かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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竹島・韓国一人旅六日目 東海市から浦項、慶州へ

【目次】

 
 

浦項と民俗村

釜山やーめたw

7時前に起床し、洗濯物を取り込んで宿を出ます。もちろん2人によくないのは生乾きなのは分かっていました。ホテルの目の前のバスターミナルから、8時5分発浦項行きのバスに乗り込みます。
浦項というのは慶尚北道南部にある町で、今や世界的な製鉄会社となったポスコ浦項製鉄所があります。李明博大統領の出身地でもあるそうですね。そんな浦項にどんな用があるかと言うと…特にないです。この日は慶州を観光しようと思っていて、そっち方面に行くバスだ、という安易な理由に基づいて(というよりは、窓口で慶州だと言ったらこのチケットが出てきた、ぐらいのノリで)乗り込んだので須賀、聞くに浦項に着くのが11時半ごろなのだそうです。そこからまたバスを乗り換えて慶州に向かっても、恐らく慶州に着くのは昼過ぎでしょう。とすると、今日中に慶州市街地の観光地と郊外の仏国寺などを観光するのはおそらく無理で、そこから釜山に向かうと(ry
やーめた(笑) 別に訪ねた町の数を稼ぐために旅行をしているわけではありませんので、ガイドブックに書いてある場所を走り回って「確認」したところで、きっと楽しくなんかないでしょう。断念するには惜しい町ではありま須賀、また次の機会にゆっくり来ようと、この浦項行きの車中で釜山行きを断念したのでした。代わりにというのもなんではありま須賀、うまく交通手段があれば、浦項と慶州の間に位置する民俗村を訪ねようと、今日についてはそんな腹づもりでおりました。

案内所のお姉さまの猛烈な世話焼き

しかしこのバスは予想外の善戦(?)を見せ、11時過ぎには浦項のバスターミナルに到着します。ただこんな時間に着くのは予想外だったわけで、運転手は私をはじめ眠りこける乗客に向かって「浦項ですよ!」と一喝して、乗客たちを引きずりだしたのでした。

ターミナル周辺を見ただけで東海市とは雰囲気が違いますねwww 早速ターミナル近くの観光案内所に行って、浦項の地図をゲットします。そしてガイドブックを見せながら、「良洞民族マウル*1に行きたいんですけど…」と言うや否や、これまで応対していたおばさんに代わり、30代半ばぐらいのお姉さまが登場。します。そして、「良洞マウルに行きたいんですか? そこのバス停から行けますよ。ちょっと待っていてくださいね」と流暢な日本語で言ったあと、あちこちに電話をかけたりバスの時刻表をめくったりと、ものすごい気合いでマウル行きのバスについて調べ始めます。そしてしばらくして、やや申し訳なさそうな表情で「あちらの○番と△番のバス停から出ているんで須賀、次の時間がはっきりわかりません。でも20〜30分くらいおきに便があります」と教えてくれました。いやもうそこまで教えてもらったら十分なわけで、丁重にお礼を言ってバス停に向かおうとしたら、ここからも彼女は猛烈な勢いで話し続けるのでした。
お姉さま「マウルからそのまま慶州に抜けるつもりなんですか? 慶州もいいところですけども、浦項も見どころがたくさんありますよ。浦項は大統領の地元なんですよ。ポスコは非常に大きな製鉄所で、夜景がきれいなことで有名です。向かい側にビーチがあるんですけど、そこから見るときれいに見えます。あなた荷物が重そうですね。バスターミナルの本屋に頼めば、1000ウォンで預かってもらえますよ(ry」。
この人の奥底にあるのは、浦項をアピールすることへの欲求なのか、それとも日本語を使うことへのそれなのかやや判じかねながらも、「ご丁寧にありがとうございました。マウルに行ってから考えてみますね」と返事をし、教えてくれたバス停に向かいます。猛烈な世話の焼きっぷりだったけど助かったな、なんて思いながらバスを待っていると、突然目の前にさっきのお姉さまが。「マウルから戻ってくるならこのバスに乗ってください」と、マウルからここまでのバスの便名などを書いた紙を渡し、再び案内所へと戻って行きました。ここまでしてもらって気は引けま須賀、さすがにポスコの夜景を見に戻ってくる時間的余裕はなさそうです。

えっwwwちょwwwwっww

しばらくして待っていたバスが到着しました。と言ってもこのバス停まり損ねて大ブーイングだったんで須賀、本当に乗り継ぎぐらいしかできなかったな、とわずかながらの感慨に浸りながらタラップへと足を進めると、またもやものすごい勢いで例のお姉さまが駆け寄ってきます。今度は何だと思って反射的に振り向くと、運転手に向かって「この日本の人はマウルに行くって言ってるから!」と韓国語で叫び、また勢いよく去って行きました。いやはや恐れ入ります。

朝鮮時代の村にタイムスリップ?

この驚異的なホスピタリティ(笑)のおかげで、正午ちょうどにマウルのバス停に降り立つことができました。

そこからこんな小道を「ホントにこっちでいいんだろうか?」という不安に苛まれながら歩くこと30分弱*2

こんなステキな駅の結構先、良洞民俗マウルが見えてまいりました。

このマウルは、驪江李氏と月城孫氏という二つの両班氏族が中心となっており、15世紀ごろから当時の朝鮮王朝で重用された政治家や儒学者を輩出してきたそうです。そしてこのマウルは、現在も当時の面影を色濃く残しながら、現在もその子孫たちが住み続けています。当時の面影をよく残すこのマウルは全体が文化財指定を受けており、イギリスのチャールズ皇太子も訪れたことがあるそうです。
そんなマウルを見学し、ちょっと物思いに浸ってみようという企画です。
いかにもアップダウンがありそうなマウルで*3、荷物がかなり邪魔*4だったので須賀、マウルの入り口の案内所が預かってくれることになり、身軽な格好で女の子をストーキングする村を回ることができました。

結局、食事を含め約2時間半かけてこのマウルを回ったので須賀、あんまり細かいルートを紹介しても仕方がないのでダイジェストでまいります。

あふれる儒教イデオロギー

儒教国家の高級官僚を数多く出したマウルとあって、儒教的なものの考え方を強く感じました。例えば心水亭という建物は、儒学者だった兄・李彦迪の出世のため、官職につかずに老いた母を養った李彦适のための建物なのだそうで、案内によると、彼のその生き方が、村人の尊敬を集めたというのです。兄のために母を養うというのは儒教のにおいがプンプンしますね。またこういうマウルだけに「宗家」なるものもしっかり存在して、下の写真は、孫氏の宗家「書百堂」と、敷地内の樹齢500年超という木を収めています。

そして、こういう社会的エリートの論理と社会を目の当たりにして思い出すのが、ナショナリズムの契機に関するゲルナーの議論です。ゲルナーは、ナショナリズムの契機を産業化に求め、産業化による社会的流動性の向上と職業内容の変化(=読み書きなどのリテラシー)がナショナリズムを生んだと論じているので須賀、まさにここにあるのはそれ以前の社会の姿です。階層化された社会の中で知的エリートが集住する社会の流動性は当然低いですし、特にこのマウルは、エリートによるリテラシー独占の象徴のようにすら見えます。ゲルナーの言うように、産業化による社会の平等化を正当化し、またそれが要請するのがナショナリズムであるなら、ここはまさに、前ナショナリズム時代を象徴するマウルだと言うことができるでしょう…
その時読んでいる本に如何に影響されやすいかということで、その点では生姜先生を全く笑えないと思っています。さっき聞いたことをさも昔から知っていたかのように開陳するのは、まさに愚人のなせる業です。

ここ、人んちですから。

2時間半にわたる散策の間、一番思い知らされたのはこの点です。ここは文化財の指定を受け、日本語のパンフレットも用意されているくらいのちょっとしたちゃんとした観光地なので須賀、さっきお話ししたように、ここには両班たちの子孫が暮らしています。なので当然、

こんな光景や、

こんな光景*5もあちこちに見られました。さすがに写真を撮るのは憚られましたが、書百堂でさえ今実際に使っていると思しき台所用品が並んでいて、ああ、ここも人の家なんだなぁということを実感させられました。

辛旨キムチを堪能

昼食はこのお店でいただきました。

お店と言っても民家の一室なので須賀、ここで勧められるがままにうどん(4000ウォン)をいただくことにしました。

左上にあるのがたれなので須賀、これはかけながら食べるのだそうです。ただ、このうどんもおいしかったので須賀、特筆すべきは間違いなくキムチです。ここまでの旅程で、キムチが辛いという経験は実はなかったので須賀、このキムチはものすごく辛くて、水がなければ食べ続けられませんでした。しかしおいしいんですね。辛い中にもどこか旨さがしみ渡っていて、酸味も強くない。この味は忘れられません。

韓国の加藤夏希に性理学を学ぶ

…てな感じであらかたマウルを回り、入口に戻ってきたのが3時ごろ。売店で缶コーラを飲んで、預かってもらっていた荷物を取りに行きます。
荷物の面倒を見てくれたのは、30代後半くらいと思われる女性で、女優の加藤夏希を肝っ玉母さんにしたような雰囲気*6の方でした。池袋で習ったという流暢な日本語で、いろんなことを教えてくれました。前出の李彦迪という人物は、朱子学の流れを受け朝鮮王朝時代に発展した「性理学」の大家なのだそうで須賀、それによると、ハングルの文字の形として閉じているㅁ*7*8は保守性、開いているㅋ*9は開放性を表すそうで、儒学者の思想的な保守性と開明性は、彼らの名前に使われているハングル文字の形と関係がある*10とか、家の形もまた然りで、このマウルにある建物の形は保守性を表しているため現在までこのようなたたずまいが残っているとか、このマウルは川や山の位置などからして風水的にいい場所なんだとか、末広がりのマウルの形も縁起がいいとか…
確かにちょっと歴史に興味のある人間にとってはとても面白い話で、私もその例に漏れず「へえ」とか「なるほど」とかの間投詞を連呼してしまったので須賀、それでもどうしても聞きたいことがあって、質問してしまいました。
カナリア「あなたもここにお住まいなんですよね?」
夏希母ちゃん「そうですよ」
カナリア「どこで買い物してるんですか?」
夏希母ちゃん「隣の安康まで行っています」
カナリア「不便じゃないですか?」
夏希母ちゃん「確かに大変ですけど、マウルのメンテナンスには市*11から補助が出るんです」
こういう話が面白いですよねwwwww

慶州史跡巡り

歩いて回れる慶州の史跡

彼女と別れてからさっきのバス停まで戻り、4時前に来た慶州行きのバスに乗り込みます。運賃は1500ウォンだったので須賀、小さいのが1300ウォンしかなかったのでまけてもらいました。慶州には4時半着。ガイドブックに載っていた離れの宿はなぜか見つからず、結局バスターミナルの周りのモーテルに20000ウォンで一泊することに。そこから慶州市内の史跡巡りがスタートです。
どの史跡も結構遅い時間までやっているとは聞いたものの、なるべく早く回りたいとまず急ぎ足で向かったのが鶏林です。ここは新羅王系の一つである金氏の始祖神話の舞台で、ある時この林から光が放たれ、見に行くと男の子の入った金の入れ物の横で鶏が鳴いていたので、この子の名字を「金」として、ここを鶏林と名付けたんだそうです。

こりゃ古墳だろ的な風景を横目に見ながらたどり着いた鶏林は、もうそろそろ沈みたそうな夕日に照らされていました。

ここは本当に林で、真ん中に小さなお堂みたいなのがあって、周囲にライトアップ設備があるくらいなので須賀、なぜだかワクワクしてしまう場所です。それこそ鶏の近くの金の箱から子供が出てきそうな、何か起こりそうな気分にさせてくれました。
お次は月城跡です。

新羅の宮殿があったところだそうで、まさに写真のあたりだというので須賀、いくら千数百年前のこととはいえ、ここまで何もないというのもすごい気がします。逆に言えば、日本の大仙古墳に木が林立しているみたいに、宮殿であるがゆえに手をつけられず、その結果がこの姿なのかなとも思ったりもします。
続いて瞻星台です。7世紀新羅の善徳女王の時代に造られたという天文施設なんで須賀…

お前残念な奴だなwww しかも前日の17日から30日までの工事だそうで、ショックもひとしおです。ちなみにこの瞻星台、敷地の外からもバッチリ見学できてしまうので須賀、ここは律義に(?)500ウォン払って入場しました。

「四世紀」への誘い

そして大陵苑。ここは古墳公園みたいなところです。

ここまで割と精力的に市内を歩き回ってきたわけで須賀、ここにきて少し休憩をすることにしました。そしてブロックの角に腰掛け、すっかり暗くなった辺りをぼーっと見ながら、考えたのでした。そういえば、そもそも私が朝鮮半島に興味を持ったのは、この時代の人たちを通じてでした。中学校に入りたてくらいのころに、

を読んで、これまで日本史として学んで来たことと、朝鮮史として学んできたことがこんなに近く、重なり合ったものだったのかととても驚いた記憶があります*12。もちろん本の内容について議論のある方面のものだとは分かっていましたが、少なくともこの本の問題意識が、いわゆる「空白の四世紀」に日本列島や朝鮮半島で何があったのか、という私の中の興味と大きく共振したのは間違いありません。そして今私は、ついにそんな場所に来てしまった。周りの古墳を見渡してもあんまりイメージが湧かないけれども(笑)、せめてゆっくり回ろうじゃないか。そしてぜひ扶余にも行こう。
そうして再び立ち上がり、古墳の一つ天馬塚の中で見られる金の冠と、この公園の雰囲気を味わって*13この場所を後にしたのでした。

ドラマで慶州ブーム?

ちなみに、韓国ドラマ「善徳女王」の影響で、観光地としての慶州の注目度は最近上がっているそうで、時間は前後しま須賀こんなものもありました。

そういえば最近、私の生まれた地方も大河ドラマの舞台となり、それ目当てに観光客が増えたらしいので須賀、私はそのドラマの女水戸黄門みたいな筋書きが大嫌いだったので、複雑な心境であったのをこの異国の地から思い出したのでありました。

冷麺食ってお寝んね

もう7時を回りました。どこかで夕飯を食べてから宿に帰ろうとしたので須賀、なかなか適当なところがなくて結局高速バスターミナルに。冷麺をいただきました。注文して待っていると、ガイドブックを目ざとく見つけたのかおじさんが近寄ってきて「仏国寺には行きましたか? 仏国寺に行くなら個人タクシーがいいですよ」と日本語で話しかけてきます。まぁ話を聞くのはタダだろうと思って、話の流れに乗ってバスでの所要時間などを聞いていたら、ここが勝負と思ったのか、このおじさんは突然日本語の案内用紙を取り出して、「1日で75000ウォンです」と売り込みを始めました。1日でその値段ポッキリなら法外な値段ではないのかもしれませんが、ここまで読んでくださっている人がいればお分かりの通り、そういうスタイルの旅行をする気は毛頭ありません。ここだけ韓国語で「お金がないんです」と言うと、おじさんはあきらめた様子で去って行きました。
そこから恒例のネットカフェに行って9時半に宿着。宿に着いたときに干しておいた洗濯物が、翌朝乾いていることを祈りながら就寝したのでした。

*1:この日訪ねようと思いついた民俗村です

*2:多分普通に歩けば20分もあれば着けると思います

*3:実際ある

*4:移動途中でたちよっているので

*5:まぁこっちには観光地っぽいニュアンスも感じましたけれども

*6:そもそも加藤夏希が肝っ玉母さんになりそうですけどwww

*7:mの発音

*8:発音しないかngの発音

*9:厳密には違うけどkの発音

*10:因果的にどういう関係なのかまでは聞きませんでした

*11:慶州市

*12:今でもタイトルを完璧に覚えていたことに今改めてびっくりしました

*13:念のため言っておくが、食べてはいない