かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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路線バスで巡る韓国・済州島with2歳児〜一日目・済州市内観光

0日目まで

ちょっと休暇を

8月17〜20日の4日間、家族で韓国は済州島(チェジュ島)に行ってまいりました。
そもそもと言えば「参院選も終わったし、細君の休み中にちょっと打ち上げをしようよ」的な感覚で、せっかくなら国外に逃げようかというレベルの話でしかなかったので、これまでと同じ土俵でどこに行ってどうしたなどと書くのも気が引けたので須賀、まあ家族の記録という意味でも、一応何らかのものは書き残しておこうと思い、パソコンに向かうことにしました。そんな調子だったので、行き先も多少の紆余曲折がありました。できれば涼しいところにという共通了解もあり、細君がウラジオストク、私がサハリンを推した経過もあったので須賀、お互いピンと来なかったということなのでしょうか、結局「韓国のハワイ」とも呼ばれる南の島*1を目指すことになったのでした。
今回も、細君と長男(2歳2カ月)の3人で出掛けます。いつもと変わった点としては、一眼レフのカメラを持っていかず、iPhone6で代用したということくらいでしょうか。ですのでここに載せる写真も、全てiPhoneで撮ったものです。一眼レフは持ち歩くのに不便だというのが表向きの理由ではありましたが、もともと写真は撮るのも撮られるのも苦手で、そこまでの愛着やこだわりはなかった、というのが実情に近いのかもしれません。

0日目

いつものように仕事をして、日付の回る前くらいに帰宅。毎度ながら浅い眠りにつきました。

済州市内で街歩き

早速タクシー(笑)

家族で早起きして空港へ。長男は、お気に入りの電車に乗れて朝からご満悦です。済州島済州国際空港に降り立ったのは午後1時前。

トルハルバン(済州島の守り神)がお出迎えです。2泊お世話になるBest Western Jeju Hotel - Jeju Island, Koreaのある新済州(済州市の新市街)まではそう遠くないはずなので須賀、細君が強硬に主張したためここはタクシーに乗ることに。大丈夫です、ちゃんと路線バスには乗りますから(笑)
私が海外でタクシーに乗りたくないのは、バンコクにいたような悪意のあるドライバーに引っ掛かるリスクが高く、また運悪くそういうのに遭遇してしまった場合、見ず知らずの土地で言葉も十分に伝わらない相手に対してできることはかなり限られているからなので須賀、今度の運転手さんは人のよさそうなおじさんで、長男をあやしてくれさえしました。料金は4700ウォン。メーターを立てて、相場通りの値段でした(当たり前か)。

済州島人発祥の地

スタバも併設されているホテルにチェックインしたのが1時45分ごろ。荷物を置いてオンドル部屋でちょっと休憩したら、市内観光に出かけましょう。


宿近くの銀行で両替*2してからバス停へ。来たバスの運転手さんに、最初の目的地である三姓穴に行くか確かめた上で乗車しました。まあ、こここそタクシーに乗らざるを得ないかと待っていたら先にバスが来たので、聞いてみたら目的地まで行くと言われた、という方が実情に近いんですけどねw
ちなみにこの時はちゃんと理解できていなかったので須賀、済州島のバス停には「○○方面を通る△番のバスが□分後に来る」というのを表示する電光掲示板があって、その情報をしっかり活用できれば割と簡単に乗りこなせます。市内バスは一律1200ウォンとお手頃です。
バスは今来た空港を経由して*3北東へ。「光陽」なるバス停で降りたのが3時半ごろでした。このバスは確かに旧済州(旧市街)を通り、三姓穴方面に向かう路線だったので須賀、直接「三姓穴バス停」に停まるわけではなかったらしく*4、ちょっと乗り過ごすような形になってしまいました。



路地にある商店街をちょっと右往左往しつつ、入口を発見。

この三姓穴というのは、済州島の人々の祖先という3人の神人が生まれた場所とされており、「済州道の人々の伝説的な発祥地」と紹介されています。その意味では、済州島観光のスタート地点として相応しいのかもしれません。ちなみにその3人(?)は狩猟生活を送っていたところ、東にある碧浪国から3人の姫が五穀の種と家畜を持ってやってきたといい、それぞれが結婚して生まれた子孫たちが農耕を営み始めた、とされています。学者によっては、この「碧浪国」が日本にあったとの説を唱える人もいるそうです。
さてさて、早速入場しましょう。

右側に映り込んでいるのは長男の後姿なので須賀、彼は恐らく三姓穴に向かって頭を垂れているわけではありません。この旅行で初めて気づいたので須賀、写真に写ってやるまいとわざと撮影者に背を向けているのです。あと、そっぽを向かずともわざと目を瞑ったりもします。私が一時期、特に写真を撮られるのが嫌だったのは、自分ですらあまり見たいとは思えない自分の容姿を切り取って保存されるのが苦痛だったからに他ならないので須賀、彼の場合はどうやらそうした過剰な自意識の作用ではなさそうで、親の意向に背くことでふざけて遊んでいるような感じです。とても楽しそうにそっぽを向くのでむしろそっちの方が面白いくらいです。

朝鮮「始祖神話」における林のイメージ

…話が逸れてしまいましたね。敷地内はちょっとした林のようになっています。

こういう林の中から始祖が生まれてくるという話は、どこかで聞いたことがありますね。新羅王の祖が生まれたという慶州の鶏林も似たような雰囲気の場所でした。ここから先は想像で須賀、北朝鮮の2代目が白頭山密営*5で生まれたという「神話」も、もしかしたら創作段階でこうした故事を踏まえたのかもしれません*6し、その点がどうであれ、朝鮮半島の人々の林に対する無意識的なイメージが創作ないしは流布に作用している可能性は十分あると思います。
そしてこちらが、そのものズバリの三姓穴です。

立ち入れるギリギリのところからiPhoneを掲げても、一番底の部分はうまく撮影できませんでした。何かびっくりするようなものが置かれていたりはしなさそうですけれども、人々にとって不可知(視)な部分があるということは、そこに神秘性を纏わせるのにプラスに働くのだろうとは想像しました。
この場所自体もちょっとした公園のようになっており、長男も楽しそうに歩きまわっていましたが、彼として真に遊びたいのはこういう公園でしょう。

ここはたまたま通りかかっただけの場所なので須賀、長男が興味を示したのでしばらく遊んでいました。親の興味だけで連れ回す免罪符のようなものです。この後も、保育園やら公園やらでこの種の遊具にはよく出くわしました。

「藤田監督を知らない?あなたたち、本当に日本人?」

そこから、旧済州の中心部にある島内最古の建造物・観徳亭を目指します。せこいショートカットをしようとして細い路地に入りこもうとすると、背の高い中年くらいの男性が声を掛けてきます。「どこへ行くんですか?」という英語だったでしょうか。私が「観徳亭」と間違った発音の韓国語で返答すると、こっちですよと案内してくれます。
おじさん「Where are you from?」
私達「Japan」
おじさん「えっ、じゃあ日本語で話してくれればいいじゃないですか。中国から来た人なのかと思いましたよ」
おじさんの口から急に流暢な日本語が出できて驚く私達。おじさんは続けます。
「私も10年くらい日本に住んでいたんですよ。観徳亭の近くまで一緒に行きましょう。子供はだっこしてあげますよ」
会ったばかりの男性に抱きあげられた長男はちょっとびっくりした様子でしたが、おじさんは構わず道案内をしながら話し続けます。
「10年前くらいまでは日本人が多かったんですけどね。最近は中国人ばっかりで」
「私の親戚が東京の△駅の☆という焼肉屋をやっていてね、在日韓国人なんですけど。それで自分も板前の修業をしていたんですよ」
「こっちにいると日本語を使う機会がなくて。今でもどうしてこんなに下手な日本語しか出てこないんだろうって、悔しくなりますよ」
「日本にいた時、神宮球場に巨人戦を見に行って、原辰徳のホームランボールが自分の席の間近まで来たんですよね、あれには感動したね。長嶋茂雄の前の監督の時だったな。誰だか知らないの?あなたたち、本当に日本人?」
私「僕はタイガースファンなので知りません」
一方的に話し続けられたわけではありませんが、久々の日本語での会話を楽しんでいるんだなということがよく伝わってきます(笑)

一大リゾート地の負の歴史

彼の話の中にもありましたが、いわゆる在日コリアンの中で、この済州島にルーツを持つ人は多いとされています。以下、全てWikipedia先生に依拠しま須賀、2010年の本籍地別構成では、「済州特別自治道」は慶尚南道(153000人)、慶尚北道(113000人)に続く約89000人で、全体の15.6%を占めています。慶尚南道慶尚北道の人口が320万人、270万人前後であるのに対し、「済州特別自治道」は約55万人*7に過ぎず、その割合は特筆すべきものです。そこにはこの島の悲しい歴史が関係しているとされています。南北朝鮮の成立期、韓国(南朝鮮)が共産主義者の粛清などを名目に、島民の5人に1人にあたる約6万人を虐殺する事態が起こっており(「済州島四・三事件」)、その被害に遭うことを恐れて日本に逃げた人たちが多くいるのだそうです。しかも、済州島は朝鮮王朝時代に流刑地でもあったことから、在日コリアンの中でも「罪人の子孫」などといういわれなき差別を受けることもあるのだとか。今ではリゾート地の印象が強い済州島で須賀、人々が辿ってきた歴史は濃い陰翳を帯びています。

済州市民の台所

おじさんとは観徳亭の向かいで握手して別れ、ちょこっと見学します。

1448年に兵士の訓練のために建てられたのだそうです。隣接地には復元された済州牧官衙がありま須賀、時計を見ればもう5時。割愛させていただきました。ここから中心街を東に歩きます。

北側には海が望めます。

並行する通りには新しい店が。



一方こちらは、「ミレニアムタワー」と地下街です。観光名所が点在する旧済州も、商業的には苦戦を強いられているということなのでしょうか。
しばらく歩くと、港へと続く山地川が見えてきます。

その上流側に広がるのが「済州市民の台所」東門市場です。


柑橘類や土産物、



魚介類を売る店がズラリ。魚屋に併設された刺身食堂もあったので須賀、まだ長男には刺身を食べさせていないので屋台料理のお店に。

まあこれだと済州島らしさはほぼ感じられませんが、妻子ともに韓国で初めての食事だったのでこのくらいからでよかったのではないでしょうか。もちろんおいしかったですよ。8500ウォン也。期せずして安上がりな夕飯にもなりました。

熟睡する長男を抱えて

それからお土産やちょっとした日用品などを買って、市場前のバス停へ向かいます。

沖縄本島より西にありながら時差はないので、午後7時を過ぎてもこの明るさです。
バス停に着いて、電光掲示板を眺めながら「どのバスに乗ればいいのかな?」なんてやっていると、地元の人であろうおばあちゃんが「新済州は100番よ」と教えてくれます。それくらいならなんとか聞き取れたのでお礼を言うと、韓国語が通じると思ったのか、いろいろと話しかけてくれます。
おばあちゃん「その子は何歳なの?」
私「2歳です」
おばあちゃん「3歳かと思ったわ。どこから来たの」
私「日本です」
続けておばあちゃんは「日本から済州島に来るのは云々」というようなことを言っていましたが、恥ずかしながら私のリスニング能力でついていけるのはこの辺りまで。それを察したおばあちゃんは、私達に話しかけてきた別のおばちゃんを「あの人たちは日本人だから韓国語は分からないよ」と制したりもしていました。
バスは、今度は市外バスターミナルを経由して新済州へ。ただ宿の前には停まってくれなかったので、熟睡中の長男を抱いてしばらく歩いて帰りました。


他の場所でも1〜2度見かけましたが、大紀元時報が無料で配られています。調べたところによると、大紀元時報は在外中国人向けの新聞で、法輪功迫害問題などで中国共産党に対してかなり批判的な論調を貫いているのだとか。それを(日頃は中国共産党の影響下にあるメディアに触れている)中国人観光客が多い済州島に置く、というのはなかなか攻撃的な名案(笑)ですね。
宿には8時半前に着。何だかんだいって、初日から歩きまわりましたね。長男のシャワーは明朝に回して、今日は寝ることにしましょう。

*1:といっても緯度的には福岡と同じくらいです

*2:1円→10.77ウォンというレートでした

*3:ほら、タクシーに乗らなくても行けたじゃん

*4:厳密に言うと、そもそもそんなバス停があるのかは分かりませんでした

*5:もちろん山林の中

*6:さらに余談で須賀、この三姓穴は韓国最南端・済州島にある韓国最高峰・漢拏山の麓にあります。そのため、日本で言うところの「北海道から沖縄まで」に対応する表現として「白頭山から漢拏山まで」という言い回しは存在するそうで、こじつけ臭くもありま須賀、白頭山と漢拏山がある種の対応関係にあるとは言い得るかもしれません

*7:いずれも00年代