かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行四日目・パムッカレ

真っ白なパムッカレを眺めては飽きもせず

預かれなかった忘れ物

昨晩早くくたばったせいか、ちょっと早めに起きて8時ごろ食堂へ。昨日と同様フルーツいっぱいの朝食を楽しんでいると、宿のおじさんが包みを持って現れます。
おじさん「今月日本人の素敵な女の子が泊まりに来てくれたんだけど、その彼女がアクセサリー箱を忘れて行ってしまったんだ。日本に帰ったら渡してあげられない?」
細君「はあ・・・」
とりあえず求められるがままに宿と連絡先を交換し、小箱を持って部屋に戻った私達。さてこれをどうしたものか。まず中身を検めてから、声をひそめて相談が始まります。
細君「ちょっと変な感じ。そもそも相手の連絡先が分からないことには渡しようがなくない?」
私「変なものが隠されてたりはしないと思うけど、万が一のことがあった場合のリスクが大きすぎるよね」
海外で素性のよく分からないものを預かってはいけない。ちょっと心配し過ぎではあるでしょうし、おじさんの気持ちを慮ると心苦しくもあったので須賀、結果の重大性を鑑みるとその言葉は正論です。荷物に詰め忘れた素振りで、しかし、私達が出た後に必ず見つけてもらえるように、部屋に残していくことにしました。
チェックアウトは9時ごろ。1泊に3食付いて2人で120TL。おじさんは去りゆく私達にトルコの名物土産「ナザール・ボンジュウ」*1を手渡します。お礼に、と成田空港で買った源氏物語のしおりを1枚差し出すと、彼はさらに宿の情報なんかが書かれたしおりをくれました。おじさんの嬉しそうな様子は印象的でしたが、それだけに、渡したしおりに込めたお詫びの気持ちが何だか吹っ切れるような、吹っ切れないような心境でした。

バスでパムッカレへ

バスは9時45分ごろ発。昼ごろデニズリに着き、ミニバスに乗り換えます。
午後1時ごろ。全く季節に似合わない真っ白い山が見えてきたところで、バスを降ろされます。あれがパムッカレの石灰棚です。
この石灰棚は、石灰岩を含む大地に降った雨が炭酸カルシウムを溶かした地下水となり、それが地熱で温められた温泉が長時間かけて結晶した結果、形作られた光景だそうです。「パムッカレ」という言葉の意味は「綿の城」。その奇観が多くの観光客を集めています。どんな光景なのか、百聞は一見に如かずということで、ぜひ訪ねてみたいと思っていた場所です。写真はお待ちくださいねw

「出口」と宿を確保

旅の話に戻ると、パムッカレの中心部に降り立った私達は、まずここからの「出口」を探し始めます。有名な観光地とあってバス会社のカウンターはあちこちにあって、とりあえず明朝、地中海沿いのなるべく東側に向かうバスの確保に向かいます。一つ目のカウンターには(ほぼ間違いなく)日本人の女性がいて、希望を日本語で伝えると「そのチケットはうちではないので、近くにある別の会社のカウンターで話してみたらどう? ちなみにこの時期はラマダン明けでバスの利用が多いから、チケットはなるべく早く押さえた方がいいですよ」と教えてくれました。
*2
紹介された別のカウンターで、パムッカレを明日の午前9時に出るバスを確保できました。目的地は海沿いのアンタルヤ。そこから先は現地で探しましょう。ちなみにこのカウンターで私達の対応をしてくれたのは、10代前半といった風の男の子。基本は英語でやり取りするので須賀、日本語だけでもかなり意思疎通ができて驚きました。ホテルにもチェックイン。ハスキーボイス*3の陽気なお兄さんの宿で、それにちなんで彼は「原田さん」と呼ばれるようになりました。いやいや、俺、関係ねぇだろ!

「ヤバス!」

なんだかんだしていると午後2時半。ちょっと遅くなりましたが、お腹を満たして出かけましょう。昼食はこちらで。

「ラム子の食堂」。かなり唐突感のある店構えで須賀、逆に面白いんじゃないかと入店。ラム子さんも日本の方と思われ、メニューも日本のノリです。野菜炒めとオクラ丼、と注文するとこんな感じで出てきました。

どちらも濃い目の味付けで、なかなか面白かったです。
さて、お待ちかねの石灰棚に向かいましょう。
道中にはこんな標識が。

「ヤバス!」
「徐行」という意味だそうです。
道路脇の溝には確かに石灰っぽい水が流れています。

水に触れてみると、若干ぬるい感じです。

白の中へ

さて、ついに石灰棚が見えてまいりました!

写真右上に向かっていく道路の先に改札口みたいなゲートがあって、そこで1人20TLを払って入場。ズンドコきよし!上がっていきますと…

針葉樹林と雪景色…にはちょっと違和感があります。

こちらは雪山とプール? 右端側からは、白い石灰成分が流れだすかのように分布しています。
ちょっと進むとベンチが置かれていて、そこから先は土足禁止エリア。

ぬるい温泉が道を這うように流れています。

どうしても雪山をイメージしてしまうので、植物のこういう生え方には違和感を拭えません。

奇観を歩く

しばらく進むと…

ちょっとした表面の沈み込みや、人工的に造られたとみられるプールに温泉水がたまっています。水溜りのような場所には石灰が粉状になって沈澱していて、いくらスベり知らずの私でも、気を抜くとスベってしまいそうです。その石灰を顔とかに塗りつけている女性もいました。

岩肌も真っ白。日差しも結構強く、気温も高いので須賀、触るとひんやりしています。

プールは青白く見えます。見ての通り、そんなに深いところはないので須賀、水着姿で来る人も多かったです。

奥の方の男性、果敢に泳ごうとしていますねw


ホントに真っ白だなあ…

形としては段々畑のようです。青が美しい。

岩肌がモコモコしています。

立ち入れるエリアではありませんが、ごく小さなプールを作りながら温泉が流れていきます。

歩ける道の一番端にある水路。結構流れが急です。てか、すぐ向こうは斜面ですので、水路の中に完全に身を預けてしまうのは危ないと思います。

足湯くらいにしておくのがよいのではないでしょうか。

石灰棚を臨む「聖なる都市」

裸足で歩くエリアはこの辺りまで。その先は、石灰棚沿いの遊歩道を歩くことができます。



表面に温泉水が流れる石灰棚を、傾き始めた陽が照らす光景は美しく、かつ異様でもあります。奥に見える畑も、かえってその景色を浮き立たせます。
さらに上っていくと、昨日どこかで見たような遺跡群が見えてきます。紀元前から栄えた都市・ヒエラポリスです。ここはこの時期に造られた都市の中で最も内陸に位置していることでも有名だとか。かつては、温泉の裏にある穴に充満する有毒ガスを吸った司祭が、トランス状態で神のお告げを口走る…なんてこともあったそうで、この真っ白な石灰棚も当時からのものだとすれば、この場所に何か特別な意味を感じ、都市を造るという発想は理解できる気がします。

こちらが大劇場です。エフェソスのものと比べて段差が急で、ちょっと怖かったです。写真ではうまく表現できませんでしたが、大劇場の一番てっぺんからは白い石灰棚も見え、どちらもひっくるめてつくづくすごいところです。

ヒエラポリスには、もちろん大劇場以外にもさまざまな遺跡が残っていま須賀、前日にエフェソスをじっくり見学させていただきましたので、遺跡見学もそこそこに、来た道を戻り始めます。

西日を受ける石灰棚。

原田家の夕食

宿に戻ると7時。そもそもこの旅行に水着を持ってこなかった細君は、途中の店で購入。いわゆる試着みたいなことをして、私に意見を求められたので須賀、何の気はなしに「あんたらしいんじゃない?いいと思うよ」と言ったら、店員のおばさんが「アンタラシイ」「アンタラシイ」と満足げに呟いていました。似たようなトルコ語表現でもあったのでしょうか。
ああ、で、なんで水着の話をしたかというと、宿で備え付けのプールに入ったからです。暑い中歩き回った体が欲していたというか、テレビだか映画だかでよくあるシーンを真似してみたわけで須賀、これがまためちゃくちゃに冷たくて、そして私でも足が届かないほど深かったので、ビビってものの1分で逃げ出すというオチと相成りました。
夕食は宿の屋上テラスで。石灰棚を眺めながらの食事は、まるで人生で1度か2度ほどしかない夜のゲレンデのようです*4。礼拝の呼びかけであるアザーンも心地よく響き渡ります。
食前には地酒のラクゥをいただきました。現役では透明なので須賀、水で割ると透明に濁ります。少しずつ飲みながら水を継ぎ足していくのだと、原田さんが教えてくれました。

そして彼は、私たちが頭上に藤棚のようにしてなっているブドウについて尋ねると、「食べなよ」と一房もぎ取ってくれました。十分に熟していなかったのか、やや酸味が強かったで須賀、おいしく頂けました。

メインのプレートも美味。右奥に石灰棚が見えますか?
食後は早めの就寝。そのわけは明日、ご説明します。

*1:あの目玉みたいなやつです。というより目玉なんで須賀、災いを巻き起こすとされる恨みや妬みの視線から身を守ってくれる、として珍重されているそうです

*2:パムッカレにあるバスカウンター

*3:本来の声ではないそうです

*4:オーバーかな?w