かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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写真で綴る中朝国境旅行記二日目・丹東から見る北朝鮮

北朝鮮が見えるホテル」へ

この日は大連から丹大高速鉄道に乗り、中朝国境の表玄関・丹東を訪ねます。

大連北駅



丹東と大連を結ぶ丹大高速鉄道の始点・大連北駅は、大連駅周辺から車で20〜30分ほどの郊外にあります。ご覧の通り自動券売機も整備されていま須賀、外国人はパスポート提示が必要なためこちらでは買えず、結局窓口に並んで買いました。事前に多少調べたり、詳しい災いの人に聞いたりしたところによると、日本で予約をしていても当日現地で並ぶ必要があるそうで、だったら時間の逆算ができない中で乗る便を決めてしまうのは逆にリスキーだよね、ということで予約せずに臨みました。まあその結果、立ち席*1だったんですけどねwww
ちなみに 10年前と比べれば、みんな列に並ぶようになったなあというのがこの旅行全体を通じた印象でもあるので須賀、急いでいるらしい人が最前列に並んでいる人に頼んで、一番前に入れてもらうという光景は目にしました。最前列に人が入ってきて不利益を蒙るのはその列に並んでいる全員なんだけどなあ…と苦々しく思っていたら、私が最前列にいるときにも男の人がやってきて、身分証だかを示しながら何やら中国語で掛け合ってきます。そもそも中国語ができない私にはまったく聞き取れませんでしたし、先述したような違和感もあったので欧米人がよくやる「ハァ?」のジェスチャー*2で聞き流したところ、彼は言葉を荒げて何らかの捨て台詞らしきものを吐いて去っていきました。たとえ意味が分かっても(こちらも急いでいたので)譲るつもりはありませんでしたけども、中国に来ているのに中国語が分からないことを殊更に示すようなジェスチャーを取ってしまったことに関しては、今思えばかなり悪趣味だったと反省しています。




一見、大連空港より巨大にも思えるターミナル。車の展示やスーパー、大連ならではのロシアグッズ*3屋もありました。

高速鉄道





乗り込んだのは「和諧号」。ただし既述のように乗車は許されるが座席のない「无坐」だったため、2時間ちょっとの乗車時間のうちほとんどをデッキなどで過ごす羽目になりました。逆に言うと、席が空けばおおっぴらに座ることができますし、後になってその席の指定券を持っている人が乗ってきても、明け渡しさえすれば特に問題になりません。日本の新幹線などとは感覚が違うように思えま須賀、私はこちらの方が合理的だと思います。
初めて乗る「和諧号」も結構でしたが、個人的には2枚目に写り込んだ在来線と思しき車両が懐かしかったです。

丹東駅




无坐の二の轍は踏むまいと、早速翌日の大連行きの切符を求めます。駅を出た途端どなたかいらっしゃって戦慄しましたが、毛主席でした。さすがに国境の方を向いてはいなかったww

丹東駅から南へ







何といっても特筆すべきは朝鮮半島絡みの文物の多さでしょう。標識で隠れてしまっていま須賀、1枚目にあるように「朝韓百貨」を掲げる店は市内のあちこちで見られ、実際に韓国製品を含む朝鮮半島関係の品々が売られています。てかこの順番で国旗を並べて大丈夫なのか*4という気はしますね(笑)
3枚目のような中朝国境などへのツアー案内もちらほら。5枚目は「高麗街」となっていますね。総じてハングル表記も目立ちました。

そんな街中にスタバがあったりもしたので須賀、メニューにハングルが併記されているのかどうか、ちょっとからかってくればよかったですかね。

朝鮮焼肉店で韓国語を試す




遅めの昼食はこちらの朝鮮焼肉店で。韓国語が通じるかどうか試してやろうと、最初にテーブルに来たお兄さんに片言の韓国語で注文してみたので須賀、あいにくさっぱりといった様子。ちょっとがっかりしていたら、若い女性店員がやってきて(確か朝鮮語で)「韓国からいらっしゃったんですか?」と、誇張ではなく本当に目を輝かせながら聞いてきてくれました。
しかしこちらもあいにくの日本人ですのでそう返答すると、彼女は誇張ではなく本当に期待外れだったという表情で去っていったのでした…と言うとちょっと感じの悪い店員のように読めてしまうかもしれませんが、中国語が全くできない私に朝鮮語であれこれと世話を焼いてくれたのは結構助かりました。朝鮮語だって特に聞き取りは全然ですし、自分の言いたいことをおかしな発音と言い回しでわめいているだけにしか映らないはずなので須賀、全く分からないのと多少なりとも分かる可能性があるのとでは心理的にも実際的にも全然違いますね。
ちなみに言語の問題で一つ興味深かったのは、私がトイレに立とうとした時、彼女が朝鮮語で「衛生室?」と聞いてきたことです。韓国ではトイレは「化粧室」で、「衛生室」と呼ぶのは北朝鮮流とされています。そこから推察するに、少なくとも彼女はいわゆる韓国語というより朝鮮語に近い言語を話しているのでしょう*5。これはもう少し後に出くわすので須賀、街中の案内板も「衛生室」となっていました。

地理的(歴史的)・政治的近さを鑑みても自然なことではありま須賀、そのどちらがより多く作用しているのか*6は興味があるところですね。
そういえば、店のBGMはいわゆる「NKポップス」でしたよwww

鴨緑江を間近に望んで



しばらく歩くと鴨緑江が見えてきます。何のことはない距離感ですけど、対岸は北朝鮮なんですよ!!




こちらはホテルの部屋から。「リバーサイドホテル」どころか、「北朝鮮が見えるホテル」ですな。

ちなみにホテルの1階では、こんなものが平然と売られていました。街中にも結構ありましたが、こういうものを扱っている人たちは、こちらが日本人だと知るや否や、決まってニヤニヤしながら金日成バッジの模造品を売りつけようとしてくるんですよね(笑) まぁ、丹東に来る日本人の意図は大体似たり寄ったりだからなのでしょうけどね。

近くにはこんなコンビニも。むしろネーミングとしては本家より自然かもしれませんw

遊覧船から見る北朝鮮

北朝鮮のJK激写?

ここからは鴨緑江の向こう側の写真を載せていきます。私が生半可な知識を振り回して過剰に取捨選択したり「解説」を加えても仕方ありませんので、ここは写真に語っていただきましょう。さすがにミスショットなどは除いてありま須賀、多少被写体が被っていても気にせず紹介していきます。


この煙突はかつての王子製紙の工場のものだそうです。

右側の建物には「先軍路線の太陽 金正恩将軍万歳!」というスローガン*7が掲げられています。拡大するまで気付かなかったので須賀、制服らしきものを着た女性が写っていますね。学校か何かでしょうか。

遊園地の観覧車は動かず?





中朝友誼橋のたもとの遊園地。バスが何台か停まっているのが確認できま須賀、少なくとも観覧車は動いていないように見えました。

鴨緑江閣。レストランだそうです。

船と作業現場










肉眼ではなかなか見えなかったので須賀、結構人がいたんですね。



何らかの公的施設と思われま須賀、よくわかりませんでした。真ん中左の船乗り場のような建物には「節約」と大書されているんですけど…?



「先軍朝鮮の太陽 金正恩将軍万歳!」と書かれています。

スローガンの嵐


右から「朝鮮人民の不倶戴天の敵である米帝侵略者どもを消滅させろ!」「党中央の旗の下団結しまた団結しよう!」「自力自強の偉大な動力で社会主義の(以下読めず)」「(切れて読めず)の訓練命令を徹底して貫徹しよう!」だそうです…(ちょっと疲れた)
今更言うことでもないかもしれませんが、これらのスローガンは国民向けという以上に、川の向こう側(中国側)に向けたアピールなのでしょう。過去にも、中朝関係が微妙な時代には、北朝鮮側からの宣伝放送が繰り返されて問題となったことがあったそうです。

こっち見てる?




船の縁に座っている男の人がこちらを見ています。まあこちらもあちらをガン見しているわけで(しかもわざわざ船にまで乗って)、お互い様ですね。



長嶋茂雄


「偉大なる金日成同志と金正日同志は永遠に我々と一緒に(以下読めず)」




右から「全党、全軍、全民が朝鮮労働党第7次大会課業貫徹に総邁進して主体革命の最終勝利を繰り上げよう!」「先軍朝鮮の太陽 金正恩将軍万歳!」。訳していて徒労感がありますね…。ちなみに中央の男性、裸足です。

新しそうなバイク




ピカピカのバイクですね。メンテナンスをしているのでしょうか。

いざ出航!





奥の建物は倉庫でしょうか。



ちょっとあの船に乗るのは嫌だなあ…(笑)

番外編・中国側



鴨緑江断橋(後述します)のたもとのこの辺でチケット(50元)を買って、遊覧船に乗り込みました。



桟橋周辺。


下流側です。
*8
こうして見るまでもなく、経済発展の度合いとして両岸の差は歴然です。もっと言うと、北朝鮮側に見えたいくつかの建物は張りぼてのようなものだという説もあるそうですね。あとこれは推測で須賀、左岸側の林は国内の様子を見せないために北朝鮮側があえて残したor植えたものかもしれません。

まだまだ続く「国境観光」

鴨緑江断橋




中朝友誼橋のすぐ隣に残された、途中で折れた橋です。日本がこの地域を植民地支配する過程で建設したものの、朝鮮戦争中に米軍の爆撃を受けて壊されたそうです。




現在は観光地化されており、列車やバスの行き来のある友誼橋を横に見ながら折れたところまで進むことができます。

ここでポーズ取ってた人はめっちゃ怒られてましたw




橋の歴史も時間を追って説明されています。

スクリーンも。


ここから先は途絶え、橋桁だけが残されています。

その先端は、まさに中朝国境地点。

向こう側もよく見えますし、あちら側から何やら歌も聞こえてきました。


さっき中国側に入ったバスが北朝鮮側に戻っていくのも見えました。行きはたくさん人が乗っていましたが、帰りはガラガラですね。

北レスに再朝鮮!





バンコクで果たせなかった北朝鮮レストラン。従わない客も多かったで須賀、公演が撮影禁止だったりしたせいであまり写真がありません。ただ店員さんたちも感じのいい人達でしたよ。最初はコミュニケーションの手段に困ったのか、彼女らの知人と思しき日本語が少しできるおじさんと電話で話をさせられたりもしてちょっと面白かったですけど*9、そうしたエピソードも公演の歌や踊りも、私の心の中のアルバムにはしっかりと残しておきました…というところで、旅行記としては先に進めていきたいと思います。

*1:いわゆる「无坐」

*2:肩をすくめる"shrug"ってやつですね

*3:ソ連グッズ」と呼ぶべきものも多く並んでいましたが、踏みとどまりました

*4:その点2枚目は軟着陸している感じがします

*5:私もその点を踏まえて使い分けたつもりです

*6:方言的な違いが地理的に分布しているのか、北朝鮮と中国(朝鮮族)が政治的に近かった故に共通の語彙を使うことになったのか

*7:拙いながらも、以後なるべく訳していこうと思います

*8:この写真は断橋から撮ったものです

*9:そのおじさんが電話口で私の話を聞き取り、それを中国語で店員さんに話す方法で通訳を試みたということでしょう。このやり方にはもう一回出くわしました