かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記五日目・スターリンワールド!

ヴィリニュスからスターリンワールドへ

ナチュラルハイで強行日程?

5日目のスタートはワルシャワからヴィリニュスへ向かう車中から。またもやふと気がつくと、バスはまだ夜の明けない街中を走っています。どうやら目的地、ヴィリニュスに着いたようです。時刻は午前6時20分。あたりはまだ真っ暗で♪冷たい雨が今日は心に沁みる降っています*1
この日何をするか、実は純然たる意味では決まっていませんでした。ここヴィリニュスには、2日後の昼、飛行機でウィーンへ飛び立つまで滞在する予定でした。その時間の中で、スターリンワールドに行って、ヴィリニュスの観光ができればいい。そりゃあ危機管理上遠いところには先に行っておいた方がいいに決まっていま須賀、正直今日と明日はどっちでもいいや。着いた時の自他の状況で判断しよう。そんな話をしていました。
で、どんな判断をしたか。まずもって外はまだ暗く、市内観光をするにはまだ時間がかかりそうです。次に、ドゥルスキニンカイ行きのバスの始発は午前7時20分。つまり約1時間後で、乗り継ぎとしてはベストと言っていいタイミングです。そして何より、全然動ける(笑) ロクに寝ていないのにこのテンションは逆にヤバい気もしましたが、ここは宿願のスターリンワールドに強行することとしました。騎兵強行スキルでは攻撃力は上がりません。

ここはヴィリニュスで須賀…

となると、まずは大きな荷物を預ける必要があります。♪だけども問題は今日の雨傘がないここに至るまで、リトアニアの通貨たるリタスをびた一文持っていないこと。バスターミナルの両替所は午前7時からです。なんにせよとりあえず頼んでみようと、店番のおばあちゃんにユーロしかないと伝えると、「置いといてあげるから両替して来なさい」とのこと。結局7時を待たねばならないようです。
待つこと30分弱。両替所が開いたのをいいことにややフライングゲット気味に窓口に滑り込み、200ユーロを690リタスに両替*2。そのリタスを持って荷物預かり所へ急ぎます。預かり所では別の人が番をしており、2人分を6リタスで手続きしてもらったので須賀、その最中に中国語を話す2人の女の子が不安げな表情で現れ、窓口にこう尋ねます。
女の子「ここはどこの街ですか?」
一瞬周囲に「えっ?」という雰囲気が流れ、窓口の人もやや呆気にとられた表情をしています。確かにここは観光案内所ではなく荷物預かり所ですし、もしここが観光案内所であっても、あまり頻出の質問ではないでしょう。逆にそうした固定観念がより小さかったからか、私の口からは自然に答えがこぼれ出ます。
私「ヴィリニュスですよ」
今度は彼女たちが「えっ?」という表情を浮かべ、感じているだろう困惑を態度で表現し始めます。きっと長距離バスに乗ってきたのでしょうから、乗り間違えてしまったということでしょうか。他人の不幸ながら関心は尽きませんが、実は私にはそんな余裕はありませんでした。リタスがなくてバスのチケットも買えていなかったわけで、チケット窓口に駆け戻り20分発を押さえます(30リタス)。それを片手にバタバタっと乗り場へ。

ドゥルスキニンカイへ

停まっていたのはこんなバス。

バスというよりは大型ワゴンのような車で須賀、その辺は偶然見つけたこの旅の先達のブログドルスキニンカイという町へ:りんこうの世界より:So-net blogで予習済みです。しかしまあ車内は満席で、最後尾の4人席に座った私達は、何の間違いか席がなかった人のために、途中まで5人でその場所をシェアすることになったのでした。
そんなことは言ってられないよ、とばかりにバスは定刻に出発。郊外に向かう頃には空も白んできて、森と野原の中に畑が点在するような景色が見えてきます。外の寒さゆえか天気の悪さゆえか、荒涼との印象を抱かせます。しかし眠気のピークってこういう時間帯ですよねww 口をぽっかり開けて寝ている友人を見て何だかこっちも眠気が増し、少しの時間でしたが眠ることができました。車体は小さかったが寝心地は良かった、というのが2人の共通認識となりました。
バスは9時半ごろにドゥルスキニンカイ着。

こぢんまりとしたバスターミナルです。

近くにはこんな池もあります。なんだか風情がありますねえ。
ってそんなことに感心している場合ではありません。ここから我らが目指すスターリンワールドまではなお数キロの距離があります。さすがに歩くわけにもいきませんので、バスターミナルに停まっているタクシーにお願いすることに。スターリンワールドの正式名称たる「グルータス・パーク」もすぐに通じ、運賃25リタスで連れて行ってくれました。おまけに時間を約束すれば迎えに来てくれるとのことだったので、運転手さんの目安より1時間長い4時間後*3に、入口で待ち合わせることにしたのでした。

スターリンワールド」こと「グルータス・パーク」

スターリンワールドの基礎知識

さあさあさあさあさあ。ついにこの旅の最大のハイライト・スターリンワールドであります。改めてご説明しましょう。私が今回の旅行のお目当てとした麻原彰晃こと松本智津夫スターリンワールドことhttp://www.grutoparkas.lt/index-en.htmとは、レスリングの元国内チャンピオンで、マッシュルームの販売で富を築いたビリウマス・マリナウスカスという人物が、2001年のエイプリル・フールにオープンさせた公園で、ソ連崩壊後に競売にかけられたレーニンスターリンの彫像を購入し、30ヘクタールもの敷地に並べたものです。人に尋ねられた時は「一言で言うと、ディズニーランドのミッキーマウスレーニン、ドナルドダックをスターリンにしたような場所だよ」と答えるようにしているので須賀、「ディズニーランドのミッキーマウス金日成、ドナルドダックを金正日にしたような」平壌キムニーランドに行って来てしまった行きがかり上、どうしてもこういう場所を見過ごすことはできませんでしたw
ちなみにこんなこともあったらしいですねw

スターリン像は芸術作品?(リトアニアのテーマパークで著作権論争)
旧ソ連時代に制作されたレーニンスターリンの像は芸術作品として著作権保護の対象となり得るか――「スターリン・ワールド」と呼ばれるリトアニアのテーマパークでこんな論争が起きている。
2001年にオープンしたこのテーマパーク「Grutas Park」には、ソ連崩壊に伴いリトアニアや近隣諸国で撤去された多数のレーニンスターリンの像などが展示されているが、リトアニア著作権保護協会がこれらの像の制作に携わった7人の彫刻家の権利を代表して、テーマパークのオーナーに対し入場料収入の6%を支払うよう求めている。協会は展示物だけでなく、園内で毎日流される旧ソ連国歌も著作権保護の対象となり、著作権使用料の支払い義務が生じると主張している。
これに対し、およそ200万ドルを投じてテーマパークを建設したリトアニアの富豪ViliumasMalinauskas氏は、圧政下で一般市民を恐怖に陥れたスターリン像などはとうてい芸術作品とは認められず、支配勢力の委託で半強制的に制作された作品は著作権保護の対象にならないと反論。「ロシアやその他の旧ソ連圏の国から集めた作品も展示しているが、著作権使用料を要求してくる国など他にはない」と強調している。著作権保護協会の要求に対抗するため、テーマパークでは現在、園内放送が全面的に中止され、7人が制作に関わった作品はすべて黒いビニール袋で覆われている。
(Associated Press, February 14, 2007)

大興奮の入場

そんなスターリンワールドに大興奮で足を踏み入れた私。友人は若干引き気味だったかもしれません。

入口付近にある園内案内図です。なんだかワクワクしてきますねw

敷地は有刺鉄線や監視塔に囲まれています。ソビエト時代の政治犯収容所をモデルにしているそうです。

関連する新聞報道などが掲示された道を進むと、入場ゲートが。1人20リタスを支払い、嬉々として中へ。しばらく水辺を歩くと、子どもの遊具に混ざって何やら怪しげな機械が…

近くに早速彫像が。

何であるのかはよく見ませんでしたが、恐らく「共産主義の理想に燃える革命戦士」的な何かでしょう。北朝鮮でもこういうコンセプトのポスターを見たことがあったような気がします。
そしてこれ。

小劇場のようなものでしょうか。中央の似顔絵はレーニン。中央上のスピーカーから絶えずちょっと陽気目な歌が流れていま須賀、レーニン主義者としての忠誠に欠く私には、それが何の歌なのかよく分かりません。私の数少ない友人の中には、サハリンの旧ソ連モニュメントか何かの前でソ連国家を1人で歌って地元警察の事情聴取を受けたという猛者がいまして、きっと彼ならこの歌の意味内容を解説してくれることでしょう。全然関係ないけどサハリンも行ってみたいですよね。あと旧満州とか。

白雪姫と7人の小人…でしょうか?*4 ちなみに背景の檻では様々な動物が飼育されています。

ええ、もちろんそれも結構なんで須賀、肝心のレーニンスターリンの像はどこにあるのかと探してみると…

ジャーン!と、レーニン先生の像ではありませんか。

スターリン像見参!

さらに奥に進むと…

スターリンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ちなみに左から*5エンゲルスマルクスレーニンレーニンスターリンです。



一同「どうも、スターリンです。」

あれ?北方領土は?

やっとスターリン像に出会えた感動ではしゃぎ過ぎてしまいましたが、近くの資料館を見学しましょう。資料館の建物は二つあって、どちらもソ連自体のものと思われる新聞や勲章、彫像、書籍などで埋め尽くされています。いくらこの旅のハイライトとは言え、全てを説明することはできませんので気になったところから。

まずこれは、ソ連70周年を記念したものと思われる木製のボードです。刻み込まれているのはソ連の版図で生姜、注目は右(東)側です。カムチャッカ半島とサハリンは描かれていま須賀、千島列島が出てきません。まあこれだけ大雑把な地図なのでそんなものと言えばそんなものなので生姜、逆に言えば日本が言うところの「北方領土」のソ連における重要性をある程度示唆している、ということは言えるのではないでしょうか。ちなみに私は、『日本の国境問題』(孫崎享)に毒されてしまったのか、国後島択捉島ソ連(現在はロシア)領と考える方が国際法上妥当だと考えています。「北方領土がロシア領だと主張するなんて非国民め!」とお怒りになる方がいらっしゃるとすれば、私はその方のことをとても気の毒に思います。

資料館げろげろもろもろ

話が若干本筋とは違うところから入っていってしまいましたが、次は本流です。

こんなにレーニンの顔を並べる意図は何なのでしょうか(笑)

何だかちょっと怖いマルクスエンゲルス

未完成とみられるスターリン大先生。制作途中にフルシチョフに批判されてしまったのでしょうか。

なぜ本棚にレーニンの顔が?www

こちらは独ソ不可侵条約締結に際して、ヒトラースターリンの間に結ばれた東欧分割密約の地図だと言うので須賀…

こちらはリトアニア人が、ソ連内のどこに追放・投獄されるなどしたかを表しているそうです。

逆光でかなり厳しいで須賀、こちらはガガーリンの彫像です。確かに国威発揚にはピッタリの方でしょう。

部屋の天井から吊るされているのはソ連を構成した各共和国の国旗でしょうか。真ん中あたりにあるのがキルギスらしいというのは確認することができました*6

これは物理的にはカーペットの機能を果たすことが期待されたので生姜、彼の顔が描かれることによって、ソ連のある限りそうした用途には用いることができなくなったものと思われます。

ここに女学生の人形を置く理由が分からないのは、私がマルクス・レーニン主義を軽んじる修正主義者だからでしょうか?


なんかこういうの朝鮮半島のどっちかで見たことある気がするなあ… 
そしてどこかで見たことがあると言えば、こうして見ているとうちのデスクの顔がレーニンに似ている気がしてきた件。

居並ぶレーニン

さて、外に出ましょう。奥側の遊歩道には、数多くの彫像が並んでいます。



こういう有名人のものも結構ありましたが、日本人にはなかなかなじみのないような人も。

そしてそういう人は、往々にしてスターリンによって射殺されていたりするのです。ちなみにこういう人物紹介もありましたし、

その像の在りし日の姿と、引き倒された時の様子まで並べているものもありました。印象的だったのは、その通称とは相異なり、レーニン像が多くを占めていたこと。これはレーニンと異なり、スターリンが死後間もなくソ連国内で批判されたことの影響もあるのでしょうか。

「左に道はない」

しばらく歩いて行くと、道が二つに分かれている個所に突き当たりました。特に順路の案内板もないようです。右と左、どちらに進路をとるべきか。日和見主義者である私は、「我々にとって進むべき進路は左であるに決まっているが、右に進んだ場合の哀れな末路を見届けてから、揚々と左を進めばいいではないか」と提案しました。友人も賛同を示してくれたので、からかい半分の気持ちで右に進んでしばらくすると、元来た場所に戻ってきたようでした。やはり左に進んでこそ人類の歴史は発展していくのでした。そのことを再認識してわかれ道のところまで戻り、今度は自信満々に左へ向かいます。すると1分もせずに見えてきたのは…

なんということでしょう。すぐ先は行き止まりになっていたのです。この様子を見た友人はこう言いました。
「左に道はないな」
その言葉が、私と彼が交わした最後の言葉となりました。彼は、このテーマパークに飾られている多くの人々と同じ運命を辿ったのです。

旧ソ連風? 恐怖の「ノスタルジー」メニュー

さてさて(笑)、もうすぐ12時です。敷地内は一通り歩いたようですし、休憩の意味も込めて昼食にしましょう。

レストランにはメニュー書きが2種類あったので須賀、目を引くのはやはりこういうものww

右下にリトアニア語で「ノスタルジー」と書いてあります。旧ソ連時代の食事を再現したものでしょうか。面白そうなのでいろいろ注文してみましょう。

メニューに「ロシア風」とあるこれは、ウォッカと小魚にオニオン、パンのセット。酒の肴ということで生姜、小魚にはほとんど味付けがありませんでした。

ボルシチ、だそうです。酸味があると言うか何と言うか、舌を慣らすのに若干時間がかかりました。

「さよなら青春」という名の料理です。真ん中にあるのはお肉なので須賀、何と言うべきか…味がしません(笑) 左の福神漬のようなものはビーツという野菜で、右は黒豆を茹でた料理ズィルニである可能性が高いようで須賀、これらを食べるのは正直言って大変でした。過去の経験において、他人が「まずい」と評したものをかなり平気な顔で食べてきた私がこう言うのですから、この料理がよほど笑いの、ではなく味覚のツボにはまらなければ、完食するには困難が伴うでしょう。その平坦でない道のりのさなか、友人はこうつぶやきました。
「(ソ連時代のものと思しき)この料理を食べて、本当に社会主義が失敗だったって実感したわwww」
こうして彼は、シベリアに送られるまでもなく(ry

スターリングッズを大人買い

食事としてはこのくらいだったので須賀、約束の午後2時まで1時間以上の時間を余した私達は、それぞれビールやコーヒーを片手に食後の優雅なひと時を過ごします。そして帰りがけに敷地入口の土産物屋へ。スターリンやらレーニンやらが描かれたショットグラスからジョッキ、当時のものと思われるお札の模造品まで、ここぞとばかりに100リタス近い額を購入し得意満面の東洋人2人。店員のお姉さんは彼らの行為に対し、笑いをこらえることをしませんでした。

風刺と憤り

こうしてこのたびのお目当てだった松田聖子こと蒲池法子スターリンワールドことhttp://www.grutoparkas.lt/index-en.htmの観光は幕を閉じたのでした。ビールとウォッカの勢いでこのままストーリーが進んでしまいそうで須賀、ごく簡単に一つだけ、振り返っておきたいことがあります。それは、このテーマパークにおいてミッキーとドナルドを演じている(?)2人は、単にこの場における風刺の対象にはとどまらないということです。あれだけの彫像を集めて並べるという行為に、そうしたブラックユーモアが含まれていないと考えるのは逆に不自然で生姜、それだけではない。旧ソ連ナチスとの密約によってリトアニアの独立が奪われ、さらに多くの人が故郷を追われた―。そのことへの怒りが、こんな施設を造らせたという部分も読み取っておかないと、わざわざ遠く離れた日本から訪ねた人間の理解としては不十分でしょう。スターリンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! で済まされる話では本当はありません。
ただ、対象からぐっと引いてみて斜めから眺めて笑うという行為には、単に「ブラックユーモアって面白いですね」というだけではない、それ以上の何かがあると、私は信念に近い認識を持ってきました。別に談志が死んだから言うわけではありません。普通は「人民の動員のためだろう」と言われれば「なるほどそうかもねえ」となんとなく分かったような気になって終わってしまう話なのかもしれませんが、例えば社会主義とこうした偶像化との親和性みたいな観点から、その全体主義的側面のみならず、経路依存的な理由などそれ以外の要因を探ってみるような頭の働かせ方もあるのではないでしょうか。ユーモアからも、シリアスからも、受け取ることのできるものはあるはずです。

*

リゾート地・ドゥルスキニンカイ

運転手さんは、約束の2時には既に駐車場で私達を待っており、25リタスでバス停まで送り届けてくれました。帰りのバスは2時50分発。せっかくなのでと周辺を散策します。


なんかいい雰囲気の町じゃないですか。そもそもこのドゥルスキニンカイという町は、温泉地・リゾート地として知られた場所で、ポーランド領だった戦間期にはピウスツキが夏の休暇に訪れたのだそうです。リトアニア最初のウォーターパークがオープンしたのもここだそうで、スターリンワールドを訪れる方は是非、リゾートとしてのこの街の魅力も体験してみては?(笑)

駅近のユースホステル

今度は一般的な大きさのバスに乗って、午後4時50分ごろ、ヴィリニュスに舞い戻ります。

こちらはヴィリニュス駅前。トロリーバスが行き交う様子は平壌を思い出させます。(旧)共産圏では多い印象ですね。
ほどなく近場のユースホステルにチェックイン。2人で2泊200リタスというお値段だったので須賀、2人部屋の上にバス・トイレが部屋に隣接していて実質的に占用できるという好環境で、かなりのコストパフォーマンスでありました。

夕暮れに夜明けの門を抜け…

荷物を置いてひと段落する間もなく、街に繰り出します。旧市街の様子を眺めながら夕飯にありつく場所を探しましょう。

その入口とも言うべき夜明けの門です。内部にあるイコンが有名だそうで須賀、この時間はミサが行われており、不信心者の私は立ち入ることはしませんでした。いくつかの教会に立ち寄りながら北へ。

ジャガイモ尽くしの贅沢な晩餐


こちらのリトアニア料理店「チリ・カイマス」にお邪魔しました。

伝統的な民具なのでしょうか。趣のある品々に囲まれた半個室のような席で、お食事をいただきます。

シャルティバスシチェイ。赤カブの冷製スープです。

上からツェペリナイ、ブルヴィニェイ・ヴェダライ。両方ともジャガイモ料理で、ツェペリナイは中に肉が入っています。名前の由来は「飛行船」。油で揚げるものと揚げないものがあるそうで須賀、これは非常においしかったです。この旅行中食べた物の中で、一番印象に残っています。私は「ブルヴィニェイ・ヴェダライ」と発議したことは未だかつてありませんが、こちらはジャガイモのソーセージです。ちょっと不思議な食感です。
もちろんビール数杯*7にデザートなんぞもいただいて、2人で100リタス。いいお店でおいしいジャガイモばかりものをたらふくいただけばそんなものでしょう。ちなみに2人の中ではテーブル付きのウェイトレスさんが君、かわうぃーねー!!かわいいという話になっていたので須賀、それはルックスはもちろんのこと、それ以上にしゃべり方などに起因していたのではないかという見解が有力説となりました*8
帰りは城壁の方を回って9時半ごろに宿へ。この旅初めての洗濯をして、2日ぶりに布団の上で眠りにつきました。

*1:そう言えばドゥルスキニンカイに停まった気がしないのは熟睡していたからでしょうか…

*2:ですので1リタスは約30円相当になります

*3:着いたのがちょうど午前10時だったので午後2時

*4:真ん中の像の真後ろに1人いるのが分かりますか?

*5:この場でものを右から数えるなどということは許されない

*6:「○○らしいと確認した」という日本語は新聞記事としてはあり得ませんw ここでは、旧ソ連時代のキルギスのものとして、該当する国旗を掲げているサイトを見つけました、という程度の意味です

*7:レモンを落として飲む白ビールのようなものがあり、特に美味で印象的でした

*8:そんなことないよー!私の方が美しいよー!