かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行十一日目・ボスポラス海峡とイスタンブール

ボスポラス海峡を楽しむ

海の見える「スイートルーム」

バスは午前9時にエセンレルオトガルに到着します。ほぼ10日ぶりのイスタンブール。昨日話した金髪の青年と会釈をして別れ、港に近いスィルケジ周辺に宿を求めます。

2軒回った末、海がよく見える7階の部屋に荷を降ろします。「スイートルーム」と名付けられた宿の最上階で、多くの船が行き交うボスポラス海峡は、何時間眺めていても飽きなさそうです。ちなみに、このホテルのスタッフの1人は「自分の何代か前の先祖に日本人がいるんだ」と親しげで、それこそ100年以上前、理由は分かりませんが、日本からイスタンブールに渡ってきた人なのだそうです。

昼食は港でサバサンド。「サバサンド」という日本語が通用していて、歩いていると「サバサンド!」と呼びかけられます。しかしこれが美味で驚きました。

いざ海峡クルーズ!

その勢いでボスポラス海峡クルーズへ。黒海マルマラ海を結ぶ海峡で、エーゲ海、地中海にも通じる要衝。実は黒海の方がマルマラ海より40センチ水位が高いのだそうで、さすれば当然、前者から後者への海水の流れが生じています。
時刻は午後1時半過ぎ。出航です。


日本語の音声解説を聞きながら、左右の景色を見比べて「あれは何だっけ?」などといちいち確認するのは結構忙しい作業です。10分ほどして、そんなことをしに来たんじゃないことを思い出し、どっしり構えて風景を楽しみます。

橋や要塞は要衝の証


と言っても、これは見落としようがありませんね。ボスポラスハイエク大橋です。

くぐりまーす!

ルメリ・ヒサル。メフメト2世がコンスタンティノープル攻略戦に備えて造った要塞です。

しばらく行くと、アジア側を中心に別荘風の建物が並びます。日差しは強いで須賀、時折海峡を渡る涼風がいい心地です。

高台から見下ろす海峡

1時間半ほどかけて、アジア側の終点アナドル・カヴァウに到着です。魚料理を出すレストランが多くあります。

高台に上って海峡を見下ろします。


この高台には軍人社宅のような場所があり、銃を持った兵士が入口を警備していました。海峡を見下ろす好立地は住環境としても魅力的で生姜、狭義における軍事目的の施設が何らかの事情で転用されたのでは、という直感も生ぜしめます。

クルーズ「下り線」

帰りは、道端でもらったイチジクをかじりながら、プレジャーボートからタンカーまでが行き交う様を眺めていました。


行きは見逃してしまいましたが「乙女の塔」として知られる城塞です。「娘は18歳の誕生日に毒蛇に噛まれて命を落とす」との予言に恐れをなした王様が娘を閉じ込めた場所で、その娘は、まさにその日に王が持ってきた果物の中の毒蛇によって死んでしまった―という話が伝わっているので須賀、そういえば地中海に浮かぶ「乙女の城」にも同種の物語があるそうで、他でも同種のものを探して行ければ、そのルーツに迫ることができるかもしれません。
5時半過ぎに着。海水の流れのおかげか、「下り」の方がやや早かったようです。

岸にはサバサンド船。サバサンドを作って売る、という行為を、なぜだか船上で、しかもその船を華美に飾り立てて行っています。

壮大なモスク群とバザール―canarykanariiya、布教を受ける?

「壮麗王」の壮麗なモスク

もう少し外歩きを続けましょう。30分ほどウロウロして辿りついたのはいわゆるスレイマン・モスク。

写真のアングルがかなりイマイチな感じで須賀、間近からではこうせざるを得ないくらい壮大で、ドームの高さが53メートルあります。


天井です。トルコ最高と言われる大建築家が、16世紀の最高技術をもってつくりあげたのだそうです。そしてもちろん、写真からも分かるように、ここは現役の宗教施設でもあります。ドームへの入り口にはおじさんがいて、施設内の秩序を保つべく布を貸し出しているので須賀、彼は私達を見ると、さりげなく日本語で応対してくれました。価値判断は含みませんが、日本人を見かけたら片言の日本語でも使ってみようという人が多い中で、彼の誇るでもない流暢さは印象に残りました。
ぼちぼち帰ろうと、東に足を向けます。トラム沿いとは異なり、地元民向けっぽい商店が並んでいます。

それにしてもまあ、これは一体なんざましょうか?

バザールで声を掛けられ…

その道中、たまたま見かけたのがエジプシャンバザール。

裏手にあるイェニ・ジャーミィ運営のため、エジプトから貢物を集めて造られたそうで、名前はその点にちなむとか。別名は「スパイスバザール」。

こちらの呼び名については説明の必要はあまりないでしょう。ちょこちょこ店を覗いていると、あちこちで店じまいが始まったようです。時刻は午後7時半。暗くなる前に閉めてしまうんですね。となると私達もここから出ねばならないので須賀、「そっちからは出られないよ、こっち」と英語で話しかけてくる声があります。見れば、先ほど細君と話していた店のおじさんです。
「スィルケジならこっちだよ」「この秋から六本木のレストランで働くんだ」「このモスクには行った?」
結構な勢いで、あれこれと話しかけてきます。モスクというのは港の近くのイェニ・ジャーミィ。どういう意図をもって話しかけてくるのかやや判然とせず、ついて行っていいものか逡巡はありましたが、行きにスルーしたこともありますし、大モスクの中で何かということもないだろうとご同行を請うことにしました。

誘われてイェニ・ジャーミィ


一通り写真撮影を手伝ってもらった後、建物の中に入ります。

こちらも見ごたえ十分。確かここもきれいだねえだなんて話していると、彼が私を手招きしています。何事かと近寄っていくと、「こっちも見せてあげる」。前述のように現役の宗教施設でもあるこうしたモスクには、観光客の立ち入れる範囲というのが示されていて、これまでもそのエリア内で見学していました。その先を案内してくれるというのです。
怒られないのかな?まあ、怒られたらこの人がかばってくれるかな?そんなことを考えながら、そそくさと彼に従います。着いたのはミフラーブの間近。何か圧倒的に違う世界が見えたわけではありませんが、自分たちだけではできないことができたのは、正直にうれしくもありました。
そしてもう一つ、彼の振る舞いで印象的だったのは、韓国人観光客の女性がそのラインを踏み越えようとするや否や、「Lady!」と咎め立てていたこと。そうしたエリアに女性が立ち入ることは制限されているようで*1、彼は宗教上の理由からそのことを指摘し、また、それゆえに細君を内部に招かなかったと思われます。率直に言って、何者なんだろうと訝る気持ちが消えないままつき従っていましたが、宗教的に敬虔な人物であるという彼の一側面だけでも見えたことは、非常に大きな収穫である気がしました。

夕食の誘いとモスクの礼拝

モスクを見終えると、彼は「一緒にケバブを食べよう、おいしい店があるんだ」と誘ってきます。これには細君はかなり不安げな表情です。私も、この誘いに乗っていいものかもちろん迷いました。ただ、それは私たちがついて行く相手を選ぶことについて必要条件でも十分条件でもありませんでしたが、彼が敬虔な信心をもった人間に見えること、その点を以て、人通りの多いところまでなら大丈夫だろう、そう思うことにしたのでした。
彼が案内したのは、多くの人が行き交う道沿いのロカンタにある野外席。ガイドブックにも紹介されていた店だからか、日本人客の姿も見えます。「ここなら大丈夫だよ」。そう細君をなだめ、椅子に腰をおろします。
すると彼は再び、私のみを手招きして、「礼拝に行くから見に来なよ」と誘います。これは彼を信頼するかどうかという以前の問題として、細君には悪いことをしたと思っているので須賀、ちょっとならと同行させてもらいました。時刻はちょうど8時ごろ。先ほどよりは幾分小さな、まさに地元の人々向けといった感のモスクでイマームが礼拝を先導しています。しかしそれは場を規律する「リズム」のようなものではなく、集まったムスリムはそれぞれのタイミングでそれを行い、それゆえ一見「途中退出」のように外に出る人もいます。彼が礼拝を始めて2分ほどでイマームは朗唱をやめ、周囲のムスリムたちの挨拶を受けながら裏へ下がります。途中ですれ違った私には特に一瞥もくれず、礼拝に来た誰かが忘れていったペットボトルを、裏の方に放り投げます。そんなことは偶発的な出来事に決まっていて、それを見たからなんだということはないはずなので須賀、礼拝と合わせてモスクの日常を垣間見られたようで、そのシーンは脳裏に焼き付いています。あとはとにかく、置き去りにしてしまった細君のもとに戻ります。

ケバブを食べながら


100%とは言いませんが、私はもう、アイディンさんを心底から警戒してはいませんでした。彼は何故か各国語に通じており、英語は非常に流暢に話します。彼は何故か演歌少女・さくらまやのファンで、かなり旧式と思われる携帯電話でその美声を聞かせてくれました。彼女が北海道の出身であることも、初めて知りました。
そんな会話を楽しむ中でも、彼の人格の大きな柱となっている信仰はさまざまなところに垣間見えます。彼の現職場であるバザールについて話していた時です。「店の入れ替わりも多いんですか?」と尋ねると、「ないわけではないよ」と答えた後、こう言い継ぐのです。「でもそれは問題ではない。仕事は神が分け与えてくれるものだ。私も神に与えられて、六本木で職を得るのだ。そして人は働かねばならない云々」。労働の意義はおろか、その成り行きまでもが見事に信仰に接合されています。こうなるとやっぱり国際情勢への認識を聞いてみたくなるので須賀、中東情勢を多大に規定している二国間関係について「ネズミがラクダをコントロールしている!」とお怒りのようで、まあそれについては尤もな部分も多いので割かし意気投合してしまいました。それぞれどこの国を指すのかはご想像にお任せします、って分かるかw
ちなみにこれは全く余談なので須賀、彼が「大きなものが小さなものにしてやられる」ようなニュアンスにネズミとラクダの組み合わせを用いたのは全く故なきことではないようで、2012年05月08日のブログ|あぶくさぶくというブログさんの記事によると、キルギスやアルタイといった中央アジア系の民族にも十二支というものがあって、その物語ではラクダが日本の十二支における猫のような役割を果たしているそうです。トルコ系の人々というのも歴史的には中央アジア遊牧民族で、先述の人たちとも系統的に近いとされているようですし、現在のトルコにもやっぱり十二支はあるそうなので、アイディンさんもその喩えを用いながら、そうした動物たちのことを考えていたのかもしれませんね。

アイディン師、イスラームを語る

ここでの話は大きく逸れましたが、実際の夕食の席では、アイディン師の宗教談義は深まるばかりでした。これは何の拍子だったか、彼はこの不信心者2人に正面からイスラームの教えを説くという難題に挑み始め、コーランの一節を諳んじ、解説し始めます*2
「神が太陽の恵みを与えるために昼を造り、休息の時を与えるために夜を造った。全てのものは神が創造した…そんなくだりがあるんだよ」。どこかで見聞きしたことのあるフレーズを滔々と説かれ、なんだかこそばゆくて笑ってしまいます。
「東京にもモスクはある。君たちは(イスラーム文化圏にある)トルコに来るに際して、イスラームについては学んでこなかったの?」。何かサプライズで彼に贈り物を用意して来たかのような目で細君に促され、コーランの日本語訳は読んだことがあると話すと、彼は一方ならず喜んで、しまいにはこう神の教えを薦めてきます。
「君たち日本人はもともと善良だ。笑ってはいけない。これは本当だよ。君たちが神の道に入れば、神は君たちを最も愛すだろう…」
私が出会い、接した中で最も敬虔なムスリムであるアイディンさん。生まれて初めて「布教」された*3ことも含めて刺激的な宗教対話でありましたが、これをいつまでも続けるわけにはいきません。午後9時ごろに彼とも別れ、宿に戻ります。


こんな「スイートルーム」からの夜景を楽しみつつ就寝。それにしても、やっとのことで足を伸ばして休むことができました。

*1:ムスリムでも男女別だったりするそうです

*2:アラビア語以外に翻訳されたものはコーランとはみなされません。彼はそれを英訳してくれました

*3:これはイスラームに限らず、です