厳密に言えば、アブダビ空港に着いた時点ですでに「2日目」たる7月28日に入っているので須賀、話の区切りなどの便宜上、モスクワ・ドモジェドヴォ空港に着くところから始めたいと思います。
初めて歩くモスクワの街
モスクワに降り立つ
着陸は午後1時45分ごろ。アブダビとモスクワには時差はありませんので、そのまま5時間弱のフライトでした。大渋滞の入国審査を抜けたのはさらに30分以上後です。まず多少の金額を両替してから市中心部に向かおうとしたので須賀、この日が日曜日だからか、空港内のどの両替所も閉まっています。総合案内所に「開いてる両替所はないの?」と聞いても、閉まっているところを案内されたりと埒があかなかったので、結局ATMで3000ルーブル引き出すことにしました。
ここでロシアの通貨について説明しておくと、通貨単位はルーブルで、キリル文字の頭文字を取ってしばしばPの略称が用いられます。大体1P=3円弱というところで、補助単位の「コペイカ*1」にお目にかかる機会はありませんでした。そこで今後支出については「○P」という形で表記して、現地の物価の感覚についてもご紹介できればと思っています。
さて、こうして最低限の軍資金を調え、いざモスクワの街に足を踏み出します。
いやあ、涼しいですね。この時点で20℃を切るくらいだったそうです。すぐ目の前から乗り合いバス(マルシュートカ)という名の大型バスに乗り込み*2中心部へ。バスはしばらく原っぱの中の幹線道路を走った後、車窓にはこんな光景が広がります。
同じように造られ、同じようにずらっと立ち並ぶ古い集合住宅。見ての通り灰色一色ではありませんが、なんだか平壌を思い起こさせます。
軋みながら暴走する地下鉄
乗車30分ほどで、地下鉄ドモジェドフスカヤ駅前へ。
ここからはメトロで、予約している宿を目指します。切符は150Pで紙製の5回券を購入。改札口にかざすと残り回数が表示されるという代物です。ロシアでは、駅の構内や鉄道は撮影禁止だ!とガイドブックに脅されていたので写真は撮ってきていないので須賀、構内にはイデオロギーっぽい彫刻や銅像のようなものが多数並び、なかなか華麗な装飾がなされています。また、先取りして言えば、ホームが地下のかなり深くに造られている駅もちらほら。防空壕や核シェルターを兼ねていた、とはよく言われることで須賀、装飾といい深さといい、こちらも平壌地下鉄と共通点がありますね。
電車はすぐにやってきて、私達は北行きに乗車します。かなり古い車両のようで、発着の度に大きな音を立てています。しかも結構なスピードを出しているので、絶えずガタガタと上下に揺れ、まさに車体を軋ませながら暴走しているといった感です。生まれて初めて、電車の中で命の危険を感じましたw
ネオナチと遭遇?
そんな様子に戦々恐々しながら、いつ乗り換え駅に着くのかとそわそわしていた*3ら、突如、右足に圧迫感を感じます。目の前を見ると、軍隊か警察の制帽のようなものをかぶり、しましまのシャツを着た恰幅よさげな男性が間近に。どうやら彼が、私の足を踏んだようです。私が顔を上げると同時に彼もそのことに気付いたようで、無言で私の方を見て、手を自分の胸の前に差し出して押さえるような仕草をします。「謝っているんだな」。そう感じた私は、そんな彼の仕草を好ましく感じ、笑顔でうなずきました。
私達は乗り換え駅で降り、キリル文字オンリーの行き先表示に悪戦苦闘しながらも、なんとかお目当ての電車に乗ることができました。ちょうどその瞬間だったでしょうか。ホームを闊歩していた10人弱の若者の集団が、いきなり大声で歓声を上げました。その中の一人は白や水色、赤といった色の横縞が描かれた大きな旗*4を掲げ、メンバーのほとんどが酒瓶のようなものを手に持っています。他の乗客の様子を伺うに、みな冷やかに、外国人の私が見ても分かるような「関わりたくないオーラ」を発しています。こいつらネオナチ系の右翼なんじゃないか。私はとっさに、日本語で書かれたガイドブックを隠します。彼らが本当に「外人狩り」をするつもりならそんなことをしたって無駄で生姜、より目立たないことで「その気にさせない」ことには意味があるはずです。息を殺して、とまで言うと嘘を孕みま須賀、伏し目がちに彼らが行き去り、電車のドアが閉まるのを見送りました。私は明確には認識できなかったので須賀、細君曰く、さっき私の足を踏んだ男性も彼らと同じような格好をしていたそうです。
そびえる巨大ホテル群
午後5時前に私達が降り立ったのは、パルチザーンスカヤ駅前にある「イズマイロヴォ」と名がつくホテル群の前。
予約しているのは、写真中央奥の「ベガ」なる棟の一室。
「ベガ」の温度計。メモリがマイナス40℃まであるのがさすがですね。
フロントの応対は親切でしたが、パスポートをコピーしたり何をしたりと、チェックインするのに15分ほどかかりました。荷をほどいた部屋からの景色はこんな感じ。
鎧兜で旅順を包囲?
さて、宿に留まっているのももったいないので外に出ましょう。地下鉄に乗って現代史博物館に向かいます。車内では、足を切断している車いすの男性が浄財を募っていましたが、女性を中心に応じている人が多かったのが印象的でした。
ここはその名の通りロシアの現代史を扱う博物館で、帝政時代に貴族の社交場だった建物を転用しています。午後6時前に500P*5払って入場します。
大体18・19世紀くらいからの歴史を、絵なども並べながら行きつ戻りつ紹介しています。基本ロシア語で須賀、部屋ごとに英語の説明も付いています。
日露戦争コーナー。英語の説明では、「最初の革命のきっかけになった」とされているものの、勝敗については触れられていません。
いやいや、さすがにこんな恰好で旅順包囲とかしませんからww
本家・スターリンワールド
二度にわたる革命や、諸外国による干渉戦争、NEPなども詳しく紹介されています。
共産色が強まってきましたねwww
真打ち(?)登場です。構図的にも金日成に似ていますね。特に「金日成と子供たち」シリーズは彼の国の儒教的意味合いで理解していたので須賀、こちらの影響もあるのでしょうか。
…と、この辺で時間切れ。閉館の午後7時が近づくと、スタッフのおばさんたちが腕時計を指さしながら喚きはじめ、追い出されてしまいました。どうやら彼女たちは7時に閉館しようとしたのではなく、7時に自分たちが帰ろうとしていたようです。自分のペースで時間配分できなかったのが悔やまれます。
赤の広場へ
そこからトヴェルスカヤ通りを下って、クレムリン方面に向かいます。
プーシキン像です。
並木通り。
通りの先に何やら見えてきました。
こちらはクレムリン北端にあるマネージ広場。真ん中に見えるのが国立歴史博物館です。午後7時半にも関わらず結構な人で賑わっていま須賀、まあこれだけ明るければ時間は関係ないですかね。
悪辣なゆるキャラたち
赤の広場の入り口・ヴァスクレセンスキー門です。門の前にはクマちゃんとウサギちゃんみたいなゆるキャラっぽいのがいて、写真を撮っていたら細君を入れてポーズまでとってくれたので須賀、撮影後に近寄ってきて「100Pよこせ」と要求してきました。「写真撮っただろ」ということなので須賀、そもそもそんな話は聞いてないのでこちらは当然拒否します。それでも彼らは重ねて100Pを要求。かわいらしいキャラクターの口の部分から、悪辣そうな表情が覗きます。埒が明かないので奴らの写真をチャチャっと消して「お前たちの写真なんかない」と見せて諦めていただきましたが、その外見に似合わず、本当に腹立たしい連中でした。
門の前には「ロシアの全道路の起点」なる標識も。ロシア版日本橋のようなものですかね。多くの人が記念撮影をしていました。
明るい夜に赤の広場を歩く
破壊王・スターリン
さて、そして赤の広場です。この有名な広場は、17世紀後半に本格整備され、「クラスナヤ広場」と呼ばれました。この「クラスナヤ」がロシア語で「赤い」という意味なので、現在では広く「赤の広場」と呼称されているので須賀、この言葉は古代スラブ語で「美しい」という意味だったそうで、むしろ「美しい広場」と呼ばれていたとのことのようです。ソ連時代のパレードのイメージから、社会主義の「赤」を連想しがちで須賀そうではないようです。ちなみにいわゆる西側の報道機関などは、この時の共産党幹部の座る場所を見て、党内の地位を推測していたんだそうです。まさにこうした広場を要したというのはかつて読んだ『大衆の国民化』の議論にもある部分で須賀、スターリンはまさにその「パレードのジャマだ」という理由で、1931年に先述のヴァスクレセンスキー門をブチ壊したんだそうです。いやはや、そこからそうした「国民化」の要請の強さを察するべきか、それともそれをスターリンという人間の個人的な性格に帰するべきか、判断の難しいエピソードではあります。
こちらのカザンの聖母聖堂も、スターリンがブチ壊した建物の一つです。1612年にポーランドの侵攻を防いだことを記念して建てられたもので、さしずめポーランドは防げてもスターリンは防げなかったというところでしょうか。観光スポットであると同時に信仰の場でもあり、多くの人が入口やイコンの前で十字を切り、ろうそくのパチパチ燃える音がかすかに響く、静かな場所でした。
プーチンと記念撮影!
赤の広場の右側、壁の奥はクレムリンです。もう閉まっているので中の見学は翌日回しにせざるを得ませんが、写真奥のドーム状の建物は大統領府。旗が掲げられているのは、クレムリン内に大統領がいることを意味しているそうです。
プーチン!
…旗をバックに満面の笑みで写真撮影をさせていただきました。
ちなみにこちらがレーニン廟。よく見るとこれまた思うところのありげな方々が記念撮影していますね。
ささっと退散しましょう。
こちらがクレムリンの反対側にあるグム百貨店とその内観、
こちらは有名なワシリー寺院ですね。明日訪ねてみましょう。
お土産屋さんを物色。スターリンマグネットを二つ購入しました。
アルバート通りで夕食を
この辺で大体午後9時前。お土産と夕食のためにと、細君の希望でアルバート通りに転戦します。
路上で輪投げ大会。輪が入ったお酒をもらえるという一種の賭けごとのようで、実際にゲットしている人もいました。
土産物屋ではマトリョーシカエプロンと、プーチングッズを購入です。
夕食は大衆レストラン「ムームー」でいただきます。といっても、
これで688.5P。決して安くはないです。
これが大体10時ごろ。やっとこさ暗くなってきました。それとタイミングを合わせるかのように、あちこちで路上バンドが活動を開始します。しかしそろそろ帰らねば。11時過ぎに宿に戻り、就寝。2日ぶりに横になって眠ることができました。