かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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中国周遊記十四日目・帰国

嬉しや悲しや帰り道

来た道を辿って…

さてこの日は5時まで起きていたのに8時半には起床することができました。っていうか起きなきゃいけなかったんですけどねw しかしさほど眠いわけでもなくて、悪くない目覚めでございました。
宿は10時にチェックアウトし、デポジットの100元を受け取って地下鉄の駅を目指しました。しかし最後の最後までやっぱり上海は蒸し暑かったですね。この旅行の最初と最後を見守ってくれた街からの手荒い見送りということなのでしょうか。行きと同じように地下鉄(4元)に乗って龍陽路駅まで行き、そこからリニアに乗ります。航空機の予約チケットを見せることで行きと同じ40元で乗ることができたので須賀、まさかそのリニアに価格4倍のVIP席があるとは知りませんでしたww ちなみに今回は最高時速の時速430キロを写真に納めることができました。

再び浦東空港

11時には空港に着き、搭乗の手続きを済ませました。上海の空港となると時たま日本語のアナウンスが入ったりもするんで須賀、これまで中国語アナウンスしかない世界で生きてきた身としてはかなり異様に聞こえましたね。え、日本語が降ってきたよ、みたいなw その後ちょっと腹ごしらえでもしようという話になり、空港内のレストランを物色してみたんで須賀どこも高いですねorz 日本の街中ではなく、成田空港内のレストランと勝負できるレベルでした…てなわけで、空港の端っこにあるフードコートにお世話になることになりました。と言ってもそこまでお腹がすいていなかった私は5元のコーラをいただきましたw

さよなら、上海

そうして適当に時間を潰してから、出国審査と手荷物検査を受け、飛行機に乗り込みます。帰りも仁川経由のアシアナ航空です。行きの飛行機以来の韓国語になぜかちょっと安心することができた反面、黄海が「WEST SEA」と表示されていたことにはもはや笑うしかありませんでした。
さあ飛び立つぞ、これで上海、いや中国ともお別れだ、という瞬間にはじっと窓の外を眺めていたので須賀、この浦東空港が上海の郊外にあるせいか見たような景色が目に入らず、感慨少なな離陸とあいなりました。むしろ機内食にありついた時の方が色めき立ちましたかねww旅情もへったくれもないヤツですみません…

仁川、そして成田

私たちは日本時間*1の4時前に仁川空港に降り立ち、再び手荷物検査を受けて成田行きの飛行機を待ちました。ちなみに手荷物検査では、Kくんがネタで手荷物にしていたAVが危うく没収の憂き目に遭うところでした。ちゃんと持ち帰れてよかったね、Kくんwww もう一つちなみに言うと、韓国旅行帰りの友人がちょうどこの時間に仁川空港にいたとのことです。
そしてまた成田行きの飛行機に乗り込んで、離陸。仁川行きでもそうだったんですけど飛行機の中では大体寝ていたということがこの記述の淡白さに直結していると思われるので須賀、それでもそんな仁川―成田の飛行機の中で見た「YOKOSO! JAPAN」なる映像のことはとても印象に残っています。これは国土交通省が日本の観光促進のために作ったようなベタベタの日本宣伝VTRで、日本にいるときに見ればうんざりするようなシロモノなので須賀、このときばかりは見ていて感慨深かったですね。別に今見ているような山寺の中にこれから帰っていくわけでもないですし、今画面で舞っているような桜吹雪が私たちを待っている*2わけでもありません。着物の舞妓さんなんて生涯で何回見かけたことがあるでしょうか。しかしそれでも「日本に帰ってきたんだ」なんてガラにもないことを思っちゃったのは、この映像から極めてメディア的な「日本」イメージの記号をこれでもかと投げつけられ続け、その「日本」という記号に反応したからなのではないかと思っています。しかしその意味では着陸のちょっと前だなんて絶妙のタイミングですよねw
飛行機は7時15分頃成田空港に着陸。程なく入国審査を終えて、無事成田の到着ロビーに降り立つことができました。入国審査では、せっかく昨日上海の外灘で買ったツノをつけて臨んだのに完全無視されましたねwww
こうして無事成田に辿り着いたわけなんですけど、結局お金のほうは1378.1元残りました。レートがよければ換金して帰ろうかなと思い両替所を覗いてみると…1元=13円。ちょwwっw円高wwww これがサブプライムなる聞き慣れない住宅ローンのせいだと知ったのは翌日のことでありました。

飲み会から一気におしまい!

一応これで二週間にわたる中国旅行は終わり、ということでここで解散にしてもよかったんで須賀、「まぁいい時間だし」ということでもちろん飲みに行くことになりましたww さすがに成田で飲むというのは難しかったので都内まで出て、他の友人も二人誘って合計四人で飲みました。
こういう流れだと大体が旅行の話になって、そうなると「人の5倍しゃべる男」*3が黙っていないわけで須賀(笑)、二人で体験した出来事をKくんがどう喋るのかを聞いているのは非常に楽しかったですね。彼がそれをどう解釈し、前後の文脈とどうつなげて理解していたのか。それはKくんと私で行った旅行の思い出でありながら、既に私のではなく彼の物語であるわけです。逆に言えば当然この旅行記は私の物語なのであって、その意味でKくんにとっては一定程度新鮮で意外なものでしょう*4し、あるいはもしかすると不幸にして彼にとって不快なものであるかもしれません。しかしそうであるからこそ、私がここでダラダラと駄文を晒す意味というのも全くなくはないと言えるんだと思うのです。
それはもちろん、Kくんとの間の関係に対してだけ言っているのではありません。上海や北京を訪れる日本人は近年特に増えていますし、これからもそうでしょう。南京や済南だってそうなっていくと思います。とするならば、どこか変なところに行ったからみなさん見てね*5、というわけにはもちろんいかないわけです。となると、ただの名所案内と足跡紹介に堕するのではない、自分の物語を紡がなければならない。今回それができたかどうかはちょっと自信がありませんが、こんなものを見て何を考えた、こう思った、そういうものを大事にして、またそれを可能な限り言語化していくことが、ガイドブックや旅番組を追体験し、それらで見たのと同じ写真を撮って帰ってくるような「アリの行列旅行」と一線を画すことにもなるのではないでしょうか。
その意味では、この旅から豊かな物語を紡ぎだすだけの素地を、私は十分与えられた気がします。泰山で出会った日本人のお二人やホテルの売店のおじさん。長城ツアーのバスで席を取り損ねた私たちの面倒を見てくれたガイドのお姉さん。上海のホステルのお姉さん。韓国語で話した済南のおじさん。上海の食堂でお互いヘタな英語で日中友好を語ったおじさん(37)。泰山行きの列車で出会ったみなさん。その他旅先で出会った全ての人々。そして誰よりも何よりも、こんな気分屋の寝坊すけに、愛想を尽かしながらも半月付き合ってくれたKくん。本当にありがとうございました。あと、ちゃんと家の鍵を開けておいてくれた家族もありがとうw こんなみなさんと楽しめた旅行だったんですから、もしこの旅行記が退屈だったら(多分そうだけど)それはひとえに私の文才のなさによるものなんだと思います。
ホントは本編と別にあとがきの章を作って、そこで①「反日博物館」を貫くロジックや、②「マナーの悪い中国人」という言説について総括めいたことを書こうかとも思ったんで須賀、なんかとってつけたように以前述べた論旨を繰り返すのもどうかと思ったのでやめました。ただ本編だけは締めて終わりにしようと思うので、もう一段落だけお付き合いください…
ほどなく私の終電の時間が近づいてきました。これにてつかの間の酒席もお開きです。相変わらず重たい荷物を引きずって外に出ると、空ではきれいな半月が輝いていました。昨日上海の街中で、「帰りたくねぇなあ」なんて言ってふらついていた時の月とほとんど変わりのない、きれいな半月でした。と思うな否や、阿倍仲麻呂の短歌*6が口をついて出て、今では日中間を数時間で行き来できることのすごさを思い知らされる…というのがちゃんとした旅行記の締め方だと思うので須賀、残念ながらそのことに素直に感激することはなぜだかできませんでした。それよりむしろ、数時間で行くことができる場所でも言葉が違い*7、習慣も違う。その感慨の方がずっと大きかった気がします。現代っ子ですね。

最後にもう一言だけ!

あ、もう一言だけ、大事なことを言うのを忘れていました。ここまで読んでくれた皆さん、本当にありがとうございました。次回作(ヨーロッパ編)では、もうちょっとメリハリのある文章を書くように心がけます。それではまた…
(2008年1月23日午前4時*8、自室にて)

*1:日本と韓国に時差はありません

*2:ここは笑うところです。

*3:ちなみにその命名者が来てくれた中の一人です

*4:少なくともそう願っています

*5:北朝鮮のことですねw

*6:「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」ですね、念のためw

*7:そしてそれをほとんど全く理解できず

*8:狙ったわけではないです