ホテル「ナシオナル・デ・クーバ」ツアー
25日は午前7時ごろに始動。
部屋からこんな風景を眺めながら支度をし、10時ごろロビーへ。この日は郊外の方に出掛けようかと思ったので須賀、ホテル内ツアーが始まるところだったので混ざってみることにしました。
スペイン語ガイドと英語ガイドがあり、もちろん後者についていったので須賀、率直に言うと、彼女の英語はあまりちゃんと聞きとることはできませんでした。日頃使っていないせいか、このところ外国語を聞き取る能力の低下を実感しています。
併設の高級レストラン。
屋上より順に、ほぼ北、西、南東の方角です。2枚目の左端に写っているのは「ハバナ・リブレ」ホテル。キューバ革命前はヒルトンホテルだったので須賀、革命でフィデル・カストロが司令部を置いた場所としても知られています。
この部屋では、マイヤー・ランスキーらマフィアが大集合して秘密会議が開かれたそうです。隣の部屋には歌手のフランク・シナトラがいて、コミュニケーションを取り合っていたんだとか。大物芸能人と反社会的勢力との交際というのは洋の東西を問わずあるもののようですね。シナトラも「自分の中ではセーフだと思っていた」のかもしれません。
その辺の話はこちらのサイトさんでも紹介されています。
見て思い出したので須賀、私達の時のガイドもこの方でしたw
お次は庭園にあるこちら。
キューバ危機の際、ここで警戒態勢を取ったそうです。ガイドさんがキューバ危機について話す時、「『13日間』という有名な本があるが、あの本はアメリカ目線の本だ。キューバの視点がないではないか」と批判していたのは印象的でした。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
まあそもそも米ソの駆け引きをホワイトハウス目線から描くという趣旨の本なので、著者は最初から(キューバの視点を含めた)キューバ危機の全体像を提示することは目指していなかったと思われます。そうであっても、事後に「キューバ危機はキューバを守るための駆け引きだったのではなく、米ソのパワーゲームにキューバが利用されただけだった」ことを悟ったフィデルが激怒したように、キューバの人たちの思いとははるか遠い次元で核戦争直前の事態が繰り広げられたことに、彼らの多くが違和感を持つのは自然なことであるように感じました。
最後に訪れたレストランには、このホテルを訪れた外国要人ということなのでしょう、世界各国の有名人の写真がズラリと並んでいました*1。
キリがないので撮りませんでしたが、レストランの壁中が写真で埋められています。
この人もいました。調べてみると、2016年9月にこのホテル「ナシオナル・デ・クーバ」で記者会見をしていました。
ちなみにこの訪問で、安倍首相はカストロ兄弟の双方と会っているので須賀、フィデルはその2カ月後に死去しています。語弊があるかもしれませんが、本当にギリギリのタイミングで会うことができたわけですね。
一度でいいから見てみたい コヒ丸です
長くても1時間くらいかな、というノリで参加したホテルツアーでしたが、気付けは正午をまわっています。いい加減、本来の目的地に向かいましょう。
この日目指したのは、ハバナの東にある漁村・コヒマルです。先日も登場したヘミングウェイの小説・『老人と海』の舞台となった場所として知られています。また彼自身も釣り好きで、この村から海に出かけていたそうです。
ちょうど行きの機内で『老人と海』を読んだ私としては、一度でいいから見てみたい 女房がへそくり隠すとこ コヒ丸です 場所でありました。
タクシーは細君がうまく交渉をつけてくれて、15CUCで乗せてくれました。1928年製の屋根のないフォード車で、単に移動手段として捉えるならその辺のセダンには劣る車でしたが、30分弱走ってその値段でいけたということは、これまでどれだけぼったくられていたかということでもあります。
コヒマルのレストラン、ラ・テラサに到着しました。
ここもヘミングウェイが釣りの度に立ち寄った店、として有名です。
ヘミングウェイとフィデル・カストロのツーショット写真も。何でもフィデルは釣り大会「ヘミングウェイ・カップ」で優勝経験があるんだとか。
食事も海の幸中心でとても美味でした。私達が日本人と知って、店にいるバンドが片言の日本語交じりの歌で盛り上げてくれましたが、チップの払いが悪かったので不満そうでした。無粋かもしれませんが、あくまでもこちらがお願いしたことではないので、それに対するチップの高い安いにケチをつけるのは筋違いだと思います*2。
そこから海の方へ…
ここに人が集まっているのはwi-fiスポットだから、であるようです。キューバは全般的に通信事情が悪く、多くの人がwi-fiスポットに集まって端末をいじるという光景はよく見られるのだそうです。私はそのことを何かで読んだので、自分のスマホを使って確かにここにwi-fiスポットがあることを確認しましたが、そうでなければなぜこの木陰に人が集まっているのかまず理解できないでしょう。
そういう光景、最近日本の街中でも見かけますよね。ええ、ポケモンGOのことです。これを書いている10月24日にも見かけましたが、ある地点の周辺に人だかりができていて、みんなスマホの画面を一生懸命タップしているんですね。一見、なぜこんなに大勢の人がここでスマホをいじっているのか分からないので須賀、ポケモンGOを起動すると、そこにジムがあって、伝説のポケモンがボスとして登場していることが分かるのです。
ある夕方、官公庁の周りにわっと人だかりができていたことがありました。そこから出てきた(多分)職員の方が「何かあるんですか?」と尋ねていましたが、そこには伝説のポケモン・フリーザがいました。彼はそれを聞いて、分かったような分からないような顔をして去っていったので須賀、そのシーンはとても印象的でした。
尤も最近は「まだこんなにポケモンやってる人いるんだね」なんて話しながら通り過ぎる人も結構いたりしま須賀、それでも「ポケモンGO」というアプリを起動している人としていない人によって見えているものが違っているわけです。
同じ空間にいるはずなのに、見えているものが違う。伝説のポケモンにせよ、wi-fiスポットにせよ、デジタルによって空間が別次元に拡張されたのか、という感慨を覚えざるを得ません。そうするならば、ものごとを百科事典的に何かを網羅することは果てしなく難しいことなのではないかと思う一方、「世界線が違う」*3ように見える人たちもどこかで交わらなければいけないような気はしていたりと、多分無意味な抽象的妄想に思考が向いて行ってしまいます。ただ一つだけ確かなのは、これを書いている今日、私はギラティナを捕まえることができなかったということです。
盛大に脱線してしまいましたが、アナログ世界上の私達は、wi-fiスポットには吸い寄せられずに海沿いの小さな要塞に向かいます。
こういう田舎の漁村の雰囲気がどこか懐かしくも思えるのは、母の実家が同じような漁村だからかもしれません。とはいえこのコヒマルはヘミングウェイのお陰もあってか、観光客にも知られる町です。住民たちも、『老人と海』のサンチャゴほど質素な生活ではさすがになさそうです。
それにしてもサンチャゴは、この水平線のはるか彼方で大物との格闘を繰り広げたのですね。生けるものへの敬意とか、自らが拠って立つ生への誇りのようなものを描いた作品だったと感じましたが、恐らくヘミングウェイ自身も、この海でそうした実感を得ていたのでしょう。
海もよかったで須賀、こういう細い道を駆け抜けていくのもたまらなく気持ちよかったです。
ホテルの部屋で一休みしてから2度目のプールへ。夕食は庭園のテラス席でいただきました。
ここのキューバサンドはなかなかの分量でしたね。長男は、なぜか近づいてきたクジャクに恐れをなしていました。この日も9時ごろには寝ました。