0日目まで
なんでまたイランに?
今年の夏休みはちょっと趣向を変えて、中東はイランに出かけて来ました。これまで朝鮮半島や中国など、いわゆる「特定アジア」*1を巡ってきた中で、今回「なんでイランなの?」という質問も何度かいただきました。まずはそれに答えながら、旅行記に入っていきたいと思います。
- 趣向を変えてみたかったから
何だよそれ、そのまんまじゃないか。
昨年末に台湾を訪れたことで、東北アジアと呼べそうな国・地域はごく一通りは訪ねたことになりました。じゃあ今度はちょっと違う雰囲気を求めてみよう。行ったことのないイスラーム圏なんてどうだろうか。しかもこの時期はちょうど(?)ラマダン。せっかくなら同じイスラーム圏の国でも、よりイスラーム色の強いところが面白そうだ…となると「復活」してきたのが、イランという国名でありました。
「復活」とはどういうことか。過去の記事を暇つぶしに検索されるとお分かりになる部分もあろうかと思いま須賀、実は昨年の夏休み*2にも、トルコと合わせてイランに行くことを検討していました。しかし去年の休みはいわゆるシルバーウィークと重複し、航空券代が素晴らしいことになりつつあったことなどから、これを断念していたのです。そんな経緯を経ての今年の夏休み。あれから僕たちは何かを信じてこれたかなもう一回韓国に行って韓国各地や竹島を訪ねてきた。台湾でも遊んで来た。じゃあ今度こそイランだろうと、そんな機運が勝手に高まりつつあったのでした。
- 美しい場所と聞いていたから
「エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン」。多分この言葉は、この旅行記で何度も繰り返されることになるでしょう。16〜17世紀に栄えたサファヴィー朝の都・エスファハーン*3を褒め称えて言った言葉で、意味は「エスファハーンは世界の半分」。もともとそんなに視覚的な美しさを求めて海外に出かけていたわけでもないので須賀、世界の半分とまで言われたら是非とも見てみたい気がしたのです。
もう一つ、これは残念な話から入るので須賀、2007年の10月にイラン南東部のバム周辺で、日本人大学生が誘拐されるという事件が起きました。当時私もまだ大学生で、学内の学生のたまり場のような部屋でその部屋の住人とあれこれ話していたので須賀、その中で彼の口から出た「イランはバムをはじめとしてとても美しいところだ」という言葉が、なぜだかとても印象に残っていたのでした。
- Twitterが使えるか試してみたかったから
2010年の日本で、テレビや新聞が「イラン」という時の専らの話題は、イランと核技術を巡る問題であり、あるいは(というよりは即ち)イランとアメリカ、イスラエルの関係を巡る問題でしょう。しかも聞くところによると、イランの大統領のアフマディネジャドという人は、憎っくきイスラエルを「地上から消す」と発言したことがあるとかない*4とか。となると俄然血が騒ぎますよねwww 昨年行われた大統領選を巡る混乱では、反アフマディネジャドの立場をとった人たちがTwitterを活用して抗議活動を展開し、日本においてはそれがTwitterへの注目を集める一因ともなりました。じゃあいっちょイランに行って来て、Twitterで「アフマディネジャドなう」って呟いてこようか。これは冗談ながら、私の場合あながち冗談にとどまりませんw
- 「悪の枢軸」だから
出発前に、イランはどこにあるのかと聞かれたことがありました。その時私が答えたのは、「アフガニスタンとイラクの間です」。イランと接している国は結構ありながら、あえてこの二つの国を挙げたのはまさにあえてなわけで須賀、それは一方で、日本社会に身を置く人たちがイランという国に持つイメージとそう遠くはないのではないかと感じてきたからでもありました。さっき挙げたようにアメリカやイスラエルなどとの問題を抱え…っていうかそもそもイランは、イラク、北朝鮮という日本ではある意味「おなじみ」のメンツと並んで、当時のブッシュ大統領に「悪の枢軸」と名指しされた国であります。そして「イランに行く」という話を友人*5知人にするにつけ、やはり中東という地域全体が、危険というイメージに支配されている場合があることを実感せざるを得ませんでした。「え、イランに行くの? 大丈夫?」「戦場に行くの?」
何だか危なそうな国、イラン。そんなイメージが広がっているなら、むしろ私のようなへっぽこ旅行者が行って帰ってくることで、その独り歩きしている部分に抗うことはできないだろうか。別にイランを庇うような言われはそもそも私にはないので須賀、本当に私の周りの人々がイメージするような危なそうな場所なのか、行って確かめて来よう。上の項目ともかぶりま須賀、そんな思いが私のイランへの思いを補強していったのでした。
…長々となってしまいましたが、まあこんなところでしょうか。
同行者
今回は一人旅です。ある友人と一緒に海外に行けるよう話はしていたので須賀、先方の仕事の都合などもあり1人で出かけることと相成りました。
持ち物
衣類、常備薬(腰の痛み止め)、ビザ発行用などの資料、本3冊、ガイドブック、洗面道具、カメラ、ノート、食糧*6
ビザ
出発前の日記でギャーギャー言ってるビザの件について、最低限の整理を。
今回カタール航空でのイラン訪問を予定しており、トランジットの時間を利用してカタール国内もちょっくら覗いてこようと考えていました。イラン、カタール。この2国を訪れるためにはビザが必要で、事前にガイドブックなどから得た情報によると、両国とも到着時に空港で取得できる、となっていました。ところがどっこい、念のため出発する週の頭に両国大使館に電話してみると、「空港でイランビザを取得するためには、7〜10日かかるインターネット上の手続きが必要になった」とのこと。そんなわけで、「テヘランに着くまでに手続きが間に合うのか」だとか、「そもそも本当にこれがないと入国できないのか」とか、そんな騒動をソワソワしながらしていたところでありました。その辺の経緯は、こことかこっちとかにあります。まぁ前置きはこの辺にして、本編の方に入っていきましょう…
中東へのロングフライト
イスラエルへの渡航歴は?
フライトはこの日の夜です。なので朝は割とゆっくり起きて、落ち着いて出発準備をすることができました。空港では搭乗するカタール航空のカウンターでチェックイン。荷物の重量制限だ何だで激モメしている利用客を横目に、すんなり手続きを済ませることができました。
カウンターの女性「テヘランまでですね。ビザは空港ですか?」
私「そのつもりです」
女性「イスラエルの渡航歴はないですよね?」
私「ないですないです(笑)」
ビザは空港で取る、という言葉が自然と出てくるあたり、入国することにそんなに心配はないのかなあとなんとなく息をつきます。こういうときはどんな些細なことでもプラスに感じられることはうれしく、マイナスに感じられることは心配の種になるものです。
雲の上からの旅情
それにしてもイスラエルのスタンプなんてあったら大統領に地上から消s(ry
乗り込んだ飛行機は、長時間の飛行とあってかなかなかのもの(に見えました)。国際線と言っても3〜4時間のフライトが普通だった私にとって、各座席にモニター画面がついている機体はある種のあこがれであります。映画だ何だといろいろいじった結果、肉じゃがローリングストーンズとかを聴きながら現在地地図を眺めることに。たまに画面が切り替わって、飛行機が飛んでいる方角と近くにある大都市との位置関係が表示されるので須賀、常に西の方角に表示される建物は恐らくメッカを表しているのでしょう。
日本列島を離れて済州島の南海上へ。上海、南京の上空を通った飛行機は、カルカッタ、カラチ、ドバイを抜けてカタールはドーハを目指します。何せ空の上からなので、当然その街並みが見えるわけではないので須賀、その上空を通るたびに行ったことのある場所ない場所に思いをはせ、空想を膨らませるというのはとても面白く、そして感慨深いことでもあります。機内食を食べたりうつらうつら眠ったりもしながら、ドーハ空港到着の時を待ちます。
日本とカタールには6時間の時差があります。現地時間の15日未明に着陸して以降のことは、15日分として紹介させていただきます。