かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『隼人と古代日本』(永山修一)

隼人と古代日本 (同成社古代史選書)

隼人と古代日本 (同成社古代史選書)

「隼人」を中心に、古墳時代から平安時代中期の島津荘成立あたりまでの南九州の歴史を追った本です。割と手加減のない専門書ですww
この本を手に取った動機はほぼ二つあります。一つは著者との極めて個人的な関係によるもので、「南日本出版文化賞」なる賞を受賞された著作でもあるとの触れ込みだったので、ちょっと読んでみようかしらと思ったこと。もう一つは、「隼人」と「民族」という両概念の関係性についての興味でした。そこについての私の問題意識のさわりの部分はロシア旅行中に触れてもいるので須賀、この本の著者はそれを「疑似民族集団」と表現します*1。そして、様々な文献を渉猟して「日本という国家が国家として成立しているためには当然内国化しておかなければならない辺境の人民をとりのこしていた状況を隠蔽するとともに、逆にそれを利用して帝国の構造を作りあげ、内国の王民の統治に資する」*2という、内国化と帝国化の間におけるある意味のトレードオフの過程として、隼人と古代日本の歴史を素描していく。
その中で、結局は遅れながらも薩摩・大隅律令体制に組み込まれ、そして全国的なその揺らぎの中にも巻き込まれていく様子を見極めた上で、「南九州に居住するものが『隼人』とされたのは、120年ほどでしかない…当時『隼人』的とされた諸々の要素は、南九州に居住する人々とまったく無関係とはいわないまでも、政府側の恣意によって構想・造型されたものであったと考えられる」と喝破するのです。まあこれは極めて雑に言えば、「隼人」という言葉は「ネグロイド」や「ユダヤ人」といったものより「大阪のおばちゃん」に近い概念だ、という形で表現することもできるわけです(笑)
議論の中には、肥後や豊前・豊後から南九州への移民や、称徳・ラスプーチン道鏡政権など中央政界の動向と絡めた隼人の「消滅」への流れなどなど、興味深い話もたくさんあったので須賀、一つ欲を言えば、そうした南九州の内国化の過程のみならず、中央政府が隼人という「疑似民族集団」をどのような経緯で、どのような存在として欲したのか、(まさに称徳・道鏡政権の話と同様に)可能なら政治的背景などを交えつつ詳述されていれば、なお面白かったかなあと思います。
自分が忘れないように書いておくと、華夷秩序についてはまた機会を改めて勉強しようと思います。

*1:要はそう教わってきたということに尽きるんだと思うので須賀

*2:これは隼人をめぐる記紀の記述の意図するところについて、著者が石上英一氏の論文を引用している箇所で須賀、この本全体の方向性を説明するのにも適していると考え、若干用語に齟齬がありま須賀そのまま引用しました