車で巡る古都ノヴゴロド
細君の友人に案内を乞う
この日は午前5時半に起床。6時半にロビーに降ります。待ち合わせの相手は、細君が海外研修中の国際会議で知り合ったという友人。国際私法が専門で、サンクトペテルブルク大学での研究と実務の二足のわらじをはいている方です。と言うと、細君を含めて「何だこいつら」って感じで須賀、事実まあそういうことのようで、「サンクトペテルブルクに来るならドライブにでも連れていってあげようか」とのお言葉に甘え、一日ドライブが実現したのでした。
約束の時間をちょっとばかり過ぎて登場。肝心の細君は彼に電話をかけるために部屋に戻っており、サングラスをかけたやや恰幅の良い初対面の男性に、いきなり「Hi!」と握手を求められた時はちょっとびっくりしましたww
ポルシェでトーク三昧
そのまま彼の愛車・ポルシェに乗り込み出発。目指すは200キロほど南東にある、「新しい都市」という名を冠した古都・ノヴゴロドです。ヴァイキング系とされるリューリクがノヴゴロド公国を建てたことでも知られるこの町は、彼のお気に入りのドライブコースなんだとか。片道3時間の車内。この方もなかなかおしゃべりで、話題は尽きません。法律論はもちろん、好きな車の話題や、最近の趣味のバイクのこと、生まれた地域の超酷寒ぶりなど…。特にバイクについては、「自動車とは全く違う乗り物。バイクを乗るための訓練をせずに乗るのは危ない!」と力説していました。
じっくり話をする折角の機会なので、私からもいくつか話題を振ってみました*1。まず、昨日飲んだバーの話から話題は「罪と罰」に。物語の筋としては、『罪と罰』*2というのは殺人を犯したラスコーリニコフの罪と、それに対する罰である、という理解だと思うので須賀、「タイトルに込められた意味はそれだけではないと思うんだ」。「ラスコーリニコフが社会の『罪』を『罰』した、という解釈もあり得るかもしれないね」と見解を述べた後に、「でも、ドストエフスキーはロシアでは人気がないね。なぜって?学校で読まされるからだよ」とちゃんとオチをつけてくるところはさすがというか何というか。
ソ連グッズを売る理由?
ここからは、ロシアの人と話すなら聞いてみたいな、と思っていたことを立て続けに訊ねてみましょう。ロシア国内のあちこちでソ連もののお土産が並んでいることには、トルコ旅行で立ち寄ったころから気になっていたので須賀、あれはソ連時代への郷愁なのか、そもそも今のロシアの人たちは、ソ連時代を振り返ってどう考えているのか、聞いてみました。すると、「まずソ連の土産物を売ってるのは、売れるからだね。ロシア土産じゃ売れないでしょww」とした上で、「人々がソ連時代をどう考えているかについては、一般的な答えはないね。人によると思う。例えばオレも、ソ連時代は若くて女性にモテたから良かったよw」。直球の答え方ではもちろんありませんが、うまいかわし方だと思いますし、実際問題、この質問に傾向的に答えるのはそもそも容易ではないでしょう。もし私と彼の立場が逆だったとしても、「日本人は戦前日本についてどう考えているんだ」であれば、それなりの答え方がありそうで須賀、「日本人は55年体制をどう評価しているのか」となると、答えに窮して考え込んでしまうか、彼のように答えるしかないのではないかと思えてきます。
プーチンの心理学的的戦略
政治がらみでもう一つ。
プーチン大統領が釣った大物、ネット上で「やらせ」疑う声
ロシアのプーチン大統領(60)が、シベリア地方で21キロのカワカマスを釣り上げたとして話題になったが、インターネット上では「やらせ」を疑う声が上がっている。
大統領府は26日、プーチン大統領が釣りを楽しんだり、トナカイをなでたりする様子が写った写真や映像を公開。その際、大統領府の報道官は「大統領が釣った魚は21キロ以上だった」とコメントしていた。
ところがそれから数時間のうちに、インターネット上では「この魚は誰が用意したものだろう」などと、やらせを疑うコメントが見られるようになった。
プーチン大統領はこれまでさまざまなパフォーマンスを行ってきたが、2011年に黒海の海底に潜って古代のつぼを回収したことについては、やらせだったことを認めている。
ただ今回の魚の大きさについては、報道官が「私は魚の計量に立ち会った。本当に20キロ以上はあった」とインタファクス通信に述べ、頑として譲らない考えを示した。
(7月29日、ロイター通信)
プーチン大統領の肉体パフォーマンス(?)は日本でも結構知られていま須賀、あれは一体何がしたいの?という質問です。上記の「やらせ疑惑」については、現地の英字紙の1面を飾っていたこともあり聞いてみると、「大統領も普通の人間なんだというところを見せたいのだろう。あれは心理学的な戦略に基づいたパフォーマンスだね」との答えが。その「戦略」とやらが成功しているのかどうか聞いてみたかったので須賀、こちらの聞き方が悪かったのか、ちょっと話が噛み合いませんでした。
こういう話ばっかり書いていると、いかにも私が自分のしたい話ばかりしていたかのように見えてしまうかもしれませんが、先取りして言うと車の中だけで往復7時間以上しゃべってたわけで、そんなことないよー!そんなことはないと思います。それにしても、思いがけずいい英語の訓練になりました(笑)
さて、旅行の話をしましょうか。
ノヴゴロドのクレムリンを歩く
ノヴゴロドの町につくと、まずホテルの食堂に案内され、バイキングで腹ごしらえ。そこから観光に出発です。
ノヴゴロドのクレムリンです。
入って行きましょう。
「859」というのは、この町の名前がロシアの歴史書に初めて登場した年を表しているのでしょう。
まさに中央部にそびえ立つのは「ロシア1000年記念碑」。
1862年、リューリクの即位1000年を記念し、ロシア史の有名人を並べた記念碑です。
続いてソフィア大聖堂。
1045年に建てられたロシア最古の建築物で、古い壁画も見られます。
話の流れで日本の古い建造物について聞かれたので、法隆寺について紹介すると、「それまだ現存してるの?へえ」と感心したようなリアクション。まあ世界最古の木造建築物ですからね。この聖堂に限らず、ロシアの古都を歩いていれば必然的に歴史の話が多くなります。日本法の話をされても稚内私で須賀、まさに『天皇』で読んだような天皇論など、日本史については少しながらご紹介できたんじゃないかと思います。
教会群と博物館
こちらが市の中心部を流れるヴォルホフ川。
橋のあちこちのカギは、永久の愛を誓うカップルがそのしるし的な何かとして付けていくんだそうです。
彼女が何であるのかはちょっと分からないとのことでしたが、靴の部分にコインが入っていたのに倣って10円玉を入れたのがなぜか大いにウケて、わざわざ写真まで撮っていました。
ここからは古い教会群を見て歩きます。雨もぱらついてきました。正直言って言われるがままに歩いていたので、どの教会で聞いた話かまではちょっと思い出せませんが、かつて教会に資産を隠すことが広く行われたとか、出自によって自分の子供が同じ奴隷身分となるのを避けるため、親がその子を教会に託すことがあった*3…というような話は印象的でした。
その後は博物館へ。さまざまな出土品などが展示されており、中には手紙もありました。もちろん私たち2人は読めないので一つ一つ訳してもらったので須賀、11世紀に書かれた「9年前の木材の代金を払ってほしい」という内容を英訳した後に、「人間の営みっていうのは今も昔も変わらないもんだね」なんて感慨深げに言っていたのは、いかにも民事法の専門家らしいなあと感じました。
あと、展示の中ではこの彫刻が目を引きました。精緻で素晴らしかったです。
「フクシマから近いの?」
こうして町の中心部を案内していただいたわけで須賀、あちこちの施設での係員さんとのやり取りで興味深かったことを二つ。まずは「外国人価格」についてです。各施設の券売所には、ロシア語で書かれた価格表と英語のそれがあって、あからさまな二重基準が敷かれています。もちろん英語の方が多少ながら大きな数字が書いてあります。まあ実のところ「ここはロシアなんだから(ロシア人の自分に甘えておけ)」ということで、私達夫婦はその種のお金を支払っていないので須賀、彼の方から係員さんに「これ何なの?」的な問いかけはしていたようです。
もう一つは原発事故。「日本から来た」と聞いた係員さんのうち複数人が、「どこに住んでいるの?福島からどのくらい離れているの?」と重ねて質問してきます。日本で一般的に原発事故の影響を懸念する距離ではない*4ので須賀、「それで大丈夫なのか」と心配する人も。やはりチェルノブイリを経験したゆえでしょうか。そこで、という接続詞が適当かどうかは分かりませんが、一度こう言い添えておきました。「といっても、私達は福島原発で今、本当に何が起こっているのかは知りません。東京電力*5や政府が出すべき情報を隠しているからです」。みんな呆れた顔をしていました。
郷土料理を満喫
そんなこんなで午後2時。郊外のレストランに連れて行ってもらいます。
郷土料理が楽しめるお店で、温かいビールやさまざまな種類のウォッカに加え、
料理もいろいろと楽しむことができました。
食べかけの写真で大変恐縮なので須賀、真ん中右の料理はコンソメゼリー的なもので、食感も珍しくておいしかったです。もう一つ印象的だった料理はこちら。
ごくごく丸めて言えば、熊の肉の餃子です。そんなに恐るべき味がするわけではないですけどねww
ロシアでは昼食が正餐だそうで須賀、それにしても2時間かけてたらふくいただきました。そしてここも出していただいて申し訳なかったです。
木造建築を見学…
その後は野外にある木造建築博物館へ。
この地域の木造建築を集めて展示しており、農家などの暮らしぶりが分かるような―って、キジ島と同じ説明ですねww 実際見たところ、展示のコンセプトなども同様。しかもロシア国内には他にも同様の博物館があるようで、むしろあちこちで農村の木造建築を展示している理由が気になってきます。
これ、井戸だそうです。大きいですね!
屋内の様子です。ちょっと下世話な話をすれば、こういう部屋にはよくイコンが飾ってあるんで須賀、その前でふしだらな行為に及んではいけない、という規範があるそうで、そのため年頃の男女は必要に応じてサウナを利用されていたそうです。
丸一日ありがとうございます!
さて、戻りの時間もありますし、そろそろ出ましょう。ノヴゴロドを発ったのは午後6時前。朝早くから脳のいつもは使わない部分を酷使し続け、おまけに酒まで入ったおかげで結構眠くなってしまいましたが、運転していただいているわけでこちらが寝てしまうわけにはいきません。最後の方は我ながらぐちゃぐちゃな英語をしゃべっていた気がしま須賀、渋滞の中でもなんとか居眠りせずに(笑)、午後10時ごろに宿の前で一日のお礼を述べることができました。また明日、サンクトペテルブルク市内でいろいろと見せてくださるものがあるということで、そちらも楽しみです。本当に丸一日ありがとうございました。
部屋に戻り、わき目も振らずにベッドにダイブしたのは言うまでもない。