のため

*5:もしこの英語が文法的に誤っているor不自然だったとしても、その時の私は何の疑問も持たずにそう言っていたはずですので気兼ねなく笑ってください。ってかリアルに間違ってたのでさすがに直しましたがww

*6:中国の国会議事堂ですね

*7:この限定が何を意味するのか薄々勘付いている方もいらっしゃるのではないでしょうか?www

*8:我が学部のアイドル風にやってみましたww

*9:中国国内のどこか東の方にある「トンキン大学」の学生なのかと思われてたらウケますけどねwww

*10:エリカ様www

*11:提示を求められないと考えていた、ということはないでしょう。だってもしそうなら学生チケットを買ってそのまま人に売りつければいいんですからw

*12:普通に西洋の人物画とか静物画とかありましたからねw 別にそれらに価値がないとか興味がないとか言いたいんじゃなくてww

*13:後に北田暁大先生に「シミュラークル」という言葉を教わったので付記してみます。

*14:そもそもの予定がなんだったかについてはノーコメントでw

*15:まぁ簡易タクシーみたいなもんですw

*16:おばあちゃんがいたりする家族もありましたが

*17:実際にそう呼ばれているそうです

*18:別に北海公園に行きたくなかったわけではないですよw