アディオス!キューバ
まずは午後の便で、ハバナからメキシコシティに向かいます。逆算すると、ホテルを正午ごろ出て、タクシーに乗ればよさそう。ですのでそれまでの時間は、やはり長男が大好きなプールで過ごしました。
大人の目からするとプールに浸かってビーチボールで遊んでいるくらいの話なので須賀、長男にとってはそれが本当に楽しかったのだそうです。11時を過ぎても部屋に戻りたがらず、部屋でも大泣きする始末。しまいにはホテルのスタッフにノックされて、「お子さんずっと泣いているけどどうしたの?」とご指摘までいただいてしまいました。
そんな長男をなだめすかし、正午の鐘が鳴る頃にチェックアウト。ここでの懸念は、三日目にクリーニング代として請求してきた47CUCがルームチャージとして乗ってきているかどうかだったので須賀、全然そんなことなかったですねw やはりフロントとクリーニングは別運用だったということなのでしょうか。
タクシーで空港へ*2。
土産物屋もいくつかあり、ちょこちょこと買い足しました。ただ、「クレジットカード使えます」と掲示しておきながら使えない店もあって若干イラつきましたね。別に悪いとも思っていない様がなんとも…
ひっそりとデルタ航空のカウンターも。
アメリカ行きの便がないわけではないのです。
メキシコシティつまみ食いツアー
飛行機はキューバ時間の午後3時に離陸。それよりも1時間遅いメキシコ時間の午後4時半過ぎに到着します。
次のフライト*3は午前2時踏切にオーイエーアハーン。それまで9時間ほどあるのは織り込み済みでもありましたので、事前にメキシコシティツアーに申し込んでおきました*4。
待ち合わせ場所に現れたのは、若い日本人男性。同じくキューバに新婚旅行に行っていたという夫婦もいました。そのメンバーでワゴンに乗り込み、メキシコシティの名所をつまみ食いしてきましょう。
奥に見えるのはラテンアメリカタワー。高さ182mで、建設された1956年時点では、ラテンアメリカで最も高いビルだったそうです。
メキシコシティ中央郵便局です。壮麗な建物で観光名所にもなっていま須賀、100年以上営業を続ける現役の郵便局でもあります。
ベジャス・アルテス宮殿。「パリのオペラ座に匹敵する劇場」を目指し、1905年から約30年かけて建築されたそうです。大理石はイタリア産だとか。最後の写真のおじさん、リコーダー…w
サン・フランシスコ教会です。伊達政宗の家臣・支倉常長はこの教会で洗礼を受けたそうです。私達は洗礼ではなく、雨宿りも兼ねて滞在させていただきました。
ソカロです。かつてのアステカ文明の中心地だった大広場で、モスクワの赤の広場よりも広いんだとか。
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この広場の歴史の証人が、メトロポリタン大聖堂です。
これはアステカ文明を滅ぼしたコルテスが建築を命じたものだそうで、アステカ文明の宮殿を破壊した後、その石材も用いて建てられたのだとか。ですのでその地下には、アステカ文明の遺跡が眠っているそうです。残酷な所業に思えま須賀、象徴的効果はかなりあったのでしょう。
ちなみにこの辺自体、アステカの人たちが湖を埋め立てた場所らしく、地盤沈下が問題になっているそうです。
広場に面した国立宮殿。独立記念日には、写真右側のテラスから大統領が演説するそうです。
夕食はこちらの店でタコスをいただきました。地元の名店のようなところらしく、気取ったレストランに連れて行かれるより断然よかったです。
革命記念塔。元々は国会議事堂になるはずだったので須賀、メキシコ革命のため建設が中止され、一部分がモニュメントとして残されることになったのだそうです。そう言われてみると、丸い屋根の左右に建物が続いていてもおかしくないような造りですよね。
最後は独立記念塔。群衆が集まって喜びや抗議を表明する場所になっているそうで、ロシア・ワールドカップでメキシコ代表が(ドイツから?)金星を挙げた時も、大騒ぎになったんだとか。渋谷のスクランブル交差点とか、道頓堀のような位置づけでしょうか。
時間は巻き戻りま須賀、これは番外編。ワゴンの前を警察の車両が走っていたので車中から撮ったので須賀、めっちゃ銃持ってますね…。「見せる警戒」という言葉もありま須賀、その非常に典型的な例でしょう。
こうして市内の名所を眺め、空港に戻ったのが午後10時半ごろ。ガイドさんが素敵な方で、短いながらも楽しい経験になりました。長男は戻りの車中で爆睡。次に目を覚ましたのは日本行きの飛行機の中でした。
空港では再びラウンジへ。「キャプテン翼」ファンの例のおじさんもいて、日本語で「おかえりなさい」と再会を喜んでくれました。長かったような短かったようなキューバ滞在でしたが、一度立ち寄った場所で同じ人と会うと、確かに戻ってきた感はありました。
しかしもちろん、ここで終わりではありません。とりあえずはこの子を抱えて飛行機に乗らないと…
<糸冬>
あとがき-CUCの世界とCUPの世界
さてキューバです。今回はハバナを中心に観光してきましたが、やはり随所に感じたのは米国との微妙な距離感でした。
旧国会議事堂はワシントンD.C.の連邦議会議事堂そっくりでしたし、ハバナ・リブレは元々ヒルトンホテル。私達が泊まったホテルでは米国のマフィアが集会をやっていて、米国を代表するノーベル賞作家の行きつけの店がいくつも残っている。そして街中にはアメ車が走りまわっている…のに、政治的な対立は続き、米ドルを両替しようとすると10%徴収されてしまうわけです(だから両替しなかったけど)。
「近くて遠い国」という言い方は日本にもありま須賀、米国とキューバの関係もまさに「近くて遠い国」であり、しかもその変化がある時、急激になされた。東京~静岡間くらいの距離でありながら、国交は回復されていながら、影を落とす対立。近年、観光地としてのキューバが注目されているのは、両国の関係改善の動きとも関連がありそうで須賀、まだまだ紆余曲折があるかもしれません。
もう一つ、こうしてこの旅行を振り返る中で考えたのは、キューバ旅行の醍醐味って何だろう、ということでした。
私達はキューバでクラシックカーに乗り、チェ・ゲバラのTシャツを買って、ヘミングウェイ行きつけの店でラムのカクテルを飲み、美しいビーチで泳いできました。確かにどれも楽しい体験でしたが、いくつかのキューバ旅行記が楽しそうに書いているような、キューバの人たちとガチンコで向きあう体験がどこまでできたかと言われると、そこはちょっと悔やまれるところではあります。楽しかったけれど、今回の私達はあくまでも「CUCを使うリゾート客」であり、キューバの人々が暮らす「CUPの世界」には入っていくことがあまりできなかった、そう感じました。
昔、イランに1人旅をした時は、イスファハーンで2回も現地の方の家に上げていただき、食事を一緒にする機会もいただきました。そうでなくてもイスファハーンは「世界の半分」の名に恥じぬ美しい街なので須賀、そうした人とのふれあいが、イスファハーンを忘れられない街にしてくれたと思っています。
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少なくとも私にとって、今回の旅行におけるその種の体験は、奇しくもホテルでのトラブルになりました。もちろんその時は腹が立ちましたし、その何倍かの労力を払っても5000円ちょっとのクリーニング代は払うまいと心に決めていましたが、今振り返ればいい思い出になりました。わざわざやり取りを再現して詳述したのには、そんな気持ちも込めています。
次行く時は、CUCの世界からCUPの世界に入り込みたい。ついでに言うと、サンティアゴ・デ・クーバとグアンタナモにも行きたい。それは今後に向けた宿題になりました。
もう終わりにしましょう。いつもながら、もしここまで読んでくださった方がいらっしゃるなら、貴重なお時間を割いてそれに値しないものを読んでいただき、ありがとうございました。そして、旅先で一緒に遊んでくれた細君と長男、特に12時間以上にわたる長時間の飛行(の往復)に耐えてくれた長男には感謝しています。
また、この旅行記を執筆するにあたっては、特に
を大いに参考にさせていただきました。読み物としてもとても面白かったのでご興味ある方にはオススメです。ここに御礼申し上げます。ではまた…
(2018年11月2日午後5時、自宅書斎にて)