かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東経52度の旅―イラン・ラマダン紀行二日目 ドーハとイラン入国

炎天下のドーハを歩く

蒸した熱気でお出迎え

飛行機は現地時間の午前3時半ごろ、カタールのドーハ空港に着陸しました。予定より一時間くらい早い到着のようです。肝心のテヘラン行きは午後6時のフライト。この半日以上の待ち時間を利用して、ちょっとドーハの街でも見物してこようというのがこの日のプランなのでした。
飛行機が止まって扉が開くと、ターミナルバスがお出迎えです。それに乗り込むべく列をなして飛行機を出ると…
むわっ。
視覚を通じて認知した真夜中の風景からは理解できないような、蒸し蒸しした熱気が体を包みます。摂氏34度とのことでしたが、これが昼になったら一体どうなるのでしょうか。冷や汗もすぐに煮立ってしまいそうです。それゆえか到着したターミナルビルは冷房がギンギンに効いており、ちょっといると寒いくらいです。先取って言ってしまうと、ドーハの建物の多くはこれでもかというくらい冷房がしっかり効いていて、冷房大好きな私をして、こう外と中を頻繁に往復すると体を壊してしまうのではないかと心配させるくらいでありました。

空港内のモスク

話を戻しますと、今私が立っているのはドーハ空港のターミナルです。前を見ると、片方ではトランジット用のゲート、もう片方には入国審査のゲートがあり、ドーハから乗り継ぐ大勢の人々は前者に、カタール国内に入国するわずかな人々*1は後者に進んでいきます。私はドーハから飛行機を乗り継ぐけれども、カタール国内にも入国したい。こういうときは人に尋ねるに如くはないと、夕方のテヘラン行きの切符を係員の男性に見せて「昼間はドーハの市街地で過ごしたいんだけどどうすればいいですか?」と聞いてみました。「クレジットカードを持って入国の方に並べば問題ないですよ」と笑顔で応じてくれた係員さん。それのみならず、孔明彼は、このような一計を授けてくれました。
「一度トランジットの方に入ってから、そこを出て入国審査を受けることもできる。今は真夜中。折しもラマダンでもあるので、街は眠っている。一度トランジットで入って朝食でも食べて、7時か8時くらいになってから外に出たらどうだ」
げにもと思い、私は孔明彼の策を容れることとしました。
手続きをしてトランジットのゲートをくぐり、まずはターミナル内の物色です。免税店の冷やかしもそこそこに、空港内にあるというモスクを見に行きました。恥ずかしながら実はこれが私が初めて見るモスクだったので須賀、そのモスクは周囲の待合室から透明なガラスで仕切られており、赤いじゅうたんが敷かれています。そして外からそこまではよく見えないので須賀、奥には祭壇らしき設備が。これがミフラーブ*2というものなのでしょうか。そして中にいる人たちはそのほうを向いて、立ったり座ったりの思い思いの姿勢を取りながら祈りをささげています。そしてその近くには…仰向けになって寝っ転がっている男性もいたのでした。
彼を弁護する気も批判する気もありません*3が、時刻は午前4時です。空港内のあちこちに、椅子にもたれたり横になったり、あるいは床の上で丸まったりして寝ている人たちがたくさんいます。若い女性が床の上で寝ているとたくましいなあと思いますよねw かく言う私はというと、大きな椅子の並んだ「QUIET ROOM」なる仮眠室で、1時間ほど休ませていただきました。

断食破りの”breakfast”

しかしもとより熟睡できる場所ではなく、なんとなく本を読んで時間を潰していると、一方の空が徐々に白んできます。やっと朝だなあ…って、朝じゃないですか!!
一応説明しておきますと、ラマダンというのはイスラーム世界で用いられているヒジュラ暦の9月の日中に、ムスリムたちの飲食や喫煙などを禁止する教えで、ちなみに言うと性交渉も禁じられているそうです。旅行者は除外されます。このヒジュラ暦というのは太陰暦なので、太陽暦のカレンダーでは毎年ラマダンの時期は変わり、今年は8月の中旬から始まっています。
何が言いたいかというと、私は朝食を摂る間もなく朝を迎えてしまったということです。太陽が姿を見せている以上、ここにいるムスリムたちは断食を始めているでしょう。陰でこっそりカロリーメイトを頬張るならともかく、ラマダンと知ってイスラーム圏を訪れておきながら、彼らの前で堂々と食べ物を頬張るというのはよろしくないのではないか。そんな思いがふとよぎり、しばし逡巡もしましたが、よくよく(?)考えてみれば私は非ムスリムの旅行者ですし、そもそも断食をしに中東を訪れたわけではありません。であるならば、もし空港内のフードコート*4がまだ営業していて、そこで食事をするという行為が違和感なく成立していたら、そこで食事を摂ろう。食事することが忌避されている様子であればその時また考えればいいし、閉まっているならそもそも食べられないんだ。そう心に決めて足を向けたフードコート。欧米系の外見の人が多数ながらも、そこは夜中と変わらぬ活気を見せており、その様子に一安心して朝食をいただくことにしたのでした。
ただこの判断もよく考えれば保身的なもので、フードコートでの食事が忌避されているかどうかの最大の判断基準の一つは混み具合であり、つまり実質的に「みんなで食べれば怖くない」けど1人はちょっと…という判断をしているわけです。まぁ実際にそういう心理も働いていたでしょう。
それはともかくとして、フードコートで注文したのは、レモンライス、ベジタブルサモサ、ソーセージの朝食セットです。

お値段はカタール通貨で16カタールリアルでしたが、国際空港とあってか外貨での支払いも可能でした。ただこれがなかなかの曲者で、1ドル*5=3.6QR(カタールリアル)と1円=0.025QRという換算レートが同時に並んでいます。どういうことかというと、ここでは日本円は1ドル=144円相当の評価しかされていないわけで、すでに1ドルが90円を切っていた為替市場での額と大幅に異なっています。となればむざむざ円を安売りする必要もありませんので、ドルで支払わせていただきました。
お味の方はというと、レモンライスがスパイシーでとても美味しかったです。フードコートではあちこちで頭にスカーフを巻いた女性たちが食事をしています。今考えれば彼らは「旅行者」でもあるわけで須賀、意外とラマダン破っている人もいるんだなあなどと思いながら、お腹を満たしたのでした。

「ブルカ禁止」に思う

朝食も終えて午前7時が近づいてきました。孔明係員さんの策では、もう街中に打って出る頃合いです。なるべく早く外に出て暑くなる前に観光を終えようと、トランジットゲートの近くに戻ります。
すると、目以外の全身を黒い布でまとった女性たちがちらほら。スカーフを巻いている女性はかなり見慣れてすらきていたので須賀、全身黒づくめという姿は出くわすたびに驚きましたし、正直言って怖かったです。黒い布の隙間から目だけは見え、例えば自分がその人に見られているということはなんとか分かる一方、彼女はそのこと以外の全てを私から隠している*6ようにどうしても感じてしまいます。黒づくめに一方的に見られているような感覚。フランスなどヨーロッパでは昨今、公共の場でのこうした服装を禁止する法整備が進められている国があります。信教の自由に反するそうした流れに私は反対で須賀、禁止を進める人たちの心理に、この時私が感じたものに近い何らかの恐怖があるのではないかと思いいたった一幕でありました。

カタールのビザ受給

話を戻しましょうww 街中に出るためにはもう一度トランジットのゲートを戻り、入国ゲートでビザをもらう必要があります。で須賀そんなゲートを逆走する場所も見つからないわけで、先ほどと同じく係員さんに聞いてみると、笑顔でご案内していただきました。結局トランジットのエリアから戻るゲートがあるわけではなく、係員さんが逆方向に通してくれたというなかなかゆるい感じでした。彼は日本人と聞いて興味を持ったのかそういう素振りをしてくれていたのか、「Helloは日本語では何と言うんだ」などいろいろおしゃべりしてくれました。
こうしてトランジットゲートを逆に戻り、改めて入国ゲートをくぐってドーハ市街に出ます。入国審査でクレジットカードを提示して100QR*7さあ入国。ちなみにビザのスタンプには、「オマーンにも入っていいよ」と書いてありました。
繰り出したドーハの街。どんな風景が私を待っているのでしょうか。午前7時のそれとは思えない日差しと蒸し蒸しした熱気に口を歪めながら、市街地へのバス乗り場を探していると…あ、てかカタールの通貨持ってないじゃんwww 慌ててターミナルに駆け戻り、また係員さんに「EXIT ONLY」と書かれた扉を開けてもらって*8両替することができました(50ドル→180QR)。しかもこの係員さん、コワモテの割には(?)いろいろと世話を焼いてくれて、「ここから市街地までたった4QRなんだぜ!」とバス停の場所まで教えてくれました。そして別れ際に握手。私が見たところ、人と握手をするというのはここカタールでもイランでも結構頻繁になされていたので須賀、初めてだと気持ちが高ぶるものです。

炎天下を散策

しかし外は暑い暑い。流れるのは涙ではなく汗であるどころか、すぐにシャツが汗でビタビタになってしまいます。一方の屋内は強烈な冷房で、しばらく写真を撮ろうとするとこんな風にレンズが曇って写真がぼやけてしまうような有様でした。

それでもなんとか辿りついたバス停で一分待つか待たないか。「international school」と掲げた白いワゴン車が止まりました。「ドーハに行くのか」と聞かれそうだと答えると、目的の市街地中央部にあるバスターミナルまで連れて行ってくれました…と言うとヒッチハイクみたいで須賀、時刻表通りについて料金も4QRでしたので、これが「バス」だったのでしょう。運転手はネパール出身で、私を見るや否や「中国人でしょう? 中国人顔だもん」としきりに言い立てていました。そんな身の上話にもなったので須賀、私が「日本から来た」と言うと、すかさず「働きに来たのか?観光に来たのか?」という質問が飛ぶ*9あたりは外国からの出稼ぎ労働者が多いというドーハらしいと言うべきなのでしょうか。
市街地中心部のバスターミナルまではほんのわずか。よくよく考えてみればまだ8時にもなっていないこの時間にできることは限られているので須賀、とりあえず街の雰囲気を見ながら海の方角に向けて散策します。

進行方向が海。摩天楼が見えますね。
歩いていくと食料品店が営業しているのに出くわしたりもしました。この熱波の中で大事なのは水。500mlペット2本を計2QRで購入しました。一方で、もちろんラマダンを理由に閉まっている店もあります。

左側の張り紙に「ラマダン。午後6時15分開店」と書かれていますね。ただここが何屋さんなのか実は私にはよく分かりませんでした。
歩けば歩くほど存在感が増すのはこの建物。

なんでもこれは「イスラム文化センター」という建物だったそうで須賀、昔懐かしマリオ3のワールド5にある塔を思い出さずにはいられません。あれも結局全クリできなかったんだよなあ…

クロック・タワーとグランド・モスク

暑くて歩き続けるのはしんどいので、日陰でちょこちょこ休みながら北西の方角へ。

右側がクロック・タワー*10、左側がグランド・モスクだそうです。モスクの方はこんな感じで、薄緑の外壁がきれいですね。

しかしどちらの写真も涼しげなのが許しがたいwwww
タワーの右側には「首長の館」なる建物もあったので須賀、明らかに改装中っぽい様子だったのであまり近くまで行きませんでした。
それにしてもここの人たちは本当にフレンドリーというか気さくな人たちで、私がこうして写真を撮っていると、車の中からでも手を振ってくる人がいるくらいです。初めはびっくりもしましたが、慣れてくるとこっちも挨拶を返したり大きく手を振ったりと、陽気に接することができます。

スークで一休み

お次はちょっと南下してスーク(商業地域)へ。

なんでこんなに人気がないんだろう? それは、まだ朝の8時半だからです。あちこちで荷物の運び込みをしている人を見かけます。奥の方にいる人は何か荷物を運んでいますね。
このあたりで、この外気温の中動き続けるのはいくらなんでもしんどかろうと考え、何をするわけでもなくベンチに座って時間をやり過ごすことにしました。日陰に座っていれば体感的には徐々に涼しくもなってくるだろうと思っていたので須賀、まさかまさか(笑) むしろ徐々に体力を奪われていることに気付き、意を決して(?)スークの奥の方へと足を向けます。すると思いの外いろんなお店でにぎわってるじゃありませんか!


シルク、服や靴、おもちゃ、ドライヤーなどの家具、そして生きた鳥…。しかもどの店も例によって冷房をガンガンかけているので、屋内の通りの中は結構涼しいんですね。これ幸いと何度も何度も往復しましたww
その中で一つ、面白い光景を目にしました。何を売っているでもなさそうな事務所のような場所から行列が伸びているので見てみたら、男性が列の人たちにお金を配っていました。しかしただ渡しているだけの仕草ではなさそうで、配っている男性は列に並んだ1人1人に、一度「あーげない!」と言わんばかりの素振りを示した後にお金を手渡しています。喜捨の作法なのでしょうか。そして物事には始まりと終わりがあります。配るお金がなくなると、列にいながらもらえなかった人たちは残念そうに、蜘蛛の子を散らすかのように去って行きました。

ベンチで警察官とおしゃべり

しかし人間というのはわがままなもので、暑さという苦痛から免れると、それを待っていたかのように別の苦痛が姿を現します。いや、それはないものが突然出現したのではなく、もともとあったものが自己主張を始めただけなのでしょう。散策の結果、探せば「涼しく、座れる」場所というのがありそうだということは察しがつきましたので、その条件にかなった場所を探し、そこに腰掛けることができました。
すると、制服らしきものを着た1人の若者が何やら話しかけてきます。
男性「どこから来たの?」
日本だ、と答えると、日本のどこ?どこがいい観光地? などと立て続けに質問が飛んできます。どうやら彼は暇なようです。そこでこっちも少しずつ話を聞いていると、彼は警察官なのでした。かといって職務質問のために私に話しかけたのではないようで、オレはオマーン出身だ、あそこにいるあいつ(同僚)はイラン出身だよ、と他愛のない雑談に終始しています。彼はガイドブックに興味津々で、アラビア半島版とイラン版を一心不乱に眺め、私に「パキスタンのはないのか」と何度も尋ねます。この様子には同僚の警察官も辟易したようで、「仕事中だぞ」と言わんばかりの表情で彼を揺すっていました。
こんな感じで一緒にガイドブックに載っている写真を眺めたり、たまに何か喋ったりとまったりした時間を共有していた私たち。せっかくなので、気になることを聞いてみることにしました。
私「日中は水も飲まないの?」
彼は当たり前だ、と言わんばかりに無言で頷きます。
私「お腹はすかないの?」
警官「あんたは腹減ったのかい?」
私「喉が渇いたよ…」
ふと時計を見ると、午前10時です。ぼちぼちここを出れば、イスラム芸術博物館の開館時間には間に合いそうです。そろそろ行かなくちゃ、と彼に伝えると、彼はこう切り出しました。
「この本*11をくれないか?」
これにはなかなか心を動かされました。この本は私にとってはガイドブック以上のものではなく、博物館に行って空港に戻ることくらいならこれがなくてもできそうな気もします。一方彼にとっては、突然現れた日本人がくれたなかなかいい記念品になることでしょう。
でももし万一、イランに入国できないなんてことがあれば、私は一旦このドーハに戻り、ここからUAEないしオマーンを目指すことになるでしょう。その時、このガイドブックこそが旅の道しるべと命綱を兼ねるようになることは容易に想像がつきます。なのでこれに対してはやむを得ず、お断りせざるを得ませんでした。とはいえ、別れの最後の瞬間までページをめくる彼の姿はとても印象的で、「最後の日にこれを渡しにまたここに来ようか」という考えまでふと浮かんでくるほどでした。

イスラム芸術博物館へ

スークを出て向かったのは、人工島の上に建つイスラム芸術博物館です。途中こんな

光景を目にしながら海岸沿いを進みます。恐るべきことにコンクリートの上の水たまりは完全にお湯になっていて、歩いていると呼吸をすることすら苦しくなってきます。あまり長く屋外にはいられなさそうです。あ、見えてきましたね。
*12
10時半の開館とほぼ同時に入館します。入場は無料。館の入り口にはセキュリティチェックがあって、カバンは言われるがまま受付に預けることになりました。ノートとカメラは持ち込みましたけど。

内部はこんな感じです。2008年末に完成したとあってきれいですね。展示は”Science in Art””Pattern”などテーマごとになされたものと、時期や地域ごとに分けられたものの二つに分けられています。それらをイスラームの初学者とも言えそうにない私が論評するつもりも自負もさらさらないので須賀、まあ気になったもの、気に入ったものはいくつか挙げていきましょう。

イスラームの偶像??


装飾されたコーランコーランは昔から、その詩としての美しさも唯一無二のものと言われてきたそうです。

16世紀トルコのお皿。何だか中国や台湾の博物館でも似たようなものを見た気がするし、今の日本の家庭にもこういう柄のお皿ってありますよね。前者と後者がどうつながるのかについてはちょっと慎重にならなければいけない*13で生姜、今更ながら当時のイスラーム圏と東アジア圏がもはや無縁でなかったことは言えるのではないでしょうか。

1600年ごろ、トルコで描かれた地中海周辺の地図です。レパント海戦からやく30年後ということを考えると興味深いですね。

1200年ごろイランで作られたおさるさんです。あれ?と思いの方も多いかもしれません。イスラームって偶像崇拝は禁止じゃなかったっけ?
まさにそうなんです。この博物館のコーナーの中には「芸術の中の肖像」なるものがあって、イスラームでは好ましくないとされるはずの人間の肖像や動物の像といったものが集めて展示されています。解説によると、「確かに人間や動物の描写はモスクやコーランなどの宗教的場面では避けられたが、イスラームの芸術の多くは家族向けないし非宗教的な用途に用いられた。なので、肖像の描写はイスラームの初期から継続して見られる」*14のだそうです。イスラームの教えの建前に反して、こんな芸術の流れがあるというのは個人的にも意外で面白かったですし、それを「イスラム芸術博物館」で紹介するという姿勢はとても知的に誠実で素晴らしいと思いました。
全体を見た感想とすれば、「イスラーム的な芸術」というよりは、むしろ「イスラーム世界の芸術」を集めた博物館といったところでしょうか。ここでは紹介しなかったじゅうたんや、宝石で作った小鳥なんてものも並んでいます。

再び空港へ

それにしても灼熱の屋外からまた冷房ガンガンの屋内に来てしまったわけで、体力は著しく削がれていました。また外に出るのかと思うだけでぞっとしま須賀、当然外に出なければ空港に戻ることはできません。タクシーやバスが来れば飛び乗ってしまおうと思いながら、じりじりと身を焦がす日差しを真っ正面に受けバスターミナルへ。結局30分弱かけて、ターミナルに戻ってきてしまいました。
ターミナルでは空港行きのバスの発着場所が分からず*15、とりあえず「エアポート」と連呼していたらタクシーのおじさんが10QRでどうだと言い寄ってきます。タクシーはなるべく使わないのがモットーなので須賀、今はそんなことを言っていられるコンディションではないと判断しお願いすることに。タクシーに乗り込むと緊張の糸も少しばかりほぐれ、疲れがどっと出てきます。運転手のおじさんにはあまり英語は通じなかったので須賀、「ここはこんなに暑いのか。昨日と今日だとどっちが暑い?」と聞いても苦笑されるばかりでした。
空港はすぐの距離です。メーターは8.5QRでしたが、彼への感謝をこめて11QR支払いました。よく考えてみなくとも彼から特別なサービスを受けたわけではないので須賀、結果として彼が私を、この日差しと熱気から解放してくれたことが心理的に大きかったんだと思います。

「便所飯」ならぬ「便所水」?

そうして無事空港に着くことができました。ただこの空港、入るとすぐの場所に荷物検査があるんですね。となるとペットボトルの水を中に持ち込むことはできないわけで、他ならぬこの炎天下、汗を滝のように流しながら歩いてきた身としては少しでも水分を補給したい。しかし今はラマダン中ですから、衆人環視の状況で一気飲みというのも憚られます。そこで私がとった手段は……某大学などで流行中という「便所飯」ならぬ「便所水」www 念のため言っておきますけど、便所に流れている水を飲んだわけではありませんから。こうして平然とトイレの個室を出て、チェックインの手続きを済ませたのでした。

できる?できない?イラン入国へ

贅沢なひとときを、40ドルで。

そんなこんなで振り出しの場所に戻ってきたのが午後0時半すぎ。とにかく暑さにやられてしまった感がありま須賀、私には一つ、宿題が残されていました。それはインターネットに接続し、eビザの受理状況を確認することです。OKのメールが来ていたら、そのメールをプリントアウトして提出する必要があると聞いていましたし、もしまた何らかの理由で「書類不備」とか言われて戻ってきてしまっていたら、再び早急に再申請することで自分が置かれた状態を「eビザ申請却下済み」から「eビザ申請中」に更新しておく必要があると思っていたからです。なるべくビザ発給官の心証はよくしておきたかったのです。
で、空港内でネットが使え、場合によってはプリントアウトのできる環境を探したので須賀、無線LANがつながるところはあっても、ネットカフェ的に端末まで置いてあるところはありません。ただ40ドルで入れるラウンジ内ならそれが可能と聞き、ここは背に腹は代えられぬと、大枚をはたいて入場することにしました。
このラウンジというのは6時間ごとに料金が必要なシステムで、午後6時の便でテヘランに向かう私としてはそれなりにいいタイミングだったので須賀、とにかく悔しいので遊び倒します。ラマダンもどこ吹く風。飲んだり食ったり*16居眠りしたりネットをいじったり*17… もちろんeビザの確認もしましたが、出発直前までイラン外務省からのメールはありませんでした。でも、そのことを確認するのが大切なんです。ちなみに『面白いほどよくわかるイスラーム』はここで読み終えました。一応(?)レビューを貼っておきます。

果報は寝て待て

5時ごろにラウンジを出て搭乗口へ。再びバスに乗って飛行機に乗り込みます。定刻通りカタールを飛び立つ飛行機の中で一通り想定される事態をおさらいした後、「果報は寝て待て」を実践することにしました。こうなったらむしろ、「起きているより寝ていた方が果報は訪れる」くらいの心持です。それでは皆さん、おやすみなさいまし…
飛行機はドーハからほぼ真北に飛びます。カタールとイランの時差は、通常イランが30分早いだけなので須賀、イランはサマータイムを実施しているためもう1時間加算されます。つまりカタールより1時間半早く、日本より4時間半遅いことになります。

さあ、ビザは出るか…?

着陸はイラン時間の午後9時15分。時差を考えると2時間弱のフライトでした。さあ、ここが勝負です。ビザカウンターは当初無人。途中で出てきた男性に申請書類を書くよう言われ、記入して提出します。私がイラン国内での宿の予約を持っておらず、また国内に知人もないことが問題視され、入国後の行程をかなりつぶさに質問されはしたものの、なんとかビザの発給を受けることができました。発給料は70ドルとなかなかのお値段で、お釣りとしてなのか何なのか、1万R*18が手元に戻ってきました。これでイランビザを獲得です。
eビザの話は全く出ませんでした。ただ、ビザ受給後の入国審査で何やらまたすんなりいかず、別室でいくつかの質問と指紋の登録を受けた後で通過したことを考えると、eビザ分の手続きをそこでやったということでしょうか?推測に過ぎませんが… ちなみに後日談で須賀、この翌日の16日、eビザ申請を認める旨のメールが届きました。

イラン入国についてのまとめ

イランは入国するのが面倒な国の部類に入るそうで、イラン入国に関する情報がネット上のあちこちにあること、またイランのeビザに関する情報を得るためにこのブログを訪れてくれている人がいるようだということを鑑みて、今後イランへの入国を検討している人の一助になればと思い、一報告として述べさせていただきます。
結論としては、2010年8月15日現在、テヘランのホメイニ空港で、eビザの手続きが完了していない状態でビザの発給を受けることができました。そのことの影響の有無は不明で須賀、eビザの申請は済ませていました。私の感覚ではむしろ、その日に泊まる宿をしっかり確保しておく(あるいは国内に知人がいる)ことの方が重要だったように思います。
ちなみに当然で須賀、この情報は同じないし類似の条件でのイラン入国を保証するものではありません。ですから、この情報をもとにやったけどダメだった、というような場合でも、私として責任はとれません。「私はこうやったら入国できましたよ」と一例として述べただけですのであしからず。

アルマンさんに救われて

こうしてなんとか入りおおせたホメイニ空港は、午後10時を回っていたとあって人もまばらでした。ゲートを出るや否やタクシーの売り込みに遭って面倒だったので須賀、とりあえず両替所の場所を聞いて当座の100ドルを103万Rに換金。ガイドブックで目安となっていた20万Rまで値切って乗りました。事前情報で空港からは公共交通機関がないと聞いていたのでやむなくタクシーに乗ったので須賀、さすがに高いですよねorz
タクシーは駐車場の車に当て逃げしてから、市中心部で安宿の集まるアミーレ・キャビール通りを目指して発車。運転も荒く、なかなか肝が冷えました。11時半ごろにアミーレ・キャビール通りだと言われて降ろされたので須賀、位置関係などなどどうも違うようです。目印となるはずのエマーム・ホメイニー広場に戻り、位置関係を把握すべく地図を持ってうろうろしていると、アフマディネジャド大統領に似た顔立ちの男性*19が話しかけてきます。その仲間も集まってきてわいわいと始まったので須賀、この話もどうも要領を得ない。明らかに地下鉄の入り口っぽいものを指して、「これが広場だよ」などと言っています。しまいにはどこに行くのかも共通認識がないまま「安くしてやるからバイクに乗って行け」的な話になり、会話が不振かつ不審だったため、謝絶して再びさまよい歩くことに。しかしこの時間です。ペルシャ語の文字は全く読めず、逃げ込むべき場所もありません。さすがにこれは怖い。しかもこの状態では埒が明かないと、打開策を探りながらうろついていると、先ほどの一団とは雰囲気の違う自転車を引いた男性が話しかけてきます。
男性「何を探しているの?」
私「今日泊まる宿を探してるんです。(地図を見せて)この辺に行きたいんですけど」
男性「泊まる宿が決まってないんなら、僕の泊まっているところにおいでよ。ハザル・シーっていうんだけど安くて清潔な部屋だよ。あ、地図にもあるね。僕はアルマン。ドイツから来ているんだ」
アルマンさんと話しながら歩くこと数分。ハザル・シーに到着です。まさにユースホステルっぽい作りの経済的な宿でした。そもそも一晩を過ごす場所を確保することが至上命題となっていた以上、断る理由もありません。1泊10万Rでチェックインします。この時、時計の針は12時を回っていました。
フロントにかぎを借りて共用のシャワーを浴びると、急に瞼が重くなってきます。なんとか入国を果たし、なんとか宿を確保することができました。1階の水回り付近とあってか虫の類が時折プーンと飛んでいて、アルマンさんの言うほど清潔な宿という印象も持ちませんでしたが、そんなことを気にする間もなくやや横幅のせまいベッドで眠りについたのでした。

*1:まあこの時間ですからw

*2:祭壇らしきと言っておいて自分で否定するのもアホらしいんで須賀、このミフラーブというのはメッカの方向を示すため壁に造られた窪みよしと言うべきもののようです

*3:私はムスリムではなく、また仕切られ「モスク」と名付けられた空間で寝転がって居眠りすることがムスリムにとってどんな意味を持つ行為なのかについて判断材料を持っていません

*4:事前に存在は確かめていました

*5:米ドル

*6:例えばもちろんある程度の体格は分かるわけで、全てを隠すことなんてできっこないので須賀、纏っている黒がそう思わせるだけのインパクトを与えます

*7:先日来た請求書によると約2400円

*8:両替所がそちらにしかなかった

*9:これは現地の人と話すとかなりの確率で聞かれました

*10:時計がなぜ10時を指しているのかは不明

*11:アラビア半島

*12:暑さのせいで(?)元の写真は結構傾いていて、ここに載せるには修正が必要でしたwww

*13:いわゆるオリエンタリズムで日本で大量生産され、流通している可能性もある

*14:私によるざっくり訳です

*15:行きに降ろされた場所にはそもそも空港バスの停車場らしい表示はなかった

*16:まあ周りもそうだったんですけどねw

*17:上の記事もこの時書いたものです

*18:イランの通貨は「リアル」。今後Rと表記します

*19:10人に1人はそう見えました。ステレオタイプなんてそんなものです