かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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竹島・韓国一人旅十日目 See you again!!

【目次】

 
 

帰国の途へ

電車でGO!

最後の日は、まだ夜も明けぬ3時に起床。大して荷造りをしていなかったので、こんな時間からカバンに荷物を押しこむ羽目になってしまいました。しかしいくらなんでも3時は早すぎたわけで、6時の出発までだらだらテレビを見て過ごしていました。
6時に宿を出発。あらかじめフロントに言っておいたので、眠気眼のおばさんも笑顔で見送ってくれます。
さて、ソウル市内から仁川空港に向かう方法にはいくつかあって、行きにそうしたようにリムジンバスを使うというのが一番ラクとは思われるので須賀、ここは敢えて、電車を使って仁川空港に向かうことにしました。電車というのはA’REX(空港鉄道)*1。仁川空港とソウル市内を結ぶ路線で、この時点では仁川国際空港金浦空港間が開業。2010年にはソウル駅とつながるという路線です。
ですから金浦空港までは地下鉄で行かねばならないので須賀、鍾路3街から金浦空港まで5号線で一本ですし、まぁいいんじゃないかということでこのルートを選択しました。

仁川空港まで薩摩守

そんなわけで宿を出て、動き出すソウルの街を横目に見ながら地下鉄の駅へ。鍾路3街の駅には今回も世話になったな、なんて思いながら駅の券売機に向かうと、これがどうも全部動かない。振り返って改札口を見ると、こんな有様です。

改札が全開で進入禁止なんて、いったいこの駅はどうなってしまったのでしょうか? 敢えて地下鉄を選んだ手前、これがために帰れなかったら悔やんでも悔やみきれません…
すると、私の困惑ぶりに気付いた駅員さんが寄ってきて、「今日は午前9時まで無料なんですよ」と教えてくれました。よく見れば写真右側の柱にも張り紙がしてありますね、ありがたく薩摩守させていただきました。
鍾路3街から45分ほどで金浦空港です。そういえば鬱陵島で出会った夫婦は、この近くに住んでいると言っていました。A’REXに乗るためにはここで一度改札を出て、再びA’REXの改札をくぐります。そこでこっちはどうなんだろうな〜と思ったらこちらもタダw ありがたく薩摩守させていただきました。

こうして私は、宿からびた一文払わずして仁川国際空港に辿り着いたのでした。

カメラ没収!?

空港着は8時前。フライトまで2時間ちょっとの間に、先輩美人記者に献上する顔パックを買ったり、ロッテリアのセット朝食をもふもふ食ったりしていました。韓国で食べた物の中で唯一のハズレでした。
そして出国審査です。実は私はこの瞬間をちょっと恐れていて、それがために竹島を撮った時の記録メディアを別のところに隠して審査に臨んだので須賀、そんな心配をする方が滑稽でしたね。

そして離陸

飛行機は10時半に離陸。いつもならここでこそ感傷にふけるべきなので生姜、さすがに朝(?)が早かったせいか、すでに眠りの世界におりました。でも、すぐ居眠りをこいた理由はそれだけではありません。2回目の韓国旅行を経て、またここに来られる、今度はもうちょっと(笑)韓国語を勉強してきっと来よう、そう強く思えたからなのだと思います。
機内でビールをいただきました。

酒のにおいで目を覚ますとは我ながらなかなかのものです。ふと機内のスクリーン画面を見ると、日本海を中心に朝鮮半島と日本列島が描かれた地図の真ん中に、「独島」の文字がひときわ存在感を放っていました。
(糸冬)

あとがき

本当にいつものように冗長ですみませんでした。いきなり裏話的な話題で恐縮なので須賀、私はこの旅行記を書く際ワードを使っていて、1日分書き上がるごとにまとめてうpする方法をとっています。その文字数カウント機能によると、この旅行記は大体本編が終わったあたりでちょうど4万8千字前後。「よくもまあそんなに…」と私に対しておっしゃる方がいらっしゃれば、私はその言葉をそっくりそのままお返ししたいです。と言うとちょっと語弊がありますね。少しでもここに書いたことを読んでくれた方に対して、私は本当に感謝しています。
ここではやはり、竹島について書かねばならないでしょう。元来の論者のニュアンスとは外れるかもしれませんが、竹島の領有権を巡る日韓間の紛争は、ある種の非決定による権力行使がなされている状況と言えるでしょう。現況において、韓国*2竹島を占有しており、「独島に関する領土問題は存在しない」と主張している。ゆえに、その前提からの論理的帰結として、韓国は竹島問題について何かを決定することで、この問題をさらに顕在化させる必要はない*3、という立場が導かれます。すでにこの態度自体が、日本に対する権力の行使とみなせる、というのが非決定の理屈です。
しかしそのこと以上に興味深いのは、日本の対応です。日本も、竹島は日本領だという主張を断念しない一方で、それ以上のことを決めないのです。当然それは、ますます重要性を増す日韓関係全体や、今後一層の連携が望まれる対北朝鮮政策を鑑みてのことで生姜、このスタンスは竹島の断固奪還を訴える方々にとっては憤懣やるかたないものでしょう。
決めないことも一つの決断だ、という類の格率は普遍的に妥当します、か?確かに存在するので生姜、何かあるたびに両国世論間に怒りの応酬がなされるような状況が健全でないことは明らかだと思います。
じゃあその状況に対して、竹島を見てきた人間に何か言えることはあるでしょうか。私が竹島鬱陵島で見てきたのは、極めて政治的な人たちの熱狂的主張の充足ではなく、むしろ結構あっさりと竹島を「観光」してしまう人たちの姿でした。正直なところ、竹島竹島行きのフェリーの中で、横断幕とかを持った過激派集団に包囲されることに恐れを抱いていたので須賀、鬱陵島の展望台にいた団体が政治色が強そうだと感じたくらいで、そういったウルトラ・ナショナリスト集団とはお会いすることができませんでした。
私は、そういう人が韓国内に存在しない、と主張するつもりはありません。しかし、竹島に行く人の中でも、そういう人ばかりではない。であれば、竹島というのはいったいぜんたいどういう歴史をたどってきたところなのか、それをまずは民間レベルで、あくまで学問的見地から学び合っていくことは不可能なことなのでしょうか? もしその研究が一定の実を結べば、上述した非決定の構図*4を打ち壊すだけの証拠を両者に突き付けるかもしれません。
確かに、その研究を日韓合同でやることには反発もあるでしょう。一見すると非政治的な竹島に対する態度は、肌に染みついたような「独島はわが領土」というコンセンサスに裏打ちされたものとも言い得るからです。しかし、その苦難を避けてはなりません。なぜならば、この問題を双方のウルトラ・ナショナリストたちだけの問題にしてはならないからです*5
竹島問題はこれくらいにしましょう。私はあとがきを書く時は過去の旅行記も参照しているので須賀、しかしこうして振り返ってみると、軽くヤバイところを歩いてきていますねw 日本と国交がない北朝鮮、日本国内では許されないオランダの「コーヒーショップ」、そして領有権紛争の地・竹島… 今、主権国家概念が様々なレヴェルから挑戦を受けていると言われま須賀、主権国家概念をからかう、もしかしたらこれはそんなちょっと危ない遊びなのかもしれません。別に越境者ぶるつもりは毛頭ありません。ある物事に本当に権威を感じない人間は、恐らくそれに見向きもしないでしょう。その意味で私は、気になる女の子にちょっかいを出しながら逃げ回っている、傍から見ると憐れな人間に映るのかもしれませんねwww
もう5万字だそうです。ここまでお付き合いをいただいた皆さんと、旅先や日本で、様々な形で助けてくれた皆さんにもう一度深くお礼を申し上げ、そして助けてくれたといえばこの旅に不可欠だったこれを最後に紹介して、筆を置かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

D12 地球の歩き方 韓国 2009~2010

D12 地球の歩き方 韓国 2009~2010

(2010年1月4日午前4時、自宅自室にて)

*1:現在はKORAILが買収して別の名前になっているそうで須賀、当時の記述ということでご勘弁ください

*2:当然これは政府を指します。以下断りがない場合は「日本」についても然り

*3:例えば国際司法裁判所に出ることで、わざわざ国際法の舞台に乗っかる必要はない

*4:これを支えてきたのは、お互いの主張が十分にコミュニケーションとして機能してこなかったことでもあると思います

*5:念のために言っておきま須賀、この問題について今発言している人全てがウルトラ・ナショナリストだと言っているわけではもちろんありません