- 作者: 永山修一
- 出版社/メーカー: 同成社
- 発売日: 2009/10/01
- メディア: 単行本
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この本を手に取った動機はほぼ二つあります。一つは著者との極めて個人的な関係によるもので、「南日本出版文化賞」なる賞を受賞された著作でもあるとの触れ込みだったので、ちょっと読んでみようかしらと思ったこと。もう一つは、「隼人」と「民族」という両概念の関係性についての興味でした。そこについての私の問題意識のさわりの部分はロシア旅行中に触れてもいるので須賀、この本の著者はそれを「疑似民族集団」と表現します*1。そして、様々な文献を渉猟して「日本という国家が国家として成立しているためには当然内国化しておかなければならない辺境の人民をとりのこしていた状況を隠蔽するとともに、逆にそれを利用して帝国の構造を作りあげ、内国の王民の統治に資する」*2という、内国化と帝国化の間におけるある意味のトレードオフの過程として、隼人と古代日本の歴史を素描していく。
その中で、結局は遅れながらも薩摩・大隅が律令体制に組み込まれ、そして全国的なその揺らぎの中にも巻き込まれていく様子を見極めた上で、「南九州に居住するものが『隼人』とされたのは、120年ほどでしかない…当時『隼人』的とされた諸々の要素は、南九州に居住する人々とまったく無関係とはいわないまでも、政府側の恣意によって構想・造型されたものであったと考えられる」と喝破するのです。まあこれは極めて雑に言えば、「隼人」という言葉は「ネグロイド」や「ユダヤ人」といったものより「大阪のおばちゃん」に近い概念だ、という形で表現することもできるわけです(笑)
議論の中には、肥後や豊前・豊後から南九州への移民や、称徳・
自分が忘れないように書いておくと、華夷秩序についてはまた機会を改めて勉強しようと思います。