かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記六日目・ヴィリニュス街歩き

トゥラカイ・ヴィリニュスをひたすら歩く

湖上のトゥラカイ城

6日目のこの日は、ヴィリニュス周辺を観光しましょう。9時過ぎに宿を出て、バスターミナルへ。半発のバスに乗り込みます。私達が目指したのはヴィリニュスの西約30キロにあるリトアニアの古都・トゥラカイです。トゥラカイは、湖上の島に浮かぶ城の美しさで知られるところです。
森の中を駆け抜けるバスに揺られること30分。降り立ったバス停からまた30分ほど湖沿いに歩き、トゥラカイ城へ向かいます。

まさに湖の上の城、といった風情です。

展示などもある城内を見学。全体的に小奇麗な印象でしょうか。

KOEIの奴隷である私は、地図の上に紋章が配置されているようなものを見ると、条件反射的に軍備を増強して戦争を仕掛けたくなります。まあそんなことを言っている時点で、展示内容についてちゃんと理解することは望むべくもありませんが、城郭マニアを自任する友人は、あまりこの城がお気に召さなかったようです。

え、日本語??

昼食時間にはちょっと早いですし、城の前の土産物屋で買い物でもしましょう。布の民芸品や人形など、あれこれ売られていましたが、その中で私の目に留まったのはソ連国旗のマークのついたコサック帽ww 有料の記念撮影用でもあったようで須賀、店番の女性に「これは売り物?いくらですか?」と英語で尋ねると、「ごじゅうリタス」と返事が。ひらがなで表記したのは彼女がそう発音したからであって、なぜこの地で遠く離れた東洋の島国の言語を聞くことになったのか*1、私達は狐につままれた表情で顔を見合せます。ただまずは、目の前のコサック帽を自分の支配下に置くことが優先です。色違いの中から灰色がかった帽子を選び、50リタスを払うと、今度は「ありがとう」と私達に微笑みかけます。「日本語がお上手ですね」。そう声をかけた返事はなかったような気がしま須賀、何となく詮索は止しにしてその場を離れたのでした。

昼食はキビナゴキビナイ

昼食は近くのカフェで。トルコ系の少数民族・カライメの民族料理に羊肉のパイ「キビナイ」というものがあると聞き、早速トライします。
*2
味覚として別段珍味めいたものではありませんでしたが、ふつうにおいしく頂きました。他にもサラダだ何だを頼んで2人で30リタス
また30分かけてバス停に戻ってきたのが午後1時ごろ。ちょうど来たバスに乗って再びヴィリニュスのバスターミナルに戻ってきます。

ヴィリニュス、通りの風景

いったん宿に土産物なんかを置きに戻り、午後2時に改めて出発。北西方面に足を向けます。街を歩いていてやはり目に付くのはトロリーバス。しかも女性運転手が比較的多い印象でした。もちろん男性運転手もいたので須賀、これがバスとなると運転席に女性は見かけなかった気がします。
次に気になったのは歩行者信号。

青と赤が切り替わる時に黄色を挟むんで須賀、これはそれが切り替わる時に重複している様子を収めた写真です。確か赤から青になる時だったと思います。
あと一つは排ガスです。今回歩いたいくつかの街の中で、排ガスが最も気になったのは残念ながらこのヴィリニュスでした。と言っても4年前の上海とは比較できませんけどねww
そんなことを考えながら歩いていると、ゲディミノ大通りに突き当ります。

大通り、というほど広い道でもありませんが、どこかパリのシャンゼリゼ大通りのような雰囲気があります。むしろ真冬に見た裸のシャンゼリゼより、こちらをこそ好感すべきかもしれません。
そんな通りの脇にはこんな店舗(?)が。

どっちやねんwwww ただまぁ、東京の街角にあるエスニック料理屋の看板が、黄・緑・赤の三色旗の上に「ヴィリニュス」「エストニア」の文字を刻んでいても、恐らく多くの日本人は「バルト料理を出す店なのだろう」と特段の疑問なく受け入れるでしょう。てかここは何屋さんなのかとww

KGB博物館へ

さて、私達がいわゆる旧市街を縦に突っ切って歩いてきたのは、もちろん「TOKYO CHINA」が目当てではありません。

壁面に固有名詞と生没年らしき文字列を刻み込むこの建物が、KGB博物館です。

ここは旧ソ連時代にKGBが置かれた建物で、政治犯の拷問や処刑に用いられた施設を保存、展示しています。そう聞くと、KGBについての知識はなくとも訪れてみたくなるもの。入場料の6リタスを払って見学を始めます。

アウシュビッツKGB博物館

政治犯収容所、と聞いて想像するような*3規模の建物ではありませんが、そこにはさまざまな展示がなされています。ソ連に抵抗したレジスタンスの活動紹介に始まり、KGB側の盗聴室、立ち牢や水責めをしたような牢、音漏れを防ぐためでしょうか、壁面に厚いクッションを張りつめた部屋、そして地下の処刑室…。館内は撮影禁止とのことで、少ないメモの量からその様子を細かく紹介することはちょっと難しい*4ので須賀、これらはまさに20年前の所業であったわけで、憎むべき意図によって備え付けられたどの設備もなんだか生々しい気がします。その点、どちらかと言うと怖いとか許せないというより、ただただ不可解で薄ら寒いような感覚だったアウシュビッツとはちょっと違う感覚で見学していた自分がいたように思います。
地下の処刑室の前では、収容者が地下に連れ込まれ機械的に銃殺されていく映画か何かのシーンが繰り返し流されています。旧ソ連時代も、この施設がそういう要素を孕んだ場所であることは恐らく少なからずの人が知っていたでしょう。そして反ソ連の抵抗活動の最も悲惨な終着地がこの地下室であることも、その場所の所在はともかくとしても、そのような意志を持つ人には周知の事実だったでしょう。とするならば、文字どおりの意味で死をも厭わない彼らの意志たるやいかほどのものだったのかと思いを巡らざるを得ません。切った張ったがすごい、みたいな話ではなく、自分はのうのうと生きているなあという気がします。

スターリンワールドとKGB博物館

そんな意味で非常に生々しいものを見てきたわけで須賀、もう一つだけ言えば、ある種昨日訪れた「スターリンワールド」とコインの裏表を成していると言えるかもしれません。リアルさやショッキングさが際立つこの博物館に比べ、スターリンワールドの敷地を包む空気感は冷笑的なものだった*5ということこそ大きく異なりま須賀、それらの基底に共通して流れているのは、モスクワのリトアニアに対する仕打ちへの怒りです。10年はひと昔♪Uh〜暑い夏と言っても、ふた昔ほど掘れば出てくる地層の出来事として、その痕跡を残す抑圧と抵抗。認識の甘い私は実に図らずも、そのことを思い知らされた経験となりました。
ちなみに、カメラの扱いについてはちょっとよく分かりませんが、この博物館の展示を写真付きで解説したhttp://www.kgb-hakubutukan.com/というサイトさんを見つけたのでご紹介しておきます。
時計を見るともう午後4時前。ゲディミノ大通りを東に転じ、旧市街の中心部へ向かいます。

真っ白な聖堂を眺めては飽きもせず?

こちらはヴィリニュスのシンボルとも称される大聖堂。

白色が非常に印象的な外観です。白色を形容する文句としては「透き通るような白」みたいな言い回しをよく目にしま須賀、この白は白亜というか、非常に重厚な存在感を持ってこちらに迫ってくるような感じです。この場所でその白さと戯れ、白い一日とやらを過ごしてみても面白かったのかもしれませんが、時間の事情もあり内装を一通り眺めてからこの場を離れます。

ゲディミナス塔のビートたけし

そこから急ぎ足で向かったのはこちら。

ゲディミナス城の一部を構成したゲディミナス塔です。ふもとの考古学資料展示館の中庭からリフトを利用しました。塔の中もちょっとした展示スペースがあって、

コマネチをしている鎧が飾ってあったりもしたので須賀、最もインパクトがあったのは1989年にバルト三国を結んだ「人間の鎖」に関するものでした。

剣より強き「人間の鎖

人間の鎖」とは、この年の8月23日、リトアニアの首都タリンからここヴィリニュスまで約600キロの距離を、文字通り人間が手と手で結んだ鎖のことです。参加者数はおよそ200万人。ソ連ペレストロイカが謳われ、バルト三国でも独立の機運が高まっていた状況下での、三国の連帯と独立への意志を示した一大デモンストレーションでした。ちなみにこの日付には重大な意味があって、ちょうど50年前のこの日に、ナチスソ連の間でバルト三国ソ連への併合を認める独ソ不可侵条約秘密議定書*6が結ばれています。もちろんその後もこのうねりはとどまることなく、例えばここリトアニアでは、天安門事件一歩手前のような局面をくぐりぬけてソ連からの独立を果たしています。
その解説とともに実際に延々と続く人々の「鎖」の写真などが飾られ、その出来事を記念した後年のイベントの様子も放映されていた展示スペース。その写真や映像を眺めていると、ある直感に揺さぶられます。それは、この鎖を力で引きちぎることはできない、ということです。もちろん暴力装置を真正面から行使すれば、この日のデモを強制的に解散させることはできたでしょう。しかしそれでは、第二、第三の人間の鎖が二重三重に巻かれるだけ。根源的には、それこそヒトラーがやろうとしたようにバルト系の民族を根絶やしにでもしなければ、その「最終解決」を果たすことはできなかったのではないでしょうか。いや、そこまで想像するまでもなく、こんなことをされればお手上げじゃないか。こういうピープルパワー的なものにかぶれやすいのはある種の持病とも言えるのかもしれませんが、風刺・冷笑と激しい怒りの後に、こんな抵抗の姿を目の当たりにしたということもあってか、言葉の綾ではなく胸が熱くなったのを記憶しています。

ヴィリニュス市内一望

頂上からはヴィリニュスの景色が一望できます。

南西方面。手前に見えるのが大聖堂です。

北側を流れるネリス川

おっと、タマネギ発見www リトアニアカトリック信者が多い国で須賀、地理的・政治的に正教の影響があったのはもちろんのことでしょう。

ほぼ真東に見えるのは三つの十字架の丘です。その名の通り三つ十字架があるので須賀、これはソ連の占領初期に一度破壊されており、今見られるのは独立前に再建されたものです。ちなみに除幕式が行われたのは、我らがスターリンによる流刑が始まったとされる日付でした。
塔を降り、次の目的地に向かおうとした時、何やらわめき声が聞こえます。内容が何であるのかは全く理解できませんでしたが、どうやらおじさんが私達に何か言っているらしい。時計を見ると間もなく5時。そう言えば5時までと言われていたっけ。今度は歩いて敷地外に出ようとすると、更にその声が大きくなります。どうやらなぜか帰りもリフトを使わねばならないらしく、そんなことも分からない愚かな東洋人は早々にその最終便に詰め込まれ、下界へと排出されたのでした。

聖ペテロ&パウロ教会/ここに日常がある贅沢さ

もう一日も終わりに近づこうという時間帯で須賀、まだまだ歩き続けます。大通りを東進して、聖ペテロ&パウロ教会へ。

外観はヴィリニュスにある教会として特段目に付くものではありませんが、中に入ると…


扉を開けた瞬間、はっと息をのむ白さ。こうして写真を見返してみると透明感すら感じさせま須賀、現地で見た感想はどうだったでしょうか、とにかく大聖堂の白とはちょっと違ったような気がします。30年以上かけ、2000もの漆喰彫刻を刻んだという内装。そしてそこで祈りをささげる人々。私達がヴィリニュスに来たのは別の理由(笑)で須賀、旧市街からは離れたところにあるこの場所まで足を延ばしたのは、これを見るためです。遠慮がちに後ろをうろついたり、天井や壁面を眺めたりして幾度か溜息をつきます。しかしその一方、前方で祈る彼らは恐らく日常の動作としてそれを行っている。私は少なくとも自覚的には宗教を信じていないので、こういう言い方までで終わってしまうので須賀、こんな場所が当然に日常の中に存在する生活*7というのは贅沢だよなあと強く思いました。まあ日本で言えば、奈良京都とかに住んでいる人に対しては国内外からそういう視線が注がれているのかもしれませんが、自分が住んでいる生活圏に観光客が大挙して押しかけてくるのも相当しんどいだろうな、と自分の行動を棚に上げて思うのでした。

バレなきゃオッケー!?

ちなみにこの2枚の写真は、友人が撮ったものをお借りしています。私自身は、この教会内では写真を撮りませんでした。なぜかというと、私が持参していたのは仕事にも使っている一眼レフカメラで、前方で宗教的儀礼がおこなわれている今、それを用いて写真撮影することは彼らの目や耳に障り、不適当だと考えたからです。一方友人のものはコンパクトカメラで、ファインダーを覗くような大きな動作もなく、静かに撮ることができる。そのため、ここに限って雰囲気をより壊さないため、そのようなお願いをしたのでした。どっちにしろ写真撮ってんじゃねえかとお叱りを受けるかもしれませんが、ここで私が問題にしているのは、「カメラを用いてこの場の画像を収めること」ではなく、「厳粛に宗教的儀礼を行っている人に対し、その外部にある他者として(結果的に)存在を主張すること」の是非です。私が他人の神様を冒涜してはいけないと最近考える大きな要因は、それによって信者たちの気分を害することは避けるべきだというベクトルを認める*8からです。それを望まない人の信仰の現場に闖入して騒ぎだすのは好ましくない…要は何を言っているのかというと、普遍的に妥当する格率ではありませんが、「こういうときはバレなきゃオッケーだよね」ということに尽きます。グダグダしゃべってすみません。

ナポレオンの大きな手

さて、バロックの「凍れる音楽」も鑑賞できたことですし、遠征はこのくらいにしましょう。もと来た道を戻り、塔の東側を南下。小道を若干右往左往して見つけたのがこちらです。

聖アンナ教会。16世紀の技術の粋を集めて造られたとされ、ロシアを攻めるべくヴィリニュスに入ったナポレオンが「わが手に収めてフランスに持ち帰りたい」と評したとの逸話が残っています。確かにこの「わが手に収めて…」という表現は的を射ていて、何らかの視覚効果上そう見えるのか実際にそうなのかはよく分かりませんが、他の名の通った教会などと比べると結構小さく見えます。それでいて、木彫り作品のような素朴さと精緻さがある。この「小さな」芸術作品を持ち帰りたい、というのは気持ちとしても表現としても理解できる気がしました。

「どうしてリトアニアに?」「す…スターリンの…」

あたりがだんだんと暗くなってきました。近くにあるヴィリニュス大学を見物がてら通り抜け、夕飯を食べよう。そんな話をしているさなか、「日本の方ですか?」と声が。「そうで須賀…」と振り向くと、40前後とみられる女性とその母親くらいの年端の女性がこちらに視線を注いでいました。若い方の女性が話を続けます。
「どうしてヨーロッパの中でリトアニアに来られたんですか?」
私と友人「(ry」
リトアニアに来た「理由」*9はただ一つ、スターリンワールドなわけで須賀、ここで我々のような修正主義者・敗北主義者が果たしてスターリンの御名を唱えていいものかためらいの気持ちはありました。ただ彼女が言うようにヨーロッパの別の国ではなくリトアニアに来た理由として、挙げるに値するものを私の側が持っているとは到底思えなかった*10ため、「話しかけてきたのはあっちとはいえ、いきなりこんな話をされても困るだろうなあ…」と、気まずくなるだろうことは慧めてさっくりとスターリンワールドの趣旨を説明させていただきました。

ヴィリニュスにいながら杉原千畝を論じる

すると、彼女の質問の意図は別にあったようで、我々が前日の未明に通過してきたカウナス杉原千畝記念館について滔々と語り始めます。そして「リトアニアに来たのなら是非カウナスを訪れるべきだ」と薦めてくれます。事実、今回の旅行でカウナスへの立ち寄りも検討していましたし、「そんなところには行きたくない」と強弁する理由も見当たらなかったので、彼女の言っていることがおかしいだとか、自分はそれを認めないだとか、そういう感想を持ったわけではないので須賀、「日本人がこんなことを…」みたいなフレーズを聞くとどうしても、別に日本人だからどうこうって話じゃないんじゃないの?と思ってしまいます。事実がどうだったかとは全く別の議論として、我々が彼を評価する時、彼を通して見ているのは、人種や国籍の別を超えた人道主義のはずです。ナチスと同盟していた日本、という意味で彼がアメリカ人であるより日本人である方が意義が大きかったという見方もあり得るで生姜、それは根本的な問題ではないと思います。そんなわけで、「日本人なら杉原千畝を誇るべきだ」というような論調は*11、観念的なレベルでしっくりこないというか、ちょっと滑稽な気さえするのです。もちろんここまでのことをはっきり考えていたわけではありませんが、恐らくこうしたことに起因するもやもや感を抱えながらお話を拝聴していました。
他にもいろんな話をしました。2人は芸術系にゆかりのある*12方のようで、「ウィーンに行くなら美術史博物館は必須よ」とか、「クラクフのチャルトリスキ美術館にはダ・ヴィンチなかったでしょ?」などなど、諸々教えていただきました。特に翌日に迫ったウィーン観光ですることを特に決めていなかった私達の脳裏に「美術史博物館」という言葉は深く刻み込まれました。

夕飯はまさかの…

30分ほどしゃべったでしょうか。高齢の方の女性が「そろそろお引き止めするのもご迷惑だから…」と話を引き取り、ごきげんようとおのおのの道に別れます。大学界隈は本当に突っ切るだけになってしまいました。周辺の土産物屋に立ち寄ったり、

国立交響楽団あたりのこの行列に「なんかのコンサートかな?これだけ人がいるってことはAKB48じゃなくてSNK26かもね」なんて言いながら適当なレストランを探し回ること1時間。午後8時ごろに門を叩いたのは、昨日と同じお店でしたwww 今度はツェペリナイの油で揚げていないものに挑戦。もちろんおいしかったで須賀、個人的には揚げている方の味が忘れられませんね。またビールまでいただいて2人で100リタス。友人は、席を担当してくれたウェイターさんが昨日の女の子ではなかったことに若干失望した様子でしたw
本当に一日中歩いた気がします。11時過ぎに就寝しました。
…いやあ、この日は巻きで書くつもりだったんですけどねww

*1:もちろん彼女がそう発音することを選択した理由は、我々がそれと同じ言葉を話していたからとみてほぼ間違いないでしょう

*2:もちろん右側ではありません。

*3:4日前にアウシュビッツを見てきた人間が想像したような

*4:というよりは危険

*5:実際に気温が低かったことはこの印象に確実に影響していると思います

*6:スターリンワールドの展示でもありましたね

*7:もし私の中で何らかの宗教心が顕在化していれば、ここは「こんな場所で祈ることができるなんて」になっていたでしょう、という話です

*8:もちろんそれがいかなる利益との比較も許されない根本原理だとまでは思いません

*9:お目当てという意味での「目的」とは違う言葉として使っています

*10:例えば取り繕って「○○教会の△△が見たかったんです」と答えたとしても、再度「それはなぜ?」と聞かれてしまうと言葉に詰まっていたでしょうし、恐らく訊く側が再質問する前にそのことに気付くでしょう。リトアニアに見るに値するものがあるかとか、もっと言えばそれについての知識を自分が持っているかということではなく、リトアニアと自分がつながるストーリーを持っているかということが問われると思うのです

*11:彼女がそう言ったかは記憶にありませんが

*12:こういう言い方をする時点で、私は「芸術系にゆかりのない」ことをさらけ出しています