かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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1歳2カ月児と行く!バリ五日間の旅〜四日目・東部ブサキ寺院

バリの農村を散策

食べ過ぎてばかりいるとちかになるよ

実質的な最終日の起床は午前7時。食堂ではまた頼もしい食べっぷりを見せてくれます。この日はデザートにココナッツ風味の効いたお団子のようなものがあって、とても気に入ったので食堂のスタッフに名前を聞いたところ「プットゥリ・マンディです」との返事が。ただ日本で調べ直しても出てこないんですよね(笑)、せめて写真くらい撮ってくればよかったです。
この日の夜中の便で飛ぶため、名残を惜しむようにホテルのプールでひと泳ぎした後、午前10時にチェックアウト。大きな荷物はフロントに預けてチャーターした車に…あ、昨日と同じお兄さんですね。主に長男のことにはなりま須賀、(前日を踏まえて)こちらの状況をある程度理解してくれている人だと安心感があります。

「シドゥメン?何もない田舎みたいだよ?」

さて出発です。この日はブサキ寺院を中心に東部を回る予定でして、距離や交通事情を考えると午前中はどうしても車中で終えることになってしまいます。最初の目的地としてお願いしたのはシドゥメン。田園風景が知られるところで、世界遺産を構成するジャティルウィをもっと素朴にしたような*1村、という位置付けでここを選びました。ただ実は、ドライバーさんは当初この村のことを知らなくて、どこかに電話を掛けたり道行くバイクのおじさんに話しかけたりと、道を尋ねながらのドライブとなりました。彼としてもかなり意外なリクエストであったらしく、「何もない田舎みたいだよ。そうか、都会から来ているから田舎を見たいんだね」。なるほどそう理解するのか、と思った半面、多分それはそれで当たりなんだろうとも思わされた瞬間でした。
なんとかその界隈に着いたのが12時半ごろ。


折角なのでちょっと散策。まあ、狙い通りの素朴な田園地帯ですねw とはいえトレッキング中と思しき外国人観光客も見かけましたし、観光客向けと思しき価格設定の食堂もありました。そこでゆっくりお昼をいただき*2、午後2時前に村を後にします。

荘厳たる名刹に巣食う涜神者たち

腰巻をレンタル

次の目的地は、バリ・ヒンドゥーの総本山ことブサキ寺院。標高900メートルにある古刹*3で、山間の集落を抜けて向かいます。
寺に近づくと、まず道路に料金所があり、45000ルピア払って中に入ります。駐車場はもう少し先。車を停めると、駐車場脇にある店で腰巻をレンタルします。この腰巻というのは、バリの寺院に入る際に宗教上着用が求められる、とされるもので、この日に私達がここを訪れることを知っていたドライバーさんも腰巻姿でした。実は話の前段として、「レンタルするくらいなら買ってもいいんじゃないの?」という彼の勧めもあり、行きしなに専門店らしきところに寄ってもいたので須賀、ちょっとなかなかお高いお品物ばかりだったので購入は断念していたのでした。そこで借りたのが1人50000ルピアの腰巻。後から調べる限りではこれはかなりの払い過ぎで、品質を問わなければ、それこそ商業エリアでそれ以下の値段で購入することも不可能ではないようです。細君は値切ろうとしてくれてはいたので須賀、「宗教上の必要性」と言われた私の方がどうも弱気になってしまって、交渉になりませんでした。

有害な情報をご案内

ちょっと進むと、こんな標識のある建物が。

「TOURIST INFORMATION」と書いてあるのでとりあえず話を聞いてみると、「今日は儀式が行われているのでガイドなしでは入れません。5000円です」と吹っかけてきます。「こういうところ」で5000円も払えというのはどういうことなんだろうとまごついていると、「40万ルピア。ガイドがいないと入れないよ」と畳みかけてきます。ここでも私は「現に信仰の場なわけだし、果たしてこの人たちを無視してズカズカ入っていったものだろうか」と考え込んでしまい機能せず。「とりあえず行って、様子を見てから決めてもいいんじゃない?」という細君の提案がなければ、それに近い金額を払ってしまっていたかもしれません。じゃあそうしようか、と彼らとの話を一時打ち切って寺の方に向かうと、すかさず「30万ルピア!30万ルピア!」。要は吹っかけてただけで、「TOURIST INFORMATION」と自称しながら旅行者にとって有害な情報しかばらまいていない連中だということがもう明白なわけで、これ以上相手をする必要はありません。無視して歩きだすと、何台ものバイクが急発進して私達に追いすがり、またガイド料を叫んだり、(やや距離のある)入口の前まで幾ばくかの金額でバイクに乗せてやると持ちかけたりし始めました。

当然無視したわけで須賀、そもそも抱っこひもで幼児を抱えた人間をバイクのどこに乗せる気なんだ?

「ガイド」に屈する

そしてなんとか辿り着いた入り口前。視界の奥には、高いメルが幾重にも立ち並ぶ荘厳な光景が広がっています。

しかしその前に、「寺院のスタッフ」と称する人間が立ちはだかるように立ち、再びガイド料を要求してきます。それも片言の日本語で、理由などを聞いても「ガイドがいないと入れません」の一点張り。そしてこう立ちはだかられては埒が明きません。
…これはこの種の人間を増長させてしまったという意味で本当に申し訳なく思いますし、また今思い出しても悔しい気持ちになるので須賀、結局値段の交渉をして、200000ルピアという大枚をはたいてガイドを雇うことにしました。理由は、ガイドなしで安全かつ平穏に見学をしおおせるか、不安が大きかったからです。たとえ長男を抱えたままこの初老がかった男の脇をすり抜けるなり、どつくなりして突破できたとしても、さっきみたいに大勢に追いすがられては危ない。そしてやはり、この男がどの程度の宗教心を持ってこの場に立っているかはともかく、その他大勢の人の信仰の場である寺院内で、明らかに信仰によってこの場を訪れたのでない私達がトラブルを起こすという事態は避けたかった。そもそもブサキ寺院はこうしたぼったくりで悪名高い場所ではあるので須賀、実際に場の雰囲気を見てみないと判断できないこともある、というのも言い訳の一つです。

メルの立ち並ぶ神秘的な境内

まあ、入った以上はじっくり見学させてもらいましょう。といっても、大小30余りの寺院からなっている*4こともあり、「ここが何です」風の詳しい説明はできないんですけどね。



降りてくるのは、儀式を終えた人たちでしょうか。別の方の旅行記などを見ていると、観光客はこの階段を上がれないとするものもありま須賀、この写真を見返す限りめっちゃ上がってますねww ただ私達は、ガイドの案内で脇道のような階段を登っていきましたし、そのような規範があること自体は事実でありそうです。

霊峰・アグン山の中腹に位置するのがこの寺院。こちらの門は、そのアグン山の近年の噴火による溶岩で作られたのだそうです。


少人数で須賀、ここでも儀礼が行われています。


先述した脇道というのは大体こんな感じです。

ここにも11層のメルがありますね。

ちょっと隠れてしまっていま須賀、一番左の石造りっぽいメルも11層です。

先ほどの門の逆側(本来こっちが表ですね)に回ってきました。晴れていれば、この奥にアグン山が望めるのだそうです。

ガイドと別れてもといた場所に降りていくと、ドライバーのお兄さんが。「中は見られた?僕は先祖の墓参りをしていたよ」。そのそつない感じに笑ってしまいましたが、ガイドとしてではなくドライバーとして同行してもらっていたとはいえ、正直言ってちょっとは助けてほしかったです。

寺院の魅力で暴利を貪るのは神への冒涜では?

と、こんな感じでブサキ寺院を後にするわけですけれども、その見学者を受け入れるあり方というのは非常に残念というか、もったいない気がしました。「総本山」と呼ばれるだけあって、世界遺産を構成するタマン・アユン寺院に全く引けを取らない、いや、私見ではそれすら比較にならないくらいの荘厳さを備えた非常に素晴らしい空間です。それなのに、その宗教的な権威であり恵みであるところのものを笠に着て、金もうけをしようと吹っかけてくる連中がいる。「私達の信仰の場を守るために一定のルールに従って見学してください」と求めるのは、もちろん理屈として間違っていないと思いま須賀、それを商売の口実のように振り回すなら、それこそ神を冒涜する行為ではないでしょうか。
ちなみにブサキ寺院は、インドネシア政府の再三の要請にもかかわらず世界遺産候補のリストに載せられるのを拒み続けてきたことから、「幻の世界遺産」と呼ぶ向きもあるそうです*5。「世界遺産登録による規制で、寺院としてのあり方に不都合が生じるのでは」という懸念がその理由だそうで、別に世界遺産ユネスコが偉いわけではないのでそこはそれぞれの考え方でいいと思うので須賀、少なくとも人類共通の遺産であのような行為が横行することは許され得ないわけで、聖なる寺院に涜神者が群がって利権を得ている構造(を少なくとも放置していること)への不都合を恐れているのか、と勘繰りたくもなります。こうした事情から、長らく現地のツアー会社からも敬遠されてきたというのもやむを得ないような気がします。
それでも、私個人としてはバリに来たなら一度訪ねることを薦めたい地ではあります。この日私の見た限りでは、確かに外国人観光客の多数は腰巻姿でガイドに伴われていましたが、必ずしも全員がそうであったわけではありません。ざっと3割程度はガイドと一緒に行動しているようには見えませんでしたし、これはごく稀にではありましたが、腰巻をしていない人もいました。彼らが誰かに咎められている様子も少なくとも私は見ませんでしたので、それぞれが納得できる形で、見学させてもらえばよいのではないでしょうか。

ウブド散策と出国

バリ島の中心でどぶろっくを叫ぶ

再び車に乗り込んだのは午後4時ごろ。次はバリ先住民が住む村「トゥガナン」に向かうようお願いします。ただちょっと、車窓の様子がおかしいんですね。来た道を少し戻りつつ、東に向かうはずなので須賀、どうも見えるのは西にあるはずのバトゥール湖。「万一わざと遠回りしているとしても彼にメリットがあるとは思えないし、何らかの事情でこちらを回らねばならないのだろうか…」なんて地図を見ながら考えていたら、一つの仮説が脳裏をよぎります。もしかしてだけど、もしかしてだけど、「トゥガナン」と「テガララン」を間違ってるんじゃないの♪ ドライバーさんに「そういうことだろ♪」と聞いたらまさにそういうことでした。朝の段階で「シドゥメン」を説明することに手いっぱいで、こちらは口頭でしか伝えなかったのが原因でした。今思えば、こちらが「トゥガナン」と言う度に彼は「テガララン」と言い直していましたし、「また田んぼしかないよ」とも言っていました(テガラランも棚田で有名)ので、こちらとしても気づくチャンスはあったんですけどね。彼の方も謝っていましたが、この期に及んでは仕方がありません。急遽「テガラランを通って(昨日行かなかった)ウブドに寄り、ホテルに帰る」というルートをとってもらうことにしました。

ちなみにこれが車中から撮ったテガラランの風景。棚田を眺めながらのんびりできるカフェなどもあり、観光客も多かったです。ここからさらに南下します。

ウブド滞在は30分?

午後5時半過ぎにウブド市場中心へ。ショッピングはある程度しましたし、そもそも時間もありませんので*6、ちょっと散策して雰囲気を感じる程度にしましょうかね。



王宮の近くまで行ったので須賀、さすがに中を見る時間まではありませんでした。まあ仕方ありません。
そこからは、夕方の交通ラッシュを巧みに切り抜けて1時間半ほどでホテルへ。ここでドライバーさんとも本当にお別れです。恐らく本心から子供という存在に興味を持ち、長男の世話のサポートまで買って出てくれる気のいいお兄さんでした。ありがとうございました。

さよなら、バリ

その後はホテル併設の中華料理屋で打ち上げをして、荷物を引き揚げ待合室へ。

チェックアウト後も広々とした部屋で支度ができたのには助かりました。ちなみにこの間、余ったルピアを日本円に両替できないかと少し周辺を探したので須賀、ルピア→円のレートを掲げている両替所でも「日本円は準備がありません」という返答でした。時間帯もあるのかもしれませんが、私達のようにギリギリで同様の取引しようとする場合はご注意ください。ちなみに必要があって空港で土産を買い足したので、結論から言えばそもそも差損を発生させてまで両替しようとしなくてもよかったんですけどね。
迎えに来てくれたタクシーで空港へ。既述で須賀、ここは初乗り料金の33000ルピアで着いてしまいました。運転手さんは日本語が堪能な方で、カーチャーターで出かけていた、と話したら「1日でいくらだった?6000円?なら悪くはなかったね」。一つ、相場観のご参考まで。

新しげなターミナルに降り立ち、諸々の手続きへ。これも既述で須賀、この頃には眠っていたか眠りかけていた長男用ベッドを取り付けるための差額は、特に求められませんでした。あと、建物自体がかなり開放的な造りになっているせいで、出国審査の様子が四方から丸見えになっていたのにはちょっとびっくりしましたね。
搭乗口を確認してから、眠りこける長男を見守りつつ、交代で土産を買いに行きます。この時間の出発便はたいてい日中韓とオーストラリアといったところのようです。日付をまたいだ真夜中に、私たちの乗った飛行機はバリ島を離れました。
<糸冬>

*1:こちらの狙いとしては「より観光地化されていない」

*2:というより、注文を受けてからゆっくり作っていたので料理が出てくるまでに時間がかかった

*3:10世紀前後に仏教僧の瞑想の場だったとも言われています

*4:建長寺円覚寺のようなイメージでしょうか

*5:幻の世界遺産、バリ・ヒンドゥーの総本山ブサキ寺院参照

*6:深夜の飛行機でバリを発つわけですので