かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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シドニー旅行記四日目・帰国

旧中山道飛行機

この日は本当に、帰るだけです。
4時起きで支度をし、5時半前にチェックアウトします。まだ暗い街を歩き、セントラル駅から空港へ。この移動でOpalカードの残高が足りなくなってしまったので須賀、改札で「残高マイナス3ドル」みたいに表示されるだけで外に出ることができてしまうんですね。借金を踏み倒してオーストラリアから逃げ出すのは気が引けたので、空港駅の窓口で聞いてみたので須賀、追加で払わなくていいという返事。日本の感覚では考えにくいで須賀、もともと結構複雑な割引制度があることからしても、料金収入について比較的大まかに捉えているのかもしれません。
そこから再び香港を経由して日本へ。本当に一日中、飛行機に乗っていました。もちろんずっと静かだったとまでは言えないかもしれませんが、3歳児がよくもまあ、泣いたりぐずったりせずに長時間のフライトに耐えたものだと思います。さすがに最後、寝てしまったんですけどね。
<糸冬>

あとがき

3泊5日のオーストラリア旅行でしたが、実質的に現地で使えたのは丸3日。どうせ行くならもうちょっと長く滞在するというのがセオリーかもしれませんが、なんとかシドニー周辺でしてみたいことはしてくることができました。それは言うまでもなく、饗応してくれたハンバート・ハンバート氏とそのご家族のおかげなわけですけれども、逆に言うと、そういう縁がなければ、短い日数のツアーは選ばなかった気もします。すみません、言ってること分かりにくいですね。
個人的には、旅行中に驚いたことが二つありました。一つは、自分の英会話の能力が思った以上に落ちていたことです。これまでの人生の中での「絶頂期」も大したレベルではなかったんですけど、もともとできないことができなくてもそれはただできないだけなので須賀、昔できたはずのことができなくなっているのは、感覚はできた時のままだったりするのでその落差がしんどいものです。たとえて言えば、足元の段差に気付かずによろめいてしまうようなもので、年寄りが昔やっていたスポーツをやってケガをするのと同じパターンかもしれません(笑) 対策としては、感覚を修正してできないなりの振る舞いを身につけるか、できるようになるかですね。
もう一つは、ハンバート・ハンバート氏の言葉から。「まさか20年前は、シドニーで一緒に飯を食うことになるとは思わなかったな」。そういう風に考えたことはなかったんですけど、もうそんなに経つんですね。20年前は確かに遠いで須賀、20年経つのは意外と早いものです。1日1日を大切に励んでいかねばと思いました。
(2018年5月21日午前6時、自宅書斎にて)