かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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中国周遊記八日目・北京反日巡り!

8月15日、盧溝橋への道のり

ついに腸が悲鳴を…

この日の起床時間は…の前に一つ悲しいお知らせがあります。この日の未明、ついにお腹を壊しましたorz
午前3時45分頃、私は突き刺すような腹痛で目覚め、トイレに行こうとします。しかしこのユースホステルのトイレにはトイレットペーパーがないことに思い至り、ふと足を止めたのでした。こういう時(=うんこしたいけど紙がないとき)はどうしてたっけ…そうだ、Kくんが「入手した」トイレットペーパーのロールを借りてたんだ! と思い私の隣のベッドで昨晩が激しかったからか熟睡しているKくんに目をやるも、さすがにこの人を起こしてペーパーをもらうわけにはいきません。かといって考えている余裕もない…そんな私のとった策が「ギャッツビーのウェットタオルで代用する」だったのです。そのウェットタオルが拭くとスースーするタイプだったのでためらいはありましたが、背に腹はかえられない、ということでそれで用を足して参りました。案の定下してましたねorz 恐らく原因は北京駅前で買った氷水だと思います。硬水自体は一週間近く接してもなんともなかったわけですから… まぁなんか初っ端からあんまりキレイな話でなくて申し訳ないんで須賀、これはかなりのっぴきならない事態だったので記しておきます。用が済んだあとは再び就寝しました。

8月15日の北京に挙動不審な日本人

再び起きたのは8時45分でした。部屋のテレビが明らかに日本との戦争を扱った番組を流しているのにちょっとビビりながら支度をして、9時半に宿を出ます。とりあえず最寄の地下鉄東単駅まで行けばよかったので、というか実際駅に行くこと自体は難なくできたので須賀、この日に北京の街中を歩くということそのものに、少し恐怖を覚えました。街行く人たちの視線を気にしながら、かといって目が合ってはしまわないように、つまり極度にオドオドと歩いていたわけです。今考えれば、今文字にすればかなり滑稽で須賀、その時は本気でそうしていたことを今でも覚えています。
そして着いた駅前では、Kくんの発案で新聞を買いました。Kくんが人民日報、私がローカル紙と思しき北京日報(6角*1 )を購入。まぁこの買い分けは色々示唆するところがあって面白い*2で須賀(笑)、後々ここに一つ、Kくんの人民日報は8月13日付だったというオチが加わるわけですww
いつも通り3元払って地下鉄に乗った私達は、1号線の公主墳駅を目指します。この駅の周辺に用があったわけではなかったので須賀、今日の目的地、いや言わばこの旅行の目的地である盧溝橋―抗日戦争紀念館に行くためにはここで降り、ちょっと離れたところにある六里橋バスターミナルまで歩く必要がある、というのが私たちの見立てでした。確かに北京市街地にはバスルートが網の目のように張り巡らされていて、うまく乗り継げば歩かずに現地までたどり着くルートもあったのかもしれませんが、目的地が結構郊外にあったことも手伝ってか北京で買った地図の裏のバス路線図から適当なルートを見つけることができず、おとなしく諦めて2キロ弱歩くことにしたのでした。その際にはもちろん、複雑なバスの乗換えは乗り過ごしのリスクが大きいという判断もありましたが。そんなわけで、北京とはいえ真夏のコンクリの上を歩くことを覚悟して地下鉄を降りたのが10時15分ころでした。途中の軍事博物館駅で人がたくさん降りていったのにはちょっと焦りましたがw

寿司詰めのバスの中で罵声がwww

しかしここで朗報が一つありました。公主墳駅を出てから少し南に行ったところに、ありがたいことに六里橋を通るバスのバス停があったのです。これは乗るしかないということで嬉々としてバス停に並び、該当するバスを待ちます。そしてまさに寿司詰めといった状態のバスに何とか乗り込み…ってこれ、どこで金払うんだ? 私の見る限りでは周りの人たちも、お金を払う仕草など見せる素振りもありません、というよりこの車内でそんなことしてる物理的余裕もなさそうだ、と言った方が正確でしょうか。でも今はとにかく自分のスペースを確保しよう、みんな払ってないってことは降りるときに払うんだろうな…そう思うことにして、Kくんの位置も確かめながら乗り口の近くに立っていました。
するとバスの降り口辺りにいる車掌さんらしき若い男が、なにやら叫びはじめました。何事だろうと思ってそっちを向くと、あろうことか思いっきり目が合ってしまったではありませんかww しかも私が彼の中国語を全く理解していないばかりか、自分が怒鳴りつけられていることにすら気づいていないと分かるや否や、私を指差しまでして喚き続けます。しかし私は彼が何を言っているのか全く分からないわけで、本当に困った、という顔をして相手が何らかのジェスチャーを試みてくれる*3のを待つしかありませんでした。しかしそんな甘い話はないわけで、満員のバスの中で車掌さんに怒鳴られる、という状態は更に1分くらいは続きました。
とはいえ、いくらなんでもそのままでいるわけにはいきません。はたまたどうしようか、と思案に暮れている私の脳裏に、ある考えが浮かびました。バスの乗り口に近いこの場所に立っているからなのではないだろうか? どうしてそう思ったのかは今となっては分かりません。でも多分それは、時間の経過ゆえではないのだろうと思います。自分の目から見える彼の仕草やバス全体の様子、聞こえてくる理解不能な怒鳴り声…あるいは耳元でKくんが何か言ったのかもしれません。そのいずれであってもなくても、パニックとは言いませんが強い緊張状態にある私にその瞬間与えられたどの刺激がその判断を引き出したのかは、恐らくその直後であっても判然としなかったでしょう。まぁとにかくそう思ったってことですwww そこで私は、怒鳴り続ける彼の様子をしっかり窺いながら立ち位置を変える、という行動に出ました。それも初めは何の変化ももたらさなかったので須賀、また1分ほどでしょうか、経った後に彼はついに怒鳴るのをやめ、バスの中に再び平穏が戻ったのでした… こうして私は、六里橋バスターミナルまでのバスを金を払わずに利用することができたのでした。しっかし今考えると「怒鳴るのをやめる=要求が満たされる」という等式があの場で成り立っていたかどうかは分からないわけで、「無賃乗車を咎められた」と解釈する方が自然だろう、という見方は、それこそ周辺的でも状況証拠となりうるような当時の詳細な文脈を忘れつつある今だから陥ってしまった誤りと言うべきでしょう、多分ねw
六里橋ターミナルでバスを降りた私達は、次のバスに乗り継ぐ前に目の前にあったケンタッキーで食事をとることにしました。無難な感じのバーガーセットを21元で注文したのを記憶しています。んで食べ終わってからまたバスです。今度はちゃんと1元払って(藁)、無事「盧溝橋」と書かれた*4バス停で降りることができました。

反日旅行クライマックス!?

その一―抗日戦争紀念彫塑園

バスから降りるとすぐ、「中国人民抗日戦争紀念彫塑園」なる施設が見えてきました。もちろんこれが巷に言う「抗日戦争紀念館」ではないということは即座にわかったので須賀*5、まだ12時になったばかりだしせっかくだから見に行こう、ということで立ち寄ることにしました。ただまぁこういうところに入るってことは窓口でチケットを買わなきゃいけないってことなんですよねw ちょっと戦々恐々しながら入口に向かい、窓口のおばさんに恐る恐る入場料の15元を差し出すと…よかった、にこやかに対応してくれた。。何があろうと人と人とが笑って相対することができるというのは純粋によいことです。ちなみに入口近くにあった案内板には、英語はもちろんのこと日本語の案内もあり、更にはオープンしたての頃に訪れた日本の訪問団の写真も誇らしげに飾られていました。別に悪いといいたいわけではないです。
そうして中に入っては行ったものの、しばらくはほぼ無人であるということ以外何の変哲もない公園を歩き続けることになりました。この何にもなさはむしろ何の意図だろう、とか考えながら歩いていると、ありましたありました。

彫塑園というのはそういうことなんですね。この黒くて細長いモニュメントは、抗日戦争の中であるいは奮い立って戦い、あるいは日本軍の残虐行為によって虐げられた中国人民の姿をかたどったもの、ということらしく、下の部分には英語や日本語での解説もついています。

例えばこれは731部隊に関するモニュメントなので須賀、下の日本語の解説にはこう書いてあります。

魔窟731部隊
日本軍731部隊は凶暴にも生体解剖を行い、中国人を使って細菌戦やガス戦の実験を行った。

…内容に異議はないけど魔窟って表現はちょっとよくわからんですw
そんな感じのモニュメントがズラッと並び、そして中央には江沢民直筆と見られる記念碑があり…というのがこの彫塑園の見せ物といったところなのでしょうが、各モニュメントに書かれた説明の論調は気になりました。そこの数あるモニュメントの説明の論理として出てくるのは、概ね①侵略者である日本軍の不法性・残虐性、②それに対する人民一丸となった抵抗(≒共産党への支援)、③中華民族の優秀性、あたりだったので須賀、③の要素、つまり「黄河のほとりの優秀な中華民族…」みたいな物言いが妙に鼻につきました。どの国にもそういうことを言う人は一定以上いて、私はそういう人たちを心の奥底からバカだと思っているので須賀、やっぱりそういうロジックが入ってくるのかと思うと萎えますよね。主観を排除して言うなら、中央の記念碑が江沢民によって書かれていることからも分かるように、愛国主義を掲げた江沢民時代らしい公園だと言うことができるのではないでしょうか。
ちなみに、とか言いつつここが一番面白いところだと思うので須賀、途中で中国の国旗を掲げた一団が現れて、記念碑の前で何やら歌を歌って去っていきました。別に逃げも隠れもしなかったらもちろん何事もありませんでしたが、ロシアのスキンヘッド団とかナーシみたいな連中*6だったらヤバかったかもしれませんねw
とまぁそんな感じで1時頃にそこを出たんで須賀、出口を出たところにあった売店のおばさんが妙にフレンドリーな雰囲気でした。ペプシコーラ4元で買いました。

その二―盧溝橋

次の目的地は盧溝橋です。彫塑園にあった周辺地図が間違っていることを喝破したKくんの慧眼によって、すぐに盧溝橋へと着くことができました。

この盧溝橋にまつわる年号といえば、日本では圧倒的に1937年の盧溝橋事件なので須賀、この橋が出来たのは意外に古く、1192年のことだったそうです。こちらも日本人的には親しみのある年号ですね。この橋はかつて北京への入口として捉えられており、清代には乾隆帝直筆の石碑が建てられたりもしました。そういった経緯もあってか、日本の歴史を習ってきた私が驚いたことに、盧溝橋の見学エリアには日中戦争についての言及が全くないのです。入口入ってすぐのところに20世紀前半チックな大砲が並べられたりもしていて、これは日中戦争を示唆するものなのかとも思ったので須賀、するとなおさら奇妙なことにどこにも「日本」とは書いていない。こればかりはちょっと首をかしげざるを得ませんでした。
ちなみにこちらも人はまばらで、途中にツアー客らしきおじさんおばさんご一行が入ってくるまでは、そして彼らが来た後も概ね静かな雰囲気の公園でした。入場料は10元です。

その三―抗日戦争紀念館…にタダで入るw

そこからちょっと東へ戻り、本日の、いや、言うなればこの旅行のメインイベント、中国人民抗日戦争紀念館へと向かいます。盧溝橋から紀念館までは石畳のちょっとおしゃれな道を通って行くので須賀、この時はさすがにちょっと緊張していたように思いますね。彫塑園、盧溝橋と危なげなく見て回ってこれたというのは確かに安心材料ではあったでしょう。ただそれでも、以前この紀念館に行ったことのある友人から「念のためあそこで日本語を話すのはやめておいたほうがいい」というアドバイスを受けていた、という経緯もあってやはり緊張はするわけです。
だから館内では英語で話そう、なんて言い合いながら一つ身震いをして、紀念館の入口で入場料金を確かめました。25元。学生割引とかもありそうだけど日本の学生証を出すのは大丈夫なのかな…なんて思いながら、とりあえずお金を払う素振りをしてみようということで「多少銭?」と相変わらずの発音で聞いてみました。すると受付のおばさんはちょっと嫌そうな顔をして、何も言わずに入場券を二枚くれたではありませんか。これはラッキー、ではあるので須賀、なんでなんでしょうね? やっぱ8月15日だから?
こうして私達は、盧溝橋事件から70周年の年の終戦記念日*7に、「反日の本丸」と思しき(というより勝手にそう見立てた)博物館に入っていくのでした。

こっちは盛況

中に入るとやや薄暗い照明ゆえか、館内全体に緊張した空気が立ち込めているのがわかりました。そしてやはり人が多い。今思えば、この日の紀念館より人の多い博物館に行ったことは何度もありますし、むしろ私の経験で言えば「人が少ない」と思うほうが自然と言うべき人の入りだったように思います。奇しくもちょうど一年前のこの日、私は靖国神社遊就館にいたので須賀、人の数で言えばその時と比べるべくもありませんでした。しかしそれでも、さっきまでの彫塑園や盧溝橋で言わば「肩透かし」を喰らってきた身からすれば、親子連れやツアー客がうろつく館内は「盛況」と映ったのでしょうか。とは言え来てしまった以上はそんなことにビビッても仕方がないわけで、早速館内を見学することにしました。と、その前に、入口近くで見つけたこんなモノを激写してみましたw

「抗日戦争」として「研究」するためのお金を募っているようなんで須賀、その時点でもはや一定の価値判断からは逃れ切れていないわけで、これをマックス・ヴェーバー*8が見たらなんとコメントするんでしょうね?ww
まぁそんなこんなで1時半の入館から2時間ちょっとかけて、館内を一通り見終えることができました。え、お前メインだメインだと散々言っときながら「まぁそんなこんなで」とかで流すのかよ、というツッコミもありそうで須賀、各論としてここに包括的にその展示の内容を紹介することはしません。量として結構膨大なので、それをつらつら書き続けることは読んでくださる方々と私の両方にとって不幸な気がするのです。なのでこれについては「私の主観」という、言わば縦糸に対する横糸のような立場から思いっきり再編成してしゃべらせてもらおうと思っています(汗)

「抗日」よりも「正統化」?

まずは私が一番意外に感じ、かつ今からの話で一番大事だ、と私が思うことからです。一言で言えば、この抗日戦争紀念館の最大の目的は恐らく、侵略者である日本の不当性と残虐性の訴えではなく、むしろ「抗日」を通じた現在の中華人民共和国の枠組やあり方、そしてその歴史の正統化にあったのではないか、ということです。確かに台湾出兵からの日本の「侵略」の歴史が描かれ、南京大虐殺で命を落とした人のものと紹介されている頭蓋骨なんてものもキレイに飾られたりしているので須賀、その過程で「中国国内」のどんなアクターがどんな動きをしたか、ということがこれまた非常にしっかりと説明されているんですね。例えば「抗日」の一端を担ったはずの中国国民党については、「日本に対して妥協的な手ぬるい奴ら」という評価が常に付きまとっていましたし、一方で抗日史と言うよりは中国共産党史とでも言うべきような記述も多々ありました。また、さっきの台湾についても抗日一辺倒の「台湾抗日史」のみが描かれ、後藤新平という名前も当然の如く出てこない*9わけです。もっと言うなら、新彊やチベットといった地域のいわゆる少数民族が抗日戦争のために共産党に協力した、だとか、国外の華僑もそれに協力した、なんてこともしっかり扱われていて、まさに共産党の旗の下言わば「オール中国」で日本と戦った、という筋書きがこの紀念館を貫いているように私には見えて仕方がなかったのです。
もしその理解が的外れでなかったとするならば、この展示の目的は「中華人民共和国」という国家の枠組とその歴史の肯定であり、即ちそれは中国共産党が率い、またチベットなどの少数民族の分離独立の主張とその抑圧、そしてなにより台湾問題を抱えながらもそれを頑なに拒否する「中華人民共和国」という秩序の正統化だと言うことができるのでしょう。とするならば、紀念館の展示が中国語によってのみなされている*10ことにも頷けますよね。だってこの紀念館の主目的は、多くの外国人に日本の残虐性を示すことというよりは、自国人に共通「体験」*11としての抗日戦争史を示すことで、国家の同一性をアピールすることなんですから。というわけでそんなわけで、この博物館を貫く論理というものはその辺にあったんじゃないかと思っていたりするわけです。そういう意味では、当初抱いていた「反日の本丸」的な印象はやや外れていたと言わざるを得ないでしょう。

そしてこの色紙へ

あともう一つ、これも言わねばと思うので須賀、やはり見ていて目を背けたくなるような、そんな展示が多かったことは紛れもない事実です。前にも言ったかもしれませんが、私はその被害者が何人であろうと、南京において虐殺と言うべき事態が起こっていたというのは事実だと思っていますし、731部隊の凶行や慰安婦の問題、そしてそもそもの中国に対する日本の侵略行為など、言い逃れできない厳然たる事実が歴史にはありました。それを全てこの紀念館が忠実に再現していた、とも一方では思いませんし、「東京裁判は正義の裁判だ」と大書されるとちょっとそれは違うんじゃないかとも言いたくなります。しかしそれでも、紀念館の最後のフロアに飾られていたこの色紙の言葉に日中双方が立脚していく重要性を、私は否定することができません。

ボクらは弱小和民族!www

そんなことを考えながら一通り見終えたのが3時半過ぎ。最後のお土産コーナーの品揃えと、走り回るガキのうるささに閉口しながら紀念館の建物を出て、隣の小さな資料館のようなところにも足を延ばすことにしました。ここがどういう趣旨でメインの紀念館と区別されているのかがイマイチ判然としませんでしたが、明治維新を取り上げて「ここから弱小和民族の侵略と拡張が始まった」なんてことが平気で書いてあるのにはただただ驚きました。自分たちの民族的な優秀性がどうこうという議論が馬鹿げているという話は彫塑園のところでもしましたが、こういうのを見ちゃうとそれすらもかわいらしく思えてくるのが滑稽でもあり悲しくもあります。
ちなみにどうしてKくん投書しなかったの?せっかく投書箱があったのにww

平和な天安門広場

閉館の4時にはそちらからも出て、4時20分に来た前門行きのバス(3元)に乗り込みます。てか前門直通があったのかよw 前門のバスターミナルには一時間ほどで着き、近くの日本食ラーメン屋で夕食を食べることにしました。サラダ風涼麺とやさい天(こちらはKくんとシェア)で26元。味については日本のものとそこまで違うわけではないですかね。正直すごく美味しいとも思わなかったですけど。ただ店内舗装のいろは歌は間違ってましたw
夕食のあとはせっかくだからと天安門広場まで歩くことに。日本に勝った戦勝記念日だけに反日騒ぎとかないのかな、とちょっと不謹慎なことを考えながら歩いていくも、そこには何の変哲もない、平和な光景が広がっていたのでした。

とは言っても、毛沢東グッズ(15元)を必死に売りつけてきたおじさんに最後に日本人だと言ったら、ちょっと嫌な顔をされましたけどね。あと水を2元で買いました。

平和な(?)日本大使館

そこから最寄の天安門東駅に着いたのが6時20分。これで今日のスリリングな観光もおしまい、ということにしようかとも思ったので須賀、8月15日に北京で「反日巡り」とか言っておいて、反日騒ぎが起きている可能性が最も高いと思われるあの場所に行かない手はないだろう、ってことで宿のある東単駅の一個先、建国門駅まで地下鉄で向かったのでした。目指すはもちろん、日本大使館です。
建国門駅の北側の一角には外国の大使館が多く、時間も時間ということもあってかとても静かな街並みが広がっていました。そこでガイドブックにある大使館の住所を探しながら、フラフラとさまよいます。そして何やらいろんな国の国旗がはためくエリアに足を踏み入れては出る、を繰り返しているうちに、「何か面白そうなところを見つけたら入って行ってやろう」というなかなか始末に負えない*12心境になってきてしまったのでしたww
そこでお邪魔したのが、北京駐在の外交官の子女のためのものと思われる集合住宅です。出入り口には門があり、警備員も立っているというやや厳重な警備だったので須賀、その警備員に「入っていいか」と英語で聞いたらよいとのことだったので、何食わぬ顔で見物してきましたw そもそもそこが何なのか知らずに入ったので通り過ぎるくらいで向かいの出入り口から出たので須賀、向かいの警備員には不審そうな顔で見られてちょっとヒヤッとしました(汗
まぁそんなことをしながらも、7時頃には目的の日本大使館前に来ることができました。ただ時間を見ればおわかりのように、大使館はもちろん閉まっています。そしてそこでは高校生くらいの年の男の子が、閉まった門の前をうろうろと見回っていました。確かに言われてみれば、こうして日本大使館の前に来てみたはいいものの、反日デモめいたものがなかった以上、閉まっているわけだしすることがない(笑) 仕方がないので来た証拠に写真だけ撮って帰ろうと、カメラを取り出したその瞬間…
男の子「No,no」
これ以上ないというくらいの片言英語で阻止されたのでした。悔しかったので英語で文句言ってやりましたけどね、リアクションする気がないのかできないのか、彼はただただ笑っていたのでした。でもあの場面で彼に文句を言っても多分しょうがないんだよねorz

ネットカフェはどこですか?

最後がやや消化不良な感じでしたが、例のコンビニで水1.5元×2を買って8時前に宿に帰り着きました。宿ではKくんから毛沢東グッズを6元で購入した後、快適なネット環境を求めてネットカフェを探しに行きます。まぁ繁華街に行けばあるだろう的な楽観的な見方もあったので須賀、ちょっとフロントで聞いてみることにしました。
とはいえ中国語ができない私としては「ネットカフェとかどこにあるか知らない?」みたいなことを英語で尋ねるしかないので須賀、フロントのお姉さんには即座に「いきなり英語で話しかけるとか本当にやめてほしい」的な顔をされたので、諦めて他をあたろうとしました。すると近くにいたお姉さんが何事かとこちらに寄って来て、宿のすぐ向かいにあるよ、と教えてくれたのでした。私は宿のすぐ向かいに何の変哲もない喫茶店があることを知っていたので、ああそこでネットも使えるのか、と妙に感心して彼女に礼をいい、そちらに向かって歩いて行きました。
ホントに宿のすぐ向かい、目と鼻の先のようなところにあったのですぐ喫茶店の目の前まで行けるので須賀、やっぱこれどう見ても普通の喫茶店なんですよねww 中で聞くのもアホらしいくらいにコーヒー以外のものは扱っていなそうだったので、二人で首をかしげながら王府井の繁華街の方に足を向けることにしたのでした。今となっては普通の喫茶店を探していると勘違いされたのだと思いたいという気持ちも大きいので須賀、あれだけ「internet」を強調してそれは考えにくい気がするんですよね…まぁ小さな嘘でよかったということなんでしょうか?orz

王府井繁華街でネカフェ

そうして向かった王府井の繁華街は、広い歩行者天国に色とりどりのネオンの輝くメインストリートや、ネオンで飾られた大きな食堂の前に小さな屋台がズラッと並んでいる通り*13など、なかなか賑やかで、かつ面白いところでした。

しかしそういう賑やかなところであればあるほどネットカフェは探しにくくなるわけで、そんな中で見事それを発見した時のKくんは、間違いなくその日の瞬間最高視聴率を叩き出していましたw
そうしていざ案内板の方向に向かってはみたものの、なんか暗い廃ビルみたいな建物の地下にあるらしく、「外国では近寄ってはいけない場所」の教科書的な例を見せられたようで軽く焦りました。んで当のネットカフェなんですけど、ここにもちょっとびっくりしましたねww

「外国ではこれが標準」(Kくん談)とのことなんで須賀、日本のネットカフェですらなじみの薄い私としては、暗い部屋の中でみんながパソコンの画面にかじりついているというこの光景には、かなり驚かされました。とは言えなんたって実質一週間ぶりのネット環境ですからね、隣の奴が足元に痰を吐きまくっているのにも構わず、ひたすらインターネットに興じた一時間*14でありました。これでやっと一番上の書き込みをした時点まで来たわけですww
ちなみに周りの人たちの多くはネットゲームに興じている様子でした。

8月15日を無事に終える

9時半過ぎにネカフェを出て、繁華街でちょっとお土産を買って宿に帰りました。お土産には明らかに女性向けっぽい小物入れを4つ買った(10元×4)ので須賀、レジで渡すべき買い物リストを売り場で客に書いている*15女性の店員さんにそれを見せたら、しつこく「五個買え」と言われたのが印象的でした。確かに四つという数に深い意味はなかったので、そうしてもよかったといえばよかったんでしょうが、五個まとめ買いでもなかったのに高圧的に"five! five!"とまくし立てられるのに例の如く非常に腹が立ったので、ちょっとした剣幕で詰問してしまったのは苦い思い出ですw
宿のシャワーで初めて真水以外のものが出た私の8月15日は、こうして幕を閉じるのでした。就寝は0時45分。
…とりあえず最大のヤマ場は越えたわけで、ここからは加速していきたいです。年内脱稿www

*1:「角」というのは元の十分の一を表す通貨単位です。つまり1元=10角

*2:書いておいて勝手で須賀、どう面白いかについてのコメントはご遠慮くださいねww

*3:この時すでに、北京郊外を走るバスのお兄さんに対して「簡単な英単語なら通じるかもしれない」という期待をする段階ではありませんでした

*4:もちろん簡体字で書かれているわけで須賀

*5:だって展示館がなかったんだもん

*6:最近(2007年12月)ロシアにちょっと興味があるものでw

*7:言うまでもなく中国にとっては戦勝記念日なわけです

*8:一般的な意味におけるマックス・ヴェーバーですw

*9:断っておきま須賀、後藤新平がどうしたこうしたとか、現在でも台湾には「親日派」が多いと言われているといったことが、日本の半世紀にわたる台湾支配を正当化するなどとは私は決して考えません

*10:これは以前にヴェトナムの戦争博物館を見学したことのあるKくんが、それとの比較を交えて指摘してくれたことです

*11:これは別に見た人本人が、その人の個人史において戦争を体験しているという意味に限定する必要はないと思います。例えば回族出身の人が少数民族に関する展示を見て、「そうか、オレたちも中国のために日本と戦ったんだ」と思えば恐らくことは足ります

*12:Kくんがそういう顔をしていました

*13:確かソウルの東大門とかもこんな感じじゃなかったですかね?

*14:利用料金は3元でした

*15:つまり何をいくつ買うのかをその人に見せて、紙にそれを書いてもらわねばならないのです。北朝鮮のホテルでの買い物の仕方と似ているのは偶然なんですかね?