かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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南朝鮮偵察記韓国旅行記四日目・板門店ツアー

さあ四日目です。この日はこの旅行の目玉とも言える板門店ツアーがありますよ。細かな記憶も曖昧になってきたのでここからは一気呵成に行きたいですねwww

北朝鮮、再び―南からの板門店ツアー

集合地は高級ホテル

この日はちょっと早めに起きて地下鉄に乗り、9時半過ぎに中央高速観光の板門店ツアー集合地であるソフィテルアンバサダーホテルに到着。ってちょwwっww田原さんwww*1 何ですかこの高級ホテルは。一人一泊300000ウォン(約37500円)って、私たち四人の五日分の宿泊費*2より高いじゃないですかwww まぁいいけど。てなわけで私達貧乏人は、そのホテルの地下の一角にある中央高速のブースで一度パスポートのチェック*3を受けた後、バス搭乗まで高級ホテルの一階を物色していたのでしたww
そして10時前にバス搭乗。そこでツアー参加者が30数名であることが判明したんですけど、二人*4を除いて全員日本人でしたorz まぁ8000円も払って南側から板門店を見に来るのは日本人がほとんどなんでしょうね。
さて、そんなことを考えているうちにバスは出発しました。すると早速「パク」と名乗るおばさんが、なにやら奇妙な日本語でこのツアーに関係あることないことしゃべり始めたではありませんか。何が言いたいかも大体わかるし言葉の誤用もあまりない。でも日本語ってそういう言い方しないんですよね… まぁ私の英語(誤りは多いが)もその傾向はあるんでしょう、きっと。

板門店ツアー時の諸注意

そんな彼女の話は大別して1)分断の歴史、2)ツアーでの注意、3)よく分からない雑談、の三つだったんで須賀、一番興味深かった2)についてちょっと触れてみますね。まず服装に制限がある、ということ。これは事前に注意があったんで須賀、ツアーに参加するに当たって「Gパン、Tシャツのまま、運動服、半ズボン、サンダル、ミリタリースタイル、ミニスカート、露出の多い女性服、男性の長髪または整髪されていないヘアスタイル、その他共同警備区域・米軍支援団司令官が許可しない服装」は禁止されています。あと派手な服装もダメなんだとか。これは板門店で向かい合っている北の兵士が、そういった服装を見て動揺しないようにということなんだそうで、実際に国連軍のチェックに引っかかると国連軍が用意する替えの服に着替えなければならないそうです*5。まぁこの辺がめんどくさそうだったからこの日はスーツを着込んで髪もバッチリ固めて行ったので須賀、このルールもそこまで厳格な適用はなされていないようで、パッと見で危なそうな服装の人は確かにいましたね。ちなみに私が北から板門店に行った時の格好は…黒のジーンズにエリマキトカゲみたいな襟のロングTシャツww しかも髪の毛立ってるからwww …きっと彼らは動揺したことでしょうw
その次は、ツアー中酒を飲むなということです。これも国連軍によるチェックで酒気帯びと判断された人がいた場合、ツアー全体が追い返されることもあるそうです。ギクッ…とはしないですよ、さすがに朝から飲むほどのアル中ではありませんからww ちなみにこれはツアー客が酔って北に亡命しないための措置なんだとか。確かに私べろんべろんだったらやるかもしれない*6…orz この制限も北にはなかったです、まぁ飲まなかったけどw
そしてこれは有名ですよね、北の兵士や建物を指差さないこと。これは銃を向けているように見える可能性がある、という理由だそうです。あと許可されたところ以外では写真を撮らない。まぁ軍事機密もあるでしょうからね。
その中で一番笑えたのはこれです。「北の兵士に笑いかけるなどの、北朝鮮にあこがれ*7るようなジェスチャーは取らないで下さい」。これはなんでも「北の兵士が勘違いして助けに来てしまうかもしれないから」だそうで須賀…テラワロス そういえば北から行った時はツアー客のひとりが南に向かって手を振りながら「マンセー!」とか言ってましたねwww

そんなにコワい? 朝鮮人民軍兵士

このように見てくれば分かると思いま須賀、板門店に行く際の制約という点では意外なことに、北より南の方が圧倒的に厳しいんですね(詳しい北の様子に関しては北朝鮮旅行記(二日目)参照)。そしてこれはパクさんによると「南が北を信用していないから」だそうで。確かに1968年の北朝鮮ゲリラ侵入事件や北から南に向けて掘られたいわゆる第3トンネルなど、北朝鮮の南進意図*8を想起させるような事物がれっきとして存在する以上、それが全く不合理なものと断じることはできないでしょう。ただこのように過剰とも言えるような制約が、意図的なものかどうかは別としても、見学者に北朝鮮という国家に対する恐怖を抱かせる大きな要因となっている*9ことも否定はできないのではないでしょうか。特に北朝鮮側から軍事境界線を見、実際にどういう人たちが警備をしているのか見てきた私としては違和感を感じざるを得ませんでしたね。まぁ同じ人民軍兵士でも北からの客へと南からの客へでは当然態度が違うでしょうから、そんなことを言ってみても仕方がないんでしょうがw

休憩と昼食

そんな話をしているうちに、バスは統一公園に着いたようです。って言ってもトイレ休憩を取っただけなんですけどねw ちなみにここには、朝鮮戦争の際に爆弾を抱えて北側のトーチカに飛び込んだ兵士達を顕彰する「肉弾十勇士忠魂碑」なるモニュメントがありました。確か日本にもこういう話ありましたよね。やっぱりこういう「美談」って愛国心の発揚、もっと露骨に言えば次いつまた起きるやも知れぬ戦争への自国民の動員に使われやすいのでしょう。あとこの辺になると結構田舎になってくるんで須賀、景色としては北朝鮮のそれよりもむしろ日本のそれに近い気がしました、って言うより映画『大統領の理髪師』に出てくるような田舎、って感じですかね。はい、そんな感じでした。
バスに乗り込み更に進むと、今度は昼食ということで食堂に停車。そこでツアー客の皆さんと一緒にプルコギ定食をいただきました。いや、これは普通に(゚Д゚)ウマー、だったので私達四人のテーブルはものすごい勢いでキレイになってしまいましたw そして隣の英語圏のおじさん二人が残した大量のプルコギが始末されるのを見て、ある者は悔しそうに舌なめずりをし、ある者*10は「ちょwwっwwおまwww」と口走り、ある者*11は「アメリカ人はワガママだから嫌われるんだ」と憤っていたのでした。
最後までガツ食いしていた私達が食べ終えて食堂の外に出てもまだ若干の時間があったので、成り行きで*12同じく外で雑談していたガイドのパクさんと少し話すことに。すると彼女は…
パクさん「あなた達、高校生?」
私達「(ry」
どうやらみつおと私のスーツが高校生の制服に見えたらしいんですね。実際韓国の高校生の制服ってそんな感じ(紺のジャケットにネクタイみたいな)らしい、ということに気付いたのはこの日の夕方なんで須賀orz その後ちょこちょこと話をして、またバスに乗り込みました。

イムジン川というプロパガンダ

次に私達が降り立ったのは、京義線臨津江駅です。この臨津江というのは川の名前なんで須賀、これはハングルに直すと임진강、つまりイムジン川のことです。一昔(いやもう一昔ぐらいかな…)にザ・フォーク・クルセダーズが歌った幻の名曲「イムジン川」ってこれのことです*13。そう言えば北から行ったときの帰りのバスで歌ってた人がいましたね。イムジン川水清く〜とうとうと流れ〜♪ おっとww まぁそんな臨津江駅なんで須賀、ここは民統線*14のギリギリ外側にある駅で、許可のない民間人はここより北に立ち入ることはできません。
そこで降りて、トイレなり「自由の橋」*15の見学なりということだったんで須賀、何ですかあれは。「平和ランド」ってこんなところにこんなショボい遊園地を(ry 他には「平和の鐘閣」や「臨津江の南端に脚を縛られ立ち往生している列車」とされる「鉄馬は走りたい」のモニュメントが設置され、また北朝鮮から輸入した雑貨を売る出店*16もありました。
で、思ったんですけど、やっぱりどこか白々しいんですよね、言っちゃ悪いですけど。確かに平和を願う鐘閣を建て、行きたいけど行けない北への思いを列車に託す…その気持ちはボクもよく分かるよ、ただね、そうだとすれば、南北の平和や自由な行き来といったものの実現に向けてね、まだ出来ることがあったのではないかと。もし一方でそれを怠り、あるいは何らかのファクターによって言わばプライオリティーを認めないという判断を行なってね、そうでありながら言わば本音を吐露する形でこれらのモニュメントを設置するのであれば、これはある意味での言行の不一致がここにあると言わざるを得ないわけでしょう。またこうした時にね、少なくとも韓国の側は平和を望んでいる、統一を望んでいると。であるならば不幸にしてそれが実現されないのはなぜなのかという時にね、これは往々にして北をはじめとする自分以外のアクターやファクターに、責任が転嫁されかねないわけでしょう。だからね、いいですか、こんなことを言うと皆さん笑われるかもしれないけれども、少なくともこの構造は、北の南北統一に対する態度やプロパガンダと一致していますよ…
これは北朝鮮に行ったときに、北に対しても感じたことではありますね。
ちなみにここで一時失踪*17したのはすみません、経済制裁で遅れてしまって。いや、今のは冗談で須賀北を故郷とする方などが北を望む「望郷壇*18」を見ていたからです。これも上に挙げたようなモニュメントの持つ性格を持っていると思います。確かに北を故郷とする人たちが共同祭祀を行なう場でもあるここをそのように見るのはある意味で冷たいのかもしれませんが、この施設が「分断の被害者は我々だ」という機運を結果として高めているとは言えるでしょうし、祈る彼らの思いが韓国政府の政治的プロパガンダに利用されている側面は否めないでしょう。

パ、パスポートチェック??

さてさて、私達を乗せたバスは更に北進。「統一の橋」の前で停車しました。そしてガイドさんがパスポートを用意するように言ったあと、迷彩服を着た韓国人憲兵がバスの中に… そうです、パスポートチェックです。パスポートチェックをするというのはもちろん、パスポートにある顔と自分の顔を照合する、ということです。ということは…そうです、この時点でピンと来ない方はこれを参照していただければと思うので須賀、簡単に言うと憲兵平壌出国のハンコを見られてしまうかもしれないわけです。しかも憲兵は韓国人です。ここで見つかってもおいしいかな〜という考えももちろん(藁)頭をよぎりましたが、ダメだったらまた次の機会、と割り切れるほどここに来るチャンスは多くないと思ったので必死に裏写り部分を隠すことを決意しました。もうその時点で憲兵はすぐそこまで来ています。隠すにしても不自然にはならないように…と思って握りを変えたその瞬間、私の番がやってきました。彼はパスポートと私の顔、そして手に持っていた名簿を見比べ、特に表情を変えないまま次へ… ふぅ、助かった… きっとあのバスの中で私ほどドギマギした人はいなかったでしょう、ホンモノの北朝鮮工作員でもいなければwww
そんなわけで無事チェックを通過した一行は、相も変わらず更に北進しました。そしてまたまたバスは停車。しかもそれが二度目のパスポートチェックだそうでw ただ今回は一同バスから降りてのチェックで、ツアー客が一列に並んで憲兵に顔とパスポートを見せる形式でそれは行なわれました。まぁ厳重なチェック、ってことなんだと思いま須賀、その憲兵が名簿を持っていなかったことや、他の憲兵がパスポート以外の荷物の残ったバス内をチェックしていたことを考えると、二回目のチェックの主目的はパスポート(つまり人間)ではなく荷物だったのではないかという気もしますね。もちろん今回もチェック前はビクビクでしたよwww
また短い時間をバス内で過ごしたあと、一行は小さな駐車場で降ろされました。なんでもここでツアー会社のバスから国連のバスに乗り換えるんだとか。ここから先は荷物の携行は禁止で、カメラと貴重品以外ツアー会社のバスに置いていけ、とのことでしたがもちろんメモ帳は持って行きます。ジャーナリスト宣言*19ですからwww まぁ冗談は置いておいてですね(藁)、ここでツアーのバスを降りた私達は国連のバスが私達を迎えに来るまでそのエリアで待機だったんですけど、ガイドさんが「周りに地雷がある可能性もあるのであまり遠くに行かないで下さいね」なんて言ったせいかみんな降りたあたりで縮こまっていました。でもよく考えてみればさすがにそれはないですよね。だって周りにトイレとか売店とかあったしww

キャンプ・ボニパスで恐怖の味噌汁宣言書

15分ほど待ったでしょうか。ようやく国連のバスが来て、私達はそれに乗りキャンプ・ボニパスへと向かいました。ここからキャンプ・ボニパスまではそう大した距離でもないんで須賀、安全上の理由その他諸々*20からバスを使うんだとのこと。なんかこういう短距離のバス移動って北朝鮮を思い出すなぁw
…とか思っている間にキャンプ・ボニパスに到着。そこでまずブリーフィングを受けるとのことでボーリンガー・ホール*21なるホールへと入っていきました。入ると国連軍のゲストであることを示すゲストバッジと一枚の紙・鉛筆が手渡され、それにサインすることを求められます。その紙というのがまぁ例の宣言書なんで須賀、半分も読み終わっていないのに回収回収とせかしてくるんですね。この紙にはそんなにどうでもいいことが書いてあるのか、読み終わる前にサインなんかできるわけないだろ、と噛み付いてやろうかと思いました*22が、さすがにそれを言うことはできず、ギリギリまで粘って流し読みをしてからサインしましたorz それにしてもこの紙、そんなどうでもいいことが書いてあるわけではないんですね。万一何かあったらこのサインを元に問題を処理しようと思うのなら、自分達がサインを求めている書類の重要性くらい認識して欲しいです。と言っても中身を知らないなんてことはほぼ間違いなくないでしょうから、きっと彼らは「万一の事態なんてあるわけがない」と高をくくっているんでしょう。だったらこんなコワい紙にサインさせるなよなwww
…とここまで言って紙の内容を書かないのもどうかという気がするので、以下に前文を晒しますね。

  訪問者(見学者)宣言書
          (UNC REG 551-5)
統合警備区域への訪問者(見学者)は、下記を読み、署名することが要求される。
 
1.板門店の統合警備区域の見物は、敵性の地域への立ち入りを伴わない。敵の行動(活動)によっては危害をうける又は死亡する可能性がある。統合警備区域は中立地域であるが、一方(南)は、国連軍の軍人により、他方(北)は、北朝鮮の陸軍軍人によって、それぞれ分割警備されている。
 国連軍のゲストの皆様は、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備区域へ立ち入ることは許されていない。また、事変・事件を予期することはできないので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできないし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできない。
2.訪問者は下記事項に従わなければならない
a 国連軍軍人は、勤務時間外の服装として、軍種により規定された適切な軍服を着用する。
 訪問者は、国連軍の威厳を保持するに適切な私服を着用する。
b 統合警備区域に立ち入る前に、各訪問者(軍人含む)は、国連軍の正式のゲストであることを証明する簿片のバッチを受け取ってそのゲストバッチは、外部から見える衣服の上部左側に付けなければならない。
 このゲストバッチは、キャンプ キティー ポークから出発する前に、返納されなければならない。
c 北朝鮮軍人及び中華人民共和国義勇軍と、会話することを含んで、親しくすることや、交際することは、固く禁じられている。北朝鮮軍兵士、中華人民共和国義勇軍兵士は、次により識別できる。
(1)軍人…警備兵は、褐色又は、くすんだ茶色の北朝鮮軍服で腕に赤色の腕章を装着、休戦軍事委員は、黄色の腕章を装着している。
(2)報道関係者…緑色の腕章を装着している。
(3)訪問者…上部ポケットに緑色の布片を装着している。
d 訪問者は、北朝鮮側にとって、国連軍に対する宣伝材料となりうるような身振り、表現などを慎む。
e 訪問者は、見学の最初から最後までグループとして行動し、見学案内者の全ての指示に従うようにする。
 いかなる不平・苦情はキャンプ キティー ホークに帰った後に言う。
f 火器、ナイフ等いかなる武器も、統合警備地域へ持ち込んではならない。
g 共産側支配下の地域及び建物(黄褐色に塗色)には、いかなる理由があっても立ち入らない。統合警備地域内の国連軍の建物(青色に塗色)に立ち入るには、事前に見学案内者により許可を得なければならない。
h いかなる時でも見学者は、部隊の進路に立ち止まったり遮ったりしてはならない。
 会議室内の施設や装備をみだりに操作しない。統合警備区域内は、写真撮影が許可されているが、CKP#1(キャンプ キティー ポーク入口)からCKP#2(統合警備区域入口)の間の途中は禁止されている。
i 若し、いかなる出来事が起きても、平静を保ち、警護の者の指示に従わなければならない。
3.以上の事項に関するいかなる質問も、見学案内に聞きたださなければならない。
  DECLARATION(宣言)
私はこれを読み、理解し、そしてこの指導(指示)に従う。
私が未成年の家族を伴っている場合、この見学に際して、私が責任を有する未成年者を伴った場合、私のこのサインは彼らにとって、これらの指導(指示)を承認することを意味する。
SIGNATURE(署名)______   DATE(日付)______

ちなみに表記が揺れている部分が見られま須賀*23、それは私のせいではありません。原文を忠実にコピっただけなのでwww
…まぁこんな紙に名前を書かされたってことですw
宣言書を回収された後はブリーフィングです。軍事境界線に関する概説をしてから沿革を述べる、という形式で行なわれたんで須賀、1984年に起こったソ連人男性の亡命事件の話が心に残りました。西側へ亡命するのなら、大使館駆け込みなどもっと手軽な方法がありそうなものなのにあえて板門店から亡命した*24彼は恐らく、分断のシンボルであるこの場所の象徴としての意味合いを強く感じていたのでしょう。

DMZ内の不気味な静けさ

しつこいようで須賀またバスに乗り、私達は北へと進んでいきました。途中(と言っても乗ってすぐのところだけど)「世界で最も危険なゴルフコース」を横目に見ながら少し進むと、バスは何やらコンクリでできたゲートのようなものの下を通過したのです。何だろうと思っているとガイドさんがこう教えてくれました。
ガイドさん「あれは万が一の時に爆破すると壁が降りてきて、道路を封鎖してくれます。これはこれから通る地雷原・フェンスとあわせて『三つの遮断』というんですよ」
確かにそれはちょっとコワいがそのネーミングセンスはなんとかならんのか。
そして遮断三兄弟の三男・フェンスを難なく*25突破したあたりで、バスは南方限界線に到達。ここから先がDMZ*26です。DMZはその名の通り軍事施設などはなく、のどかな農村と手付かずな自然が残る静かな場所なんで須賀、何かその静寂が不気味な静けさのような気がしました。
ちなみに南側のDMZ内にはテソンドン村という農村があります。昔からここに住んでいた人たちが農業に従事しているのです…って言ったらなんでもない感じで須賀、やはりと言うべきか何と言うべきか、ここの農家は他の農家とはいろいろと事情が違っているようです。まず耕地面積が広い。韓国平均の5倍近い耕地を耕しています。夜間に外出できないなどの制限が大きい。これは安全上…ということなんでしょうが大きな制約ですよね。そしてそのかわりに納税・兵役の義務がない。最後に、北側のDMZにあるジゾンドン村*27からの夜間の宣伝放送に耐えねばならない。これは結構笑えま須賀、彼らにとっては深刻な問題なんでしょう。ちなみにこの二つの村は、どちらがより高く自国の国旗を掲げるかで張り合っていた*28時期があったらしいですよwww

JSAでありえないローテンション

さあ、そしてついに着きました*29板門店です。半年前に見た平屋の休戦会議所も見えます。そしてその先にはあこがれの北朝鮮が再び!! まぁそんなわけで見たことのある景色に少し興奮しながら、自由の家と呼ばれる建物の中に入っていきました。この自由の家JSA*30における南側最大の建物で、ここからJSA内を一望することができます。しかしこの建物キレイですね、ガラス張りのこのキレイさは北の板門閣*31と好対照をなしている、と言っても言い過ぎではないでしょう。
そしてツアー一行はそんな建物の中を二列縦隊で通り、展望台のようなものに登ります。そこでガイドさんの解説を聞いた後、写真撮影タイムへ。半年前とは180度違う方向からこの軍事境界線を眺めているわけで、そこで感慨じみたセリフでも吐ければよかったんで須賀どうも実感が湧かなくて。確かにそこで二つの戦争状態の国*32が向かい合っているんで須賀、自分がそこにいるというよりは何かガラス張りの展示でも見ているような印象が強く、少しテンションが下がりました… まぁ半年前と変わらぬ板門閣のたたずまいを見て少し安心しなくもなかったんで須賀、それを見て春まだ浅い信濃路へ北の大地を連想する…というような粋な(?)こともせず仕舞いでした。
数枚写真を撮ったらまたお行儀よく列を作り、休戦会議所内へと入ります。北から行った時は「南の許可が得られなかった」として入れなかった建物に初潜入!したので須賀、写真で何度も見ていた風景だったということもあってかそこまで感動はしませんでした。ただ確かに、グラサンをかけて仁王立ちのまま微動だにしない憲兵からは言い知れぬ恐怖をいただきましたね。ちなみにその建物の真ん中から先は北朝鮮だったりしたんで須賀これにも特別な感慨はなし。まぁ同じ建物の中でここからこっちが北朝鮮、なんて言われてもピンとこないのが普通だと思いますけれども、やはりここもガラスケースの向こうのような気分で眺めている自分がいました。
そこから出ると一旦バスに乗り、今度は第三警備所を見学しました。ここはJSA内の南側施設としてやや孤立した位置にあり、そのことがいわゆるポプラ事件*33の原因でもあるわけで須賀、この時私のテンションはまさに最低orz 災氏に「どうした大丈夫?」といわれてしまうくらい押し黙っていたのでした。
んでバスの中から「帰らざる橋」*34やら「ポプラの切り株」*35を見つつさっきの駐車場に戻り、そこでおみやげ物屋さん*36に寄ってからツアーバスに乗り換え、板門店で撮った集合写真の売り付けを軽やかにスルーしつつソウルに戻って参りました。そんなところです。あー書いてる今もテンションが下がってきたぞ☆

板門店感想―憂鬱の正体

でもこのまま話を進めるわけにはいかないですよね。なのであの憂鬱の正体を気に留めながら、少しまとめぷったことを書いていければと思います。
まず憂鬱の正体から探しにいきましょう。DMZを突っ切る頃まではむしろ少しウキウキしながらバスに揺られていたのに、どうしてJSAに入った途端テンションが下がり始めたのか? それは多分、そこで何も思わなかったからです。じゃあ、なぜ何も思わなかったのか?
これは、この旅行記の更新を妨げる最後にして最大の問題でしょう。そしてぶっちゃけて言いますと、思いつくどれもが決め手に欠けているんですね。例えば、1)みつおが言ったような「観光地としての板門店」、言い換えれば「ガラスケースの中の板門店」に違和感を感じた、2)北からの訪問や写真などである程度よく知っていた板門店に新しい情報や感動を見い出せなかった、3)「北からの板門店」をかなりの相対化の眼差しで見ていた私は、無意識のうちに「南からの板門店」に客観性(というより通説性)を求めた、4)そもそも私が見に来たのは「板門店」ではなく「北朝鮮」だった… うーん。。。まぁ2)と4)は大きい気がしますね。ただ自分の中ですっきりいかないことを「こうだ」なんて強弁してもむなしいだけですし、これ以上考えてもそれは思索という名のこじつけになってしまいそうな気もするので、この問いについてのこれ以上の深追いは、現時点ではやめておきます。
そんなわけで次にまいります。その他でまず感じたのは、板門店という場所の象徴性ですね。前にちょっと言及したソビエト人の亡命なんてのも板門店が南北分断の、もっと言えば東西冷戦の、そしてそれが接する場所の象徴であったが故に起こった事件なのでしょうし、近年盛んになった南北の文化交流なんてのもこの板門店で(あるいは「を通じて」)行なわれるケースが目立ちます。その意味で板門店は分断の象徴でありながらも、南北の接点の象徴でもあるわけで、今後は南北友好、そして南北統合の象徴*37となることを期待しますし、きっと現実にそうなるのでしょうと言っておく。
あとですね、最後ながら臨津閣あたりで顕著だった韓国側のプロパガンダについても、まとめっぽいこの部分で繰り返させてください。そのプロパガンダというのはこれもまた繰り返しになりま須賀、南北分断における南の正当性と正統性ということになろうかと思います。確かに分断された民族の悲哀、という側面からのアプローチもありましたが、私がより強く感じたのは前者でしたね*38。なるほど近年の、そして今後の南北関係を鑑みれば後者がもっと強くても不自然ではない気もしますし、恐らくその流れは加速していくのでしょうが、とはいえ何だかんだ言っても板門店軍事境界線の上にありますからね。それにやっぱりここにいる国連軍の少なからずはアメリカですから(藁)、ここにその波が押し寄せるにはまだ…といったところなのでしょう。

ソウル繁華街、再び―明洞・乙支路(仮)

さてさてさてさて、やっと(爆)板門店が終わったところでチャッチャ行きますよ〜w

ペ・ヨンジュンの一つ覚え

ロッテホテルでバスを降りた私達は、カウンターでみつおが注文した記念写真を受け取った後再び明洞の街へと繰り出しました。まず両替所に行って残り少ないウォンを補充*39してから、彼女をエステに放置。私達三人はロッテ免税店に向かいました。ていうか入り口からヨン様大杉。ここまで同一人物のポスターをでかでかと、そしてべたべたと貼って気持ち悪いと思わないんですかね? もともとファンでもなかったのでかなり引きましたorz
まぁそんな感じで引きながら免税店フロアに上がった私達は、免税店の品物の価格と日本語での呼び出しアナウンスにも引きながらめいめいお土産を買っていました。ていうか免税店で買い物をするとパスポートとか航空券の提示が求められるんですね、知りませんでしたww んで空腹と疲労からすでに立っていることすらかなり億劫な状況に陥った私(たち)は、彼女を迎えに行く時間まで休憩所に座り込んでました*40が何か。

ケッコウおいしい韓定食

エステを終えてホクホクな彼女と合流すると、夕食のため韓定食のお店に入りました。韓定食というのはご飯にみそ汁に小さめの一品料理がわらわら…というちょうど北から板門店に行ったときに食べたパンサンギのような食事です。と言うと日本食と大して変わらない気がしま須賀*41、こっちの韓定食はご飯の量が少ないんですね。災氏曰く「韓定食はおかずがメイン。逆に米だけでどんどん食べる日本人はこっちの人には不思議がられる」そうで、日本で焼肉に行っても肉の数倍米を食べる私は結構苦しかったですねw まぁおかわりしましたけどw
そんな感じで四人で食事していると、近くに座っていたおじいさんが何やら話しかけてきます。となるともちろん災氏の出番なんで須賀、災氏が私たちに彼の言ったことを日本語で話そうとすると彼が話し始める、そしてそれを訳そうとするとまた…と災氏たじたじのマシンガントークを見せてくれたのでした。ちなみに彼はこの店の前の店主(現店主の父親)で日本語も多少わかるらしく、私たちの話を知的だと褒めてくれました。褒められる直前の私の発言「エステに行って結構血行がよくなったんじゃない?w」 おじいさんセンスありますねwww

乙支路リブロでウルジロウル

夕食を食べて気力を回復した私たちはそこから乙支路*42まで歩き、そこで見つけたリブロに入ることにしました。入ったところでどこに何があるのかすら半分程度しか把握できませんでしたが、書店の雰囲気*43を楽しめただけでもよかったと思います。
と言ってもただで引き下がる私ではありませんw 貧相ながらもないではない私の語彙力と言うよりこれは嗅覚だなを駆使して教科書エリアまでたどり着くと、さあ発見w 「国史」なる韓国の中学用歴史教科書*44を手に入れることができました。そして調子に乗って災氏と一緒に選んだ高校用近現代史教科書*45をレジに持って行き、5900ウォンと言われたので10400ウォン出すと…
え? なんで困ってるの?
レジの女性がかなり戸惑っていました。後で災氏に聞いたら「韓国でこんな払い方は普通しない」んだそうで… いやこっちの方が合理的*46だと思うけどなあ。ていうかニヤニヤしながら歴史教科書を買っていく、金の払い方のおかしい茶髪の若い日本人、ってきっと印象に残るんだろうなあw
あとマンガのコーナーが面白かったですよ。私は決してマンガに詳しい方ではない*47ので須賀、それでもマンガコーナーに並んでいたマンガのうち半分弱は日本で見たことがあるものでした。作者名なんかも日本語読みのままハングルで表記されていて*48ちょっと面白かったですねw そして最高傑作は『金田一少年の事件簿』。この「金田一」っていうのが漢字からハングルに直されていた*49ので、主人公の名前が김전일(読みはキムジョニルないしキムジョンイル)になっていた*50んですねwww いやもうこれはキタコレ以外に言葉が見つかりませんでしたww どうせなら少年じゃなくて将軍にすればいいのに…宇和なにをするくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」

KBS、そして認定

あと日本のCDなんかも結構安かったで須賀、災氏がお疲れの模様だったのでそろそろ宿に戻ることに。宿では主にKBSニュースを見ていたんで須賀、あっちのキャスターやリポーターって名前が出るときにメールアドレスも晒すんですね。恐らくその人への抗議や反論がしやすいように、ということなんでしょうけど、実際の反響や運用はどうなっているんでしょうね。それに一つの番組に何人ものキャスターやリポーター、そしてディレクターなどが関わっていて、彼らが少なからずの擦り合わせをしながら番組を作っている中で、批判や抗議を実際にニュース原稿やコメントを口にする一個人に向かわせる(つまり責任をしゃべる人に転嫁する、もっと言えば彼らをスケープゴートにする)ことが果たしてよいことなのか、という疑問も沸き上がります。いずれにせよこの制度には興味を持ちました。誰か詳しくご存知の方がいらっしゃれば教えてください。。。
しばらくそんな感じでテレビを見ながら韓国語認定試験*51の勉強をした後就寝したんで須賀、なんか明日行く予定のロッテワールドのアトラクションで事故があったっぽいんですけど…
あーもうちょっと! がんばります…

*1:もちろん田原総一朗は関係ないで須賀、毎度「ちょwwっwwおまwww」ってやるのも芸がないと思ってww

*2:210000ウォンです。それはそれで結構な安さな気がしま須賀

*3:現地で国連軍のチェックを受けるのであらかじめ…ということのようです。ちなみにここから分かるように韓国籍の人は板門店を訪れることができません

*4:英語圏の欧米人でした

*5:実際ズボンが引っかかってた人がいました

*6:恐らく「金正日マンセー」とか言いながら走り出し、そこで絶命するのでしょう…

*7:タイマーズの皆さんは南側から板門店に行けないってことですねwww

*8:これは韓国側のパンフレットや冊子で強調されていることが多いで須賀、朝鮮戦争後の李承晩政権もスローガンとして「北進統一」を掲げたことは忘れてはなりません

*9:さっきのゲリラ侵入事件でも、捕まった人民軍兵士を見た韓国の子どもが素で「あれ? どうして角が生えていないの?」って大人に尋ねたらしいですからねw そこに政治の意図があるかどうかは確かに定かではありませんが(ある気がしま須賀)、少なくとも韓国の社会には北朝鮮を恐怖のイメージをもって見る傾向がある、とは言えそうです

*10:「田原さん」でない時点で誰か一人は除かれます

*11:まぁこれは分かるよねwww

*12:別に嫌だったとかじゃないですからw

*13:当然か

*14:民間人出入統制線の略です。意味はまんまですw

*15:朝鮮戦争時に1万人を超す捕虜が「自由万歳」を叫びながら南側に渡ったことからこの名がついたそうです。ちなみにこの橋の横からの撮影は戦略上の理由から禁止なんだとか

*16:「これが北の○○です」と一生懸命売り込んでいるお姉さんに内心優越感を感じる性格の悪い私がそこにいましたwww

*17:みつおのブログにあるやつですw

*18:「某教団」ではありませんw

*19:別にこれ私が言い出したわけじゃないですよ、別にあの宣伝に思い入れないしww

*20:むしろそっちが気になる

*21:この名前は試験に出ませんから覚えなくていいですwww

*22:あとでゆっくり読めますから、ってあとから読んでどうするんだと。

*23:さすがにキャンプキティーポークはありえないですからねww

*24:確かに何らかの理由で他の手段が使えなかっただけなのかもしれませんが…

*25:あったら困りますけれどもw

*26:非武装中立地帯。軍事境界線から南北2キロにわたって設定されています。

*27:「キジュンドン村」とするものもあって名称に自信がありませんorz ちなみに北では普通の村だと紹介されたんで須賀、南はこの村を「村人のいない宣伝村」とみなしています

*28:もちろん(?)勝者は北朝鮮で、高さ160メートルに掲げられたこの国旗は世界で最も高く掲げられた国旗になったそうですw

*29:と言ってもこの日にここに来た感慨より今ここまで書き進めた感慨の方が大きかったりするw

*30:共同警備区域(JOINT SECURITY AREA)のことです。決して「(J)ジャーナリスト(S)宣言 (A)朝日新聞」ではありませんw

*31:別に汚いわけではないですよ、ただのコンクリの建物です

*32:あくまで「休戦」でしかないのです

*33:ポプラの木が生い茂ると第三警備所が他から見えなくなってしまう、ということで剪定をしていた南側の兵士が北側の兵士によって襲われ、数日後その木が南側によって切り倒されたという事件です

*34:これも捕虜交換に使われた橋です

*35:ポプラ事件のポプラの切り株です

*36:ここでは『板門店』なるまんまな冊子を買った後、憲兵モデルのサングラスをかけて仁王立ちしたりして遊んでいました

*37:何かこの言葉聞いたことありますねどこの憲法だったっけ?www

*38:それはいっぺん北で見て来ているから、ということなのかも知れませんが…

*39:円自体も残り少なかったんですけれどもww

*40:いやジベタリアンとかではないですよwww

*41:まあ実際そうなんで須賀

*42:「ウルジロ」と読みます。ってことは乙=「ウル」だ、って話になってこの辺から「おまいウル」とか「認定ウル」とか言いまくってましたw しまいには「ウルジロウル」なんてのも・・・ww

*43:日本の本屋と特に相違点はないですよ、当たり前か

*44:国定教科書なので他にバリエーションはないです

*45:こちらはいくつか出版社がありました、ってか「近現代史」っていう独立した教科書があるんですね

*46:あくまでも客としての合理性ですけど

*47:むしろ疎い

*48:つまり「鳥山明」であれば「トリヤマアキラ」に最も近いハングルが当てられている、ということです

*49:つまり「金」「田」「一」それぞれの漢字を韓国語読みしている、ということです

*50:ちなみに北の将軍様の名前は김정일(読みはもちろんキムジョンイルw)なので全く同じではないんですけどね

*51:認定ウル