0日目まで
3月11日から13日まで、家族3人*1で韓国・釜山に行ってきました。
これまでも大体そうでしたが、これは純然たる「家族旅行」です。なので、かつてのように明確な(?)意図を以って企画されたわけでもないので須賀、大まかに言うと決定までの経過は以下の通りです。出発前に書いたことと重複する部分があることはご承知おきください。▽出向を来月に控え、最後に平日に連休を取って*2旅行したかった▽最近また韓国語をかじっており、久々に実地で使ってみたかった▽でも平昌パラ期間中は仁川空港発着が混みそうで嫌だ▽行ったことのない釜山で経済的なツアー(航空券とホテル)を見つけた―。本当にそんなところです。
釜山といえば、というような見所も正直言ってすぐ思い浮かんだわけではないので須賀、江戸時代に和館があったところだったりという、(良くも悪くも)日本との歴史的なつながりを感じられる場所に行ってみたいな、とは思っていました。あと、これは残念だったので須賀、もう少し時間があれば、対馬から船で渡りたかったです。
前日は仕事でして、夜中に帰ってきて何の支度もせずに就寝。朝から慌てて荷作り*3を始めました。
さっそく街歩き
釜山・金海空港に降り立ったのが午後4時半。搭乗時刻に遅れたおばさんグループを待っていて遅くなってしまったので須賀、ああいう人たちのせいで飛行機が遅れた場合は罰金を取ってもいいんじゃないかと思うことがあります。ちなみにこの金海空港、軍用機も使用するからとのことで、写真撮影をしないように着陸前に注意がありました。まあ、近くの席の人はガン無視でしたけど、実際のところそんなに切迫したオーダーのようにも聞こえませんでした*4。
空港から南浦洞にあるホテルまではタクシー移動。リムジンバスの時間が合わなかったのが理由で須賀、バスが1人6000ウォンだそうですので、20000ウォンでdoor to doorで行けたのはそんなに悪くなかったのかなあと思います。
午後6時前にチェックイン。荷物を置いて散策に出ましょう。
まず目指したのは釜山タワー。高さ118メートルのタワーがある龍頭山公園はまさにホテルの裏山のような位置にあり、急な階段を登ればすぐ着いてしまいます。
もちろんこの方は文禄・慶長の役で秀吉軍と戦った李舜臣将軍であらせられます。
そして展望台からの景色がこちら。
釜山からだと、東京とワシントンD.Cが同じ方角なんですね。他にも世界の主要都市の方角が示されていてそれはそれで面白かったで須賀、私達のような釜山ビギナーの観光客からすると、1000キロ先に母国の首都があるということよりも、眼前に見える風景についてより知りたかったです*5。
ざっくり東側の景色。
こちらは南南東。中央左の影島大橋は翌日の話にも出てきます。
南南西方面から徐々に西へ。1枚目の中央にある横長の建物がチャガルチ市場、2枚目で左右に連なる光は光復路です。
タワー見学を終えて、今度は南側に降りていくとこんな案内が。
この場所には、17世紀後半から草梁倭館と呼ばれる対馬藩を中心とした日本人施設がありました。約10万坪の広さに、常時数百人の日本人が住み、交易などに従事していたそうです。乱暴に言ってしまえば、釜山の出島のような位置づけですかね。
しかしそれにしても、なぜ朝鮮王朝はこのような小高い場所に外国の通商拠点設置を認めたんでしょうか。日本側の要請で別の場所から引っ越してきたそうで須賀、海に近い高地であれば、他にも利用価値がありそうな気がするんですけどね。論理の順番が逆*6かもしれませんが、現に釜山を代表するランドマークが建っている場所なわけですし…。ちょっと気になりました。
そして光復路です。オシャレな店が多いですね。
19世紀末に小川を埋め立てた道だそうで、日本の植民地時代には、劇場や百貨店が並ぶ日本人商業街の中心だったようです。
少し脇道に入ると、国際市場と呼ばれるエリアに。靴や衣類、食べ物を売る屋台もありました。このおでん屋では私たちも食べさせてもらったので須賀、スープが優しい味で美味しかったですね。長男もゴクゴク飲んでいました。ただおでんの客は立ち食いが原則のようで、空いた席に座ろうとしたら「안 돼!*7」と怒られてしまいました。
夕食は座って食べましょうか。踵を返して南方へ。
鯨肉料理店ですね。
先ほどタワーから見たチャガルチ市場です。私達は、その手前にあるこちらの店に入りました。
手前は私の刺身ビビンバ。ご飯を入れて、混ぜていただきます。細君の刺身定食といい、食感が良くておいしかったですね。
宿に戻ったのは、午後9時前。初日から結構観光できてしまいました。