かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行十日目・カッパドキアの気球&レッドツアー

今日は気球ツアーと、カッパドキア中心部を周る通称「レッドツアー」です。では、どうぞ…

写真で見るカッパドキア―気球ツアー編

  • 気球のできるまで

4時起床、4時半待ち合わせでバスに乗り込むと、食堂のようなところに案内されます。そこでは、搭乗するバルーン毎の席次で朝食を摂り、時間を待ちます。ここでもまたイタリア3人組に遭遇。雑談でハマムを薦められたりした後、「空中でまた会おう!」なんてキザな(?)挨拶で別れます。こういうツアーだと案の定、緊張感のない感じの日本人団体が多く、イライラします。
そして再びバスに乗り込み、「離陸場所」の原っぱへ。ここで「気球のできるまで」を説明いたしましょう。

まずこんな感じから、

扇風機で送風して少し膨らませて、

炎を発射!

よいしょっと立てまして、

炎を噴射しながら気球を膨らませていきます。
そして頃合いを見て搭乗。辺りを見回すと、もういくつもの気球が浮き上がっています。

さあ、こちらも浮き上がります(恐)



朝焼けの中、高度を上げていきます。





朝日がまぶしいですね。空中から地形を見るのが趣旨ではありま須賀、気球がたくさん浮かぶ光景というのもなかなか絵になりますね。

上は上空約600メートル、下は地面すれすれまで行ったり来たり。もちろん、ただ漂っているだけではありませんで、パイロットさんが、手元まで伸びた4本のひもとバーナーで操縦しています。

今年の阪神には叶わなかった再浮上。

上からだと地形がよく見えますね。鳥瞰図とはよく言ったものです。

  • そして生還

そして着陸。ゆっくり斜面に当てて止めます、と言うと結構な衝撃のようで須賀、そうでもありません。

地上スタッフに引っ張られ、トラックの荷台に。そのままゆっくり「曳航」され、原っぱでバルーンをしぼませてから降ろされます。
*1

無事の着陸を祝ってシャンパン。チェリージュースに注ぐとかで、パイロットさん自らがやってくれます。

ポーン!*2
気球のパイロットになるには訓練校に通う必要があるとか、熱気球なので、温暖なアンタルヤではうまくいかなかったとか、いろいろな蘊蓄を聞きながらおかわりまでいただきましたw
こうして無事、気球ツアーを楽しんでくることができたので須賀、空中では内心「気が変わってよいしょと籠を跨いだらきっと死んでしまうんだろうな」とか、「もし万一、空中で記憶だとか認知能力だとかが一時的に喪失して、『自分が気球で空中に浮いていて、籠を跨いで外に出たら落下して死ぬ』ということが分からなくなってしまったらどうしよう」とか、そんなことを考えることによって若干ゾクゾクしていました。

写真で見るカッパドキア―レッドツアー編

宿に戻ったのが午前7時半。少し休んで、9時半からレッドツアーに参加します。今度はスペイン人男性2人組と私たちの4人。ガイドはブラクさん再び。また写真中心に見ていきましょう。

  • ウチヒサル城



暇そうなラクダ。

  • ギョレメ野外博物館


岩に教会などの建造物が掘り込まれています。

写真撮影の制限が多くていいものが撮れなかったので須賀、それぞれの教会にはこうしたフレスコ画を見ることができます。岩絵具や動物の尻尾の筆を用い、キリスト教の宗教画が描かれています。別料金で入る「ダークチャーチ」の絵は非常によく残っており、見事でした。
やはりここでも、顔がない絵が目立ちます。そのことに気付き、関心を持つ人もやはり多く、別のグループのヨーロッパ人風の男性が彼らのガイドにそれについて尋ねると、彼はこのように語ったのでした。
ガイド「これは非常に恥ずかしいことなので須賀、正直に話した方がいいでしょうね?」
男性「ええ、お願いします」
ガイド「これは地元の人たちがしたことなんです。カッパドキアが観光地化される前の1960年ごろは、ちょうど文化財保護の空白期になってしまっていて、その時期に壊されたのです」
キリスト教徒がここに拠ったのも歴史なら、文化財保護の空白期と言われた時期に、みずからの信仰のためにフレスコ画を毀損した人たちがいたのも歴史です。

  • 「ストーンハウス」*3


ザクロジュースを自分で絞っていただきました。



ここではスペインから来た2人の戻りが遅かったので、ガイドのブラクさんと雑談をします。
ラクさん「日本人はいい人たちなんだけど、頷きはするけれど無口な人が多い。君たちはよくしゃべるね」←www
私「僕もそうだけど、英語ができないと怖がって話しかけないんじゃないですかね」
ラクさん「そういえば昨日も日本の女の子が来ていてね…アヤだ!君たちも一緒だったでしょ?日本人女性はよく来るけど、彼女はちょっと雰囲気が違って魅力的だったね。だからイタリア人のアプローチがすごかったでしょ?(笑)」
私たち「私たちもそう思って見てましたよwwww」
会話の中で示唆されているように、カッパドキアを訪れる外国人で多いのは、日本人、韓国人、イタリア人、スペイン人だそうで、確かにそうした人たちに一度は出くわしました*4。このブラクさんは多言語に通じた博学な人で、連絡先を書いて交換する時だったでしょうか、左手で文字を書く細君を見て、「左利きを矯正するのはよくない。脳に悪影響があるという研究がある」なんてことも教えてくれました。

  • 昼食


…えっと(笑)
ここでは、スペインから来た2人と身の上話をします。2人は友人*5同士で、1人はスペインのローカル局の天気キャスター、もう1人はよく飲み込めなかったので須賀、画縁をデザインするんだか商うんだか、とにかく扱う仕事をされているとのことでした。彼らに、私がどうにかこうにか2週間の休みを確保したことを話すと、「それでも短いよ」と驚いた様子。私もこれまで、さすがに2週間も仕事を空けるのはイレギュラーだ、という環境下に置かれてきましたので、この落差*6には若干驚きます。他にも色々と雑談を楽しんだので須賀、柔和なおじさん然としたキャスター氏が母国での自らの仕事についてあまり語りたがらなかったように見えたのは、やはり喧騒を避けてこの地を訪れたからということなのでしょうか。

  • アヴァノス


ヒッタイト時代からの陶芸の街です。


工房見学。「1人、体験してみませんか」とのことで、誰も手を挙げなかったのでやらせていただいたので須賀、記憶にある範囲で陶芸体験なんてしたことがありませんし、ぶきっちょの私に足でろくろを回しながら形を作るなんてことができるはずがありません! ブラジルだかから来た女性グループから十分過ぎるほどの嘲笑を買って終わったので須賀、一つ興味深かったことは、工房の人たちが私に対し、「陶芸の盛んな日本から来たのだから、それなりにはできるはずだ」という期待を示したことです。もちろんそんなことないよー!そんなことはありませんでしたが。

  • パジャパーなど奇岩スポット



お、ウサギがいた!




砂上のラクダ?

うじゃうじゃwwww

「ウサギ」といい「ラクダ」といい、「何に見えるか」という見る側の次元の問題というのはあると思いま須賀*7、一方で、作り手が何を意図して作ったかというレイヤーの議論も当然あると思います。

イスタンブールへ―日本からの2人の旅人

こうしてレッドツアーも終了。午後5時ごろに宿に着きます。いくら奇岩とはいえ、ここまで岩から岩へと見て回り続けると、やや満腹感いっぱいではあります。オトガル近くの「コーヒードキア」で、飲むヨーグルト「アイラン」を飲みながら作戦会議です、と言っても、午後8時発のイスタンブール行きを押さえている私たちは既に日本へ戻る「出口」を確保しているわけで、まあお気楽なものです。
8時が近づきオトガルの前でたむろしていると、「あっ、日本の人だあ!」という声。見ると二十歳前後のバックパッカー風の男の子が話しかけてきました。「僕もイスタンブールに行くんですよ。新婚旅行でトルコですか!いいですねえ…」独特のペースで会話を盛り上げてくれます。
程なく乗ったネヴシェヒル行きのミニバスでも金髪の青年と乗り合わせ、彼ら2人を中心に旅の話に花が咲きます。ネヴシェヒルのオトガルでも1時間以上の時間があり、結局大体の時間、4人でおしゃべりをしていました*8
1人目の彼は世界史好きの大学生で、「旅がしたいというより、その舞台を見て歩きたい」との思いから、地球一周航空券で飛び回っています。インドからイスタンブールに入り、夜行バスの強行日程でカッパドキアを見た帰りだそうで須賀、インドでは空港に着いた途端にツアーの押し売りに暴行されて無理やり買わされたり、仲良くなったタクシー運転手に「抹茶入りラッシー」と称する液体を飲まされるなど、「散々な目に遭った」*9らしく、「トルコは天国のようだ」とはしゃいでいました。ちなみにインドでは、知り合った人に誘われて1週間ほど現地の子供の教育支援にも取り組んだそうで、「いい体験をしたと思いますよ」と目を輝かせていました。
2人目の金髪の青年も大学生で、奇遇なことに私の実家の割と近くに住んでいました。確か2年生で、「これまでの学生生活で何もしてこなかった」との思いに駆られたことから一念発起し、20カ国周遊を掲げて旅をしています。これまで東南アジアを巡り、ここから欧州に入る予定だそうで須賀、帰国の時期の関係上、「宣言通り国数を稼ぐ」ことに苦慮している様子でした。ただ、彼が多くの国を巡ろうとしているのは「入国のスタンプを揃えたい」というコレクター的心理もあってのことのようで、話のついでに北キプロスのスタンプの押された別紙を見せると、興味深そうに見入っていました。
イスタンブールに戻ってしまえば、あとは日本に帰るだけです。まさに旅を終えようとしている私の眼には、年も幾分若く、この先にも山あり谷ありの長旅が待っているだろう2人がちょっぴり眩しく見え、なんだか切なくなります。いつか自分の死期を悟った時、生きながらえる人たちを見てそう感じるのでしょうか。なんにせよ、お互いのこの先の無事を祈って、それぞれ同じバスの別の席につきます。

この旅初の2階建てバスは、午後10時にカッパドキアを後にしました。

*1:これは別の気球で須賀、こんな感じで曳航されていたものと思われます

*2:上部にあるのはコルクではありません。念のため

*3:ノートにそう記録されているので須賀、それが一般的にどう通用している名称かはわかりませんでした

*4:気球ツアーに韓国からの一人旅の女性が同乗していました

*5:後日、どういう友人であるかについて細君が重大な問題提起をしました

*6:どちらからどちらに落ちるのかはさまざま考え方があると思います

*7:人間は、複数の点などのある程度以上特定された配置を見ると、顔だと認知する傾向があると聞いたことがあります

*8:補足すればこの直近に、ルーマニアで日本人女子大生が殺害される凄惨な事件が起きたことについても彼らは知っており、その概要などについても情報交換しました

*9:恐らく彼がこの表現を使うのに異議のある人はそういないでしょう