かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行六日目・北キプロス上陸

港町・タシュジュを出航

チケットを確保

この旅のハイライトの一つであるキプロス渡航を控えたこの日は、午前7時ごろ起床。フェリーの混み具合や(そもそも)乗り方がどんな感じなのかもよく分からなかったので、なるべく早くタシュジュに着いておこうと身支度を急ぎ、朝食があるはずの食堂に向かいます。しかしそこには、人どころかそこがオープンした食堂であるという気配すらなく、ただでさえ急いでいた私達はまごつきます。ホテルの入り口の段差に座っていた女性に頼んで、なんとかホテルの男性を呼び出すことにまでは成功したので須賀、食事の準備に30分かかると言われ、じゃあいいですと食べずにチェックアウトします。と言っても、それはその30分が何かの運命を変えるというような危機感ゆえではなく、実は食材の無造作な置かれ具合を見て「ちょっとここでは食べたくない」と感じたからなんだと、程なくどちらからともなくこぼし始めたのでした。
そういう基準で選んだこともあり、既出で須賀オトガルは間近です。バスに乗り、程なくタシュジュへ。目の前にフェリー会社のカウンターがあり、そこで往復のチケットを難なく購入します(1人80TL)。スタッフのおじさん曰く、出航は12時なので11時ごろまた来いとのこと。とりあえず9時前に近くの食堂で朝食をいただきます。

いわゆる朝食セットで須賀、ここのチーズはまるでヨーグルトのような味わいでした。

港町タシュジュを歩く

さて、時間もあることですし、周辺を散歩しましょう。


この素朴な港町の波止場で、浜辺で、2人の日本人が勘違い写真の撮影会をしていました。
それでも時間を持て余すと、カウンター近くにあるスーパーに向かいます。ここでは、粉末スープや香水といった長距離バスでおなじみの日用品を購入。その中で、喉を潤さんと買ったのがこちらです。

「ターカ」なるコーラ。「トルコーラ」というような命名なのでしょう。

出国手続きと乗船

11時も近づいてきましたので、カウンターの近くにある出国手続所に並びます。ボディチェックや荷物検査を受けて出国税(1人12TL)を払い、パスポートチェック。そこを抜けると小さな免税店もあり、ラクゥなどの酒やタバコなどが売られています。
*1
しばらく待つと、高速船が到着します。

船にはあちらから渡ってきた人たちが乗っています。そうなると当然、常識的にというより物理的に、降りるのが先になるわけで須賀、たまにいったん下に荷物を置いてから船にベビーカーを取りに戻るような降船客がいると、その人がタラップを引き返した瞬間に乗船待ち組が乗り込まんと殺到し、半ば喧嘩のようなトラブルに発展します。いやはや。
そんなこんなでもたもたしながら乗船。

座席のシートには가나다라*2と数字が振られていて、現状では韓国からしか行けない、現在話題沸騰中のとある島に渡った時のことを思い出しま須賀、並び方はてんでバラバラで、席を指定する役割は到底果たせなさそうです。船内の乗船率は半分くらい。家族連れが目立ちます。
船が出港したのは12時半ごろ。それと同時にいわゆる前方スクリーンで「メン・イン・ブラック」シリーズの上映が始まり、いきなりのエグいシーンで船内に気まずい雰囲気が漂います。それに耐えきれなくなったのか、外の空気に当たろうと船室の扉を出た人は程なく連れ戻され、再びエグい映像と音声を被曝する環境に押し込まれてしまっていました。

北キプロス上陸!

キプロス分断の歴史

さて、この船は地中海に面した港町タシュジュを出て、キプロス島のギルネを目指しています。キプロス島は少なくともトルコ共和国の領土ではありませんので、船で国境を越えることになります*3。だからこそタシュジュでトルコ共和国からの出国手続をとったわけで、それは(現在の国際法体系を前提とする限り)何の変哲もない当たり前のことなので須賀、ご案内の通り(?)、ここから先にトルコとになる手続きが、キプロス島とその人々が抱える複雑な問題と、私が今回、この島を訪れることを決めた理由を示していると言えるでしょう。
それがどんなものか。ごく簡単におさらいさせてください。
キプロスビザンツ帝国支配下で、ギリシャ語系の正教徒が多数を占めていましたが、オスマントルコの支配を受けることでトルコ語系のムスリム流入し、2〜3割を占めるようになりました。近代になると、地中海の東側に浮かび、スエズ運河を見据えるという地政学的な価値に注目したイギリスが食指を動かし、第一次世界大戦に際して植民地化。その後、イギリスの分断統治政策の影響もあってギリシャ語系、トルコ語系がそれぞれ「本国」への帰属を求め、協議の結果、1960年に「キプロス」として独立します。
しかし当初から民族紛争の火種は絶えず、1974年にギリシャ軍事政権と連携したキプロス内のギリシャ併合派がクーデターを起こすに至り、トルコがトルコ系住民の保護を名目にキプロスに侵攻。翌年、「キプロス連邦トルコ人共和国」(いわゆる「北キプロス」)が結成され、キプロスを連邦制国家として再編成することを要求しま須賀、交渉は進展しません。そこで彼らは1983年、国家としての独立を宣言したので須賀、なんと、というか何というか、トルコ以外の国から国家承認を得ることはできませんでした。その後も国連が再統合案を提示するなど分断状態の解消が模索されながらも、結論を見ることなく現在に至っています。

トルコを出国して…?

私が目指すのはその北キプロスに属する港町・ギルネです。出航から2時間ほどで船室から島影が見え始め、午後3時になる前に、島に上陸します。

上陸すると、すぐ入国審査があります。どこの国への入国を審査されるのかについては、読者諸賢にご説明する必要はないでしょう*4。「独立」の経緯から、その入国実績が南(キプロス共和国)やギリシャで問題になる可能性もあると聞き、入国のスタンプは用意されていた別紙に押してもらうことに。これで、「トルコを出国したが、その後どこに入国したかについて記録がない」という、どこかで経験したような状態のパスポートが出来上がります。

タクシーで中心街へ

そうして外に放り出された私。ギルネの市街地からは多少距離があるやに聞いていましたので、強い日差しの中、バス停の場所を訊ね歩きま須賀、どうもそれがなさそうなんです。私は海外でタクシーに乗るのが大嫌いで、それを避けることについてはかなりの執念を発揮するので須賀、ここはやむなくお願いすることに…と言っても、(バスはありませんので)タクシー乗り場は完全な売り手市場で、ちょくちょく現れる運転手にアピールしてもけんもほろろに断られます。「タクシーで数キロ先の市街地まで行きたい」という私の静かな願いも稚内といった風で、このままだと暑さに勝ち続けることができなくなりそうです。そうこうしているうちに周囲の人たちは来たタクシーにどんどん乗り込んでいくわけで、なんとかしてこの状況を打開しなければなりません。
そこで。日本国民たる私は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、親切心に篤いトルコ国民の公正と信義に信頼して、われらの安全なタクシー乗車を保持しようと決意した。同じくタクシーを待つおじさんに話しかけ、「タクシーはここなんですよね?なかなか乗れなくて…」的なことを相談すると、期待した通り、彼はこの異邦人が市街地へ行くタクシーに乗り合えるように差配してくれたのでした。
しばらくしてやってきたタクシーに、先ほどとは別のおじさんと一緒に乗り込み、街の中心部へ。


リゾート地として人気なだけあって、昼間から賑わいをみせています。ちなみに2枚目の写真では3本の旗がはためいていま須賀、左端がトルコ国旗で右側が北キプロス国旗です*5

言うまでもなく、このデザインの近似性が多くのことを物語っています。

港の見えるホテル

港が見えてきました。


(写真には人が写っていませんが)こちらもなかなかの賑わい。今すぐにでもパラソルの中に入って、「ビールを一杯」と注文したくなるくらいです。
チェックインしたのはこの港に面したホテル。奮発したので、部屋からも海が見えます。

荷物を置いて、お出かけしましょう! もちろんその前に…

こうなるw

キレニア城と難破船

訪ねたキレニア城は、9世紀のビザンツ期にルーツを持つ歴史ある城。

ただ残念なことに、その歴史は酒を飲んだ状態の私にとっては千賀豚に真珠でありました。


どちらかというと、景色を中心に楽しませていただきました。
内部には難破船博物館というのもあり、紀元前後にこの近くで交易船が難破したことについて、煽情的に紹介されていました。
城への入場料は2TL。一般は12TLなので須賀、
係員「学生さん?」
私「いえ、違うんです」
係員「いやいや、学生さんでしょ?(うん、と言いさえすれば学生料金で通してあげるんだから)」
私「あ〜。えぇ、まぁ。」
てなわけで、そのお値段で通していただきました。なぜあちらがそうしようとしたのかは定かではありません。

ソウルに金日成グッズ?

城の見学(?)を終えたのが午後6時半ごろ。そこからさらに、土産物を見ながら散策します。道中で見つけたのはこれ。

トルコと北キプロスの国旗の間に立っているのは、トルコ国内ではおなじみだったアタテュルク像。ある意味非常に北キプロスらしい光景です。土産物にも「2カ国」の一蓮托生っぷりをアピールするものが多く置いてありま須賀、たまにEU旗の書かれたグッズなんかも置いてあります。これにはかなりびっくりしましたが、先述の分断の経緯から考えると、南北キプロスの分断・対立に条件闘争的な側面が強いことが影響しているのかもしれません。どういう形になるかで揉めてはいるが、終局的には(EUに加盟している)キプロスの構成員になるんだ。そんな意識が強ければ、さほど違和感がないのかもしれません。
比して言うなら、ソウルだ釜山だで金日成像のミニチュアを売るとか、平壌で韓流ドラマグッズを売るなんてことは到底考えられないわけで、その分断が条件闘争的というより、歴史的に「喰うか喰われるか」とでも言うべき側面が色濃かったことが、その違いとして指摘できるでしょうか。

港の夜景と魚料理


陽もとっぷり暮れていきました。夕飯にしましょう。港町なので是非魚を食べようと、レストランのまさに海沿いテラス席に腰をおろします。

魚 が 美 味 な の で す !

後ろを振り向くと、屋外にバーカウンターがあります。夏場に雨がほとんど降らないという気候ゆえの楽しみ方でしょうね。
ちなみにお会計を済ませてこの店を出るときに、入る時に熱心に誘ってくれた*6店員のおじさんが「ここに日本人が来るのは年に1組くらいだよ。びっくりしたね」てな話をしてくれました。珍しい、というのは周囲の反応を見れば何となく察しがつくので須賀、年に1組っていうのはすごいですね、っていうかどうなんでしょうね?
締めはホテル最上階のバーで。

こんな景色を楽しみながらダメ押しのビールを喰らい、就寝。これが新婚旅行だったことをようやく思い出したかのような、リゾート気分の1日でした。

*1:中央が手続きした建物

*2:カナダラ。韓国語の「あかさたな」

*3:ちなみに言えば、私にとってそれは初めての体験です

*4:って書き方をすると相当嫌味ですねw

*5:すみません、真ん中は知りません

*6:要は呼び込み