かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ヨーロッパ中毒奇行紀行二日目・アムステルダムとその郊外

昼間の(笑)アムステルダム観光

ツンデレアムステルダム

この日は7時半に起床し、シャワーを浴びてからホステル一階の食堂で朝食を摂りました。朝食はシナモンの香りのするフレンチトースト。あとパンの余りものがタダで置いてあったので、それはちゃっかりいただいてきましたww
ホステルを出たのは9時50分。今日は市内のハイネケン工場でビールを飲んでから、ちょっと郊外に足を伸ばす予定です。まずはホステルからハイネケン工場のある南へと歩いていくと…なんという情緒。まだ昇りきっていない太陽のどこか弱々しい光に照らされた、シックな建物と水路。そしてその脇の人通りの少ない小路を歩く私たちに、鐘の音が優しく、しかし厳かに語りかける… そんな美しい光景の中で、私はこう思うことを止められませんでした。「これが昨日のアレと同じ街かよww」 いくらこの日が日曜だからといって、このギャップは反則だと思いますwwギャップ萌え*1にはたまらんwww

ハイネケンをエクスペリエンスしに…

さて、そんなことを考えているうちに、程なくハイネケン工場「ハイネケン・エクスペリエンス」に到着します。この「ハイネケン・エクスペリエンス」は、実際に1988年まで工場として使われていたアトラクションで、楽しみながらビールの歴史を学び、そして試飲までできてしまうという「ビール好きにはたまらない」観光地だそうで、一度アムステルダムを訪れながらもここに来ることができなかったというビール大好きの友人にとっては、まさに宿願とでも言うべき再訪であったのでした。しかし…

あはは、開いてねぇやwww ここもリニューアル中ということで友人の夢はまたもや潰えたのでしたorz
しかしそこで引き下がるのも癪だったので、国立ミュージアムの前を通って次なる目的地・フォンデル公園へと向かいました。この公園については特に何かあるとは聞いていなかったんで須賀、まぁその通りの普通の公園で(笑)、緑豊かな緑地で結構な数の人々がランニングにいそしんでいました。ただその周辺のショッピング街は結構キレイでしたよ、ほとんど閉まってたけどww

トラムに乗ってアンネの家へ

お次は一転、中心街からやや西にあるアンネ・フランクの家を目指しました。ここまではちょっと距離があるということでトラム(路面電車)を使って*2行ったんで須賀、このトラムって結構スマートな外見の割には揺れるんですねw 座っていないと姿勢を保つのにも一苦労でした。ちなみにこのトラムに乗ったのが大体11時前後だったんですけど、この頃になると日差しもしっかりしてきて、そのせいではないんでしょうけど人通りも増えましたね。


上の写真がトラムに乗る前のライツェ広場(確かw)で、下がダム広場周辺のトラム通りです。
こうしてアンネ・フランクの家に着いたのが11時半だったので須賀、既にお昼前とあって入口の前には長蛇の列が。日が差してきたとはいえ結構寒かったので、外で待つのはちょっと嫌だったんですけどまぁ仕方ありませんね。30分ほど待って正午くらいに入場することができました。入場は7.5ユーロです、これもしゃあないw あと余談ですけど、前のブラジル人のお姉さん達とその前のアメリカ人のおじさんが、同じく暇だったらしくカリフォルニアの物価云々についてしゃべってました。

アンネ・フランクの家―理不尽さへの困惑

アンネ・フランクについてここでくどくど説明する必要はないでしょう。この家は、アンネ・フランクの一家が、ナチスによるユダヤ人への圧迫がますます強まっていた1942年から、1944年の夏に何者かの密告によってゲシュタポに発見されるまで住んだ隠れ家で、戦後アンネ・フランク財団によって保存され現在に至っています。その隠れ家の中に当時の彼らの生活や、ナチスによるユダヤ人への圧迫を示す史料が展示され、それを見ながら家を回る、という形式です。
やはりこういうものを見せられるとものすごく気分が沈みますし、隠れ家に身を寄せた一人ひとりの「その後」についての展示を前にすると、知識として知っていたこととはいえやはり呆然とせざるを得ませんでした。しかしこの悲劇―しかもそれは天災でも運命のいたずらでも何でもない、わずか六十数年前に人間の意図的な行為の結果として起こったことなのです―の歴史を目の当たりにした私を包んだのは、ふつふつと湧き上がるような怒りではなく、この圧倒的な理不尽さに対する困惑と、あるいはその困惑自体への困惑だったことは今でも鮮烈に覚えています。一体全体なんでこんなに理不尽で、当てる言葉が見当たらないほど醜いことが起こってしまったのか。20世紀のヨーロッパの政治史云々やユダヤ人差別の長い歴史…といった学問的なアプローチではなく、その時、この場所*3で起こった事実の一部をここで垣間見たとき、それが直感として全く理解できなかったわけです。それはこの時期の政治の流れやユダヤ人差別の問題といった歴史的文脈を理解していない、能天気な日本人の感傷でしかないよ、と言われればあるいはそうかもしれません。しかし、それくらい今の自分の感覚とかけ離れたことが、祖父と同世代の女の子*4の身に起こっていた、それは現実なんだということはしっかりと覚えておかねばならないと思いました。

「ハッパもやったの?」

…とまぁそんなことを考えながら回っていたんで須賀、途中であまり日本人風には見えない同年代くらいの女性に、いきなり「日本人ですか?」と話しかけられたのにはびっくりしましたけどねww なんでもその子は日本の上智大学に留学したことがあったそうで、日本語はアクセントも含め完璧でした。例えば…
女の子「アムステルダムはどう?」
友人「いやあ、いいと思いますよw*5
私「昼と夜の様子がかなり違って面白いですね」
女の子「そうだよねえ…ってことはハッパもやったの?w」
「ハッパ」なんてそう出てくる表現じゃないでしょうからねww ただ「アムステルダムはどう?」っていうような質問のしかたは、日本語というより英語風の発想かなぁという気もしましたが。ちなみにこの女の子の「評価」をめぐっては、未だ友人との間に共通見解を得ていませんwww

マロニエの木を探せ!

一時間弱くらいかけて大体見終えたあとは、一階のミニシアターのようなところで流れていた、参加型の映像番組のようなものを見ていました。これは市民的自由や国家のあり方をめぐる、簡単で友人曰く誘導的(笑)な映像を見た後に会場にYes-Noアンケートをとるというもので、その場で結果も公表されるんで須賀、ここのアンケートの結果に何らかのバイアスがかかっていたとしても*6、それがどの要因*7によってかかったバイアスなのかはやや判断しづらいところがありますよねww
あとはおみやげのポストカードを2枚(2ユーロ)買って、アンネ・フランクの家ともお別れです……って、ちょ待てよwww この展示館に入る前から聞きたかったことを、聞くのを忘れていました。というのはこれです。

アンネの木、保存決定 市が撤去方針を変更
ブリュッセル25日共同】ユダヤ人少女で「アンネの日記」の作者アンネ・フランク(1929−45年)の一家が第2次大戦中に隠れ住んだオランダ・アムステルダムの家の横に立つマロニエの木が立ち枯れ状態となった問題で、市当局は24日までに、撤去の方針を変更し、支柱や柵などを設置して木を保存することを決めた。
市は、樹齢150年を超す高さ約20メートル、重さ約27トンの木が倒れれば、周辺住民に大きな被害をもたらすとして、撤去を決めたが、自然保護団体などが抗議。裁判所は、昨年11月の作業着手前日に、撤去を約2カ月遅らせるよう市に命じた。
市と自然保護団体などの協議で、同団体側が毎年1万ユーロ(約158万円)の募金を集め、金属製の支柱や危険防止柵を管理することが決まった。5−15年の延命が可能という。
(2008年01月25日、西日本新聞)

この記事はご覧の通り帰国後のものなんで須賀、記事にある「裁判所の命令」というのが下ったのはこれ以前に聞いていたので、是非この木を見たいと思っていたのです。そこで友人と二人で館内を聞きまわり嗅ぎまわり、やっとのことでわずかな隙間からその木を覗き見ることができました。

手前の枝じゃなくて、奥のどっしりした木ですね。見にくくてすみませんorz ちなみに館内は撮影禁止だったそうなんですけど、この木は館外だからそんなの関係ねぇ!

アムステルダム郊外―マルケン島・フォーレンダム

そして郊外へ…

こうしてアンネ・フランクの家とも今度こそお別れし、お次はアムステルダムの郊外・マルケン島を目指します。途中のマックでダブルバーガーセット(5.5ユーロ)を食べたり、店員が平然と「コーヒー」を「飲んで」いるお土産物屋さんでポストカード*8(6枚で3ユーロ)を買ったり、はたまたヤク中っぽいアジア系の男*9が徘徊する雑貨屋を覗いたりと道草をたらふく食っていたせいで、中央駅の近くのバス停に着いたのが2時20分。マルケン島行きのバスが来るまでちょっと時間があったので、中央駅の駅舎を撮っておりました。

なんとなく絵にはなった感じ?(笑)
しばらくして来たバスに乗り込み、マルケン島に着いたら教えてくれと頼んで運賃の4.8ユーロを払います。聞いた感じでは一人4.8ユーロだった気がするんで須賀、なぜかそれで二人とも乗せてくれました。まぁいいやw

素朴なマルケン

30分ほどのバスの旅では、放牧地あり干拓地の堤防ありと、「のどかなオランダ」の風景を車窓から満喫することができました。そして堤防の上のような道を通って島らしき場所に入ると…
運転手「マルケン島だよ」
えぇ、まぁ、確かに私たちが降り立ったそこはマルケン島だったんで須賀、ここは島の端っこの入り口です、か??(えぇ、そう考えていいのではないでしょうか)。とにかく歩きます。そしてしばらく人気のない道を歩いていくと、周りにはこんな風景が…

なんかすごく素朴な感じでいいですよね。あとこんな方々もいらっしゃいました…

ヒツジくん「ん?呼んだ??」

ガチョウさん「特にないです…」
このガチョウさんにはかなり近づいて写真を撮ることができました。

あれ?港は??

…とこんなことをやりながら二人で歩いていくと、バスロータリーのようなところにぶつかりました。これまでバスと徒歩で進んできた人気のない通りはここで終わりで、そこからはちょっと車では入っていきにくそうな小さな通りがいくつか延びています。確かに私たちが目指していたマルケン島はここで、マルケン島行きのバスもここで折り返しているようなので須賀、そこにあると聞いていた、古い情緒を残す港がどちらを見渡しても見えてきません。そして標識らしきものもない。
どうしたものかと思案に暮れていると、そこは旅慣れた友人です、近くを通りかかった30代くらいの男女にささっと近寄って、彼らに道を尋ねてくれました。最初は今日のもう一つの目的地である港町・フォーレンダムへの行き方を尋ねたので須賀、彼ら曰く「夏場は港からフォーレンダム行きのフェリーがあるけど、冬場はない」のだそうで、ただ「港の方に行くのなら途中まで案内」してくれると聞き、そのお言葉に甘えることにしたのでした。と言いつつ彼らの英語*10はあまり聞き取れなかったww
こうした助けも借りながら、なんとか港の方へと向かっていくことができました。

途中こんなところを通って、港に着いたのは4時頃。聞いていたように本当にのどかな港町でした。

そしてそこには一隻の小さなフェリーが*11。もしやと思って聞いてみると、やっぱりそれがフォーレンダム行きのフェリーで、4時15分に最終便として出航するとのこと。半ば無理かと思っていたフォーレンダムへ、しかもフェリーで行けることがわかった私たちは、嬉々としてお土産物屋に入り、すばやくお土産の紙ナフキン(3ユーロ)を買って、フェリーに乗り込んだのでした。運賃は5ユーロです。

フェリーから夕日を眺める

フェリーは定刻にマルケンの港を出港し、フォーレンダム港へと向かいます。

私たちは寒風吹きすさぶ中、外でアムステルビール(2ユーロ)を飲みながら周りの景色を眺めていたので須賀、まるで私たちが来るのを待っていてくれたかのようなタイミングで沈む夕日といい、イカした髭の老年船長といい、外の寒さを一瞬忘れるほど趣深いものを見せてもらいました。しかもアムステルビールがうまい!www これを飲んでからだとハイネケン発泡酒のように感じられますw

フォーレンダムで夕食を

ちょうど30分の船旅を終えて、私たちは目的地のフォーレンダムに着きました。船の上で船長と記念撮影した後降り立ったフォーレンダムは、あちこちにイルミネーションが輝くちょっとオシャレな港町といったところでしょうか。

ちょっと街をふらついてから、トイレを兼ねて*12カフェに入ります。ここで飲んだコニャック(3.2ユーロ)はおいしかったですね〜 ただ夕飯を食べるには早かろうということになり、それっきりで出て再び散策することにしました。
それでも店を出た時間は6時を過ぎていたので、外の暗さにイルミネーションがよく映えていました。とりあえずバス停で帰りのバスの時間を確かめてからまたぶらぶらと散策し、6時半頃から夕食を食べる店を品定めし始めます…しかしこれがうまく行かないんですねww 一軒目は入ってハイネケンまで飲んだものの、食事はラストオーダーを過ぎていると言われてビールの4ユーロだけ払って出る羽目になりました。そして二軒目はまさかの入店拒否。明らかに空席があるのに「満席だ」と切り捨てられ、すごすごと引き下がらざるを得ませんでした。友人は「人種差別だ」と言い張って憤っていましたが、ちょっと判断材料が欠けていて私にはよくわかりません。しっかしそうして見てみると、その辺のお店は全部もうすぐ閉店的な空気を醸し出していて*13、ここは一つ場所を変えようと入ってみたのが、大通りからやや入ったところにある三軒目の「GRILL BAR The max」でした。
実はここにもほとんどお客さんがいなかったので、恐る恐る確認してから入ったので須賀、「もちろんやってるよ」という力強いお返事をいただいて(笑)、そこで夕食を摂ることにしたのでした。そこで頼んだキップという鶏肉やピザ、サラダなど、どれもとてもおいしくいただけましたよ。あと何といってもビールがアムステルだったのが大きいですかねww お代は二人で35ユーロでした。

「コーヒー」なのに催眠効果www

こうしておいしい料理でお腹を満たした私たちは、再び海辺へと向かいます。そして友人がおもむろに取り出したのが…ちょwwwっww「コーヒー」www 昨日買った4「杯」のうちの2「杯」がまだ残っていたので、オランダ国内にいるうちに処理してしまおうという魂胆なのでしたw 一応周りに誰もいないことを確かめてから、今度はあまり”inhale”しないように自重しつつ一「杯」目、二「杯」目と回し「飲み」していきます。これが二回目ということもあって緊張感はそれほどでもなかったので須賀、やはり星空の下で「飲む」「コーヒー」は格別でしたねwww スリリングな体験でもありましたし。
とはいえずっと海辺で「コーヒー」を「飲んで」いるわけにもいきません。10時には海辺を離れ、あらかじめ調べておいたバス停へと向かいます。20分頃に来たバスに乗って(運賃は二人で12.5ユーロ*14 )、45分頃にアムステルダム中央駅に着きました。その間の約30分はこともあろうに爆睡で、私が「コーヒー」を飲むとローになるタイプらしいということはその時気付きましたw
それから友人とまた「飾り窓」街を物色して*15、11時過ぎにホステルに帰ってきました。そして私はそのままKO。ベッドに腰掛けたまま寝ていることにすら友人に起こしてもらうまで気付きませんでした。
私は朝までずっと眠っていたので、その間の出来事については一切関知していません。

*1:最近かがみんが好きです

*2:1.6ユーロ

*3:あるいはどこかの収容所

*4:アンネが祖父の一つ年下だったことは今知りました

*5:こんな感じだったよね?ww

*6:恐らくかかっているのでしょうがw

*7:お節介に注をつければ、ここはアンネ・フランクの家でありました

*8:昨日行った「パラダイスコーヒーショップ」のポストカードがあって笑いましたww

*9:日本人と見た

*10:歩きながらの会話も、「アムステルダムの物価は高くて云々」という話の要旨までは理解できたものの…って感じでしたねorz

*11:上の写真にはないですよw

*12:寒い中ビールなんて飲んだからですねw

*13:少なくとも私にはそう見えて

*14:ってことはやっぱり行きは一人分だったんでしょうねw

*15:友人は「飾り窓」のお姉さんと値段交渉までしていましたww