革命とゲバラの足跡を感じるー革命博物館
この日は7時ごろ起きて朝食へ。生演奏とともに食事を楽しめました。
午前10時に革命博物館へ。
キューバ革命前は大統領官邸だった場所で、革命初期にはフィデル・カストロの演説の舞台にもなりました。
革命前から近年までの軌跡を、史料を交えて紹介しています。
下の方にある憤然たる表情のゲバラが、「チェ・ゲバラ伝説」の中でシンボライズされていったものの元ネタなのだそうです。マリリン・モンローの唇のようなもの、というと語弊があるかもしれませんが、例えばよくあるゲバラTシャツは多くがこの時の顔ですね。
「チェ。エルネスト・ゲバラだ」
彼の本名は「エルネスト・ゲバラ」なので須賀、自己紹介する時、生まれ育ったアルゼンチンの地域の訛りでそう言ったのをキューバ人が面白がって、「チェ・ゲバラ」と呼ばれるようになったそうです。「チェ」は「やあ」ぐらいの意味なので、「オッス、オラ悟空」ぐらいのノリだったのでしょうか。
私の同級生にも、「~っちゃ」という門司あたりの方言*1を連呼していたためにそれがあだ名になってしまった人がいま須賀、ここで注目すべきは、それと同様なことがキューバ人とアルゼンチン人との間で成り立っていたことです。ゲバラとカストロ兄弟はメキシコシティで出会ったので須賀、そのメキシコを含めてスペイン語が広く通用していたこと。それは、特にゲバラが強く意識した「ラテンアメリカ」という認識の枠組みにも大きく影響しているのでしょう。
建物自体も豪奢ですね。
中庭を抜け、道路を渡った先には「グランマ号」と呼ばれるヨットが展示されています。
このグランマ号は、カストロ兄弟やゲバラ達が、ゲリラ戦でバティスタ政権を倒すためにメキシコからキューバに密航した際、乗り組んだヨットです。定員オーバーで乗った上に海も荒れ、皆散々な思いをしたそうで須賀、もしこのヨットがメキシコ湾の藻屑になっていれば、恐らく今の形のキューバ革命は成就していなかったわけで、革命キューバの原点ともいえる船です。日本でいえば「天の逆鉾」とか戊辰戦争で掲げられた「錦の御旗」…といったところでしょうか。ガラス張りで厳重に管理されているのも頷けます。
もちろん警備の要員もしっかり配置されているわけで須賀、その中に「私の妻は日本人なんだよ」と話しかけてくれる人もいました。重要であろう警備任務であっても、そういう気さくさを失わないのはキューバ人らしいということなのでしょうか。
周辺は屋外展示スペースのようになっていて、キューバ危機の際に撃墜した米国の偵察機の残骸など、多くの兵器類が並んでいました。
博物館見学後は徒歩で南へ。細君と長男にお願いして、昨日閉まってしまったお土産屋さんに向かいます。
途中、商業施設を見つけたので入ってみました。
地元の人たちはこういう場所で買い物をするのでしょうか。もうちょっとふらついてみてもよかったので須賀、ここに入る直前に物売りのおばさんに絡まれ、ちょっとついて来られている雰囲気があったので早々に退散しました。
お目当ての店ではお目当てのTシャツを購入。値切ろうとしたら「ここはオフィシャル・ショップだから」と笑ってスルーされたので須賀、そんなのあるんですね。ちなみに「オフィシャル・ショップだから」かどうか分かりませんが、珍しくクレジットカード(VISA)で買い物することができました。キューバ国内では、全体的に「クレジットカード使えます」の表示があっても使えないケースが多く、その点はちょっと困っておりました。
再びセントラル公園に戻ります。今日はここから、タクシーで運河の向こうのカサ・ブランカ地区に向かいましょう。
お願いしたのは、細君の希望でピンクのクラシックカー。乗ってすぐ、運転手さんが「○○年*2製だよ」と教えてくれたので、やはり車好きが乗るパターンが多いのでしょう。
海底トンネルをくぐり、ほどなくカバーニャ要塞に到着します。
カバーニャ要塞は、植民地時代にスペインが築いた要塞群の一つです。当時から続く大砲の儀式などでも知られている一方、革命後、ゲバラがここで執務したことも有名ですね。
ゲバラに関する展示コーナー。
国際舞台でのゲバラ。真ん中上は、広島の原爆慰霊碑を訪れた際の写真です。ゲバラは1959年に日本を訪れ、砂糖の販路拡大などの通商交渉に臨みました。その際に広島行きを希望し、広島では取材記者に「なぜ日本は米国に原爆投下の責任を問わないのか」と尋ねたそうです。彼は元々医者であるだけに、被爆した人々の苦しみに対しては人一倍思うところがあったでしょう。
ちなみにこの訪日で、池田勇人、福田赳夫、藤山愛一郎といった政治家とも会っています。
ボリビアでの最期の写真だそうです。ゲバラは対ソ強硬派と見られて微妙な立場におかれるようになったこともあり、ラテンアメリカ、特に祖国アルゼンチンでの革命を目指して最終的にはボリビアでのゲリラ活動に身を投じます。そこで捕えられて殺されてしまうので須賀、まさにそれがゆえに「赤いキリスト」とも呼ばれるほど神格化されていきます。
まあ確かにイケメンですし(笑)、面会したサルトルに感嘆されたほどの教養・人間性を備えていたともされていますし、潔い生き様であったことを否定するつもりはないので須賀、私は難局において表舞台に、もっと言えば生に踏みとどまった判断を評価したいと思います。
ずっと生きていること、特に責任の大きな地位にあり続けることは、失敗のリスクを高めることでもあります。とてつもない災難に襲われ、ベストな対応を取ることができなければ、「失敗したリーダー」と見なされることになるでしょう。それでも何らかの判断は下さなければいけない。長くリーダーであることは、汚れ役を引き受けることでもあると思います。
逆にすぐ辞めてしまったり、場合によっては早くに死んでしまえば、言い方は悪いで須賀「馬脚」を現すことなく、「あの時、あの人がいてくれれば」と惜しまれる立場にすらなり得る。本人が望んでいたはずはありませんが、坂本龍馬という人物への評価には、そういう側面があることは否めないと思います。そしてその後の日本史においては、どうしても辞めて戦場に散った西郷隆盛に人気が集まりま須賀、新政府の実質的首班として踏みとどまった大久保利通のようなあり方こそ、勇敢と呼ぶにふさわしいのではないかと感じています。
超長期政権や独裁政治を称揚するつもりは全くありませんが、ゲリラとして自らの死を覚悟しながら異国で闘うより、キューバ一国の指導者として国民の命を預かる判断の方が重たいと私は思います。ご存じの通りその過程で、彼は国内の言論統制などに関して当然の如く批判を浴びていくことになるわけですけれども…
創業と守成いずれが難きや。中国・唐代の有名な故事です。キューバ革命も明治維新も間違いなく大きな創業だったわけで須賀、むしろ守成の仕事に回ることの労苦に思いを馳せた時間でした。
要塞から旧市街を眺め、外に出ます。
ジューススタンドで長男にジュースを。そこの店員さんの案内営業で、近くのレストランで昼食を摂ることにしました。
いい雰囲気のお店ではありましたが、料金をちょろまかそうとしてきたので不愉快でした。まあ子供連れの外国人なんていいカモなのかもしれませんが。
クリーニング代でホテルと対決?
さてさて。色鮮やかなクラシックカーを眺めながら、私達は普通のタクシーでホテルへ。
午後2時ごろに帰りつき、そこからは長男念願のプールタイム。
最後の方は遊び疲れてちょっと眠そうでした…
午後5時過ぎだったでしょうか。部屋に戻って交代でシャワーを浴びていると、ホテルの女性スタッフが部屋を訪ねてきました。私が出てみると、ランドリーサービスをお願いしていた洗濯物が仕上がったということで、持って来てくれたのでした。今朝頼んだものがもう出来上がったのか、と丁重に例を言うと、彼女はにこやかな表情のまま私にこう告げました。
スタッフ「47CUCです」
私「(゚Д゚)ハァ?」
2日分の衣服のクリーニング代として、5000円超を請求されたのでした。
いやいや有料って聞いてないよ、と押し返すので須賀、あちらは「何を言っているんだ、クリーニング袋に料金表を入れておいたではないか」と仏頂面で繰り返します。
この時点で私は、部屋のルームサービスの冊子に「お急ぎで洗濯をご希望の方は料金をいただきます」と書いてあったので、特別急いでくれと頼まなければ無料なのだろうと理解していました。肝心のクリーニング袋というものがそもそも部屋になく、それは細君が取りに行ってくれていました。その時に、本当に無料なのか、念を押して来てくれたという話だったはずです。
とすれば、袋を受け取った細君が応対できない状態で、私と彼女だけで話しても話が解決を見るとは思えなかったので、今晩もう一度、細君を交えて話をすることにしました。
私「午後8時に部屋に来てください。子供が眠そうなので、これから夕食に行かねばならないので」
こうして後顧の憂い(?)を残しつつ、3人で食事へ。
昨日のレストランよりはややお高い感じでしたが、風通しのよいテラス席で、街を見下ろしながらおいしい料理をいただくことができました。ゆっくり飲むならこういう店がいいですね。
ちなみに長男は…今日もメインディッシュに辿りつく前に寝落ちしてしまいました。
そして部屋に戻り「再戦」です。私は宮本武蔵のように遅刻をしてしまったので須賀、あちらは同様の主張を繰り返します。細君が反論します。
細君「料金表なんか入っていなかった。しかも私はクリーニング袋を受け取る時に何度も値段を聞いたのに、何の説明もなく袋を渡しただけだったではないか」
すると彼女はこんなことを言いだします。
スタッフ「じゃあ20CUCでどうだ」
私「いや、そもそもあなたに支払う理由がない」
スタッフ「洗濯したじゃないか、払う金がないのか」
私「そういう問題ではない。払う理由がないと言っているの」
彼女は埒があかないと思ったのか、急に声のトーンを落として別方面から攻めてきました。
スタッフ「それは問題ね、あなたたちの問題を解決してあげたいわ」
私「あなたたちにとっては問題かもしれないが、こちらの問題は何もないんだけど」
スタッフ「あなたたちを助けてあげたいから、少し考えてみるわ。ただし、このことはフロントには言わないでおいて」
細君「言ったらどうなるの?」
スタッフ「47CUC全額払わなければいけなくなるから」
そう言うと、彼女は私達の部屋から去っていきました。
さて、どうしようか。夫婦で対策会議が始まりました。
私は、彼女が途中から20CUCで事を収めるという裏取引を持ちかけてきたと理解しました。わざわざフロントに言わないように釘を刺してくるところからして、そうされてはまずい事情(無理筋で外国人から金をぼったくろうとしているなど)があるのではないでしょうか。であれば、少なくとも当方に悪意的な落ち度はない以上、フロントに訴え出て解決してもらった方が話が早いのではないかと考えました。
しかし細君曰く、前日にクリーニングの方法をフロントに尋ねた際、「そういうことはハウスキーピングの担当に聞いてくれ」とたらい回しにされたそうです。確かに、訪ねてきた女性スタッフら「ハウスキーピング担当」とフロントは違う人たちで、場合によってはお財布まで違っている*4可能性もありそうでした。
ただ、というかだからこそ、フロントに訴え出たところで「ハウスキーピング担当と話してください」と取り合ってくれない可能性も高いという結論に至りました。(こっちは約束した覚えはないけど)彼女との「取引」を反故にしてフロントに訴え出てもフロントが解決してくれないというのは、最も避けるべきシナリオでしょう。実際に私達は彼女らにあと何回か部屋を掃除してもらわなければならないわけで、もしそこをサボタージュされてしまえば泥沼化は必至です。
キューバを代表する五つ星ホテルに泊まってこんな心配をせねばならないこと自体、はなはだ心外ではありましたが、とりあえず今後の相手の出方を見るしかない、というところでこの日は寝ることにしました。
…きれいに洗濯してくれたんだから、ケチケチせずに2000円ちょっとぐらい払ってやれよとか、そんな金銭トラブルめいたやり取りを一々晒すなんてみっともないというご指摘もあるかもしれません。
ただ、繰り返しになりま須賀、少なくとも私の関心事は金額の多寡ではなく「その金を払う理由があるかどうか」でした。そして、このやり取りを晒した理由も、5000円のために戦う姿勢を示したかったわけでもなく、「キューバの帝国ホテル」の体たらくを広めたかったわけでもあまりなくて、旅先の人とのこういう生っぽいやり取りこそ印象的であり、また記録する価値があると考えているからです。
まあ、とにかく次の日に進みましょう。