かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ヨーロッパ中毒奇行紀行九日目・帰国

上の記事が書かれたのは、約1年8か月前のことだそうです。

エピローグ―機内から成田へ

時差の関係もあってどこで区切るかは微妙なところで須賀、再び目を覚ました約5時間半後から日本時間で進めてまいります。これで最後!

酷過ぎるドリア

目が覚めたのは日本時間の13日午前8時半ごろ。大した時間寝ていなかったので須賀、意外と爽快な目覚めでした。その1時間後に来た朝食のドリアが信じられない味で、私は「珍味」「ゲテモノ」と言われるような類の食品を除いて*1、口に入れたものを不味いと思ったことはほとんどない幸せな人間なので須賀、このドリアは本当に不味かった。
そうこうしているうちに飛行機は成田空港に着陸。また帰ってきてしまいました。しかし着陸後に20分以上空港内をのろのろ運転(?)されると、結構いらつきますねw

ラスボス登場www

飛行機を出たのが11時。行列を作って帰国の手続きを済ませ、流れてくる荷物を取ってさっさとおうちに帰ろうじゃないか。ところがでもしかし、その前に、この旅行における最大の関門、言わばラスボス的存在が私たちを待ち受けていたのでした。

ワンちゃんがいますねwww
ワンちゃんとすれ違う時はさすがに緊張しましたが、私も友人も特に反応されることなく、無事にこの関門を通過することができました。まぁこの状況に出くわすことは当然ながら予期しておりまして、旅程の中でオランダを一番最初に持ってきた理由はここにあるのです。
ともかくこうして無事に帰国できたわけで須賀、私には一つどうしてもわからないことがあったので、税関の職員さんに思い切って尋ねてみました。
私「すみません、この犬は何ですか?」
税関職員「麻薬犬です」
(糸冬)

あとがき

いかがだったでしょうか? 本当に冗長で*2ご迷惑をおかけしました。筆をとってからここまで来るのに約20か月かかっていて、具体的な描写が少ない部分も、論旨不明瞭な部分も、その悪い部分が出たなあとひとえに反省しております。前回中国旅行記の最後で「ただの名所案内と足跡紹介に堕するのではない、自分の物語を紡がなければならない」とのたまっていた私で須賀、どうやらこの文章は「ただの名所案内と足跡紹介」以上のものではなさそうです。
帳尻だけ合わせるために一つ言うなら、この旅行記で一番多用された概念は「ステレオタイプ」だったと思います。この問題は海外旅行をすれば必ず、いや、自分の町に引きこもっていてもどこかで必ず直面するものなので須賀、じゃあステレオタイプという言葉で表現したかったものは何なのか。本編中では「ステレオタイプだ」と指摘するだけでその先まで頭が行っていなかったので、その部分を補足しながらお別れしたいと思います。
恐らく二つの用法があったと思います。一つ目は「自分が旅先の人々やものごとをステレオタイプで見てしまっている」。これはありがちな反省で、猿でもできると言ってしまえばそこまでなので須賀、無意識的に「経済的な」思考をしがちなわれわれ人間にとって、侮りがたいものでもあります。丸山真男*3は「思想のあり方について」*4という文章の中で、ステレオタイプという言葉そのものには言及しないものの*5、「われわれを取り巻く環境がますます複雑になり、ますます多様になり、ますます世界的な拡がりをもってくるということになると、イメージと現実がどこまでくい違っているか、どこまで合っているかということを、われわれが自分で感覚的に確かめることができない」、「大きなイメージになればなるほど」そのズレを「確かめる機会も時間も手段も与えられていない」、そして「(イメージの積み重ねによる)イリュージョンの方が現実よりも一層リアルな意味を持つという逆説的な事態が起るのではないか」と述べています。これに依拠して考えれば、日本のメディア状況の中で観光地として「大きなイメージ」を持つ国々を訪れたからこそ、その場所場所に対してステレオタイプで臨んでしまったいう言い方ができるかもしれません。この仮説は、この問題が旅行記の前半に多く現れたこととも通じます、か? またその一方で、結局はその対象への無知、究極的にいえば意識の低さが、ステレオタイプという現象を生むことは事実でしょう。
もうひとつは、「自分は相手にステレオタイプで見られている」。これは自意識と密接にかかわっていて、「自分は今「外人」*6と見られている」と思うからそう感じるわけです。しかも、例えばリスボンのクラブで、ポルトガル人にカンフーの真似をされて「うーん、違うんだけどなあ」となるのは、私が自分のことを「東洋人」ではなく「日本人」だと思っているから*7ですよね。このある種自意識過剰的な問題と、一つ目の(対象への)無意識(かつ、イメージの)過剰的な問題*8が、私の胸を去来していた、ことにしてください。
ここで丸山に戻ってみましょう。同じ文章の中で「どういうふうに、人々のイメージを合成していくか」が重要だとしています。それはさっきの例で言えば、「日本人の多くはカンフーしないよ」と教えてあげることでしょうし、パリのホステルで会ったオーストラリア人のきれいな英語の発音を聞くことでしょう。本当にベタな話で須賀、そういう人と人とのふれあいこそが、ステレオタイプに毒され、結果対象を見誤ってしまうことを避ける最善の策だと思います。
でも、あえて言えば、一方でステレオタイプってそんなに害悪だらけのものでもないような気がするんです。ステレオタイプは、この情報化社会において「聞いたことはあるが触ったことはない」多くの人・物・ことに対して、少なくとも自分を納得させることができる一つの答えを与えてくれます。何より楽ですw もちろんそのステレオタイプと現実との齟齬を踏みつぶしてしまうことが、お互いにとって不幸な結果を招く反面、逆にその齟齬を楽しむことこそが、他者と接する醍醐味でもあるわけです。そしてそれが、私が海外に行く最大の理由なんだと思います。
次の旅も人とのふれあいを大切にして、自分のステレオタイプを叩き割られるような「へえ〜」体験を重ねていけたらいいな、と思います。よし、ここに着地だwwww
またまた最後になりますが、同行してくれた友人、そしてここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
2009年9月3日 午前2時、「Coffee Shops Of Amsterdam」というポスターがでかでかと貼られた自宅自室にて。

*1:そもそもほとんど食べたことがない。あえて言うならポンテギくらいです

*2:書いた人間が読み返すのに1時間近くかかりましたw

*3:最近こればっかりww

*4:『日本の思想』所収

*5:確かw

*6:「外国人」ではなく「外部の人」

*7:彼の認識が「東洋人=カンフー」なのか「日本人=カンフー」なのか、はたまた「私たち=中国人=カンフー」なのかは定かではありませんが

*8:苦しい?ww