かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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スノーデンを尋ねて〜強行軍!ロシア個人旅行記三日目・モスクワ一日観光

モスクワ観光の定番・クレムリン赤の広場

クレムリン」は敵役イメージ?

この日は9時に宿を出発。夕方までモスクワを観光して、寝台列車で北朝鮮へ向かう予定ですので、チェックアウト時に宿に荷物を預かってもらいます、有料で。6時間以上だと一つ100Pなんだそうで須賀、背に腹は代えられずお願いしてまいりました。
近くの両替所で302$→9066Pに両替。ピロシキとハンバーグというなんともいやはやな朝食*1を摂り、クレムリンへと向かいます。
このクレムリン。ロシア語で「城塞」を意味し、中世ロシアの都市には多く見られたもので須賀、ソ連時代に(恐らくは「ホワイトハウス」の対となる言葉として)ソ連共産党の別名としても用いられるようになりました。モスクワのクレムリンは、日本では保元の乱のあった1156年に木造のものが建設されており、現在の城壁の長さは2235メートル、総面積は28万平方メートルに及ぶそうです…というところまでが、クレムリンについての一般的な説明なので須賀、「クレムリン」と聞いて個人的に思い出さずにいられないのは、ドンキーコングの敵役がその名を冠していたことです。スーパーファミコンで出された「スーパードンキーコング」のコンプリート(なぜか101%)をタイムアタック的に繰り返していたのは今思えば偏執狂っぽくてちょっとどうかと思いま須賀、それゆえに、私にとってはそもそも「クレムリン=悪役」であり、冷戦の一方の―もっと言えば、日本が属していた側の対抗陣営の―親玉の本拠地の通称と、ゲームの悪役の名前が一緒であったというのは、その少年にどんな心的影響をもたらしたでしょうか。これは多分、私だけではないと思います。そして、突き詰めれば制作者側の意図ないし心的イメージの問題にも行きつく話として、なんでそういう名前にしたのかというのは純粋に気になります。
…脱線してすみません。まずは城壁すぐ外にある無名戦士の墓です。

年号を見ての通り、第二次世界大戦戦没者を慰霊しています。
こちらは一人ずつ葬られているようです。

ツアー客で込み合う券売所で入場券(350P)を購入し、トロイツカヤ塔より中へ入ります。

プーチンズ ホーム

入ってすぐ目につくのは、こちらのクレムリン大会宮殿。

1961年に完成したクレムリン内で最も新しい建物だそうで、客席数は6000。かつてはソ連共産党大会なんかに使われたそうで須賀、現在は国際会議やバレエの公演などをやるんだとか。クレムリン内では異彩を放つ近代的な建物で、それゆえか、クレムリン内でこの建物だけが世界遺産になっていないそうです。

左が元老院、右が大統領官邸です。元老院にはかつてレーニンが住み、現在はロシア大統領府となっています。旗が掲げられていたのはこの建物。官邸は見ての通り張りぼてです。改装中なのでしょう。欧米系のツアー客が指さして「あれがプーチンの家か?」と尋ねていましたが、まさにそういうことです(笑) 観光客がこの道路を3分の1でも横切ろうものなら*2、「ピピーッ!!」と警笛を鳴らされてしまいます。写真の彼女は何らかの意味での「有資格者」のようでした。

こちらは「大砲の皇帝」。口径890ミリ、重さ40トンで、1586年の鋳造当時世界最大の口径だったとか。これまで一度も撃ったことはないそうで、それは結構なことかと存じます。

「鐘の皇帝」。高さ6メートル強、重さ200トンでこちらも世界最大。このシリーズは、大砲や鐘の範疇において最大の「皇帝」であると言おうとしているのでしょう。見ての通り、こちらは割れていて鐘としての用を成してはいないので須賀、そこには鋳造中のある時クレムリンで火災が起き、水を掛けられて割れてしまったという悲しい過去があったそうです。

教会群をサボらず見学


一歩中に入ると、聖堂に囲まれた「サボールナヤ広場」へ。恫喝された感ありありで須賀、サボらず真面目に見学させていただきます! 

イワン大帝の鐘楼。中には入りませんでしたが、当時モスクワで最も高い建築物(81メートル)だったそうです。

「大天使」を意味するアルハンゲルスキー聖堂。16世紀初めにイタリア人設計者の手で造られたものです。1340年没のイワン1世から、ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルクに移すまでのモスクワ公、ロシア皇帝らの遺体安置所となっており、有名どころだとイワン雷帝もここにいらっしゃいます。

ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。イワン大帝の命でロシア人建築家らが建て、火災に遭った後にイワン雷帝が修復したという皇帝自身の礼拝のための聖堂です。とはいうものの、当のイワン雷帝は4度目の結婚で教会での礼拝に参加する権利を失い、専用の階段付き玄関を設置したんだそうです。このイワン雷帝は恐怖政治で知られ、退位と復位を繰り返したり、後継者だった息子を殺してしまったり、外政面ではポーランドなどと大戦争をやったりと、まあいろいろやってくれているわけで須賀、クレムリン内の各聖堂で配られている英語のパンフレットで「Ivan 4*3 Vasilievich the Terrible」と紹介されているのには不覚にも笑ってしまいました。

ウスペンスキー大聖堂は、歴代皇帝の戴冠式などが行われた国教大聖堂、つまりもっとも権威あるとされた青銅です。イワン1世が建て、地震で倒壊後にイワン大帝がイタリア人の設計で建て直したとされ、堂内のシャンデリアは、ナポレオン軍が奪った金銀を取り戻して造ったなどと言われています。
これら三つの大聖堂の内外観について語る素養は残念ながらないので須賀、ごくごく感想だけ。言われてみれば、の世界かもしれませんが、イタリア人の手になる二つの建物内は、描かれているイコンがというか装飾がというか非常にヴィヴィッドな色遣いで、悪く言えばボテボテの重たさも感じました。それが「ルネッサンス的」であるのかどうかまではちょっと私の口からは言えないので、そういう指摘があることだけ触れておきます。一方のブラゴヴェシチェンスキー聖堂はよりシックな印象。あと、内壁に描かれているイコンの外縁*4に、実際にティアラのようなものが埋め込まれているように見えるものが多かったのをよく覚えています。全体的に好き嫌いで言うなら、きらびやかだなあと思う反面、ちょっとうるさいなあと感じたのも事実。まあ、信心が薄い人間の感想なんざこの程度ですw
むしろ、大仏頭のヨハネなど、木彫りの像や十字架が展示されているリザパラジェーニヤ教会が興味深かったですけどね。こぢんまりとした感じではあるんですけど。

Terribleな美しさ?ワシリー寺院

さて、そこからカメラに収まり切らないくらい巨大な大クレムリン宮殿の横を通って12時半ごろ外へ。

モスクワ川沿いの道を進みます。

川には遊覧船、通りにはトロリーバスが走っています。このトロリーバスも、平壌など(旧)社会主義圏でよく見かける気がします。そして左側に見えるのが、これまでと逆の方向から見た赤の広場です。

向かったのは昨日、時間の都合で入れなかったワシリー寺院です。

赤の広場のシンボル的にも知られるワシリー寺院。イワン雷帝の命で1560年に建てられたので須賀、彼は完成後、出来上がった寺院の美しさに驚き、二度とこのような美しい建物ができないようにと設計した2人の目をくり抜いてしまった―との逸話が伝わっています。さすがはthe Terribleって感じの逸話で須賀、この話には異説もあるようです。
さて、250P払って入場します。この聖堂は、外観のドーム一つ一つが教会になっており、クレムリン内の聖堂と異なり内部の撮影もできるためバシバシ撮ってきました。となるとご想像の通り、どの写真がどの教会のどの場所を撮ったものであるのかがちょっとわからなくなってしまった*5ので須賀、「こんな雰囲気のところでした」というあたりでお許しいただいて、ご覧いただければと思います。





朝から聖堂をまわり続けてやっと気付いたか、という感もありま須賀、最も印象的だったのは、最後の2枚の写真にあるようなドームてっぺんのイエスや聖母子の像です。その周りにも美しい絵を配するなどして、一番上にあるそれらを見上げさせようという意図が感じられます。見上げる、という動作は第一義的には物理的なもので須賀、それ以上の心理的な効果を行為者にもたらすでしょう。

赤の広場スターリンと握手!

午後1時半ごろに見学を終えた私達は、赤の広場を横切ってマネージ広場の方に向かいます。すると、門の前には悪辣なゆるキャラたちの代わりにスターリンによく似た男性がいらっしゃるではないですか! 彼とはお金を払ってでも記念撮影をしたい!! ということで、こちらから「いくらで一緒に写真に写ってくれますか?」とお願いの交渉をし、200Pでツーショットをパシャリ。
*6
完全に言い値で須賀いいんです!
そのあと、近くの土産物屋でレーニンスターリンシャツと、共産党プロパガンダトランプ、そして角度によってプーチンがメドヴェージェフに見えるという優れモノのタンデムマグネットを購入しました。

寝台列車でさらに北へ―世界遺産をスルーして

エリツィンフルシチョフチェーホフ…有名人らの墓地を訪ねる

2時前には再び地下鉄に乗って移動。オシャレ目なカフェでボルシチをすすった後、ノヴォデヴィチ修道院へ向かいます。
ノヴォデヴィチ修道院は16世紀に建てられた女子修道院です。その美しさは広く知られ、世界遺産にも登録されているので須賀、私達のお目当てはむしろその外にありました。修道院の敷地に隣接し、ロシアの多くの有名人が眠るノヴォデヴィチ墓地です。19世紀末からこの場所に墓が出来始め、1930年代のモスクワの都市改造の際、市内各地の著名人の墓がここに移されてきたのだそうです。

敷地内には、こんな感じでお墓が並んでいます。一口にお墓と言っても、実にいろんなものがありますね。
その中でひときわ目立っていたのがこちら。

墓地の入り口には著名人の墓の場所を盛り込んだ地図が掲げてあり、日本でも知られているレベルの人であれば、大体それを辿って行くことができるので須賀、この墓はそんな案内も必要なさそうなくらいのインパクトを放っています。そんな墓の主は、エリツィン元大統領です。ソビエト連邦に最後の鉄槌を下し、混迷の時期にロシア連邦を率いた彼にはまさに、ロシアの国旗を象った墓がふさわしいのかもしれません。ツアー客など多くの人がこの石の前で足を止め、写真にもあるようにいくつもの花が供えられていました。

こちらは「スターリン批判」で知られるソ連の最高指導者・フルシチョフ第一書記*7。リッベントロップとの間に独ソ不可侵条約を結んだモロトフの墓もあるそうです(行きそびれた)。


順にチェーホフショスタコーヴィチです。
大体見終えた戻り道に2人で歩いていたら、トルコ人女性*8が話しかけてきます。
女性「あなたたちは、自分たちの探したい人の墓を見つけられるの?」
私達「ええ、まあ」
女性「どうやって?どういう順番で並んでいるの?アルファベット順?」
私達「いや、多分アルファベット順ではないよ。入口のボードを見て、行きたい人の名前を探しましたよ」
しかしこの女性、どうも納得がいかない様子。よくよく聞いてみると、どうやら案内板に載っていない人の墓を探しているようです。
私達「それは難しいかも。ここのスタッフに聞くしかないと思う…」
彼女はその後スタッフに尋ねたものの、「うん、その辺にあるよ」的な適当な返事しか得られなかったらしく、数分後にまた偶然すれ違った際に苦笑いしながら愚痴っていましたw

白鳥の湖」の湖畔を歩く

お次は修道院の前の湖周辺を散策しましょう。


チャイコフスキーがこの辺りを歩き回りながら「白鳥の湖」を構想した、なんて逸話も残っていま須賀、ちょっと湖面が緑がかっていて、確かに水鳥はいましたけど白鳥が飛んできそうな雰囲気は感じられませんでした。まあ、そこが凡人と芸術家の想像力の違いなのかもしれませんね、なっちゃって。
5時前に修道院を離れて駅の方へ。えっ、修道院には行かないのって? ええ、今回はスルーします。もちろん行けたら行こうというのはあったので須賀、そもそも先に修道院を見ようと思ったら墓地にたどりついて、さらに湖に着いてしまった…という経過もあり、時間との兼ね合いで「それぞれ一番見たいものを見られたんだからいいよね」と引き返して来たのです。この修道院だけで一つの世界遺産を構成しているのは知っていま須賀、別に世界遺産巡りをしているわけではありませんので。その場所にあるものやその魅力にではなく、世界遺産であることに関心があるような旅行者は、(当分登録の見込みはないので)鎌倉*9には来ない方がいいと思うよ!!*10
それはさておき、メトロ駅への道中、5時になった途端に仕事帰りっぽい人がどっと街中に現れ、みんな揃って駅を目指していた光景にはちょっと笑いました。

土産物市で楽しいショッピング

ここから宿に戻って荷物を有料で受け取り、鉄道駅に向かう算段です。すぐ向かうにしてはちょっと時間の余裕がありそうなので、ホテルの近くにあるお土産物市場を覗いてみることにしました。


ここに着いたのが5時45分。6時の店じまいギリギリでしたが、お土産のバリエーションは豊富で値切りもOK。(値切れることに気付かず)割と素直に言い値で買った*11店ではオマケをつけてくれたりと、かなり楽しくショッピングできました。なのでマトリョーシカなどロシアやモスクワの随所で買えそうなお土産は、ここなどで買ってしまうことをおススメします。マトリョーシカで言うと種類もかなり豊富で、ソ連指導者のものはもとより、犬を含めたオバマ一家なんてのもありましたね。
買った中で面白かったのは、これ。

単なるでっかいソ連キーホルダーと見せかけて…

中にはショットグラスが!オシャレな(?)携帯ショットグラスなのでした!!それにしても、ショットグラスを携帯するという発想もなかなか流石ですねw

珠玉の(?)反米ポスターコレクション

そして、この旅行を通じて一番感動した土産物がこちらですwww

見ての通り、ソ連の反米ポスター集です。セルゴ・グリゴリアンなる人のコレクションから選りすぐりの24枚が収められています。ちなみに、収集者の署名でちょっとした文章*12が添えられているので須賀、「米ソが憎しみ合った冷戦時代が終わっても、ロシア人がアメリカを見る目は変わらない部分もあるよね。きっといつかは仲良くなれるんだろうけど、今できるのはこのポスターを見て楽しむことぐらいしかないと思うよwwww」という、笑えばいいのか深い何かを読み取るべきなのかよく分からない趣旨のことが書かれており、参考になったというより困惑しました。
折角なので一部抜粋。




上から、ヒトラーの道に結末は一つ」(モスクワ、1952)、「虐殺者に呪いを!戦争屋アメリカは全人類の敵」(タリン、1952)、「世界の警察」(モスクワ、1966)、アメリカン・ライフスタイル―重大犯罪はひっきりなし」(モスクワ、サンクトペテルブルク)です*13ヒトラーというのがどういう理由付けなのかやや分かりかねま須賀、アメリカは好戦的・帝国主義*14的で、資本主義は堕落しているなどと批判するのは北朝鮮の反米宣伝ロジック*15にもよく見られるもので、アメリカ批判の常套句であると言えるでしょう。もちろんこれらはほんの一部で、一周見るだけで結構な時間ニヤニヤしていられるシロモノですwww
ちなみにこの人のコレクションはСмотреть коллекциюで見ることもできます。
これが値切って400Pですよ!安い!素晴らしい!

「5000ルーブル札を切り刻んでやろうか!」

結局1時間近くショッピングを楽しんでいた私達は、ちょっと急ぎ足で宿へ。一つ100Pで預けた荷物を三つ受け取るのに5000P札を差し出したら、係員のおじさんはちょっと厭な顔をした後、おもむろに近くにあった机の引き出しからハサミを取り出し、そのお札を切り刻むジェスチャーを始めます。どういう意味かはお察しの通りかと思います。日本でもそういうジョークを言う人はたまにいるものの、実際にハサミを取り出して切るフリまでして見せる彼のセンスにはちょっと感心させられました。ちなみに今後何度もあることなので言っておくと、ロシアの人たちは額面の大きな紙幣で払われるのをかなり嫌います、というより、実際問題として多くの場合、そうされた場合に払うべきお釣りを持っていなかったりします。日本では店側が「5000円札がないので1000円札5枚でいいですか?」と言ってくることはあっても、「ちょっとお釣りがないのでちょうどで払ってくれませんか?」と言われることはそう多くはないので須賀、こちらではそうした場面に日常茶飯事のように出くわしました。

モスクワにレニングラード駅?

さて、宿にお別れしてメトロで向かったのはレニングラード駅。「レニングラード」とはご存じサンクトペテルブルクソ連時代の呼び名で須賀、この駅はモスクワ市内、しかも地下鉄の環状線と接続する市の中心部にあります。なんでそんなことになっているのかというと、ロシアのターミナル駅は、そこから延びる路線の主な行き先の名前がつけられているんだそうなのです。なので、モスクワにある「レニングラード駅」は、レニングラード、すなわち現在のサンクトペテルブルク方面の電車が発着することになります。東京でたとえるなら、差し詰め上野駅が「仙台駅」で新宿駅が「長野駅」、品川駅が「大阪駅」といったことになるでしょうか。

三等列車とひとびと

地下鉄コムソモーリスカヤ駅からレニングラード駅のホームを見つけるのはちょっと手間でしたが、街行く人たちの助けも借りつつなんとか乗り場を確認し、近くで腹ごしらえをしてからホームへ。

細君が押さえてくれたのは、午後8時半発のペトロザヴォーツクの3等寝台車。1人2557.6Pでした。車両内には間仕切りがないタイプで、一方の窓側には一人ずつが向かって座れる座席とテーブル、もう一方はボックス形式で2段ベッドが対になって並んでいます。そして、私達に割り当てられているのは前者のスペース。
<Before>

ここでどうやって寝ろというのだ…?
<After>

なるほど、こうなってるんですね。もちろんこの正方形三つが一人分で、細君のスペースは写真で言うと手前側にあります。
列車は定刻に発車。都市部を抜けると、ひたすら原っぱと林という光景が広がっています。しかし本当に平らですね。それでもトランプでやった大貧民の戦績はまっ平らとはいかず、運というより頭の悪さで負けが込んでいきます。
私の向かいのボックスにいたのは若いカップル。あんちゃんの方は、荷物の収納場所に戸惑う私に、「オレたちの場所が開いているから置かせてやろうか?*16」という仕草を見せたり、さあ寝ようという段になった時に、彼らのベッドの上にあった私達の布団を手渡してくれたりと、まともにロシア語もできない外国人を不憫に思ったのか、言葉が通じないながらも世話を焼いてくれました。まあこんな場所でパンツ一丁で寝るのはどうかと思うけどねwww
あちこちのテーブルで、家族や友人たちが食べ物や飲み物を取り出し、あるいは車内で注文して、談笑とともに楽しんでいます。10時に車内の照明が消え、やっと空も暗くなってきます。そのタイミングで眠りにつく人も増えてきました。私も、寝られるときに寝ておきましょうか。

*1:ショーケースの中に並んでいるハンバーグがこんがり焼けたパンに見えた

*2:正確には道を渡ろうという意図が見受けられようものなら

*3:ホントはローマ数字

*4:専門的な用語もあるので生姜、ちょっと調べられなかったです。顔の後ろ側にある丸い装飾です

*5:もっと正確に言えば、「内部が入り組んでいて、写真を撮っている時点で自分がどこにいて何を撮っているのかよく分かっていなかった」

*6:もちろんこの左側には私がいます

*7:タッタッタッタタ、パルコルム♪

*8:国籍は後ほどの会話で分かりました

*9:かといって負け惜しみ的に「日本遺産」なんてカテゴリーをつくるのはちょっとみっともないと思います

*10:別に具体的な誰かを想定して行っているわけではありませんので悪しからず

*11:そもそもの価格設定も良心的で、高いと感じなかった

*12:英訳も

*13:ものによってはかなり意訳しました

*14:これらとは別に、ストレートに帝国主義を批判するポスターもありました

*15:まさに「米帝」などと呼んでいますね

*16:それは連れの女性の寝床の下であったため、いくらなんでも謝絶しました