かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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トルコ・キプロス新婚旅行八日目・キプロスからカッパドキアへ

旅から旅の移動日

北キプロスを「出国」

早寝は早起きに帰結します。たっぷり寝て7時ごろ目覚め、8時にチェックアウト。昨晩フロントにお願いしていたタクシーで港に向かいます。15分には港に着き、乗船カウンターへ。ここでは、34TLというナメた出国税を払わされました。
お次は出国手続です。ここでも別紙を差し出し、そちらに出国スタンプを押してもらいます。ちなみに言えば、北キプロスという「国家」の出入国スタンプを押されるのは、今回の行き来に関してはこれが最後なわけで、ここで別紙自体を没収されはしないかという心配もあったので須賀、そんなことないよー!そんなことはありませんでした。これで出国手続きは終えたはずで須賀、なぜかその後にももう一回、パスポートのチェックを受けました。一般的には「入国審査より出国審査の方が簡単」なんて言いま須賀、これはどうしたことでしょうか。朝食用のサンドイッチを買って、船に乗り込みます。

さよなら、キプロス島

船は9時半ごろ出航。趣味(笑)的な意味でも、リゾート的な意味でも楽しませてくれたキプロス島に、客室の窓から別れを告げます。

沖合に進むにつれて、揺れが非常に強くなってきました。左右にというよりは上下に揺さぶられるような感じです。波が高いのでしょうか。私は、酒はもちろん乗り物にも酔ったことがないのを誇りとして生きてきた人間なので須賀、さすがにこれは若干気持ち悪かったので、読書は控えて大体寝ていました。

畑と海沿いを縫うように

船がトルコはタシュジュに戻ってきたのは、正午ごろ。ところが、船が着いたはいいものの、トルコへの入国手続きの準備が全くできておらず、審査が始まるのに結構時間がかかりました。そして入国審査。なぜか私だけ入念なチェックを受けた上で、入れてもらうことができました。
さあ、これでこの旅のスケジュール上の最大の難関だったろうキプロス島渡航を無事に終えることができました。ざっくり言ってしまえば、あとはカッパドキアに行ってイスタンブールに戻るだけです。今日は、カッパドキアに近づけるだけ近づこう。そりゃあ着ければベストだけど、さすがにそこまでは難しいだろうから、道中の都市*1で1泊することは覚悟しておこう。そんな腹積もりで、この日は一日、移動に充てることにしました。
まずはタシュジュから、より大きなスィリフケに向かいます。うまく12時半のバスに乗り込むことができました。行きはずっと海沿いを走ってきましたが、今度はエメラルドグリーンの海が見えたと思ったら畑の中を周ったりと、のんびり目的地に向かっているようです。

「今すぐ乗れ」

とはいえ、午後1時前にはスィリフケのオトガルに到着します。さて、ここからです。前述のとおり、ここから目的地のカッパドキアに向かう場合に主な経由地になりそうなのは、地中海沿いでシリア国境にも近いアダナと、内陸のコンヤです。ちょうどこの4都市を結ぶと正方形のような形になり、現在地と目的地が対角線を結ぶ格好になっていますので、恐らくどっち経由でもいいといえばどっち経由でもいい。ただ、「暑いのは嫌だよね」という理由で、どっちでもよさそうならコンヤに立ち寄るつもりでした。
ただまあ、目標は高く持つに越したことはないというわけで、客引きのおじさんが来るたびに、「カッパドキアに行きたい」と吹聴して回ります。その際のおじさんたちの渋い表情や、大手バス会社「メトロ」のカウンターに相談した感覚などからして、「今夜はコンヤで1泊かしら」なんて話をしていたら、先ほど声をかけてきたおじさんがまたやってきて「アダナ経由で行け、今すぐ乗れ」と言い迫ります。とりあえずそのバスの近くまで行きながらも、ここで冒険をして妙な時間や場所に放り出されたら厭だなあなんて逡巡していたら、その様子を見かねたのか、乗客の男性の一人が間に入ってきて、「このバスに乗れば、今日中にカッパドキアに着ける」と請け合ってくれたので、それならと言われるがままに乗り込んだのでした。
このバスはまさに1時発。チケットを買う余裕はもちろんなかったので、車内で20TL支払います。ガイドブックで得た程度の知識で判断するより、そこに生き、行き来している人たちの感覚を信じた方が、よりいい結果を得るのではないか。大阪から東京に車で移動するなら、中央道でなく東名を使うのが一般的でしょう。でもそういうことは、来たばかりの外国人にはなかなか感覚的に分かりません。恐らく中央道の方が涼しいんでしょうけどね。
それを、また海沿いの暑い(だろう)町に向かう言い訳にしました。

アダナ名物・赤カブジュース


車窓からはまたこんな景色が。沖合の小さな島に建てられた「乙女の城」も見えました。
午後4時ごろ、アダナに到着します。人口150万人を超える大都市で、オトガルにもたくさんの店が並んでいます。ここでも、まずすべきはカッパドキア行きのバスの確保。さっきと同様「カッパドキア」と連呼して押さえたのが午後7時発で、欲を言えばもっと早く出るバスがよかったので須賀、今晩中に着けそうというだけでも喜ぶべきですよね。
ここで細君。「ちょっと街に出ない?」
中心部まではバスで5キロほど。リスクを考えれば控えるべき判断だったと思いま須賀、バス会社の無料送迎バス(セルヴィス)もあると聞き、勢いで乗り込んでしまいました。降り立った中心部はこんな感じ。

都会ですねえ。散策していると、アダナ名物という赤カブジュース「シャルガム・スユ」の売り場に遭遇。

1杯いただきましたが、暑さでへばっていた消化器が活力を取り戻すような、(見た目に反して)すっきりとした飲み物でした。私はとても気に入ったので須賀、細君はそうでもなかったようです。

出会った瞬間「さらばじゃ!」

そこからメルケズ・ジャーミィを遠目に見るあたりまで行って、もと来た道を引き返します。

この道中、大人子供問わず実に多くの人が、日本語で私達に話しかけてきました。すれ違いざまにいきなり「こんにちは!」「さらばじゃ!」「名前は?」「いち、に、さん、し、ご…*2」などなど…。それらの挨拶をしながら合掌のポーズを取る人もいました。10歳くらいの男の子は、自分のこめかみあたりを引っ張って目を細めた後に、親指を立てた「Good!!」の仕草をしてくれましたが、一体どういう意味なのでしょうか。
もちろん、私はここで話しかけてきた誰に対しても、自分が日本から来たなんて話はしていません。もちろん日本語で話をしながら歩いてはいましたが、それでも、街を歩いていて「中国人?韓国人?日本人?」と聞かれたイランとは大いに様子が違うことは間違いないでしょう*3。彼らの日本語の語彙や合掌の仕草からして、何らかのメディアコンテンツの影響があるのではないかという気がしているので須賀、それが何にせよ、日本ないし日本人、日本文化のこのプレゼンスの大きさには驚かされました。こういう様子を見ると、両者のためになることを何か考えられないのかという気になります。

セルヴィスにやきもき

5時半過ぎにもと来たあたりに戻ってきます。ちゃんと戻れるなら有料の市内バスでもよかったので須賀、声をかけてきたバス会社の男性が、私達が利用できるセルヴィスのカウンターに案内してくれました。しかしなかなかバスが来ません。最初は6時なんて言っていた気がしたので須賀、時計の針は一直線を崩してどんどん回っていきます。私達は、ここではなくオトガルを7時に出ねばなりません。カウンターに尋ねると「6時半には来る」。そもそも昼食はまともに摂らなかったので、夕飯はどこかでしっかり食べようと話していたので須賀、どうやらその計画も水泡に帰しそうです。この状況下で、細君は徐々にhungryがangryへと変化したらしく、食べ物を買うんだと言って荷物を置いて外に出てしまいました。この間、私達が騒ぐ様はそこにいた全員の注目の的だったようで、細君がいなくなるや否や「きょうだいなの?」などと質問を受けたので、上記のギャグを満を持して放ったので須賀、全くウケませんでした。

英会話より巨峰

細君は何ら食べ物を買わずに戻り、バスは半に来ます。こういうケースでは、これまで何の疑問もなく夫婦で隣に座ってきたので須賀、ここではさっき話したお兄さんが私に向けて手招きをしています。細君の隣にも、少し話したことのある若い女の子が座りました*4。お互いちょこちょこ話はするので須賀、私の場合、どうしても相手の英語を聞き取ることへの不安感が頭をよぎり、会話に消極的になってしまいます。もしかしたら、人間としてはそのくらいがちょうどいいのかもしれませんが。そんな私を不憫に思ったのか、彼は持っていた小さな段ボールの箱から巨峰を一粒ちぎって、私にくれました。こんな甘い巨峰は食べたことがありませんでした。
オトガルに着いたのは出発予定時刻の15分前。そそくさと降りて売店ケバブを買い、手に持ったままバスに乗り込もうとしたので須賀…
スタッフのおじさん「食べてから乗れ」
私「ええっ」
車内であれだけ飲み食いさせてくれるのに、なんで持ち込みはダメなのか得心できませんが、そう言われてしまった以上は仕方ありません。入口の前でもくもく食べていると、さっき細君の隣に座っていた女の子が「もう出発するわよ」と私にいぶかしげな視線を注ぎます。結局ケバブは持ち込まれ、こっそり私の胃の中に入っていきました。

セミンさんとトウモロコシをかじる

バスは7時に出発。この旅で初めて、女性の添乗員さんと乗り合わせました。男性が蝶ネクタイを結ぶ代わりに彼女はスカーフをして、手際良く乗客のお守をしていました。
1時間ほどでサービスエリアに停車し、しばし休憩します。トイレから出て、近くのトウモロコシ屋台を眺めながら細君を待っていると、先ほどの女の子が現れ、ポッキーのようなお菓子を薦めてくれます。「ありがとう、細君を待っているんだ」と私。トウモロコシ屋台のお兄さんが、茹でたトウモロコシに白い粉をざっとかけているのを見て、「あれはラーメン二郎に入れるやつ塩かなあ?」なんてことを話していたあたりで、細君が戻ってきます。すると彼女は屋台のお兄さんにトウモロコシを3本注文して、私たち2人におごってくれました。3人でモフモフ食べていると、巨峰をくれたお兄さんも笑顔で寄ってきます。トウモロコシはあまりじっくりは茹でないのか、日本のそれとどこか食感が違いました。
彼女の名前はヤセミンと言って、カッパドキアの東にあるカイセリという町に友人を訪ねる道中なんだそうです。大学で法学を学んでいて―その点細君と話が合ったようで須賀―、ローマ法から教え込まれるので大変だ、と笑っていました。僕はよく知りませんが、日本の法学教育ではその辺はどういう位置づけなのでしょうか。発車の時間が迫っていたので深くは話せませんでしたが、細君が連絡先を交換することはできました。それだけでFacebookで繋がることができるというのは、確かに便利ですね。

キラカード炸裂!?

再び出発したバスは11時ごろ、カッパドキア界隈では大きな町であるネヴシェヒルに到着。外気の涼しさを感じながら、ミニバスに乗り換えます。ここの乗り換えでのトラブルというのもあると聞いていましたが、さっきの女性添乗員さんも同乗していたので安心です。ここで、ヤセミンさんとは手を振ってお別れします。
20分ほどでギョレメに着きます。ギョレメは奇岩の中にある「ザ・カッパドキア」とでも言うべき村です。これから宿を押さえるのは当然で須賀、ちょっとここを自分たちで回るのはしんどそうなので*5、できれば明日以降の周遊ツアーの予約もしたい。オトガルの近くの観光案内所にまだ人がいたので、これ幸いと「ツアーの予約ってできるの?」と聞いてみたので須賀、中にいたおじさんは「そういうことは全然稚内」との返事。「観光案内所だべ?ふざけろよ!」と捨て台詞を吐きたい気持ちをぐっと抑え、宿探しに移ります。
時間も時間、場所も場所。1軒目で断られて「これはしんどいかもなあ」と思った矢先、隣の宿のお兄さんが声を掛けてきます。聞けば、宿やツアーの斡旋もしているとのこと。特別悪条件とも感じませんでしたし、長旅の疲れもあり、万事休すといった感もあります。
そんなわけで。洞窟ホテルに泊まりたい。2種類の1日ツアーに参加したい。気球に乗りたい―。これらの入用な要望を1枚のキラカードですべて叶え*6、洞窟部屋にご案内。

残った気力で洗濯をして、1時半ごろに眠りにつきました。
北キプロスの港町・ギルネから、アナトリア内陸の一大観光地・カッパドキアまで。船で地中海を渡り、バスを3回乗り換えて、海を渡り山を越えて*7、もちろん多くの人の親切心に助けられながら1日で来ることができたというのは、この時というよりむしろ今、感慨深く感じられます。

*1:具体的には、地中海沿いのアダナか内陸のコンヤ

*2:日本語で数字を数えている

*3:私はペルシャ語トルコ語アラビア語を判別することはできません

*4:その規範がトルコでどのくらい通用するか知りませんが、イスラーム圏では夫婦などを除き、バスなどでは席替えをしてでも異性同士で座らないようにすることがあるそうです

*5:という細君の意見に乗って

*6:2人で計1138TL。ホテル代は別納

*7:山高帽の代わりにテンガロンハットと麦わら帽子でしたが